27:マキア、寂しさと甘え。
*二話連続で更新しております。ご注意ください。
ふっと目が覚め、私はベッドから起き上がりました。
すでに真夜中で、大きなガラス窓からは月が見えます。煌々と照る月は、薄い夜の雲を照らしていて、何とも幻想的な空を作り上げています。
長い夢を見ていました。
「……疲れた」
疲れたとは思ったけど、案外こんなものかと、拍子抜けに感じたり。
でも汗が凄い。
私の前世の前半は、今思えば、本当に平凡なものが多かった様です。ユリシスやペリセリス、トールみたいに、波乱の中にあった訳ではありません。だからこそ、紅魔女はあの力を持て余し、暇を持て余していました。
何かを成そうとする意志が、特別無かったから。
でも、勇者のゆの字も出ていない様な、全てはここからと言う所で夢が覚めてしまいました。
「……トール」
トールが、ベッドの側の椅子に座り込んで、腕を組んで寝ていました。
ずっと側に居てくれたのね。
「あああ……でも私、あんな歳して、乙女チックな事考えていたのね……」
紅魔女時代の私の、なんとも馬鹿な事。
死にたい。
そのくらいの恥ずかしさが込み上げてきて、思わず顔を覆ってしまいました。
枯れと悟りの地球時代を経た今だからこそ、紅魔女時代の乙女思考にむず痒くなります。
枕を、枕を叩くしか無い。
「何やってんだお前」
いつ目を覚ましたのか、トールが青ざめた表情で私の奇行を見ていました。
「ト、トール……いつから起きていたの」
「お前が枕を叩く音で目を覚ました。何してんだお前」
「い、いや……その。あはは」
まともにトールの顔を見る事が出来ません。
私は視線を逸らし、さっきまで叩きまくっていた枕を抱き締めました。
まあ、私にとってはあからさまだった紅魔女の思いも、黒魔王には全く気づいてもらえなかった訳だけど。
「何だ……すっかり元気じゃ無いか。寝る前はあんなにしおらしかったから、心配していたのに」
「……? ああ、そうね。今は気分がすっきりしているわね。でも、喉が渇いたわ……」
「水、飲むか?」
トールは脇のテーブルに置いてあった水差しから、グラスに水を注ぎ、私の所まで持って来てくれました。
何となく、おばあちゃんの言葉を思い出します。
“マメ”な男が良いよという、経験豊かな女性のアドバイス。
「あんたってマメねえ」
「は? 何?」
「いいえ、何でも無いわ」
私はトールからグラスを受け取って、水を飲みました。冷たい水が、乾いた体を潤して行くのが分かります。随分喉が渇いていた様で、水がとても美味しく感じられました。
2000年前の黒魔王は、それはそれは偉大で威厳のある男に見えていましたが、今目の前に居るトールはもう少し親しみやすいかな。でも、多分こっちが本当の彼なんだと思います。
黒魔王は、あえてああいう態度をとって、畏れを力に国をまとめていたんだな、と。
トールはベッドの脇に座り込んで、私の顔を覗き込みました。
そして、不意に頬に触れます。
「ちょ、ちょっと触んないでよ。寝汗が凄いんだから」
「汗じゃないぞ……。お前、寝ている時泣いてたんだ」
「……?」
「ほら、涙の跡だ」
トールがそっと、親指で目の下を撫でます。
私は眉を寄せ、グラスを脇のテーブルに置いて、自分の頬に触れました。
頬は湿っていて、目の下は少し腫れている様です。
「あら……なんでかしら」
「何でってお前。夢でも見たんだろう……前世の」
「……それはそうだけど。でもねトール、私起き上がった時……ああ、私の前世なんて大した事無いじゃないって思ったのよ。だって、途中で起きちゃったんだもの。全然、泣く事なんて……」
「………」
訳が分かりませんでした。
劇的な事があった訳でもない、自分でもびっくりなくらい、あっさりした人生。
ここからとは言え、私には、本当に誰も何も無かったんだなと、思ったくらい。沢山の人が出てきたのに、みんな私の所から居なくなってしまった人ばかりで。
「でも、黒魔王は出てきたわよ。ちょうど、スクルートに名付けた所だったのよ」
「……ほお」
トールは若干、息を呑んで、気まずそうな顔。
何をそんなに焦ってるんだか。
私は枕を背中に回して、背もたれにします。
「でも……ふふ。私にもあんな時代があったのね。可笑しいでしょう? 50歳とか60歳とか、世間じゃもうお婆さんと言われるような、孫が居ても可笑しく無い歳だったのに、まるで若い娘みたいに黒魔王に恋をしたのよ。帽子やドレスを、あれこれ考えて、お洒落してみたり……。まあ、無駄な努力だった訳だけど」
また、紅魔女の事を思いました。
目が覚めた時は流石に紅魔女に気持ちが同調して、恥ずかしくて死にそうだったけど、今は少し客観的に見る事が出来ます。
「……なんかすみません」
「あはははは。別にあんたを責めてる訳じゃ無いのよ。そう言う時代が、私にもあったわねって話がしたかっただけで」
