50:トール、黒魔王の遺産。
俺は思い出していた。
あの、ただただ白くて、寒くて、何も無い雪の世界を。
人間も魔族も、生きていくにはとても不便で、耐えることは出来ないと言われたあの土地を。
だからこそ俺はあの場所に、魔族の国を創ったのだ。
俺になら、場所さえあれば魔族たちが暮らして行ける国を創れると思った。
俺の空間魔法なら、魔族たちに居場所を与えられると。魔族たちの理想郷を創っていけると。
誰からも忌み嫌われる魔族を、自分と重ねたからだ。
哀れに思っていたからだ。
だけど、帰るべき国も無い俺が……居ても良いと言われる国を創りたかっただけなのかもしれない。
哀れみで創っただけでは無い。ただ、俺自身の為でもあったんだ。
「魔導要塞……“最北の理想郷”……発動」
俺は王都の上空に、大きな魔法陣を作り出した。
それらはこの王都に居る魔族たちを、俺の空間へ導く為の入口。その向こう側に、うっすらと雪世界が見える。
「………アイズモア……」
マキアが側で、そう呟いた。
2000年前、確かに存在した、魔族の理想郷。
魔法陣には、かつて魔族たちを縛ったあの国の法が書き巡らされている。
それが術式となって、魔族たちを限定的に縛るのだ。
一度本当にあった国で、一度本当に使われていた法と言うのは、魔法に明確な要素と具体性を与える事が出来る。
アイズモアは幻想100%の曖昧な別空間だが、要素となる世界観が俺にとって最も縁のあるものだから、それだけ力を込める事も出来る。
「“魔族”は一人残らず閉じ込めろ」
高みから手をかざし、グッと閉じた。
すると魔法陣は一度ぐるりと回転し、あの国への扉を開くのだ。
魔法陣がいくつもの光の帯を作り、地上に居る魔族たちを強制的に転移させていた。
その幻想的な景色を見下ろしながら、俺は隣で息を飲んで、何も言えないでいるマキアの方を向く。
「マキア……お前も行くか?」
「………」
それとも、行きたくないか。
お前にとって、嫌な思い出しかないあの国へは。
「……行くわ。もう一度、行ってみたい……」
しかしマキアは臆する事無くそう言った。
俺は彼女に手を差し出す。
マキアも、どこか気を引き締めつつ、俺の手を取った。
魔族だ。
俺がアイズモアの王だった頃の魔族の姿とは随分異なっていて、ずっとずっと醜く恐ろしい姿になっていたが、魔族である。
どこかに少しずつその鱗片を残している。
角であったり、足の形であったり。
だが、皆首に装置を付けていて、茶色いテカテカした皮膚をしていて、目を血走らせている。
ここは俺の作った魔導要塞の中。
雪の世界に閉じ込められた無数の魔族たちがそこらをうろうろしている。
どれほど居るだろうか。王都に、こんなに沢山の魔族が潜んでいたとは思わなかったが、きっと漏らす事無くこの空間へ導けたはずだ。アイズモアと魔族の縁を、歴史が証明している限り、この束縛から逃れる術は無い。
雪原の上の一匹の魔族が、俺に飛びかかって来た。
その鋭い爪を尖らせ、目の前に居た俺を敵と判断したのだ。
しかし、直前でその攻撃をやめる。
「………そうだ。お前は俺に手を挙げる事は出来ない。なぜなら、この国の法でそう定められているからだ。“魔族は黒魔王に危害を加える事は出来ない”。それはずっと昔に定められた………お前たちの法であったはずだ!!」
「…………う……うっ……」
魔族は苦しそうにうなり声を上げ、その場に跪いた。
その様子を、その場に居た大勢の魔族たちも見ている。どこか動揺している様だ。
彼らに既に理性は無いと、自ら考える事はせず人間の血と肉だけを求める獣に成り下がってしまったのだと……そう改良されたのだと聞いていたが、この空間内ではそうもいかない。この空間の能力はまさしく、黒魔王の絶対的な“法”だから。
