15:ユリシス、マキアを見舞う。
*二話連続で投稿しております。ご注意ください。
「マキちゃん、僕だよ。起きているかい? 入っても良いかい?」
いつものように外の庭から、マキちゃんの部屋の大きな窓を叩きました。
マキちゃんは既に起きていて、何だかつまらなそうな顔で、積上げられた本を読んでいました。彼女が読書をする姿は非常に珍しく、何だか違和感があります。
マキちゃんは僕に気がつくと、パッと表情を明るくして、ベッドから飛び出すと僕を部屋に招いてくれました。
「ユリ!! あー良かった、ちょうど暇していたの」
「暇って……体調は良いのかい? ほら、寝ていないと駄目だよ」
「皆大げさなのよ。まるで大病にかかった様に」
思っていたより、マキちゃんは元気そうでした。
僕はマキちゃんにベッドに入る様に促し、地下庭園で積んできた白と青の花を手渡します。
「あら、ありがとう。あんたってやっぱり紳士ね。悪いわねえ、新婚さんなのに」
「……はは、これはペルセリスからだよ。ついでに、地下の泉から水を汲んできたんだ。魔力を整える力があると言っていたからね」
僕はガラスのボトルに汲んできた水を、彼女の部屋にあった花瓶に注ぎ、摘んだ花をさしました。
ただそれだけで、部屋の空気が少し変わった気がしたのは気のせいでは無い様で、マキちゃんもふっと顔を上げます。
「流石は教国の水と花ね。神聖な魔力を帯びているわ。……教国のこの空気、嫌いじゃ無いの。食べものは全く美味しくないけど」
「あはは。確かにそうだね。教国で贅沢は禁物だ。……質素倹約が基本なんだよ」
「分かってるわよ。私には耐えられないわ」
マキちゃんはどうやら、今朝の朝食に味の無い麦粥を食べた様で、それについてぶちぶち言っていました。
食欲旺盛な彼女には、確かに耐えられない事でしょう。
「何だかユリとこうやって二人で話すのって久々ね。あんた、仕事か教国に帰るかばかりで、全然かまってくれないんだもの」
「それはこっちの台詞だよ。トール君とマキちゃんで、妙なムードになっちゃってさ。何だか僕の知らない事が、君たちにはあるようだ」
「………」
「あの、異世界からやってきたレナさん……君とトール君にとって、いったい何なんだい?」
僕はこのタイミングだと思い、ずっと気になっていた事を彼女に問いました。
マキちゃんはベッドから起き上がった状態で、何だか複雑そうな表情になります。
「ユリ……ごめんなさいね。別に隠したりしていた訳じゃ無いんだけど、なかなか言う機会も無かったの」
「………分かっているよ。僕が新婚だから、配慮してくれたんだろう?」
「………」
どこかシュンとしたマキちゃん。
彼女は僕ら三人の関係を特に重んじている分、こういった事に敏感でした。
「あのね……私から言っても良い事なのか、ちょっと分からないのだけれど……。あの子……レナは、ヘレーナの生まれ変わりなの」
「……ヘレーナ? あの、黒魔王の寵姫だった?」
「そうよ。……そう」
ただ、その事を教えてもらっただけで、僕はここ最近違和感を覚えていた、トール君とマキちゃんの態度に合点がいきました。
トール君が、あんなに必死にレナさんとマキちゃんを関わらせたがらなかった理由が。
「………」
確かにこれは複雑な事情です。
うーん……僕だったら、前世の奥さんと今世の良い感じな人が接触を持つのは、確かに避けたい所。
まあ僕は前世の奥さんも今世の奥さんも同じ人なのですが。
「でも、ヘレーナは黒魔王を裏切って殺した、張本人だろう? レナさんに前世の記憶は無さそうに思ったけれど……。トール君的にも、恨みこそあれどって所だよね」
「……どーかしらね」
「………」
マキちゃんはしらっとしていました。
背中に大きな枕を置いて、それにもたれかかって、天蓋の端辺りを見ています。
「トール……レナが現れてから落ち着きが無いのよ。当然だけど、私には無駄に過保護だし……。レイモンド王にレナの護衛まで頼まれちゃって、私がこんな状態で……。あいつ、心労で倒れちゃわないかしら」
「……マキちゃん」
「って、私がこんな風に体調壊したりしてなければ、良い話だったんだけど……」
そう、結局マキちゃんが伏せってしまったので、レナさんの護衛はトール君と、トワイライトの二人が付く事になったのです。
