17:マキア、勇者と取り引きをする。
*二話連続で更新しております。ご注意ください。
「はは……してやられたわね、私も」
私は、自分に呪術をかけた人物について、おおかた見当がついていました。
というか、一人しか居ません。
数ヶ月前の、ある事件の事を思い出します。私に対し、「信頼しているかどうか」を尋ねた人物……。
本当にスムーズに、場面に違和感無く問いかけたので、私は全く疑問すら浮かべず、言葉を紡ぎました。あなたを信頼している、と。確かに信頼の念を込めて。
今思えば、私があの人物に対し「信頼している」と言った時の、あの者の異常な喜びようは、おかしなものでした。
私は額に手を当て、乾いた笑いしか込み上げてきません。
あの言葉が、呪いを埋め込む条件となったのです。迂闊でしたが、避けられたのかと言われたら、それも無理だったかもしれません。
「仕方が無いと言ってしまえば、仕方が無い紅魔女。妾も1000年前、奴の演技と周到な手回しに気がつく事無く、呪術をかけられた。カノンも騙されたくらいだ。……奴は様々な人物の人格を乗っ取る事で、多くのパターンの人物になりきり、“自分”というものを隠す事が出来る。誰も、本当の青の将軍を知らない。知りようも無い」
「………」
シャトマ姫はクッとジャスミンのお茶を飲んで、テーブルに肘を立て顎を乗せ、どこか遠い瞳をしています。
「1000年前、青の将軍は妾の婚約者の肉体を乗っ取り、妾に近づいた。そして、妾の好意を利用し、妾に死の呪術をかけたのだ」
「……」
「妾とカノンがその事に気づいた時、既に種は芽吹き、手遅れだった。……だから妾は考えたのだ。ならば自分は、どうやって“死のう”かと」
1000年前の藤姫は、確かギロチンで処刑されました。何が理由だったのか、私には良く分かりませんが、そこまで追い込んだのは、勇者だと聞いた事があります……
「青の将軍は妾が邪魔だったのだ。聖少女と崇め立てられる妾は民衆の絶対的支持を得ていたからな。移民との争いを意図的に激化させ、東の大陸での内乱を裏で操っていたのは青の将軍だ。奴は東の国々を乱し、隙を作って北から侵略しようとしていた。……妾は、呪いをかけられ、自分の命が刻々と削られているのが分かっていた。ただ、青の将軍の思い通りにしてやるものか、と、逆に燃えたものよ。……自分が死ぬのだと分かったら、何だって出来た。先手を打って、自分が居ない後の東の大陸の未来を予想した。……自分の死を、ただの意味の無いものにしまいと、必死になったよ」
昔話を語るシャトマ姫の口調は落ち着いていて、衝撃的な内容でありながら、心地良くすらありました。
「……それの段取りをしてくれ、あえて悪者になってくれたのは、その頃我が国家の宰相をしていたカノンだった。カノンは妾を、異端の魔女としてギロチンにかけ、処刑した。それは歴史的な、意味のある“死”であり、沢山の仕掛けを施した妾の“大業”だった。妾の死は、我が国家を今のフレジールに変えるきっかけになったのだ。唯一、北の大陸と戦える国家にする……な」
「……藤姫」
「そう……妾は藤姫。かつて、そう呼ばれた……魔王だ」
彼女は私に、常に問いかける様な視線を向けていた、その意味が分かった気がします。
シャトマ姫は……藤姫は、私にヒントを与えてくれている。そして、常に問いかける。
だったら、お前はどうするのだ、と。
カノン将軍は腕を組んで、ただ、視線を落としています。
漂ってくる蜜の香りは甘く、シャトマ姫の周りには、きらきらと鱗粉を散らす蝶の精霊が飛び交っていました。
「……要するに、私が呪術をどうにかする手だては、無いと言う事ね」
「一つだけあると言っただろう。青の将軍、本人を殺す事だ」
「ほとんど不可能な手だては、無い様なものでしょう……シャトマ姫」
分かっています。既に種は芽吹き、私の肉体が青の将軍に乗っ取られるのは、時間の問題だと言う事は。
もし私の肉体が乗っ取られたら、どうなるのでしょう。
私の意識は無くなってしまって、この膨大な魔力と、大陸を焼き尽くす事が可能な能力だけが、青の将軍の手に渡る。
それは決してあってはならない事だと、自分自身が良く分かります。
「…………」
長い長い沈黙の後、私は口を開きました。
「まずは、私に呪いをかけた者を、どうにかしないといけないわね。……だいたい分かっているわ。あの男しか、あり得ないもの」
「……そいつはきっと、捨て駒だぞ。殺してもお前が助かる訳じゃ無い」
勇者が低い声で、口を挟みました。