魔族たちは、遺伝子的に理解している。
ここは自分たちの国であったと。
「聞け魔族共!! この空間は別の世界だ。連邦の遠隔操作など届かない!! お前たちの求めるべき人間も居ない!! あるのは魔族だけの世界……魔族だけの、法だ。だが心配するな……俺がお前たちを、あるべき姿へと戻してやる!! 首輪ではなく、土地と食料、住処を与える。その代わりに、俺の定めた法の元生きてもらうぞ。それが嫌なら今すぐ前に出てこい。俺が裁いてやる……っ」
魔族たちは黙ったまま、俺を見ていた。
その丸い、ぐりぐりとした真っ赤な瞳で。
「………トール、あんた……。あんたそれ、この空間に魔族を閉じ込めたまま、維持し続けるって言うの!? バカ言わないで……っ、そんな事したら、あんたどれだけのリスクを背負う事になると思っているのよ!!」
「……それは覚悟の上だ。だからこそ、幻想100%なんだ。………だがこうやって、別の空間に移しでもしなければ、魔族たちを救う事は出来ない。これは俺の責任だ……。一度魔族の王を名乗ったのだから、再び、彼らを導く義務がある」
「だからって!! なんでそんな無謀な事をするのよ!!」
「無謀か? そうでもないぞ。今の俺には、2000年前よりずっと跳ね上がった魔力があるし………側にはお前も、ユリシスも居る。いざとなったら頼りにしている。………何か文句あるか?」
「〜〜〜っ……無いわよっ!!」
マキアは「もうどうにでもしなさいよ!!」という様子で、怒りつつ泣きそうであった。
彼女が俺を心配するのも無理は無い。俺はそれだけ、大きなものを抱え込もうとしている。
だけど、今の俺にはマキアもユリシスもいる。
側に、もう駄目だと思った時助けを求められる人が居ると言う事が、2000年前の黒魔王と違う所だ。
それがどれほどの意味を持っているのか。
俺は指をパチンと鳴らし、魔族たちの首輪を砕いた。
魔族たちの首元で小さな空間の歪みを作ったのだ。
魔族たちは、まるで牙でも抜かれた様な、どこか間の抜けた顔をしている。
「いいかお前たち……お前たちが本来の姿を取り戻すまで、ここに居る事を命ずる。再び国を創るのだ。この世界に、家を建て、畑を作り、生きていくのだ。ここを出て行きたいなら、俺の審判を受けろ。だが……ここにずっと居たければ居れば良い。俺はお前たちを、見殺しにはしない。俺は……再びお前たちに、居場所を与えよう。…………俺は、アイズモアの“黒魔王”だ……」
魔族たちは大人しく俺の言葉を聞いた後、何か大きな枷を外されたかの様に、どこか柔らかい表情になって、ぽろぽろと涙を流し始めた。
俺は知っている。例え、醜い姿をしていようと、人間と違った姿をしていようと、彼らには個別の感情があり、営みがあり、生きようとする意志がある。
それらを全て無視し、忌み嫌われているからと、好き勝手に扱って良い命だと言わんばかりに、改造し、人を襲う化け物にしてしまった奴らが居る。連邦の……あの青の将軍たちだ。
許せない。
奴らの指示のまま、人を襲い、人を食らった魔族たちは、もう人間たちの世界で受け入れられ、生きていく事は出来ないと言うのに。
連邦との戦いがどっちに転ぼうが、魔族には二択しかない。連邦の捨て駒になるか、化け物として処理されるか。
当然である。魔族の事なんて誰も知らない。
誰にも理解出来ない。
だからこそ、魔族をよく知る俺が、かつて彼らの王として立った俺が、魔族たちにもう一つの選択肢を与えたのだ。
これが正しいのか間違っているのかは分からない。
