42:トール(トルク)、追憶9。
約2000年前
北の大陸・ヨルウェ王国山岳地帯“アイズモア”
トルク:200歳〜
白賢者が俺たちを止めようと思った理由は、分からなくも無い。
俺たちの力は強大すぎて、どんどん進化して行くそれぞれの魔術を試してみたいと言う欲求を抑えられなくなる。
最初は各国の戦争の抑止力になればと思って始めた戦いは、100年を経た今では、時には大きな被害をもたらすものとなった。
それでも俺たちが戦いをやめられなかったのは、やはり、魔導を極めて命からがらの戦いをしたいと言う欲求があったからだ。
それ故に、魔王と呼ばれていたのは無理も無いだろう。
白賢者が俺たちの前に姿を現さなくなって数年が経った頃、世界では“勇者”の名が噂され始めた。
「……勇者?」
「そうよ。魔王討伐の為に、白賢者が手塩をかけて育てている、異世界から来た伝説の勇者様、だってさ」
ある北の大陸の山奥で、物理50%幻想50%の魔導要塞“氷の迷宮”を構築した、その内部。
紅魔女が俺の所へ辿り着き、俺の剣と彼女の血のイバラの刃を交えて戦っていた時、余裕にも彼女は勇者の話を持ち出した。
紅魔女は西の王国が自分の元へよこした生け贄の娘たちから、そんな噂を聞いたらしい。
紅魔女に殺されると思った娘の一人に、「お前なんて勇者様がすぐに倒してくれるわ!!」と言われたとか。
「………どうする、トルク」
「………」
紅魔女は血のイバラによってオートで守られるからと言って、まるで戦いの最中とは思わせない様子で聞いてくる。
戦闘に全く集中しておらず、どこか別の方向を見て何かを考えている。
俺はその様子が若干癪で、魔導要塞内のあらゆる氷の剣を四方八方から紅魔女に放った。
「ゲッ」
紅魔女はいきなりの猛攻撃に驚いていた。
それらが彼女に向かって放たれ、氷の粉々に砕ける冷たい煙を巻き上げていた中から、彼女は這い出る様にして出てくる。直撃を受けたようだった。
俺はそんな彼女の鼻先に剣を突きつける。
「温いな。お前、そんな事だと例の勇者とか言う奴に、すぐ殺されるぞ」
「………」
紅魔女は「ふん」とそっぽ向いて、腕からだらだらと流れる血を掬って先ほど猛攻撃のあった場所に撒いた。
すると俺の魔導要塞はガタガタと音を立て崩壊し始める。
「……!?」
紅魔女はニヤリと笑っていた。
俺自身の攻撃が、逆に空間の脆い部分を作り出したのだ。紅魔女はそれを狙っていたのか。
一部を壊されたら、そこからガタガタ崩れて行くのが物理要素の大きい魔導要塞の欠点である。
「私は殺されたりしないわよ。その勇者って若造がどこまでやってくれるのか、まあ楽しみではあるけれどね。白賢者が育てた子なら、少しは期待出来そうじゃ無い?」
「………お前は白賢者を評価し過ぎじゃないか?」
「だって、私あいつには勝った事が無いもの。精霊魔法って厄介よ。命令が届かないのよ。命令よりずっと強い契約が優先的に前に出てきちゃうの」
紅魔女は魔導要塞の崩れさった、何も無い雪山の上で、三角帽子を整えながらそう言った。
紅魔女の魔法は、基本的にとても優秀で隙が無い様に思われるが、白魔術には少し弱い。彼女の命令は、白魔術師と精霊たちの契約の前に出てくる事は出来ない。それだけ、白魔術師と精霊の契約は絶対的で、自然界の法則と言う、世界のルールのようなものを味方につけた強固なものなのだ。
だから、彼女は白魔術師が召喚した精霊に命令する事は出来ない。
紅魔女は楽しみだと言っていたが、俺はどこか気にかかる所があった。
強い奴と戦えるのは喜ばしい事だが、どうにも世界の動きが、良く無い方へ良く無い方へ向かっている気がする。
勇者は金髪と青い瞳を持った若者だった。
