10:マキア、紅魔女の成れの果てに腹を抱えて笑う。
マキアです。11歳になりました。
春のピクニックに来ています。もともと南の大陸は気候も安定していて温かいのですが、春の空気はやはり少し柔らかいものです。
アーモンドの花が満開で美しいです。
「でね、わたくしお父上に聞きましたの。悪い事をしたら紅魔女が来て、いけない子供の脳みそを食べてしまうんですって」
「やだ〜怖い〜」
「…………」
スミルダちゃんは最近、知ったかぶりです。
特にお気に入りなのが、悪い事をしている子に「紅魔女が来る」と言って注意する事。
当の本人が目の前の居る事も知らずに。
私は「はーん」という微妙な反応で、目の前にあるハム卵サンドを取って口に運びました。
だって、聞いてられないですよこんなの。
脳みそなんかよりハム卵サンドの方がいい!!
女子たちがアーモンドの樹の下でそんなお話をしているのを、少し離れた場所から見ているトールは、思わず笑ってしまってました。
まあ、笑っちゃいますよね。私たちの存在はこの時代の子供達にとって、叱りつける時の「鬼が来るぞ」みたいなものらしいです。
「それにね、紅魔女ってとっても恐ろしい顔をしていたんですって。髪も目も鼻も燃えるように真っ赤で、口は裂けていて深紅の血を塗ってた老婆だったらしいわ。自分が醜いからって美しい少女が嫌いで、カエルに変えてしまうんですって。わたくし、心配で夜も眠れませんわ………」
「……ほ〜」
スミルダちゃんは、自分の縦ロールを払って、困ったような謎の憂い顔でため息。私以外の女子たちは「そーよね〜スミルダちゃんは可愛いから」と彼女を持ち上げています。
まあ、近いような遠いような。
合っている所は、髪が赤いって所と、美女をカエルに変えたって所。
それ以外はふざけんなよと言いたいけれど、伝説や伝承なんてこんなものなのかもしれない。
そもそも、私はそんな不細工じゃなかったし、年齢だって17歳の見た目をキープしていたわ。
なんだよその口が裂けた老婆って。やまんばか。
「ちょっといい? お嬢様方」
さっきまで遠くで見ていただけのトールが、そんな女子たちの会話に割り込んできました。
とたんに女の子たちは目をキラキラさせ、頬を紅潮させ、何とも見ていられない乙女の表情をするのです。
今トールは14歳ですが、これがもう女の子に大人気。流石、前世ハーレム大魔王だっただけはある謎のモテスキルです。
「紅魔女の話は良く聞くけど、黒魔王の話って無いの? スミルダ様知らない?」
「あ、あの………えっと…」
スミルダちゃんはトールに声をかけられ、珍しく口ごもっています。チラチラと彼を見て、自分のロール髪を一房とって撫でたり。
「く、黒魔王は黒髪黒目の美男子で、美しい女性の血を吸う吸血鬼だったって話を聞いた事がありますわ。だから、城にたくさんの美姫を攫って閉じ込めていたと。でも最終的に最も愛した美姫を守って、伝説の勇者に殺されたと…」
「……」
なるほど、どうしてこうも差があるのかしら。
私とトールは顔を見合わせました。私は気に食わないと言う顔で、トールはなんだか勝ち誇ったような顔。
捏造もいいところですよ。
女の子たちはキラキラした瞳で「黒魔王様素敵」と夢見心地ですが、私は暴露してやりたかったです。
ちょっとあなたたち知っていますか?
北の黒魔王は愛した女を守って死んだんじゃないよ。勇者に寝取られ騙されて殺されたんだよ!
恥ずかしいよ、黒歴史だよ!!
