13:マキア、浸食する夕闇の色。
二話連続で投稿しております。ご注意ください。
夕方、私はレナと別れ、自室に戻ってきました。
彼女は王宮の侍女につれられ、夜のパーティーの準備にとりかかるらしい。
私も今夜の舞踏会の準備をしなければならないのに、そのような気分になれないので庭先に出てぼんやり座り込んだり。
こうも毎日舞踏会まみれだと、本当に疲れてしまうわね。貴族や王族の人って大変。……私も一応、貴族ですが。
聖教祭の賑わいはまだまだ続いています。夕方になっても、どこからか賑やかな音楽が聞こえてくるもの。
私の部屋から出た所の庭は、裏腹にとても穏やかです。
「レナ……良い子そうだったわね」
2000年前のヘレーナと違い、どこか自分に自信なさげな、大人しい感じではあったけれど、根本的なものは何も変わってなさそうだった。あの柔らかい空気、気にせずにはいられない存在感。
私やトール、ユリシスもそうだけど、地球で得た人生とその環境が、再びメイデーアにやってきた私たちを再構築しているのね。
「あーあ、何憂鬱になっているのよ。らしくないわよここ最近。さあ、準備しましょう。トールたちは直接会場に行くでしょうし」
大きな一人ごとを言って、私は立ち上がっりました。ドレスにくっ付いた芝を払って、部屋へ戻ろうとします。
レピスやノアも私の護衛を外れ、レナの護衛につく様になったので、こういったパーティーの準備も今日ばかりは手伝ってもらえないから。
ドクン……
グラッと、大きくふらつきました。左胸の上の方が、激しく痛んだからです。
まただわ。
「………っ」
側にあった樹にもたれかかって、私は息を整えました。
どうして、こんな風に……。教国で魔力の流れを整えてもらったのに。
いったい何が原因でこの様になるのか分かりませんが、ザワザワと落ち着きの無い魔力に、自分自身気がつかない訳でもなく。
「なぜ……? 夕方だから?」
夕方はトワイライト・ゾーンと言う、魔力が最も活性化する時間帯だと、前にトールに聞きました。
これはトワイライトの一族が発見した時間帯らしい。
分からないけれど、何かとても得体の知れないものに体を浸食されている気さえします。
ジワジワ、ジワジワと、体の奥の、とても大切なものを、今にもつかみ取られそうな、そんな気が。
「おい」
あまりの痛みに意識が飛んで行きそうになった瞬間、私は誰かの腕に抱きとめられました。
視界の端に入ってきたのは、金色の髪。
声は低く、聞いただけで背筋が凍りそうになるほど……私はその声を知っているはずでした。
「何で……あんたがここに居るのよ……勇者」
「………」
彼は何も答えず、ただその鋭い青い瞳で私を横目に見ていました。
私が動けずに居るので、倒れ込んだ姿のまま腕で支えていると言う感じです。
「お前……いつだ」
「は、はい?」
「“いつ”そんな事になった。なぜ……っ」
勇者はらしくない表情をしていました。いつもは淡々として落ち着き払っているのに、私の様子を見て、その瞳に少しだけ驚きの色をにじませたのです。
そして私を、側の木に乱暴に押し付けました。
「い……ったい。何すんのよあんた!!」
「………」
私が弱りつつも文句を言った所、勇者は無視して、私の首の横に揃えた二本の指を当て、その後鎖骨から胸の上辺りをなぞって押さえました。ほぼセクハラですが、あまりに痛くて冷や汗がどっと出てきました。
「……っ」
「お前……いつだ」
「……な、何が……っ」
「いつ“青の将軍”と遭遇した!!」
「………?」
勇者が強い口調になった事にもびっくりしたけれど、何より彼の言葉の内容の意味が分かりませんでした。
青の将軍……?