「……トール君が心配?」
「え? ええ、そうね……あいつ、格好つけだからねえ……」
「………」
僕は、マキちゃんのその一言で、彼女がいったい何を気にしているのか、確かめる事が出来ました。
マキちゃんは、トール君がかつての妻のレナさんに心乱され、自分から離れていくのではないかと、その部分を気にしていない訳では無いと思う。
ただ、一番気にしているのは、トール君自身が無理をしていないかと言う事。
何事も、面倒事も、引きつけ引き受けるトール君の性質だから。
「トール君の事……好きかい?」
「……え。何……何よ今更」
「そうか、今更か」
「いや、そう言う今更じゃなくって……っ」
マキちゃんはガラにも無くボフッと赤くなって、手のひらを前にしてワタワタと。
「何だかな、寂しいなあ。僕とトール君、二人のマキちゃんだったのに……」
「それを言うなら、あんただってそうよ。私たちのユリだったのに、いつの間にか別の所に行っちゃった。私はねえ、これでもあんたが結婚した時、嬉しかったけど寂しかったのよ。地球での事、思い出しちゃったわよ。いつも三人で居たのにって」
「……そうなのかい?」
「そうよ!! 幸せになって欲しいと思うけど、そりゃあ寂しくも思うわよ」
マキちゃんが視線を逸らし照れつつそう言うので、僕はどこか嬉しくなって、思わず吹き出して笑ってしまいました。
ここ最近、結婚した事と忙しさもあり、マキちゃんとトール君から離れていく事に寂しさを感じていました。
でも、それは決して僕だけではなかったと分かり、嬉しくも思います。
長い長い記憶があっても、こうした事で寂しくなったり嬉しくなったりするものなんだなと、僕はしみじみ思いました。
僕はホッとしたのと同時に、あらためてマキちゃんに聞きました。
「マキちゃんは、トール君の事……好きかい? 黒魔王の事じゃないよ。それはとっくの昔に、気がついていたから」
「………」
複雑そうに、横目で僕を見るマキちゃん。
「……これでも私は一度、黒魔王を諦めて、正直な所地球ではこれっぽっちも“透”に恋愛感情を持たなかったの」
「あ、うん。それも分かってる。地球では全くそんな感じではなかったよね」
「………」
マキちゃんは、確かに一度黒魔王を諦めたのです。
それは、流れを見てきた僕には良く分かっています。地球でのマキちゃんと透君は、同類の様な同士の様な、それ以上でもなくそれ以下でもない関係で、僕ら三人は確かに平等だったから。
だからこそ、彼女とトール君の、最近の関係の変化にも、僕はより早く気がつくのです。
「どっかに埋まってた思いってあるのかもね。今じゃトールに側に居てもらいたいって思うし、あんたとペリセリスみたいに、一緒になるのも良いなと思うの。夢見ているだけだけどね。……でも、埋まっている思いがあるのは、トールも同じかもしれないわ」
「……それは、“ヘレーナ”の事かい?」
「……」
マキちゃんは思いの外、しっかりとした瞳をしていました。
不安定と言うよりむしろ、湖畔の乱れない水面の様に保たれた雰囲気が、僕には少々気になりました。
「マキちゃん………もしかして、何か“僕ら”に隠してないかい?」
ふと、そんな言葉が出てきました。
それが何なのか、全く見当も付かなかったのですが、僕は何となく彼女の持つ空気の中に、期待と不安、希望や諦めのような、様々な感情以上に、それらを覆す程の“秘密”があるような気がしたのです。
「……隠し事……? 特に無いけど?」
マキちゃんは首を傾げ、きょとんとしてそう答えました。
僕は少々瞳を細め、彼女のその様子を見つめました。
正直な所、紅魔女……いや、マキちゃんはとても嘘が上手い。この明らかに何の秘密も抱えてなさそうな表情すら、演技であり嘘であるかもしれない。
でも、やはり僕の思い過ごしかもしれない。
僕自身、割とそういう嘘を見抜くのが上手い方ですが、これはお互いの特技のぶつかり合いでイーブンと言った所。
マキちゃんもフッと意味深な笑みを浮かべました。
「今、魔力が少しぴりっとしたわね。こう言うのって久しぶり。……2000年前の白賢者と紅魔女の様ね」
「……そうだね」
上手く彼女にはぐらかされ、僕は大きくため息をついて困った様に笑いました。