19:マキア、死なない世界と赤い糸。
*二話連続で更新しております。ご注意ください。
「……これは、トワイライトの一族の魔導要塞ですね。こざかしい……」
青の将軍は、周囲の空間が変わった事に対し、表情がどこか冷めたものになります。
私もまた、転調する世界と立場に、足を踏ん張って彼を睨み続けます。
「私はね、これでも相当怒ってるのよ。色々と嬉しい事が続いた後に、ずいぶんな事、やってくれたわねって……。私が平和ボケしてたのも悪いけれど、あんたみたいなゲスに好き勝手されるのを黙って受け入れる程、紅魔女は生優しい魔女じゃないわよ。……私の血に気安く触れた事、後悔すると良いわ」
私は手のひらを掲げ、赤い血の糸を四方八方から放ち、青の将軍の意識をバロンドット卿の体に繋いだまま、この“黒の幕”と言う幻想100%の魔導要塞につなぎ止めました。そう言う命令を糸に施したのです。
青の将軍は当然、私が自分を殺しにかかると思っていたでしょうから、瞳を見開き、驚きの表情を隠せない様でした。
一瞬の事だったので、彼ではどうする事も出来ず。
「……はは、なるほど。これはしてやられましたね……」
赤い糸に繋がれ、まるでマリオネットの様。身動きの取れない彼を、哀れに思ったりしません。
この“黒の幕”は、死の世界の象徴でありながら、絶対に死ねない世界。そう言う魔導要塞を前々から準備していたのだと、カノン将軍とソロモン・トワイライトは言っていました。
これこそ、対青の将軍用の魔導要塞であると。
「これは、“あの男”の入れ知恵でしょう……。あの、“回収者”の……。ふふ、まさか、あなた方が共闘してくるとは思っても見ませんでしたよ」
「………」
カツカツと、黒い幕をすり抜ける様に、例のあの男がやってきました。
私にとっては“勇者”であり、青の将軍に取っては“回収者”であり、今はカノン将軍と呼ばれている、あの男。
「ははははは、やはりお前か!! そうだろうとも!! この方法を知っているのは、お前だけだろうからな!!」
青の将軍は視線だけを勇者に向け、高らかに笑いました。
「しかしこんなの、延命処置にしかならないぞ!! 私の意識はまだ6つ残っている!!」
私は緊迫した空気の中、歯を食いしばりました。
そう、勇者の考えたこの作戦は、青の将軍の魔法の弱点を利用したものでした。
奴の意識を分ける上限は7つであり、それ以上はあり得ないと言うのが、この魔法の条件の1つです。
一度意識を乗っ取った肉体は、死ななければその意識を別の肉体に移し替える事は出来ません。これもこの魔法の厄介な条件の1つでもあると、勇者は言っていました。
1000年前、この魔法により青の将軍の遺体を回収するのに随分手こずったらしい勇者です。勇者は、死んで次々に意識を乗り換えていく青の将軍を、“殺さない事”で追いつめたと言います。と言うのも、意識を肉体ごと何かしらの方法で縛り、死なせない様にして、1つ1つ、自由に扱える彼の意識と言う彼の手ごまを削っていって、最終的に本体を追いつめたらしい。
この黒の幕も、“死なない幻想空間”と言うだけの空間で、私の魔法によって彼の意識と肉体をつなぎ止めこの世界に閉じ込める事で、彼の意識の1つの自由を奪うのです。
きっと青の将軍は、バロンドット卿に移していた意識を、この肉体を殺す事で私の肉体に移し替える気でいたのでしょうが、これでその思惑を崩す事が出来ます。
分ける事の出来る彼の意識は、あと6つあり、どれかを空ける事で私の肉体を手に入れる事は可能ですが、すぐにと言う訳にはいかないでしょう。彼にも多方面で計画があるでしょうから。
そう、確かにこれはただの延命処置。
しかし、青の将軍の意識を1つ削ったと言う事は、大きな成果と言えるでしょう。
「……久々だな、青の将軍。また、こそこそと悪巧みか」
勇者は淡々と、彼に問いました。