「あ、青の将軍になんて……私、出会った事無いわ……」
「………」
勇者は少しだけ顔を伏せ、そして、僅かに焦りを滲ませる表情で、再び私を見ました。
「紅魔女、これは“呪い”だ。……お前は、青の将軍の呪いにかかっている」
「………え?」
思いきり、疑問しか無い表情で、私は勇者を見上げました。
勇者は私の両肩を掴んだまま、一度息を吐くと、スッといつも通りの彼に戻ってしまいました。
しかし、先ほどの一瞬の彼の焦りを、私は覚えています。
それが私の不安をこれ以上無く煽るのです。
「ど、どういう事……? 青の将軍の……呪い?」
「………」
「私、出会った事なんて無いわ……っ。トールは、一度ヴェレットで会ったと言っていたけれど……」
「……奴は様々な人間の人格や意識、肉体を乗っ取る事が出来る。お前が会った事がないと言っていても、遭遇した可能性は充分あり得る。しかしお前程の魔術師に呪いをかけるとなると、相当な条件と制約をクリアしなければならないはずだ……」
勇者は瞳を細め、深く考え込んでいた。
私は何が何やら分からず、不安だけがどんどん大きくなっていって、彼の腕を掴んで問いました。
「呪いって何よ。私はいったい、どうなってしまうと言うの!!」
「………」
大声を出した途端、再び激しい鼓動の音が脳内に響き、体中が痛みに包まれ、フッと意識が飛んでしまいました。
私はそのまま、足を崩す様に倒れてしまった様でした。
屈辱的な事に、勇者が腰を抱え込み、支えてくれた様でしたが。
それは感覚的に、何となく分かったのです。
黄昏の短い、魔力の最もザワめく時間帯。
私は夕闇の迫る空の色に、象徴的な自身の未来を予感しました。
トール……
トールに会いたい。
私は焼け野原に立っていました。何も無い、荒廃した大地の上に。
そして悟るのです。ああ、これは私が焼き払ってしまった、西の大陸だと。
かつて、とても豊かな土地と言われていた西の大陸を、私程知っている人が居るでしょうか。
ここには王国があり、森があり、沢山の民が住んでいました。
だけど私は憎しみにかられ、ただ一瞬で、自分と勇者の情報量を糧に魔法を使ってしまって、大陸を焼き付くしたのです。
私たちの存在とは、それほどの情報を内蔵した存在。
それを知らなかったとは言え、世界を混沌の中に突き落とした私は、確かに最悪の魔女だ。
赤くおぞましい、世界の終わりを予感させる空の色。
それを見上げつつ、私はただぼんやりとしていました。紅魔女の色だわ……暢気にそんな事を考えて。
「……!?」
気がつくと、大地の割れ目から、黒い手の様なものが伸びてきて、私の手足を絡めとろうと、ぐるぐる体を取り巻きます。
「な、なにこれ……っ」
青黒いそれは、私の体内に入り込む様に、皮膚からジワジワと侵蝕を始めます。
とても気持ち悪いし、怖いし、痛い。
私を取り込みながら、どこかへ連れて行こうとしているのです。
「やめて……っ、やめて!!」
振り払おうと思っても、いくら抵抗しても、それらが私を飲み込む速度の方がよほど早く、私は下唇を噛んで血を流し、黒い無数の手に命令するのです。
「私から離れなさい!!」
パアアアっと、白い光が眼前に広がり、思わず目を瞑りました。
世界は混沌とした、荒れた大事から色を変え、今度はただただ真っ白な空間に移り変わったのです。唇から落ちる血だけが、赤くポタポタと跡を残しています。
「………」
チャリ……チャリ……
どこからか、鎖の擦れる様な音が聞こえ、胸の奥がザワザワするのを自分自身感じながら、恐る恐る、足下を見ました。
既にそこは真っ白な空間から一転し、緑色の苔むす、聖なる庭。
私は足から伸びる鎖を確認し、息を飲みました。それを辿ると………やはり、“水の棺”に繋がっているのです。
左胸の上の方が、激しく痛みました。私はただ、無我夢中で、その苔むす庭を走って、逃げるのです。
あの棺から、空席の棺から、逃げるのです。
チャリチャリと足に繋がれた鎖は、途中ビンと張って私を捕えたまま。私はそれを自力で断ち切る事は出来ず、倒れてしまいました。
「お願い……外れてっ!!」
何度命令しても、それは静止して、ただただ私を捕えています。
そして、棺の奥に鎖を巻き戻す装置でもあるかの様に、ジワジワと私を引っ張るのです。
「嫌だ!! お願い、外れてちょうだい!! 私はまだ、死にたくないの!!」
引きずられながら、私は手足を怪我して、血を流すのです。それでも、命令魔法は使えません。
この鎖は、私の魔法の遥か上に位置する存在。
………そう、世界の法則
これこそが、これこそが、これこそがその一つ。