「ま、言い伝えなんてそんなもんだよなあ……」
トールは呟くようにそう言って、立ち上がりました。
すらりと背が高く、14歳とは言え随分大人っぽいです。きっと女の子たちにはそれがたまらないのでしょう。
「ふん、向こうへ行ってなさいよ歩く黒歴史」
私はトールを追いやりました。
再び向こう側の樹の木陰に入っていったトールを、惜しそうに見送っています。
「いいなあ、マキアちゃんは。トールさんみたいなかっこいい騎士が側に居て」
「いや、あいつまだ騎士じゃないよ。ただの御付きだから………」
「でもいつか、オディリール家の騎士になるんでしょう? 素敵よねえ、あんな真っ黒で美しい髪に、涼しい瞳。南の国じゃ珍しいもの…。マキアちゃんはずっと、トールさんに守られるのでしょう? はあ〜ロマンチック」
背が高くすらっと育ったリンダちゃんが、頬に手を当てもだもだしています。
私は横目に、そんなにいいもんかね〜と思いつつ、バスケットに入ったジャムサンドを取ってかぶりつく。
おお、あんずジャムだわ。
まあ確かに、トールのような黒髪黒目の者はこの大陸では珍しい。
でも私からしたら散々見て来た顔だもの。
「わたくしにだって、騎士くらいいますわ」
突然スミルダちゃんが声を上げました。
何となく分かります。彼女は他の子が褒められているのが気に入らないのです。
特に、この子は私に妙なライバル意識を持っていますから。
「嘘だ〜。スミルダちゃんの騎士なんて見たこと無いよ〜」
空気の読めないミリアちゃんは、クッキーの袋を手に持ったまま、正直なありのままを言ってしまいました。
するとスミルダちゃんはギッと彼女を睨みます。
負けん気の強い子ですから。
「マキアちゃん……トールさんをわたくしにくださらない?」
「……はい?」
私は思わず持っていたアンズジャムサンドを落とし、呆気にとられてしまいました。
「えっと……あれ、スミルダちゃん騎士いるんでしょう? なのにトールが欲しいの?」
「居るけど、欲しいの!! 何ですの、マキアちゃん。最近あなた生意気よ!! トールさんがいるからって、私たちの事見下しているの?」
「なら、トールに聞いておいでよスミルダちゃん。田舎貴族なんかに仕えないで、都会の大きなビグレイツ家においでよって。あいつ、もしかしたらスミルダちゃんの所に行きたがるかもよ」
「……では、わたくし聞いてきましょう」
スミルダちゃんは少し自信ありげな表情でした。
まあ当然、うちなんかより位の高い貴族ですから、それなりの報酬も用意出来ると言った所でしょうか。
特にスミルダちゃんはトールを気にいっていますから、贔屓にしてあげられると。
「……」
少し離れた樹の下で、それらの会話を盗み聞きしていたトールの苦笑いが見えます。
スミルダちゃんはそうとも知らずにトールの元へ行き、あれやこれや言っている様ですが、少しして肩を落として帰ってきました。
「どうだった?」
なんて、聞かなくても分かっていますが。
ちょっと意地悪で聞いてみました。
するとスミルダちゃんはとんでもなく悔しそうな表情で、私に向かって指を突きつけたのです。
「酷いですわ、マキアちゃん!! トールさんを独り占めして、私に勝ったつもりで居るのでしょう!! そんな子はいつか、扉の向こうに紅魔女がやってきて、脳みそを食べられてしまいますわよ!!」
日頃から自慢話と見せびらかしを特技として来たあなたが、この期に及んでそんな事を言うんですね。
ちょっと面白いです。
そう。
いけなかったのはこの時、私がものすっごいお腹を抱えて大笑いしてしまった事。
「べ、紅魔女………っ紅魔女って………あっははははははは!!!」
別に、バカにした訳ではないのよスミルダちゃん。
確かに紅魔女は存在したんだもの。
ただ、本人が目の前に居ると言う事が、おかしかっただけなの。
大陸を焼いた西の紅魔女と言っても、今では子供を恐れさせるだけの存在になってしまったんだなって。
私があんまり笑うから、スミルダちゃんは赤面して何やらとてつもなく心外な表情をしています。
彼女にとって、こんな屈辱的な事は無かったんでしょうね。