表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺たちの魔王はこれからだ。  作者: かっぱ
第三章 〜王都要塞編〜
168/408

45:トール(トルク)、追憶・終。


なぜ、と言う気持ちは、死への恐怖以上に気分の悪いものだったのを覚えている。

これ以上無いほどの虚しさと、絶望感。


こんな惨めな死に方をするのか、俺は……。


辺りにちりちりと、魔導要塞を構築しようとした跡があり、その空間の歪みの塵のようなものが残っている。


「………ヘレーナ……」


俺はいったい、何を見落としていたと言うのだろう。

彼女の何を……。


いや、何も知らなかった。彼女の事を、何一つ知らなかったし、彼女も自分の記憶が無いのを、気にしている風でもなかった。

だからそこに触れては来なかった。


ヘレーナは……いや、俺の愛したあの娘は……本当は何者であったと言うのか。




「……トルク……トルク……っ!!」


俺を呼ぶ、高い声が聞こえた。

遠のいていた意識が、その声によって少しの間引き戻される。


「どうしたって言うのよ!! あ……あんたがこんな事になるなんて……っ!!」


「………紅魔女……」


久々に見た、赤毛の魔女。

俺の姿を見て、これ以上無いほど青ざめ、瞳に涙を溜めている。


「はは……久々だな……。でも、もう駄目だ。俺は……死ぬ様だ」


「……どうしてよ……っ。あんたがあいつに……勇者に負けたとでも言うの!!」


「…………」


実際、勇者と戦った訳では無い。

剣を交える事すらしていない。


しかし、俺が奴に負けたのだと言う事は、確かな事実であった。ヘレーナが勇者と共に去っていったと言う事が、なによりその証になる。


「ヘレーナが……俺を刺したのだ……」


「……え……?」


紅魔女は驚いていた。そして、とても悲しそうな顔をして、傷を負って地に伏せる俺の上半身を抱え、傷の様子を見ていた。


「駄目だ……治癒魔法が働かないんだ……」


「……どうして……っ」


「…………」


分からない。

あの、ヘレーナの持っていた短剣に何か秘密はありそうだが、それを確かめる術は無い。


「嫌よ!! あんたまで死んだら、私……本当に一人になっちゃうじゃない……っ!! こんな世界で、私だけが……私だけがたった一人、こんな力を持っていたって……っ」


紅魔女は言葉に詰まらせながら、泣きながら訴えた。

俺たちは、この世界の誰より、ずっと高みの力を持って生まれてしまったがゆえに、孤独であった。


本当に自分の事を理解出来るものは、同じ力を持った者だけ。

同格の者だけ。


白賢者も死んでしまって、俺まで死んでしまったら、この世界に彼女だけが、異端の力を持つ者として残されてしまう。

どれほどの恐怖であっただろうか。


「すまない……」


俺はただ、そう謝るしか出来なかった。


俺たち三人の、決着のつかなかった長い長い戦いは、どうやらお前の勝ちのようだ、紅魔女。


ああ……俺たちの時代の終わりが近づいている。

魔法の栄えた、混沌とした時代……それでも均衡のとれた時代。


それらが、脆く崩れ去っていく。



死の間際、やはり俺はヘレーナの事が気になった。

彼女はこれから、どう生きていくのだろう。


「……ヘレーナ……どうして……」


「……トルク……」


「マキリエ……すまない。俺は勇者に破れた……っ。ヘレーナまで……俺を裏切って……」


「………」


情けない事に、俺は確かに勇者に負けたのだ。

一番大切なものを奪われ、これ以上にない絶望を与えられ。


それでもヘレーナを恨みきれない。それが一番情けない。

今でも彼女を愛し、彼女もきっと俺を愛してくれているのだと思っている。


紅魔女は、息も絶え絶えな俺を、その震える手で抱きしめた。

彼女は俺の絶望を理解し、一身に受け止めたのだ。



「大丈夫。あなたの愛した……ヘレーナじゃない。きっと、あなたを裏切ったんじゃないわ……。私が、勇者からあの子を、きっと取り戻してあげるから。助けてあげるから……っ」