「分かってるわ。でも、どうにかしないと。……ルスキア王国にとって、奴が存在するのは良い事じゃないでしょう」
「……ほう、国のため……と考えるか、紅魔女は」
シャトマ姫が面白いと言いたげに、ニヤリと笑います。
「この国には、私の家族も、トールもユリシスも、ペルセリスも居るもの。2000年前みたいに、自分の事だけ考えていられないわ」
「………だったら、黒魔王や白賢者に、この事は伝えるのか? 奴らに助けを求めるか?」
「………」
シャトマ姫の問いに、私は少々肩を上げ、やがて、長く息を吐きました。
「……言えないわ。言ったら絶対、あいつら青の将軍の本体を探しに行く。何としてでも、私を助けようとするわ。私たちはそう言う関係だもの……。もしあいつらのどっちかが私と同じ状況だったら、私だってそうするもの。……本当はあいつらを頼りにしたいし、助けて欲しい。でも、それはほぼ不可能よ。いつ見つかるとも分からない青の将軍を探しに行って、あの二人がこの国を留守にでもしたら、それこそ青の将軍の思うつぼだもの。トールの力、ユリシスの力無くして、ルスキアの防衛はあり得ないわ」
「……ふふ、驚いた。意外と現実的じゃないか、紅魔女。見直したぞ」
扇子を口元に当て、愉快そうにするシャトマ姫。
「妾はそなたを誤解していた様だ。そなたがそう言ってくれて、ホッとしたよ。確かに今、黒魔王と白賢者を当ての無い旅に出すほど、この国に余裕は無いからな。それはルスキア王国の隙となり、果てはフレジールの隙だ」
「……そりゃどうも」
現実的にもなります。運命を定められた途端、見えてくるものもあるのだから。
案外私の心は落ち着いていました。今、私の成す事を一番分かっているのは、私と、きっと勇者。
「どうしたら良いのかしら……勇者」
「………」
「この状況は、あなたにとって、好都合かしら。……もしそうなら、私のこの状況の、最善って何かしらね」
トールやユリシスを頼らず、2000年前に恨み合い、殺し合った勇者に問うのはおかしい気もしましたが、彼なら、トールやユリシスが導き出す事の出来ない“最善”を知っています。
そして、私にそれを突きつける事が出来る。
勇者は私をじっと見つめ、瞳を細め、何とも判断し難い表情をしていました。
「お前の一番の望みは何だ、紅魔女」
彼はただそれを問いました。
「……望み、ね。一番だなんて、決められないわね。……一番の望みを決めるには、今世には大事なものが多すぎるもの」
多く望みがある、マキア・オディリールは幸せ者です。
要するに、そう言う事でしょう。
「オディリール家の、お父様とお母様を守りたいし、ユリシスとペルセリスに、もっと幸せになって欲しい。今度こそ、ずっと二人で居て欲しい。でも……トール………っ」
思わず、言葉が出てきませんでした。
トールと一緒に、幸せになりたい。彼を幸せにしたい。
その望みは、ほとんど意味の無いものの様な気がして。
「……トールを、一人にしたくないわ」
ポッと出てきた言葉はそれでした。
勇者は黙って私の言葉を聞いて、そして告げました。
「分かった。お前の望みは“全て”叶えてやろう。………そのかわり、お前には俺の望みを叶えてもらう」
「………」
「取り引きだ……紅魔女」
取り引き、と言った勇者の表情は相変わらず淡々としていて、でも、2000年前から変わらない目的を持っています。
どうしてでしょう。私自身、運命に抗えば彼は死神の様に恐ろしく、憎い存在だったのに、今はそれほどでも無い。
藤姫が、ずっと勇者と共に行動する意味が、理解出来ます。
彼女もきっと1000年前、こんな気分だったのではないでしょうか。
運命を受け入れてしまえば、勇者は最善を見つけ、望みを叶えてくれる。
取り引きに応じてくれる。
彼が変わったんじゃない。
きっと、ずっと前からそうだったのでしょう。
だけど魔王たちは抗う。あの棺から、勇者から逃げ、争い、憎む。世界を動かそうとする。生き延びようとする。
だから私たちを迎えにくる彼が、血も涙も無い、魔王たちの死神だと感じるのです。それは何一つ、間違っていません。
勇者も、どんな手段を使ってでも、私たちを殺そうとしますから。
でも私は、勇者の取り引きに応じました。
それが最善であり、自分の望みを叶える方法だと、直感的に理解したからです。
「ふふ……こんなの……あいつら、怒るんでしょうね……」
涙は出てきませんでした。
私はむしろ、大きな目的と、それを叶える為の道筋を得たのです。思った以上に静かで、穏やかな心地でした。