きっと、若々しく世界の汚い部分を信じようとしない、理想主義の塊のような者だと思っていたが、その考えは一目奴を見てうち砕かれる。
「………」
何と言う淡々とした瞳。
長く生きて来た俺たち三大魔王に、決して引けをとらないほど、静かでいて強烈な存在感を持っている。
それはとても特殊で、俺たちと同じ様で全く違う様にも思えた。
勇者は何度となく俺や紅魔女の前に現れたが、決着をつける前に引き上げるという、慎重かつ冷静な判断と行動で、じわじわと魔王討伐に向けた下準備をしていたような気がする。
勇者カヤ、その名は瞬く間に世界中に広がって行き、奴は仲間を集め、当時世界中に拠点を築いていた魔族の分国に攻め込み、人間たちの賞賛を浴びた。
紅魔女マキリエは、勇者が何をしようと気にしておらず、自分の元へいつ殺しにくるか、ある意味楽しみにしていた所があったが、俺の場合そうはいかない。
奴は人間の希望だった。そして魔族の敵だった。
勇者と言う存在が、また魔族を悪なるものに変え、魔族討伐の動きはどんどん活性化される。
世界中を旅し、俺たちを確実に仕留める為に必要な物を揃えつつあった勇者一行を、俺は何度となく止めようとした。
勇者カヤを殺そうと、何度も手を打ったが、奴はどうしても死ななかった。
側で白賢者が守っていたからという事もあるが、それ以上に、勇者はどうしても“死ぬ気”がしなかった。
奴の瞳は、勇者と言うには冷酷な色をしているくせに、奴が元々持っていた“女神の加護”と言う金色の剣は、勇者の証と言うだけありとても厄介なものであった。
俺は一度勇者と剣を交え、奴に聞いた事がある。
なぜ俺たちを殺そうとするのか、と。
民の為か、世界の平穏の為か、国の威信の為か、自身の栄光の為か……。
お前にとって意味のあるものは何なのか、と。
しかし、返ってきた言葉はこうだった。
「ただ、お前たちを殺すため、ただそれだけの為だ」
その言葉から感じ取れた感情は、到底20歳かそこらの青年のものではなく、何かしらの因縁は滲ませながらも、普通感じられるむき出しの憎悪などは無い。
ただただ、そうであるのだと言う、その言葉の通りなのだと言う、淡々とした回答。
白賢者に鍛えられたと言う白魔術を駆使した剣さばきは見事だ。しかし、熟練されたような隙の無い部分を隠そうとしている風でもあった。そこに俺は、疑問と違和感を感じていたのだ。
だが今なら分かる。
勇者のその、淡白な答えが、本当にただ、その通りであったのだと言う事が。
奴にとって、勇者と言う位置づけは、俺たちを殺すのに丁度良い立場と言うくらいのものだったのでは無いだろうか。
白賢者はいったいなぜ、奴に対する違和感を持てなかったのだろうか。
異世界から来たものが世界を救う、という世界の言い伝え、ある種の世界のルールを、信じきってしまっていたのだろうか。
彼は間違いなく救世主であると。
勇者は、じわじわと俺たちを追いつめていた。
それは表向きの勇者業以上に、裏の仕掛けをいくつもいくつも仕掛けておいて。いつの間にか、俺たちは勇者のペースに乗せられていた。仕掛けに足を引っかけていた。
その仕掛けの一つが、俺の最後の妻、ヘレーナにあった。
彼女は、勇者と魔王の戦いの最中、黒魔王への献上品として、ある小国から贈られてきた姫と言う事になっていた。
しかし実のところ、全然違っていた。
ヘレーナは身代わりであった。
姫と似た年頃の、美しい娘。
姫を俺に贈りたく無いその国の王が、直前にその娘と入れ替えたようだった。
しかし滑稽な話である。俺は別に、そんな姫を望んだ訳ではないのに、勝手に恐れて、勝手に姫を贈ると言って、勝手にそれを嫌がったのだから。
ヘレーナは不思議な女だった。
彼女は俺の元へ来た時、全く記憶が無かったのだ。