04:マキア、ベッドにぐったりと倒れる。
私の動揺は、きっと勇者にも見て取れたのでしょう。
何だか眉間にしわを寄せた表情で、私を見下ろしていました。
しかし何を言う訳でもなく、ふいとそっぽ向いて去ろうとします。
「ちょっと待って勇者。あんたこれから、何をする気なの?」
「………」
勇者は視線だけを私の方へ向け、相変わらずのしかめっ面。
感情の読めない、青い瞳を私は恐れています。
「お前の言っている事の意味が分からんな」
「あ、あの子をどうしようとしているのか、聞いているのよ。記憶も何も無い様だし、とても動揺していたし……」
「俺がどうこうしなくても、あいつは勝手に世界の中心に引きずり出される。そういう存在だ」
「………」
「出来る事と言えば、レナが連邦の手に渡らない様、手を尽くす事だ。あいつの力はそれだけ大きい。記憶が無い分、世界に翻弄されやすい。……フレジールで保護しているより、ルスキアに居た方がまだ安全だと、シャトマ姫は判断した。だから彼女をここへ連れてきたのだ。レイモンド卿は彼女を新たなカードとして、王宮で保護する事を容認した」
「……そう。なら、あの子……ずっとこの国に居るのね」
私は右手の人差し指を、左手の指で握って、無性に爪を立てたりして、何とも複雑な心持ちを誤摩化そうとしていました。
「言っておくが、俺も第七艦隊の将軍として、この国に滞在する事になるぞ」
「……!?」
勇者は瞳を細め、空を仰ぎました。
空には第七艦隊が列を成し留まっています。
「レナが現れる事で発動する法則は多い。紅魔女……お前はそれに、どう抗う。2000年前の様に、逆らう事も出来ずに諦め、流れに身を任せるか?」
勇者の言葉は意味不明で、私は始終困った様な顔をしていました。
2000年前、私はいったい何を諦め、逆らう事が出来ずに居たと言うの……。
全てを自分の意志で決めてきたと思っていたのに、彼の口ぶりでは、まるでそうではなかったかの様。
勇者は私に背を向け去っていきました。
彼は私に何を伝えたかったんだろう。そして、何を伝えられずにいたのだろう。
「はあ……あいつと会うといつも疲れるわね」
自室に戻り、ベッドに倒れ込みました。
夕方からパーティーがあるのに、準備をする気力も湧きません。
ただ、胸騒ぎだけするのです。無性に左胸の上の辺りがうずいて、痛い。
良く分からないけれど。
何で勇者っていつも勿体ぶった言い方をして、色々と濁そうとするのかしら。
はっきり言ってくれれば、こんなにもやもやした気持ちにはならないと思うんだけどな。
「……相変わらずねちっこいわよね……」
一人ごとを呟いて、ため息。
一年前、教国の真理の墓にて、彼に多くの真実を知らされてから、勇者を2000年前の様な憎しみだけの感情で見る事が出来なくなった気がします。
今回久々に会ってみて、そう実感しました。
憎しみより、今度は彼に何を告げられるのか、私はいつ彼に殺されるのか、そういった漠然とした恐れの方が大きい気がするのです。
「おい、マキア。……って、何でベッドで倒れているんだ?」
トールがノックもせずに入ってきました。
でも私は起き上がる気力も無く、ちらりと彼の方を見て、再びぐったり。
「……疲れたのよ」
「疲れた? お前が? 俺なんてずっとシャトマ姫に鋭い質問をされ続けて疲労困憊しているって言うのに。あの人本当にすげーよな。おっかねえよ」
「……そう。流石は一国のお姫様ね。というか、次期女王様ね……」
「………お前、本当疲れてるな」
トールは、ベッドでぐったりしている私の隣に座り込んで、私の様子を伺います。
「どうした。何があった? やっぱりユリシスの結婚が響いているのか?」
「違うわよ」
違うわよ。何でこんなにおめでたい日に、こんなにぐったりした気分にならないといけないと言うのでしょう。
「………勇者に会ったわ」
一言、そう呟くと、トールの瞳の色が変わりました。
口調のトーンを低くして、「お前…」と。
「お前、いったいどこで。殺されそうになったのか?」
「……そんなはず無いじゃない。あいつは私が大業を残さないと殺せないのよ。……今日久々に会ってみて、分かったわ。あいつ、今は私を殺す気が無い様よ」
「それはそうかもしれないが。……なら何か言われたのか?」
「………」
トールはぐたっとベッドに倒れ込んだ私の背に手を置いて、心配そうに問いかけてきました。
でも、彼にレナの事を伝えるの?
