23:マキア(マキリエ)、追憶4。
約2150年前
西の大陸グリジーン王国の森奥・紅魔女の家
マキリエ:40歳〜
あの森の奥には、恐ろしい紅魔女が住んでいるんだよ。真っ赤な髪をしている魔女だから、紅魔女。
紅魔女は、美女をカエルに変えてしまって、ビンに詰めて若返り薬の材料にするんですって。
美女の皮をはいで、血を啜るって聞いた事があるわ。
でも、紅魔女に名前をつけられた者は、一生幸運で居られるらしいわ。
「何で、美女に嫉妬する系の噂が多いのかしらね。間に合ってるんですけど」
私は、生まれ育った小屋の台所で、クルミパンを作りながら、呟きました。
たまたま町に、小麦粉を買いに行った時、そのような噂を耳にしたのです。
でも、この頃の噂はまだ可愛げのあるものでした。
同年代の者は既に、おばさんと言われる年頃になっているんでしょうけど、私は相変わらず16、17歳あたりの見た目をキープ。
鏡を見てもその美しさが衰える事も無く、森の中でも私は王宮仕様のドレスを着ている事が多々ありました。というのも、ドミニク王子が戴冠し、定期的に私に贈り物をしてくれていたからです。
彼は立派な王となった様でした。
まだ若い王様ですが、グリジーン王国でも評判が良く、最近お妃様を貰ったとか。
ぜひ結婚式に来てくれと招待状を貰ったけど、オーレリア様から逃げるように王宮を出た、評判の悪い私が行けるはずも無く。
いつか子供が出来たら名前を付けてあげるわ、と返事を出して、丁重に御断りしたのです。
私は王宮を出た30代〜40代の頃、ずっと森に引きこもっていました。
その間に紅魔女の噂は拡大し、ルシアの魔女の住む森は紅魔女の住む恐ろしい森というイメージに変わり、もう誰もこの森にやって来なくなりました。
まあ、それはそれで気楽でした。
私は好きな様にパンを焼いたり、保存食を作ったりして、自由気ままなスローライフを堪能出来た訳ですし。稀に紅魔女の噂を聞いた勇敢な人が、私を退治しにやってきたりしましたが、私にとっては大歓迎で、暇すぎる日々の暇つぶしにちょうど良く魔法の練習にもなりました。
そう、私は自分の力をもっと知らなくてはと思い、魔法の研究も始めていました。
自分の血に、いったいどのような力があるのか。
最初は、血をくっつけた物が爆発物になったり、自分の意志で鋭い刃になったり糸になったりする理由が良く分からなかったのです。
物の種類によって、血の効果が違うのかと思っていましたが、同じドングリに血をくっつけて、そこらに投げて爆発させてみても、威力が違う事がありましたし。
情報量が糧となる、と言う結論に至るのは、随分後の事でした。
そして、自分の情報量を扱う場合は、血の糸として常に自分にくっ付いていなければならないという事も理解。髪の毛を媒体として扱えば、もっと良し。
様々なパターンを研究し、私はいつしか、とても強ーい魔女になっていました。
でも、私を退治しにくる人たちはとても弱いから、この強さを検証出来る機会は無く、ただただ「私って強いんだろうな」と考えていただけで、せっかく身につけた魔法なのにつまらないなとため息をついたものです。
ある日、森の結界を一人の男が越えました。
私は、今度こそ凄腕のハンターが紅魔女の命を狙いに来てくれたらと思いつつ、そいつが森の奥から私の家までやってくるのを楽しみにしていました。
しかしなかなか我が家にやって来ない。
「……森で迷ったのかしら」
森に来ているとというのは分かっているのに、あっちへふらふら、こっちへふらふらしているようで、私は随分焦らされました。
「良いわよ。迎えに行ってあげるわよ」
とうとう私は小屋を飛び出し、そいつの居る方へ向かいました。
この森には紅魔女の糸が多く張り巡らされていて、どの場所に誰かが居ると言うのは分かるのです。
一度会っていて、名前さえ分かっていたら、自動的に情報が流れ込んで来て誰が来ていると言うのは分かるのですが、今回はそうでは無かったので、初対面の人物だと言う事。
「おーおー……べっぴんさんが来た。ちょうど良かった、道に迷ってな」
「……」
その男は、とても体格の良い白髪頭のお爺さんで、私は唖然としてしまいました。
別に若いイケメンハンターが来るとも思ってなかったけど。
老人はどうやら旅人の様で、大きな荷物を背負っていました。
「あんたが紅魔女ってか? 噂じゃあ、年老いた醜い婆さんだとか、聞いたけど。でも歳を取らないっても聞いたな」
「……色んな噂があるのよ」
老人は私をマジマジと見て、ニッと笑います。
「なるほどなあ。こりゃあ、あいつと同じだな」
「……?」
敵意なんて全く感じないその態度に、私は思わず拍子抜け。
老人が私に「話がある」と言って来たので、とりあえず名前を聞きました。
「あんた、名前は?」
「俺か? 俺は、ダッハルーマ・ガルトン。ダッハと呼んでくれ。北の大陸を出て色々な場所を旅していたんだが、ここでお前さんの……紅魔女の噂を聞いてな。少し気になる事があったから、お前さんを尋ねたんだ」
「……」
ダッハルーマ・ガルトン。72歳。
いや、72歳にしては随分元気なお爺さんね。肉体も若々しい……。
私は名前から情報を読み取り、なかなか人間離れしたそのお爺さんを見つめました。
私はその老人ダッハを家に招き、とりあえずお茶とお菓子を出してあげました。
そもそも我が家に客が来る事は珍しく、何とも妙な気分でしたが、ダッハは愉快そうに、豪快にお茶を飲んでいました。