私たち魔王クラスの魔法があっても、魔力があっても、越える事の出来ない絶対的な法則。
ああ、棺がもう、目の前まで来ている。
他の棺は既に埋まっている。私だけが、まだここへ入るのを抗っているのだわ。
「………トール……っ」
トールに会いたい。
せっかく、彼との未来を思い描く事が出来たのに、こんな所で死にたくない。
でも、私のせいで不幸になった人たちの多くの無念が、きっとそれを許さないでしょう。
「………ッキア………マキア!!」
ハッと、目を覚ましたのは、私の名を呼ぶその声が聞こえたからです。
黒い瞳を酷く不安げに揺らし、トールが私を見つめていました。
ここは自室の様でした。
私はベッドに横たわっていたのです。
「……トール」
「良かった、マキア。……お前がパーティーに来ないから、様子を見に来たら、酷い顔色で寝ていた。まさか、また胸が痛んだのか?」
「………」
トールは私の手をキツく握っていました。
その温かさに気がついた途端、私はウッと目に涙を溜め、唇をぎゅっとつぐみました。
痛みを感じたのは、どうにも下唇を噛んでしまって傷が出来ていた様で、口の中の血の味に、後から気がつきました。
「トール……っ。私……私……っ」
既に先ほどの様な目眩や痛みは落ち着いていましたが、心の奥にある大きな不安と、どうしようもなく押し寄せる過去の記憶と罪、遺産が私を急き立て、私は思わず大粒の涙をこぼしました。バッと起き上がり、子供の様にトールの腕を引き寄せ、縋って泣きます。
「どうしたんだ……マキア…」
「………」
悪夢を見た後、泣く子供ってこんな気分かしら。
それにしても酷い夢をみたものです。私は声をあげて泣く事はしませんでした。ただポロポロ涙をこぼし、でも込み上げる沢山の言葉は、飲み込んだまま。
「まさか、前世の夢でも見たのか?」
「………」
トールは私の背を優しくさすってくれました。
私は大きく息を吸って、首を振ります。
「いいえ……違うの。ただちょっと、怖い夢を見ただけ。ごめんなさい、目が覚めた瞬間、あんたの顔が見えたから、ホッとしちゃったのかも」
「……」
自分自身、落ち着きを取り戻そうと、私は彼から少し離れました。
ここにつれてきてくれたのは、やはり勇者でしょうか。
彼は青の将軍の呪いが、私にかかっていると言っていました。
私はこの事をトールに言うべきでしょうか。
いや、呪いがいったいどのような効果を持って居るのか、勇者に確認してからの方が良いわ……。
私はすぐにそう判断し、ひとりでに頷きました。
「おい、マキア。唇が切れているぞ。血が……」
トールが私の頬に手を当て、親指で唇の端に溜まった血を拭ってくれました。
「……夢の中で、噛み切っちゃったのね」
「何だそれ。そんなに悔しい夢でも見ていたのかよ。食い物でも取られたか?」
「別に、悔しくて下唇噛んだ訳じゃ無いわよ。……と言うより、あんたあまり私の血、触らない方が良いわ。毒の様なものなんだから……爆発しても知らないわよ」
「……」
毒、で爆発、が何だか繋がらない気もするけれど、爆薬と言った方が良かったかしら。
トールは無言になり、その血をハンカチで拭いて、どこか慎重なご様子。
「まあ、お前が俺を爆発させたいと命令しない限り、大丈夫な“はず”だけどな」
「そりゃあそうだけど。でもどんな世界だって、危険物の取り扱いは要注意なはずよ。どこで誤爆するかなんて分かんないわよ」
「……そりゃそうだ。俺、運無いしな」
トールは自覚している様で、不運な身の上だからこそより気をつけるべきですね。
私はさっきまで、あんなに不安で、恐ろしい思いをしていたのに、思わずクスッと笑ってしまいました。
ああ、やっぱりトールだな。
トールと居ると、とても心地よく、調和が保たれる気がします。
「お前、やっぱり体調が優れないんだろう。せっかくの聖教祭だが、しばらくはゆっくり休んだ方が良いぞ。レイモンド王には、俺から言っておく。今まで病気だってしなかったのにな、お前」
「……」
トールが私の髪を撫で、整えてくれています。
優しいトール………彼は私の呪いの事を知ったら、どう思うでしょう。
幸せになりたいと思えば思う程、そうはさせまいと過去の罪は浮き彫りになり、結果として青の将軍の呪いを受けてしまっているのです。いったい、いつ、どこで……と言う疑問はあれど。
私はやはり、そろそろ自覚しなければなりませんでした。
目前に迫る前世の“業”と、いずれ成すべき“大業”。
世界はそろそろ、私に対して畳み掛けてくる。
結果を求めてくる……そう、気づかされました。