ただ、ここには絶対的な魔族たちの法がある。かつての黒魔王の遺産が、背骨となってくれる。
魔族たちが再び、魔族らしい営みをして行ける様、俺が導いてみせる。
「あんた……とんでもない事、してくれたわね。これからこの何百人と居る魔族たちを、全部抱えて生きていくって言うの? あんたの作った、幻想の空間の中で?」
「ああ……。ま、現物の支給はレイモンド卿にねだってどうにかしてもらうよ」
「そういう問題じゃないでしょう!! 魔導要塞の維持は、どうするのよ!!」
とりあえず俺は、急いで作ったこの空間の細かい部分を確かめるため、アイズモアを散策し始めた。
魔族たちは、中央の広場にたき火を焚いて、待機させている。
マキアは俺についてきながら、さっきから質問ばかりしている。
俺は、口調こそいやみったらしいが、表情は本気で心配していて不安そうなマキアの頭に、ポンと手を乗せニヤリと笑った。
「……心配するな。俺だって、俺だけでどうにかしようと思っている訳じゃ無い。そろそろあれが完成しそうだしな」
「あれ?」
「………残留魔導空間の、軍事利用の為の研究だ。魔導回路の研究と組み合わせて、このアイズモアを維持するためのサポートをしてもらおうと思っている。無数にある残留魔導空間の素材を魔導回路を経由して送り続けてもらい、アイズモアの空間をつぎはぎしていくんだ。魔導回路にアイズモアを登録してもらえれば、それが可能だしな。そうすれば、俺は幻想空間としてのアイズモアを維持し続ければ良いだけになる。そのリスクはまあ……一ヶ月につき、内蔵三かじりって所だろう。耐えられるさ。……いざとなったらユリシスも居るし」
「簡単に言ってくれるわね。……でも、そう………。そのくらいなのね」
マキアは視線を逸らしつつも、小さくホッとしたのが分かる。
何だか少しいじらしいじゃないか。
俺はフッと笑みをこぼしつつ、それでも真面目な話を続けた。
「アイズモアを地図上に存在しない一国家として、ルスキア王国の傘下に加えてもらうつもりだ」
「………どういうこと? 何だか難しくって、私には良く分からないわ。……ルスキア王国の傘下にしてしまうなんて、お互いの王国のメリットはいったい何だと言うの?」
「ルスキアにとってはそれこそ、魔導回路と残留魔導空間の実験を、俺とアイズモアを通して出来ると言う事と、ルスキアは“魔族の軍を持っている”と言える事だ。もちろん、魔族にだってただ飯を食わせる訳にはいかない。逆にルスキアの捨て駒にする訳にもいかない。俺はかつて“黒魔王”が作った法に基づき、魔族たちの意志と権利を尊重しつつ、彼らに自分たちの国を守る意義と義務、兵としての技術を教え込むつもりだ。魔族の軍があると言うだけで、ルスキアは国家としての大きなカードを持つ事になる。レイモンド卿は食いついてくると思うな、俺は」
「………あんたって、やっぱり王様だったのね」
「何言ってるんだ今更」
マキアが今更な事を言っている。
かつてのアイズモアに比べたら、大した事は無い魔族の数だし、まだ何も無い雪だけの国だが、確かに魔導空間の維持は大変そうだ。
だが、まるで無茶な事をしているとも思えないんだ。だって、それを後押ししてくれる沢山のものが、まるでなるようになっているのだと言う様に、いくつも側に揃っているのだから。
夜明けのアイズモア。
なぜこの別空間が夜明けの設定から始まるのか、俺は知っている。
俺が勇者にやられ、見続けた景色。
死の間際、絶望に打ちひしがれ、ずっと見上げた美しく悲しい夜明け。
最初の発動がこの時間帯と言うのは、きっと俺にとって一番印象的なアイズモアの空だったからだろう。