18:マキア、ふざけるなと言う。
*二話連続で更新しております。ご注意ください。
青の将軍。
1000年前の魔王クラス。
史実として残っているのは、1000年前北の大陸に存在していた大帝国ガイリアの将軍であり、西の大陸に踏み入り魔族を討伐した者だと言う事。それが一番有名です。
青の将軍の能力などは公に残っておらず、北の大陸では英雄として語り継がれる存在となっています。
だけど、私が焼き払った西の大陸の、不毛の地に踏み入り、抉られた大地から古代の神々の兵器に繋がる何かを発掘し、それを元に今世にて、あの恐るべき遊撃巨兵を開発したのです。
藤姫やトールの話から、随分姑息で嫌らしい奴だと言う印象を受けます。
その力も呪術という、やっかいなもの。
私やトールの様に爆発的な破壊力を持っていなくても、世界を動かすには効果的な能力と言えます。
私はベッドの上で上半身を起こし、1000年前の歴史の本を読みながら、参加する事の出来ない祭りの賑やかな音楽を遠くに聞きながら、ただじっとしていました。
奴はきっと、待っていたはずです。
私の周りから、こうやって誰も彼も居なくなって、私が一人になる時を。
コンコンと、ドアをノックする音。
私は「どうぞ」と、いつもの調子で言いました。
「失礼しますマキア嬢」
ドアを開き、私の部屋に入ってきたのは、バロンドット卿でした。現・エスタ家当主の魔術師です。
手には美しい真っ赤の薔薇の花束を持っています。
「マキア嬢が伏せっていると聞いて、居ても立ってもいられずお見舞いに来てしまいましたよ。いやはや、すみません。このようなものしか用意出来ず」
彼はその花束を優雅にさし出し、紳士的に挨拶をしてきました。
「まあ。ありがとうございますバロンドット卿。大した事無いんですけどね……はあ、トールが過保護だから、休め休めって」
「ははは。聖教祭の間は気を張る事も多いでしょうから、体調を崩されたのなら無理はしない方が良いでしょう」
「バロンドット卿だってお忙しいでしょうに。私のお見舞いに来るなんて」
「あなたが床に臥せっていると言うのに、他の何かに手をつけられるとお思いか。無理でしょう、何も出来ませんよ」
「………」
彼は相変わらず、妙な所で正直でした。
私は少々瞳を細め、首を傾げて、彼に微笑みかけました。
「ふふ、あなたは本当に物好きですね。私にそのように甘く優しいのは、あなたくらいのものです」
「……それは勿論。あなたに惚れていますからね」
「相変わらずねえ」
呆れるくらい、彼はずっとそう言い続けていました。
いくら私がつれない態度を続けても。
「それにしても、トール・サガラームはこのようなマキア嬢を放っておいて、客人の護衛とは。私としてはチャンスと捉える事も出来ますが」
「あははは、仕方が無いわ。あいつだって仕事だもの……」
「そうでしょうか? あの娘……フレジールからやって来たあの少女は、妙な存在感と言うか……気になるものがありますから。あなただって気がかりなのでは?」
「あら、もう浮気ですかバロンドット卿」
「私が浮気をしたところで、あなたは何とも思わないでしょう」
バロンドット卿はニコニコしたまま、逆に私に問いかける様に。
私はウッと返事に困ってしまいました。やはり侮れない。
彼はふいに立ち上がり、ベッドの端に座って、私の頬に触れました。
「……何ですか、バロンドット卿。弱った乙女を前に」
「いえね……弱っている今ならもう少し私の事も見てくれるかと思いまして」
「……酷い人ですね。でもあなたの正直な所、私嫌いじゃないんですけどね」
「………」
バロンドット卿の、何を考えているのか分からない視線は、普通なら息を飲む所。
だけど私はツンとした表情のまま。
彼は私の顎を持ち上げ、顔を近づけ、視線を合わせようとしました。
「私はまだ、諦めていません。……あなたの全てを、私は手に入れたいのです」
囁く様な声音は、まるで魔力を帯びている様に、緊張感のあるものでした。
「……ふっ」
でも、私は思わず皮肉な笑みをこぼします。
彼の言葉は、それだけ聞けばゾクゾクする様な愛の言葉。
だけど、私はもう分かっていました。その言葉は愛でも何でもなく、本当に“正直”な言葉であった事を。
「今度は私にどのように触れて、呪いをかけるつもりかしら」
私がそう言うと、彼はピクリと反応し、近づくのをやめます。
「私の全てを手に入れたい? それは、本当にその通りの意味だったのね。私の体を乗っ取って、精神を乗っ取って、好きにしようって言う訳。私の魔力や魔法は、あんたにとって、それほど魅力的なのかしら………青の将軍」
「………」
私の冷たい、海底の様な青緑色の瞳を前に、彼は一時黙っていましたが、ニヤリと瞳を細め笑い、私から手を離しました。
「……これは参りましたね。いったいいつからバレていたのか。……いかにもいかにも、私は青の将軍の一人です」
「あら、もっと言い訳したり、とぼけたりすると思ったのに、案外すぐ本性出してくるのね」
先ほど、この男に手渡された薔薇の花束の、その花を力強く握って、刺を指に刺し、私は手のひらに血を流しました。