レナはヘレーナだって言うの?
トールはきっと混乱してしまうでしょうね。彼は本人を見た訳じゃ無いんだもの。
でも、今言わないと私は卑怯な気もする。それを言わなければ、勇者と何を話したのか、トールに言う事も出来ない。
どうしよう。
「……不思議な女の子に会ったわ」
「は? 何で勇者と会った話から、女の子に会った話に?」
「……」
トールの疑問はもっともでした。
彼は「おいマキア」と、背をさすってきます。
「ねえトール、異世界からやってくる女の子って、知っている?」
「は? 何を言っているんだよ。お前の事じゃないのか?」
「違うわよ。肉体ごと、異世界からやってくる女の子の事よ。あんた実は、その女の子に、会った事があるのよ? 気づいていないでしょう?」
起き上がって、ベッドの上でぺたんと座り込んで、ぼんやり。
私の言葉は、トールにとって不可解なものだったでしょう。
「……どうしたんだマキア。お前、祭りで変なものでも食ったんじゃ」
そう言って、私の顔にへばりついた髪を払ってくれます。
彼は2000年前の、黒魔王の寵姫ヘレーナが、異世界からやってきた人間だったと、今でも気づいていない様です。
確か彼女は、記憶を失って黒魔王に保護され、そのまま王妃になったのです。
「あ、あのね……トール……私……今日……っ」
私は吃りながらも、彼に伝えようとしました。
言わないと。
トールに、ヘレーナの生まれ変わりのレナに会ったって、言わないと。
トールはちゃんと私を見て、私の言葉を待ってくれている。
でも、ヘレーナがこの時代、この世界に居る事を知ったら……2000年前、黒魔王を裏切って殺した事を悔やみ、自害した事を知ったら、トールはいったいどうするのでしょう。
「マキア様、ご準備をなさいませんと」
突然、レピスが音も無く部屋へ入ってきて、そう告げました。
私とトールがベッドの上で何やら訳ありな表情をしていたので、レピスは僅かに眉を動かし、
「……すみませんお邪魔でしたか」
と。
「いや、何もお邪魔じゃありませんでした」
「ご期待に添えず」
私とトールは案外冷静に受け答え。
レピスは「そうですか」と淡々と頷くと、再び私に向かって言いました。
「マキア様、そろそろパーティーのご準備をなさいませんと。今日は聖教祭の初日。大事なパーティーになります。フレジールのシャトマ姫やカノン将軍もいらっしゃるのです。……整えてご出席致しませんと」
レピスはぐしゃぐしゃになった私の髪を見て、困った様な表情をしていました。
ごめんなさい、ベッドに倒れ込んでごめんなさい。
「トール様……ご婦人の支度を覗かれるので?」
「……分かったよ出て行けって言いたいんだろ」
トールは苦笑い。
レピスの皮肉は相変わらずです。
「じゃあマキア、仕度ができたらな。俺、支度した後、隣でノアと模型でもいじってるから」
「……ええ」
トールは私を待ったりする時、大抵隣のノアの部屋にいます。ノアとトールは流石に話が合う様で、一緒に模型を作ったり魔導要塞の設計を見てあげたりしているんですって。
あいつは良い空間魔術師になる、とトールはいつも言っています。要するに可愛がっているのです。
パタン、とドアの閉まる音。
結局私は、彼にレナの事を伝えられませんでした。