「ダハハハハ、べっぴんさんのいれたお茶は美味い!!」
「……」
「お嬢ちゃんは、ここに一人で住んでいるのか?」
「……言っとくけど、私お嬢ちゃんとか言われる歳じゃ無いわよ」
「歳をとっても、その若い見た目を維持出来るってか?」
「……そう、だけど」
かなり現実味の無い事を言っているのに、ダッハは何度も頷いて、それでも私を異端者と言う目で見ませんでした。
「噂は本当だったんだなあ。凄腕の魔女が居るって言うから、俺はお前さんの事を色々聞いてまわって、ここにやってきたんだ。俺も、お前さん以外に、歳を取らない魔術師を一人知っているからなあ」
「……?」
私は、彼の話を一瞬聞き流しそうになりましたが、徐々に目を見開いて、聞き返します。
「……それ、どういう事?」
「うん? だから、お前さんと同じ様な奴を一人知っているって言ったんだ。まあ、俺の息子な訳だが……って、本当の息子じゃないんだけどな? あいつも、ある時からぱったり、見た目が変わらなくなっちまった。腹が立つのは一番男前な時に、見た目の年齢が止まっちまったって事だな〜。うんうん」
「……」
「あいつは最近“北の黒魔王”と、呼ばれている様だ」
「……北の……黒魔王?」
北の黒魔王。
ダッハが私に教えてくれたその人物は、後に私と大きな因縁を共にする者。
この名を聞いた時、私は妙な胸騒ぎを覚えていました。
「黒魔王は、魔族の王だ。元は人間なんだが、北の大陸のヨルウェ王国の雪山の中に、“アイズモア”って国を創った。そこは魔族の理想郷だ。……まあ、普通なら見つからない秘境みたいな国だが、お前さんは凄い魔女らしいから、案外すぐに見つけられるかもしれないな」
クルミのクッキーを食べながら、ダッハは気軽にその話をしてくれました。
私は黙って、その国を勝手に思い描きます。
「紅魔女……お前さん、名前は?」
「……魔術師は気軽に名前を名乗らないわ」
「ダハハハハ。そりゃそうだ」
何がそんなに面白いのか、彼はまた豪快に笑いました。
一人で家に籠っていたから、ずっと聞いていない他人の笑い声に、私は妙にそわそわしてしまいます。
「だけどなあ、見た目が可愛らしいお嬢ちゃんだから、紅魔女って呼ぶのもなんかなあ」
「……マキリエよ。マキリエ・ルシア」
「ほお、マキリエか。良い名前だな」
「お母さんがつけてくれた名前だもの。良い名前のはずだわ」
名前を名乗った所で、私の脅威になるとは到底思えなかったので、素直に名乗りました。
「マキリエは、ここに一人で住んでいるのか?」
「ええ。……前は王宮で働いていたけれど、その間に家族も皆死んでしまったしね。ここには誰も来やしないし。マントを深くかぶらないと、町にも出られないわ。あ、でも私を退治しにくるハンターは多いわよ」
「ほお。悪い噂が多いのか?」
「知っているんでしょう? 聞いてまわったって、言ってたじゃない」
フンと、私は髪を払って立ち上がると、棚に並べた瓶詰めの果物の砂糖漬けを取りに行きました。
何だか甘いものでもつまみたいと思ったのです。
「美女をカエルに変えて、瓶詰めにした若返り薬はあるのか?」
「ある訳無いでしょ、そんなもの。そんな不味そうなもの、作る意味が分からないわよ。そんな薬無くったって、何もしなくても若いままなんだもの。私だって、迷惑してるのよ、噂にも、この体質にも」
「……ほお〜」
机の上に果物の砂糖漬けを置くと、ダッハは遠慮なく摘んで口に入れていました。
私が食べようと思って持って来たのに。
「だったらお前さん、寂しいだろ? こんな所で一人は」
「……」
不意にそんな事を言われて、私は少し黙ってしまいました。
でも仕方がありません。いつの間にか、勝手にこんな風に、恐ろしい紅魔女像を創られてしまったんだもの。
「仕方が無いわよ。私は皆と違うもの。私は異端だわ」
ダッハは俯きがちな私に、その明るい豪快な声でこう言いました。
「だったら、黒魔王を訪ねれば良い。北の黒魔王も、お前さんと同じ体質だ。それを異端だと言うなら、あいつも異端だ。一度、会ってみてやってくれないか? あいつだって、自分と同じ様な者が居るって知ったら、喜ぶんじゃないかと思うんだ」
「………」
ダッハの瞳は遠い北の大陸に思いを馳せているような、そんな遠くを見ている優しい瞳。
彼の表情は柔らかく、まるで偉大な父の様でした。
「それに、お前さんはべっぴんだ。あいつは美女に目がないよ」
「……そう言う奴なの?」
「うーん、そこはかとなく?」
自分で言っておいて首を傾げるダッハ。
ちょっと意味が分からなかったけれど、私はジワジワと込み上げてくる、小さな興味と期待感に気がついて、胸を押さえました。
ダッハは近くの町に滞在している間、何度となく私の元を訪ねてくれました。
どうでも良い話ばかりして帰っていくのですが、ここ数年、たった一人森の奥で暮らしていた私には、楽しい時間であったと素直に思います。
彼はとても温かい人間でした。
黒魔王と関わりがあったからか、私に対しても、そこらにいる小娘という態度で接していましたし、遠慮もありませんでした。
全く違うタイプでしたが、何となく死んだ父を思い出し、この歳になっても親の温かさを恋しく思うのだなと、ひとりでに恥ずかしくなったものです。
やがて彼は旅に出ました。
私はとてもとても寂しかったのですが、彼が私に残してくれた情報は、その後の私を大きく左右するものでした。
私は、黒魔王に会いに行ってみようと、考えていたのです。