20:マキア(マキリエ)、追憶1。
二話投稿しております。ご注意ください。
約2200年前
西の大陸グリジーン王国の森奥
マキリエ:12歳
私の前世の名前はマキリエ・ルシア。
平凡な紅魔女の幼少期を語るとすれば、私は西の大陸にあるグリジーン王国の森奥に住む、名前魔女の孫として生まれました。
祖母マチルダ・ルシアはグリジーン王国で最も腕の良い名前魔女で、この国の赤子に名を与える仕事をしていました。森奥の小屋には多くの名前が刻まれた書が保管されていて、その数はとても膨大なもの。
母も名前魔女だったけど、祖母ほどの力があったわけではなく、主に助手のようなことをしていました。だけど母は料理が上手で、私は母の手作りのお菓子や、保存食が大好きだったっけ。魔法を帯びたお菓子や漬物、ジャムなんかは絶品で、町に売りに行くとすぐに売れ、王宮の王妃様も確かお母さんの作ったジャムを格別だと言っていたそう。
父は森の狩人で、無口だったけど穏やかで優しい人でした。森で、食料にする鹿やうさぎを狩ってきたり、畑を耕したり牛や鳥の面倒を見ていました。大工仕事も得意で、小屋を立てたりレンガの塀を作ったり、とにかく何でも出来る人でした。私は父に、町に連れて行ってもらうこともあったのです。
ルシアの魔女と言えば、この国で昔から名前魔女をしてきた一族で、グリジーン王宮とも繋がりがあり、誰もが名を貰いにこの森へ訪れました。
赤毛に、明るいブルーの瞳を持った魔女。
それは一族の特徴で、祖母も母もそうであり、鮮やかな色合いはこの国でも特別であったよう。
そう、私の子供の頃は、他の家庭とそう変わらない平和で穏やかな暮らしをしていました。
祖母も私の異常な魔力数値を知っていましたが、将来紅魔女と言われ、魔王として名を連ねる存在になるとは、この時思っていなかったと思います。そのくらい、私は普通の魔術師の子供でした。
「お母さん、今日のおやつはなあに?」
「まあ、マキリエもうお腹がすいたの? あなたって本当に食いしん坊ね。いったい誰に似たのかしら」
「お母さんが料理得意だから、それをたくさん食べられるようにって、神様が私を食いしん坊にしたのよ」
「……上手いこと言って、おやつを沢山にしてもらおうと思ったんでしょう」
「あはは」
母は小麦粉を練って、卵と砂糖と少しの魔法のスパイスを加え、釜でケーキを焼いてくれていました。
それに、母の作った果物のハチミツ漬けを乗せると、とても美味しい。
今思えばこの時代のお菓子なんて、パサパサしていて素朴で、それほど凝ったものでも無かったけど、母の作ったお菓子の味は何となく覚えているものです。
母はしっかりとした女性で、すらっと細身でとても美しい女性でした。家族の中で一番私に厳しい人だったけど、厳しさの中にも愛情があり、いつも用意してくれる食事にもそれを感じることができたので、私は母をとても頼りにしていました。
「私、お父さん呼んでくる!!」
狩りを終え外で畑仕事をしていた父を呼びに行きました。
畑はそれほど大きなものではなかったけど、家族4人が食べていくには十分でした。足りないものは、いつも父が町に買いに行ってくれましたから。
「お父さん、お茶の時間よ」
「……早いな、さっき昼を食べた気がするのに」
「お父さんそんなに働いているのに、お腹空かないの? 私はもうお腹が空いちゃったのに」
「……」
父はもの言いたげに、じっと私を見下ろしていました。
言いたいことは分かります。この食い意地は誰に似たんだか、と、母と同じことを思っていたに違いない。
「お父さん、今度町へ行くのでしょう? ねえ私も連れて行ってちょうだい」
「なんだ、何か欲しいものがあるのか」
「だってちょうど収穫祭が始まるわ。水飴が出るのよお祭りには。去年、お父さんが買ってきてくれたでしょう? あの味が忘れられないのよ」
「……」
ねえねえ、良いでしょう? と、何度も父の服の袖を引っ張って、私は今年の収穫祭に連れて行ってもらえるようにねだりました。
父は最初、とても難しそうな顔をしていたけど、必ず頷いてくれます。
私を連れて行くと色々と面倒なのに、こうおねだりすると絶対に聞いてくれた父。
母は父に、私を甘やかさないようと何度となく言っていたけど、父はいつもこっそり、町から買ってきた珍しいお菓子なんかを私にくれました。
父はいつもムッとしているように見えたけど、本当はとても優しい人で、私は母に怒られることのほうが多かったから優しい父に甘えていた気がします。
「おばあちゃん、おばあちゃんは赤ちゃんに、運命の名前を与えるのでしょう? 名前ってそんなに大切なの?」
「そりゃあそうさね。名前が合っていれば合っているほど、その子供はこの世界に強く結び付けられる。名前はね、杭みたいなものなんだよ」
「……杭?」
ある日、私は祖母の部屋に行って、ずっと気になっていたことを聞いたことがありました。
名前にどんな力があって、意味があるのか。