「………マキリエ……」


その言葉に、俺がどれほど救われたか。

冷たい雪原の、ただただ真っ白の上の点。俺と紅魔女だけの、静かな夜明け。

暗い空に、朝日のうっすらとした明るみが、徐々に見え始めた時間。


澄んだ空気が、実に清々しかった。


「ああ……頼む、マキリエ」


そして俺は、一筋涙を流し、彼女に頼んだ。

頼んでしまったのだ。


その瞬間の、本当に僅かな表情の変化に気づく事無く。彼女の、涙の意味も知らずに。

なんて残酷な願いを押し付けてしまったのだろう。




そして俺は、自分の作った国の、真っ白な雪原の上で、息絶えた。













「…………」



真っ暗な精神世界の、鏡の中の記憶。

俺はそれを覗いていた。


自分の記憶だと言うのに、まるで一つの映画でも見ていたかのような、他人の視点で居る。



俺は泣いていた。

何で?


自分が馬鹿すぎて。



「…………マキリエ……っ」



口から出て来た名前は、ヘレーナでも勇者でも無く、紅魔女マキリエだった。

この回想の中で、誰が一番馬鹿で、誰が一番愚かで、誰が一番哀れであったのか。


長い時間を経て、ヘレーナへの愛も薄れてしまっている今の状況で、客観的にこの記憶を見た後、真っ先に思い知ったのは、自分がマキリエに対して、どれほど残酷な事をして来たかと言う事だった。



「………」


鏡の中の回想は、まだ終わっていないようであった。

しかしそれはおかしい。


俺は既に死んでいるのだから、ここから先の事は知らないはずだ。





マキリエは一時黒魔王の遺体を抱きしめていたが、惜しむ様に地に降ろし、寝かせる。

そして、黒魔王の頬を手で包むと、震える唇でそっと口づけた。


『さよなら……さよなら……っ、トルク……』


ふらつく足取りで立ち上がり、空を仰ぐ。

頬に伝う涙、吐く息の白さ、悲痛な声。それらが全て、紅魔女のものであり、ずっと強い強いと思っていた彼女の、今にも崩れてしまいそうな姿でもある。

彼女は大声を上げ泣いていた。静かな雪の上で、ただただ、一人で。



たまったものじゃない。

鏡越しにそれを見ている俺も、込み上げてくるものがあった。



マキリエは泣きながら、黒魔王の側に落ちていた黒い剣を拾い上げる。

そう、それは“時空王の権威”である。


「………マキリエ……」


彼女は、黒魔王の剣を握っていた。

本来それは不可能な事であり、俺以外の者が触れれば、たちまち肉体が削られていく。


マキリエも手を真っ赤にしていた。握った所から、皮膚を削がれ、血を流し、この剣のリスクを負っているのだ。



『いいわよ……私の血なんて、いくらでもくれてやるから………。でも、お願いよ……私に、あいつを倒せる力を…………っ、トルク……っ!!』



彼女はそう言って、一度瞳を閉じた後、再び開いた。

その瞳は、今までの自由奔放な紅魔女のものではなく、どこか色味の無い、それでも澱みの無い、強く悲しいもの。





「駄目だ……」


俺は鏡に縋った。

黒魔王の遺体を一度見て、もう振り返らず雪山を降りていく、彼女の姿に向かって叫ぶ。


「駄目だ……マキリエ……っ!!」


彼女の姿の、何と悲しい事。ただただ、俺との約束を果たすために、全ての心を凍り付かせたような表情。

俺の剣を持って、真っ赤な手をした彼女の背後には、凄まじい魔力の流れが見える。


まさに魔王。

俺が彼女を、後に世界の大罪人にしてしまった。





「…………ごめん……っ、マキリエ…………マキア……っ」


俺はその場に膝をつき、彼女の名を呟き、何もかもを後悔した。


そしてふと思い出す。

以前、ユリシスと話していた事だ。



“君を絶対に裏切らない人は誰だい?”



