*御館様、二人の子供を見送る。
私の名前はエルリック・オディリール。南の大陸の大国、デリアフィールドを任されているオディリール伯爵だ。
私の目は節穴ではない。
マキアとトールについてである。
以前から仲の良い二人であったが、デリアフィールドにかえって来てからの二人を観察する限り、どうにもその親密さに異変を感じてならない。
一年前、このデリアフィールドを去る前のこの二人の関係と言えば、基本的にマキアの我が侭をトールが一身に受け、文句を言いつつも聞いてあげると言う、いかにも微笑ましい主従関係と言うものだった。
マキアが我が侭を言える唯一の存在であったし、それはそれで安心だったのだが、私は稀にトールに言っていた。
「もう少しマキアに対し、大きく出ても良いぞ?」
と。
なぜなら、私は将来トールを婿養子に迎え、オディリール伯爵を継いでもらおうと思っていたからだ。
トールがいつまでもマキアの従者と言う感覚であれば、それはそれで問題だなと。
トールは私の思惑に気づいていたのか、一瞬とても複雑な顔をして「は、はあ」と躊躇いがちに頷いていたっけ。
しかし、帰って来た二人の関係は、どこか私の知っているマキアとトールのものではない。
マキアはトールに対し、あまり我が侭を言わなくなっていたし、トールもマキアに対し、自然な態度である。
王宮で対等な地位に就いた二人だ。いいや、むしろトールは、マキアの地位を超えたと言っても良い。
魔族の国“アイズモア”の王になったのだから。
当然、私には二人が“魔王”と言う大きな存在には見えない。
二人は今でも、私の可愛い可愛い子供。
どんなに体が大きくなって、落ち着いて来ても、その感覚と言うのは消えない。
しかし、マキアもそろそろ年頃だ。
将来の事を考えてあげなくてはいけない。
私にまだ、マキアの事を心配する資格があるのなら。
もしかしたら、マキアもトールも、もうデリアフィールドなんて田舎に戻ってくる気はないかもしれない……
「お父様〜」
「ははは、何だいマキア」
既に、デリアフィールドがアーモンドの花で溢れ、春を彩り始めた頃。
マキアとトールは来週にでも王都へ帰る事になっていた。
マキアが私の座る椅子越しに、背から首周りに抱きついて来た。
あまり甘える方ではなかったが、里帰りという限られた期間がそうさせるのか、彼女はデリアフィールドに居た間、私に対しても、母のエレナに対しても、抱きついたり腕を取ったりして甘えていた。
「ねえ、お父様。私が王都へ帰ったら寂しい?」
「……そりゃあね。次はいつ帰ってくるか分からないじゃないか」
「でも私、いつかデリアフィールドに帰ってくるわよ?」
「………え?」
私は少し驚いて、マキアの顔を見上げた。
「私、何もかも終わったら、デリアフィールドに帰ってくるの。……トールとそう約束したのよ」
「……」
マキアの意外な言葉に、私は何も言えず、ポカンとしていた。
マキアはどこか照れくさそうに少しだけ視線を逸らす。
「ね、ねえお父様……お父様、私が結婚したら、寂しい?」
「ええっ?」
いきなり何を言い出すんだマキア。
まさか、既に良い人が出来ているんじゃあっ!!
私はあからさまに変な声を出してしまった。
「まあ、お父様ったら、私が結婚出来ないとでも思っていたの? これでも、バロンドット・エスタ様に求婚されたのよ」
「えええええっ!! エスタ卿に!?」
大貴族エスタ家。王宮魔術師の勢力のほとんどを握っていた超名家だが、最近の謀反の騒ぎで一族の半分が粛清された。
当主もその座を下ろされ、代わりに当主の座についたのがバロンドット・エスタ郷である。
もしマキアがこの方の妻になったら、大貴族のご夫人と言う事に……
「で、でもバロンドット卿は確か、マキアよりずっと年上の……」
「……そうね。別に年齢は構わないけれど、あの人と私は難しいんじゃないかしら。私、別に大貴族の当主のご夫人という立場が欲しい訳でもないし、何よりちょっと堅苦しいわよね……」
「そ、そうか……」
少しだけ安心する私。
いや、マキアが大貴族のご夫人となるのは栄誉な事だが……
「ところで、トールとはちゃんと仲良くやっているかい? お前はいまだに彼を従者の様に扱っていないだろうね?」
「……」
私がそう言うと、マキアはいきなりボッと頬を染めた。
何だ……この反応は。
「ト、トールとは上手くやっているわよ。べべ、別に、そんなに特別上手く行っている訳じゃ無いけれど、うん。……なんてこと無いわ、いつも通りよ」
「………」
怪しすぎる。
しかし私はこの瞬間、ある一つの事を悟る。
トールとマキアの関係に、何かしら大きな変化のきっかけがあったのだ。
「マキア……まあ、私はお前が幸せならそれで良いんだよ。結婚するにしても、しなくても……」
相手がトールであれば、私はなお嬉しいし、安心なのだが、結婚相手をこちらの都合で決める訳にもいけない。
マキアはまだ若い。15歳になったばかりの少女だ。
たとえ、前世の記憶を持っていようと、私にとってそれは変わりない。
「エレナだって同じ気持ちだよ。お前は家の事なんて気にしなくて良いんだから、自分のやりたい様に、生きたい様に生きるのが良い」