祖母は机の上に置かれていた木彫りの人形を目の前に持ってきて、細長い杖を片手に持ち、私にとても大切なことを教えてくれました。
「いいかいマキリエ。この机が大地だ。この世界、メイデーアの大地だよ。そして、この人形が人。肉体と魂だ。だけど、肉体と魂というものは本来別物で、それは強く繋がっているものではないんだ。とても離れやすいものなんだよ」
「……肉と野菜を挟んだパンみたいなもの? あれ、とても崩れやすいから。でも美味しいけど」
「あはははは、そうだねえ。そういうもんだ」
祖母は私が食べ物で例えようとしたから、膝を叩いて大笑いしました。
私は祖母の豪快な笑い声が好きで、わざと笑わせようとしたこともあったっけ。
祖母は、木彫りの人形の頭からまっすぐ、杖を刺すようにつきつけます。
「で、その離れやすい、崩れやすい肉体と魂を、真上からズドンと“世界”に繋ぎ留めるのが“名前”だよ。まるで、杭のようにね。名前が合っていればより強く、深く、杭が世界に打ち付けられる。逆に合っていない名前だったら、杭の刺さりが弱くガタガタしてしまって、世界の恩恵を受けることができない。こういう場合、とても不運だったり不幸だったり、病気になったり早死したりする。杭が外れたら、肉体と魂が離れてしまうからね」
「……へえええ。だから、みんなおばあちゃんに、ぴったりの名前をもらいに来るのね」
「そうだよ。とはいえ、どんなに合っている名前でも、それだけが運命を左右するわけではないから病気になったり、早死したりすることもあるけどね。まあ、良い名前にこしたことはない、という位のものなんだけどねえ」
祖母は杖を机の上において、いそいそとパイプを取り出し吹かしだしました。
「マキリエ、お前には名前から何が見える?」
「……魔力数値は見えるわよ。生まれたばかりの名前のない赤ちゃんだったら、何となく名前が思いつくわ。でも、それがおばあちゃんの名づけた名前と違ったりするから、私まだまだ修行が足りないのね」
「あはははは、わからないぞ。お前が名づけたほうがベストかもしれない。まあ、名前といっても膨大なパターンがあるから、どれが良いか、どのチョイスをするべきか、というのはもう、勘でしかないけどね。マキリエ、お前の名前はマルシエが付けたんだよ」
「……お母さんが?」
私は少々微妙な顔に。お母さんは名前魔女としては、若干微妙と言わざるを得ないから。
「あはははは、そんな顔をするな。私が名付けようと思った名前を、撤回するくらい素晴らしい名前だったんだから。マルシエは名前魔女としての力を、お前を名付けることに全て費やしたんじゃないかと思うくらい、最適最良の名前だと思ったよ」
「……へええ」
祖母に名を付けられたらどのようになっていたんだろうと思ったりもするけど、母に付けられたこの名前を私は気に入っていました。
「私も、いつか結婚して子供を産んだら、自分の子供に一番素晴らしい名前を付けることが出来たら良いな」
「だったら、もっともっと名前魔女として修行して、何より良い相手を見つけなきゃ」
祖母はニヤリと笑います。祖母はいずれ、この仕事を私に継がせようと思っていたようでした。私は結構期待されていたのです。
何となく祖母と祖父の出会いについて聞いてみました。
「おばあちゃんは、おじいちゃんとどうやって出会ったの?」
「私たちは王宮で出会ったんだよ。私が王宮で生まれた王子様に名を与えに行ったとき、ちょうど案内をしてくれた役人だったんだ。でもねえ、良い男だったんだけど名前が悪くてねえ。結婚してマルシエが産まれた後、流行り病でぽっくり逝ってしまってねえ」
「………」
祖父は短命だったため、私は祖父に会ったことが無いけど、話を聞く限り凄くハンサムだったんだって。
「その点、マルシエの旦那のハルドは良いね」
「お父さん?」
「ああ。私が名をつけた子だったから、健康だし男らしい。働き者だしね。何よりマメだ。マキリエ、結婚するならマメな男が良いよ」
「……マメな男ねえ」
確かに父は、なんでも仕事をこなすし狩人の仕事以外に、小屋を立てたり庭を手入れしたり、私たち家族の力仕事を担っています。口うるさくもないし。
この時代、これほど女性が力を持っている家も珍しく、父のような婿入りのタイプも少なかったけど。
祖母の存在が大きすぎたのです。私から見たら、父は気の強い祖母や母に良いように使われている気もしたけど、それが私たち家族のバランスでした。
森の奥で暮らしていたから大変なことも多かったけど、名前魔女ってこの時代、女性の中では一番稼げる職業だったから、そこそこ裕福な暮らしをしていたと思います。
西の大陸は気候も良く、農業が盛んで戦争も無く、生きていくのに困ることはほとんど無い土地でした。
私はこの土地が、この家が、この家族が大好きで、この頃はきっと自分も、祖母と同じようにルシア家の名前魔女の仕事を継いで、多くの子に名を与えるのだろうと思っていました。
この大陸で、この国で、他の人と変わりなく歳をとり、死ぬまでずっと。