今まで、彼は私にとってバロンドット卿だったけれど、今からは違う。
彼は青の将軍。会った事も無いと思っていたけれど、実はずっと側に居た、私の……敵……
こいつは、第一王子陣営の謀反の計画を我々に伝え、仲間のふりをして近づいてきて、私に呪いをかけたのです。
正王妃から逃げる時、私は確かにこいつに「信頼している」と言ってしまいました。
「一応聞いておくけれど、あなた、最初から青の将軍だったの?」
「……ふふ、流石にそれは、この肉体の持ち主だった男に免じて、違うと言っておきましょうか。あなたの呪いでも分かる様に、私の術は大きく時間差が生じます。最初、初めてあなたにコンタクトを取ったバロンドット・エスタは、本物のバロンドットですよ。要するに、あなたに求婚したのはこの男の紛れもない本心です」
「………」
聞かなければ良かった、と何となく思いました。
「私の意識と入れ替わったのは、丁度黒のサロン会が始まった時から、とでも言っておきましょうか。それまでもじっとこの体の中で、私の呪いと言うのは潜んでいたのですが、表に出てきたのはその時ですね。丁度他の肉体が死んで、意識が空いたのでね。あなたは気がつかなかったでしょうが……」
「ははは……っ、全く気がつかなかったわ。名前魔女の風上にも置けないわね」
何とも絶妙なタイミングで、入れ替わった事。
私が彼の事をほとんど知らず、変化に違和感を持たないうちに、こいつは意識を乗っ取ったのです。
「もともと第一王子陣営の側に居たバロンドット・エスタだものね。連邦と繋がっていた第一王子陣営の。……あなたがバロンドット卿にコンタクトを取るのは簡単だったでしょうね」
「……ええ。ですから、彼が第一王子の陣営を裏切ろうとしていた時から、私はこの肉体を使ってルスキアに忍び込んでおこうと前々から呪いの種を埋め込んでいたのですよ。この男の視界からあなたを見て、あなたの魔法を見て、ピンと来ました……。ああ、あなたこそ、私が1000年前から恋い焦がれた……“紅魔女”であると」
「………」
明らかに、フッと雰囲気が変わりました。
とても暗く深い、冷たい魔力の波動。
彼は血を流す私の手を取って、その血を見つめました。
「あなたの力は素晴らしい。西の大陸の惨状を見た私こそが、あなたの力を一番知っている。何も無い抉られた大地、荒れる気候、赤く死の世界を象徴する空……舞うマギ粒子の刺激的な事……。あの無の世界を一瞬で作り出したのは、あなただ紅魔女。圧倒的な破壊力……私には無い力……。1000年前、西の大陸に初めて降り立った時の戦慄を、今でも思い出す。私は紅魔女を崇拝した。そう、あんな事が出来るのはもはや、神だとね」
「……あんた」
「私は知りたかった。今から2000年前、あの大陸を焼き払った魔女が、いったいどんな人物であったのか。何を思い、何を成したくて、あの力を使ったのか。どんな顔をしていて、どんな声をしていて、どんな風に魔法を使うのか。ああ、そうだ。考えれば考える程、私は知りたくてたまらなかった。……これはもう、恋の様なものだと……。1000年前、誓ったのです。もしこの魂が巡り巡って、あなたに会う事があったなら、その時は必ず、あなたを手に入れようと」
言葉を紡ぐ程に手を強く握る“青の将軍”は、私の血をその身に受けながら、何一つ恐れる事がありませんでした。
むしろその迷いの無い、曇りも無いまっすぐな瞳に、恐れこそ抱く。
頬に汗を流しながら、私は無理矢理笑ってみせました。
「あんたそれ、一応愛の言葉のつもりなの? だったら今までで一番下手なプロポーズね。あんたの手に入れるって、私の肉体を乗っ取るってことでしょう? 私はただ殺され損じゃない馬鹿らしい。……それにあんた、分かっているの? 私の血に触れると危ないわよ」
「……ふふ、それは分かっています。前に、あなたの魔法は見ていますからね。だけど、ここで私を殺しますか? それはそれで、私は一度あなたの魔法で殺される経験が出来て魅力的ですが。死ぬのはバロンドット・エスタと言う男の肉体だけで、私は7つのうちの1つの意識が解放され、あなたの肉体を奪う準備が整う。ただ、もしあなたが私に協力してくださると言うなら……まだ……」
青の将軍は再び、私の頬に触れようとしました。
「私に触れるな」
私は冷ややかな視線を彼に向けたまま、自分と彼の間に赤い針金の様な糸を張り、命令により彼を弾きました。
「まだ、何よ。私の肉体の主導権を握ったまま、私に言う事を聞かせようって言うの。それは相当嫌らしい手段ね青の将軍。……ふざけないで、私を誰だと思っているの」
ふわりと、魔力の波動によって髪が巻き上げられ、目の前の世界は私の部屋から一変し、下から上へ塗り替えられていく黒と朱色の、マーブルな空間に変わりました。だけど、私の視線は目の前の、敵を見定めます。
「ふざけないで、命令するのは、私の方よ」
随分落ち着いた口調の自分に、私は私自身の静かなる怒りを思い知るのです。
この世界は、ソロモン・トワイライトの魔導要塞・黒の幕。
フワフワと薄い黒い幕が開けていく、幻想の舞台でした。