「……お父様」
マキアはゆっくりと、再び私の首元を抱き締めた。
「ふふ、大丈夫よお父様。何もかも、楽しい幸せな方向へと向かっていくわ。私、その為に頑張るの。……きっとトールと一緒に、このデリアフィールドへ帰ってくるわ」
「……マキア」
「私、デリアフィールドが大好きよ。お父様が居て、お母様が居て、皆が居て……。トールだって、トールのお母さんが眠るデリアフィールドを愛しているわ」
私は顔をマキアの方へ向け、いっそ聞いてみた。
「何だいマキア、やはりトールと一緒になる気でいるのかい?」
「……っ!?」
私の質問に、マキアは再びボッと赤くなって、指をいじりながら瞳を泳がせた。
「ま……っ、まだそんな事、分かんないけど……っ。だってあいつが、デリアフィールドで一緒にって……。こ、婚約しようって……」
尻すぼみの言葉であったが、私は聞き取ったぞ。
うんうん、やはりそう言う流れになっているのか……あれ、嬉しいけど何か寂しいぞ。
嬉しいけど。
「そうかあ……やはりトールと。うんうん、前から私は分かっていたよ。だってお前、いつもトールとしか一緒に居なかったじゃないか。彼しか分かり合える人が居ないって言って。あの頃は子供だったからね……やっとお年頃になったのか」
トールもマキアと同格になって、遠慮が無くなったのだろうか。
いや、元々同格であったのだが。
マキアは気まずそうに私から視線を逸らしている。
「ま、まだどうなるかなんて……分からないわよお父様。あんまり期待しちゃダメよ」
「分かっているよ。未来の事なんて、誰にも分からないからね」
「………」
それでも良い。
マキアが将来、何かしらカタチにしたい未来像があるだけ嬉しい。
たとえ、それがいつか変わってしまっても、未来を願えないよりずっと良いと思っている。
トールであれば、誰より安心してマキアを任せられるし、彼と私も、晴れて親子と言う事になる。
トールは最近唯一の母を亡くした。
それなのに飄々とした態度を続けて、私たちに手間や心配をかけない様にしている。
でも私は知っているよ。トールがそもそもこのデリアフィールドにやってきた理由は、“母親”の為だったと言う事を。
「マキア……トールを大切にしなさい。そうしたらきっとトールも、お前を大切にしてくれる。あまり我が侭を言ってはいけないよ。彼は何でも聞いてくれるからね」
「……そうかしら。そうでも無いわよ」
マキアは少し照れて、ボソッと言った。
「御館様、今年の聖教祭の事なんですけど……」
トールが私の書斎にやってきた。
彼はここに居る間、率先して私の仕事を手伝ってくれていた。
正直な話、いつでもこのオディリール家を彼に託す事が出来ると思っている。
「……?」
彼は私とマキアの何とも言えない照れくさそうな表情を見て、不思議そうに眉を動かした。
今まで、勝手にトールの話をしていたと悟られてはいけない。
「どうかしたのですか?」
「い、いや……何も無いよトール。ご苦労だね」
「あ、はい。その……聖教祭の折、デリアフィールドで催されるアルフレード王子とルルー王女の歓迎セレモニーの件で……」
私はトールと仕事の話を始めた。
その間にマキアはふらふらと私たちの元を離れ、エレナの所へ向かったようだった。
マキアは私たち父と母を、やっと、本当の意味で受け入れてくれたのかもしれない。
幼い頃はきっと複雑な思いもあっただろう。自分を偽って、私たちを親だと思い接した。
幼い頃のあの子の、毎日がつまらないと言うような顔を、今でも覚えている。
「……御館様?」
「あ、ああ。すまない……」
トールは心配そうに「体調でも悪いのですか?」と聞いてきた。
単純に年寄りの物思いであるが。
「いや……私は元気だよ。元気で居ないとな……」
「……?」
私はちゃんと見届けたい。マキアとトールを。
「トール、これからもマキアを頼んだぞ」
「……」
私は幼い頃、あのカルテッドの港町で拾った黒髪の少年を思い出していた。
あの頃の貧しい風貌はどこにも無く、今目の前に居るトールは、出で立ちの立派な青年である。
「わかっています、御館様」
トールはマキアと違って、頼もしく、でも落ち着いた声音で答えてくれた。
それだけで私は安心を覚える。
そうだ。私がこの二人を、この世界で巡り会わせたのだ。
その後、トールとマキアは聖教祭の始まる直前に、王都へ帰還した。
私たちに多くの穏やかな毎日を残して。
アルフレード王子もルルー王女も、すでにこの土地に馴染んでしまっていた。
二人は今までの目まぐるしい王位争いなどから解放されたかの様に、優しい空気に包まれ穏やかな表情になっていった。
本来、彼らはそう言った方々だったのだろう。
今度はこのお二方を、私たちのデリアフィールドで見守らなければならない。
デリアフィールドの春は美しい。
マキアが遠くなった馬車から身を乗り出し、今でも手を振っている。
アーモンドの花の散る、霞がかった春の陽気の中。
私の二人の子供たちが、再びこの土地から旅立った。
番外編〜休息〜はここまでになります。
次回から第四章に入ります。地球編は、また次の機会に回させて頂こうと思います。
よろしくお願いします。