意地悪に笑ってみせて、トールを困らせました。
そして再び、前世を思い出す様に、瞳を細めます。
「私はね、多分……寂しくて、惨めだったのよ。劇的に不幸な事があった訳でもないけど、じわじわと、寂しさや惨めな気持ちが、私を蝕んでいたんだわ。時代に取り残され、黒魔王には違いを見せつけられて……。結局どの輪にも入れなくって」
まだ半分しか記憶を辿っていませんでしたが、その寂しさや惨めな気持ちは、紅魔女が一生継続して抱えるものでした。黒魔王や白賢者、勇者と出会い、生活は一変し、紅魔女は後に戦いに身を置く事になるけれど、それでも、彼らと私が決定的に違う部分があったとすれば、戦いの後に帰る場所。
彼らとの戦いが楽しければ楽しい程、その後の虚しさは私を苦しめました。
私には、私を一番に思ってくれる人が居なかったのです。戦いの後、温かい瞳で迎えてくれる人が。
それはとても惨めで、恥ずかしい事の様に思わされました。
誰かにとって、そういう存在になれなかった私が。
トールは私の考えている事を、悟ったのでしょうか。優しく頭を撫でてくれました。
何とも心苦しそうな表情で。
「違うわよ、トール。私はね……だから今が、とても幸せだと言いたいの。マキア・オディリールの周りには、私を思ってくれる人で溢れているもの」
「……」
「私、今の自分がそこそこ好きなの。誰かにとって、大事な存在になれたって事だもの……。それに私も、紅魔女時代に比べたら、ずっと多くの人を思っているわ。そうね、今は大事な人たちに、幸せになってもらいたいと言う気持ちの方が大きいかしら」
「……例えば?」
「両親よ。お父様とお母様。それに、メディテ夫妻とアーちゃんでしょう? アルフレード王子とルルー王女の兄妹に、何と言ってもユリシスとペルセリスよ。………エスカは微妙な線だけど……あと、ついでにトールも」
「俺はついでかよ。いつくるのかと思ってたのに」
トールらしくつっこんでくれたので、私は満足気に笑います。
「嘘よ嘘。あんたには、誰より幸せになって欲しいって思ってるわよ」
「……なんか他人事だな。“一緒”に、とは言ってくれないのかよ」
「……」
私はクスクス笑いながら、トールに手を伸ばしました。
「ねえ、起こして」
「……面倒くさがりめ」
トールは文句を言いつつも、私の手を取って起き上がらせてくれました。
私はそのまま、トールを抱き締めます。
トールは少し驚いていました。私から彼を抱き締める事は、珍しいかもしれませんね。
「何だよマキア。お前らしく無いな」
「あ、甘えてるのよこれでもっ」
……うーん、良く分からないわね、甘え方って。恋人に甘えるのって、どうしたら良いのかしら。
そもそも私たちはそんな関係なのかしら。
なんて考えていたらドツボにはまってしまったので、唇を尖らせ彼を離しました。
トールがぽかんとしていたので、私は何だか恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしてたまらず俯きます。
慣れない事をするとこれです。
「お、おいマキア……」
「……」
「お前、俺に甘えたかったのか?」
「あああ、もうやめてやめて。そう言う事、真面目に言わないでよ」
あからさまに言いやがるトール。私は涙目。
穴があったら入りたいので、布団をかぶってしまおうかと思い、引き寄せました。
しかしトールが、不意に私の腰を引き寄せ、顎を掴んで顔を持ち上げたので、反射的に布団を落としてしまいました。
意味深な瞳のトール。
「お前、俺と恋人っぽい事がしたかったと言う事か」
格好良い顔して、真面目にそんな事を言うトール。もうやだ、なにこの黒魔王。
私は視線を逸らす事も出来ずに、小刻みに震えました。
ここに経験値の差が出ている……完全に。
しかしトールはプッと笑った後、私の頭をポンポンと撫で、ゆっくり抱き締めてくれました。
よく知ったトールの匂いや温もりに、一気に安堵してしまいます。
「病み上がりのお前に変な事はしねーよ」
「……」
「お前は、強がっているけど寂しがりだ。そんなのはもう分かっている。……これからは俺が、ずっと側に居てやる」
トールはやはりトールでした。
今一番、私が欲しかった言葉を言ってくれます。
月明かりだけでも十分明るい部屋。
机の上の、ほのかなランプの灯もお供に、私とトールはしばらく寄り添っていました。
大した事無いと言いながらも、どこか動揺していた、前世の夢を見た私。
そのザワザワした気持ちを、トールが落ち着かせてくれたのです。
「……」
それでもまだ私は、一番大事な記憶を閉じ込めたまま。
それに向き合う時が来ても、同じ様にトールは側に居てくれるかしら。
そう、私はとても幸せ者です。ずっと欲しかったものが、ここにはある。
こんな時間が、ずっと続けば良いのに。
私はトールの温もりを感じながら、途方も無くそんな事を考えていたのでした。