ユリシスは俺とマキアの関係について、その一言で言い切った。

きっとユリシスは何となく言ってのけたのだろうが、今なら、彼のその言葉の意味が良く分かる。


その人とは、今も昔も、紅魔女であったのに。


「………ごめん……っ、マキア……」


俺は馬鹿だ。大馬鹿やろう過ぎて、悔しくなる。

今やっと、彼女の色々な言葉が、色々な態度が、一つの結論に繋がり始める。



紅魔女は、黒魔王を愛していたのだ。



でも黒魔王は自らの妙な信念から、その事に気づかない様にしていた。強いものに、救いはいらないのだと。


そのせいで、何度も何度も、何度も紅魔女を傷つけ、そのうちに彼女は黒魔王を諦めた。

それでも黒魔王の側に居たいから、分かり合った友人のような素振りを見せ、自分の心をひたむきに隠した。


当たり前だ。

紅魔女には、黒魔王を諦めるだけの、充分なきっかけと時間があったのだから。



「…………マキア………っ」



精神空間の暗い世界の中で、俺は地に伏せ、あらゆる後悔の念に捕われた。

そして紅魔女の事を思い、締め付けられるような胸の痛みを感じていた時、足下にきらきらとした、真っ赤な何かが伝って来たのに気がついた。


「これは…………血……?」


それに気がついた瞬間、真っ暗な世界は一気に色を変え、俺は反転するような感覚に襲われた。

真っ赤な、温かい光に包まれていく。













「……―ル……、トールっ!!」


どこからか、俺を呼ぶ声がする。

よく知る声だ。そして、今聞くと泣きそうになる声。


「トール、目を覚ましなさい!!」


ハッと、一気に現実世界に連れ戻された、地に足着いた感覚。どしりと、肉体の重みを感じる。

ふわふわと曖昧な精神世界とは、全く違う。


目の前にはマキアが居て、俺を見下ろしていた。


「トール君……っ、良かった、目を覚ましたんだね」


「マキア嬢の魔法は、凄いですね」


ユリシスとバロンドット卿が口々にそう言うのが聞こえる。


「あんた、アルフレード王子の洗脳を解こうとして、自分が魔法に飲み込まれたんだって? あはは、あんた最近、こんなのばっかりね」


「マキちゃんがね、血を君に注いだんだ。結構無茶な事をしたよね」


「でもほら、成功したでしょう? あんた私に、感謝しないといけないのよトール」


相変わらず憎らしい笑みを浮かべ、マキアがそんな事を言う。状況は良く分からない。

だけど俺は、彼女のそんな笑みを見て、どうしようもなく泣きそうになった。


いつもそうだ。

マキアは俺を裏切らない。絶対に、助けようとする。

救おうとする。


あんなに酷い事をして来た俺の側に、いまでもずっと居てくれる。

でも決して、ある一線から入ってこようとはしない。報われようとしない。


俺がそうさせてしまったのだ。



「…………っ」



俺は起き上がって、マキアを抱きしめた。

今まで彼女を、こうやって抱きしめた事なんて無かった。


だけど今は、そうせずにはいられなかったのだ。


「え……、は? どうしたのトール……」


「マキア……っ、ごめんマキア……っ」


「………?」


マキアは驚いていた。

俺が泣きながら、強く彼女を抱きしめたのだから当然だ。


ユリシスもバロンドット卿も、何も言えずにポカンとしている。


「…………どうしたのトール……? 何よ、そんなに怖い目にあったの? はいはい、よしよし……。全く情けないったら無いわねえ」


マキアは笑いを堪えつつ、俺の背をポンポンと撫でた。

だけど俺は何と言われようと、彼女を一時離さなかった。




マキア、お前はもう遠い昔に、“俺”の事を諦めてしまった様だけど、俺は転生を繰り返してやっと、あの時の紅魔女の思いに気がついたんだ。


記憶の何もかもを忘れる事なんて出来なくても、それを乗り越え、ここから始められる何かはあるだろうか。

そのチャンスを、お前は与えてくれるだろうか。



俺は、長く苦い記憶を、こんなに思い出したというのに、勇者やヘレーナの事を考える余地がない。

ただこの時にあったのは、マキアへの、まだ形にならない思いだけ。


言葉にならない、“これから”への願いだけだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