「お前に紅魔女の肉体を奪われると、こちらとしても困るのでな。……お前の本体を殺すまで、大人しくここに居てもらおうか……。死にたくても死ねないのがこの空間だ。お前にとっては、致命的だろう」
「………ふふ、1000年前と同じ様な手に引っかかるとは。流石、回収者様は準備周到だ」
青の将軍はこの状況に抗う事も無く、ただ私の赤い糸に吊るされ、勇者を睨んでいました。この二人にも、相当な因縁がありそうです。
「ただ、紅魔女。あなたの肉体はいまだに私の手中にあると言う事を、忘れないで頂きたい。……すぐに、迎えに行きますよ」
ニヤリ、とバロンドット卿の姿をした青の将軍が笑った時、世界は再び現実に戻りました。
上から下へ、色を塗り替える様に。
私の部屋のベッドの隣で、私は立ち惚けていました。側には勇者が居て、部屋の隅にはソロモン・トワイライトが。でも青の将軍は“黒の幕”の世界に縛られ、こちらには戻ってきていません。当然、私の魔法がそう命令しているのだから。
青の将軍の最後の笑みに、背筋が凍る様な恐怖を感じ、私は気を張っていた事もありその場でよろめきました。
手を見るととても白く血の気が無く、冷や汗が止めどないのです。
「………」
勇者が無言で私を抱え、ベッドに運んでくれました。
「ふふ……ちょっと魔法を使っただけでこれだわ。あんたにお姫様だっこされる日が来るなんてね。屈辱だわ」
「……それだけ口がまわるなら大丈夫だろう」
「嫌味も相変わらずね」
勇者は私を見下ろし、瞳を細めます。
「今回の魔法は、お前の体に大きな負担をかけるものだった。青の将軍の呪いは、魔力を使うといっそう侵蝕が早くなる。これ以上魔法は使わない方が良いだろう」
「………」
「次、お前が魔法を使う時は……大業を成す時だ。分かっているな」
「ええ……。その為の時間を、あんたに貰ったんだもの。約束は守るわ」
ぐったりとベッドに横になり、私は彼を見上げました。
その鋭い視線も、低い声も、前からずっと恐ろしかったそれと変わり無いと思うのに、こうやって落ち着いて話せているなんて、おかしな気分ね。
呪いを解く事は出来なくても、青の将軍に一矢報いる事ができて、少しだけスッとしました。
私はソロモンの方にも、声をかけます。
「ソロモン……あなたもありがとう。魔導要塞は、あなたたちの体に大きな負担をかけるのに、大変な爆弾押し付けちゃったわね」
「いいえ。もともと、この為に用意していた魔導要塞です。それに、トワイライトの一族にとっても、青の将軍は最大の敵ですから……。今は、シャトマ姫の治癒魔法が私を守ってくれていますから、リスクは軽減されるのです」
「………そう」
部屋の隅に控えていたソロモンも、幻想100%とは言え大きな負担を背負ったはずです。
トワイライトの一族にとって魔導要塞は肉体をリスクにかじられ続ける過酷な魔法。トールですら、そのリスクに苦しむくらいですから。
とは言え、白魔術師のシャトマ姫の魔法が彼に加護を与えている様で、小さな蝶がパタパタとソロモンの周りを舞っていました。
「マキア!!」
突然、部屋の扉が開き、レナの護衛に付いていたはずのトールが現れました。
あまりに意外な事で、私は驚きましたが、疲れきっていてすぐに体が動きません。
トールを追いかけてきたのか、レナがその後ろからやってきました。
トールは随分弱りきった私を見て、そして勇者を見て、随分怖い顔をしていました。黒魔王の魔力を惜しむ事無く垂れ流しています。
「勇者……っ、貴様、マキアに何を……」
「………」
トールは何か勘違いでもしたのか、腰の剣を抜いて、足下に空間の歪みを作りながら、勇者に向かっていきます。
でも勇者は特に何かする事も無く、フッと嫌みな笑みを浮かべただけ。
「ト……トール、やめてちょうだい。違うのよ……これは……」
私は息も絶え絶え、二人の対立をやめさせようとしました。二人の対立と言っても、トールの一方的なものですが。
「何故だマキア」
「違うのよ……勇者は……カノン将軍は……そのっ」
私は少々咳き込みながら、上半身を起こしました。
トールが慌てて、私の側にやってきて肩を抱き起こします。
「違うの、トール……その、彼はお見舞いに来てくれただけなの。フレジールの使者として。お仕事よ」
私はベッドの脇に置いていた、薔薇の花束を指差しました。先ほど青の将軍が持って来たものでしたが。
「これ、カノン将軍が持って来てくれたものなの。そうよね」
「………」
カノン将軍はあからさまに嫌そうな顔をしました。ちょっと面白い。
確かに彼が薔薇の花束を見舞いに持ってくるのは、ガラじゃないですよね。
「……えらいぐしゃっとなった花束だな」
「お、落としちゃったのよそこで。ね、そうよねカノン将軍」
「………」
そんなドジを踏む勇者でも無いでしょうが。彼は私を睨む様に見下ろしていました。冷や汗。
トールも明らかに怪しんでいましたが、私がそう言うのでそれ以上突っ込む事も無く。
レナが心配そうに寄って来ました。
「だ、大丈夫……マキア。そんなに体調が悪いなんて、私知らなかった……」
「はは、なんてこと無いわよ」
それにしても、トールとレナはなぜこのタイミングで、私の部屋にやってきたのでしょう。
私が疑問に思っていると、勇者が私に背を向け、この部屋から去ろうとしました。
ソロモンもそれについていきます。
「あ、ちょ……と」
「………お大事に、“マキア嬢”」
私が呼び止めると、彼はそれだけ言いました。そして、レナに「お前も出ろ」と命令します。
レナは勇者が怖いのか、ビクッと反応して、すぐにそれに従いました。
3人がいなくなると、この部屋はいつも通り。
いつもの、わたしとトールだけの部屋になります。
長く息を吐いて、私は少しの間瞳を閉じました。
「マキア……大丈夫か。随分顔色が悪いぞ。いったい何があったんだ。……ここで、魔導要塞の展開される魔力の波動を感じたから、何かあったんだろうと思って戻ってきたんだ」
「……トール」
私はゆっくりと瞼を上げ、私を抱きかかえるトールの顔を見つめます。
一日会わなかっただけなのに、随分久々に彼と向き合う様な気がする。
弱々しく手を伸ばし、彼の頭をぎゅっと抱き締めました。
「トール……トールの匂いね」
「……何だよ。何、当たり前の事言ってるんだ」
「ふふ、やっぱりあんたって、安心するわねえ」
「………」
トールは、ふうとため息をついて、私の背をポンポンと撫でました。
それだけで、少し楽になる気がします。体の全部の力を抜いて、もたれかかる事が出来るのは、やはりトールだけです。
「ほら……横になれよ。くたっとしやがって……調子狂うな」
「……たまには弱々しい私も悪くないでしょう?」
「日頃の態度がでかいからな」
一言多い所も、トールらしくて、私は思わず笑ってしまいました。
彼は私を横にして、前髪を払い、冷たくなった頬に触れます。青の将軍に触れられた時の嫌な感じを消してくれるほど、温かいものです。彼の手の上から、自分の手を重ねました。
「トール……ごめんね。あんた、忙しいのに、ちょっと我が侭を聞いてちょうだい」
「……なんだ」
「私、凄く眠たいの。昨日からずっと寝ていないから。……でも、一人きりで寝てしまうのも何だか怖いの。だから、私が寝付くまでで良いから、側に居てくれないかしら……」
「何だそのくらい、我が侭の域に達してないぞ」
らしくない程優しく微笑んで、トールは私の顔を覗き込みます。
そしてゆっくりと、私の唇に自分の唇を重ねました。
フサリと彼の前髪が眉間をかすめ、額に触れ、私は無性に切なくなったものです。
「おやすみ、マキア」
トールの声が、私を緊張感から解き放ち、一気に眠りへ誘いました。
それは、今やっと向き合う事の出来る、長い追憶への誘いでした。