38:マキア、信頼していると言う。
ポタポタと、床に十分血が流れ落ちた時、私は瞳を細め回りを見渡しました。
誰もが、私の豹変っぷりに呆気にとられ、動けずにいます。
王妃は腰を抜かし、座り込んだまま私を見上げていました。
まるで恐ろしいものでも見たかの様。
「正王妃……あなたは自分の過ちに、いくつ気がついているのかしら」
「………え……は?」
アダルジーザ様は眉を寄せ、戸惑いの表情を浮かべました。
「あなたはいったい何を望んで、こんな事をしたのかしら。第一王子が次期国王になるため? 自分のため? 一族のためかしら?」
私は自分の髪の毛を一本抜くと、それを地面に落ちた血だまりの上へ落とします。
この空間の中で、最も情報量を持った物質は私自身。
私自身、消費しても問題ないものは髪の毛。
こいつらには、私の髪の毛一本で充分でしょう。
「正王妃、あなたの過ちはいくつもあるけれどね。我が子である第一王子の気持ちも考えないで、王位争いを激化させたことは愚かだったわね。こっちから見たら、あなたたち自滅でもしたいのかと思うわよ」
「……なっ……無礼な……!!」
「無礼はどっちよ。ねえ、私の事、無能だとかなんとか言ってくれたわよねえ。攻撃魔術は使え無いのなんのって……。それがあなたの、一番の過ちよね」
「…………」
「ふふ……なら見せてあげるわよ。私の魔法……私の力を…」
私は指をパチンと鳴らしました。
それを合図に、地面の血はまるで細長い糸のような、しかしメタリックな針金のような、長い長い真っ赤なイバラとなって、周囲に広がっていきました。それは鋭い刃物で、周囲にいた仮面の男たちの、その仮面を弾き飛ばし、衣服に絡み付き壁に突き刺さります。
鋭い赤い、うねった刃物が、部屋中のあちこちの、あらゆるものを裂き散らしていきました。
その様子は、誰もが息を飲む、たった一瞬の出来事。
気がつけば、部屋のソファや花瓶は乱れなく裂けていたと言う話。
「お、お前……いったい何を……っ!!」
「おっと、動かない方が良いわよ!! その真っ赤なイバラに少しでも触れてごらんなさい。あなたたちは一瞬で真っ二つよ!! あははははは!!」
高笑いが止められない私。
そんな私に、バロンドット卿は目配せをします。
時間が来たのです。予定では、今頃トールやユリシスが第一王子を救出したはず。
こちらの騒ぎで、いっそう向こうの警護が薄くなっていれば良いのですが。
「さーて、正王妃様。言っておきますけどね、私は自分の力を見せびらかしたまでで、あなたには指一本触れちゃいないわ。そこの所、忘れないでよね。それって私が、まだまだ本気ではないって事よ!」
私はそう言い捨て、カツカツと彼女から遠ざかり部屋を出て行こうとすると、正王妃は甲高い声を上げました。
「お、お待ちなさいっ!! お前、こんな事しておいて、ただですむと思って……」
「それはこっちの台詞よ。あなた、まだ分かっていない様ね」
去り際にくるりと王妃の方を向いて、私は口元を緩めます。
「あなたたちは誤ったのよ。私の力をね。……それが、あなたたちの崩壊を意味しているってことに、まだ気がついていないのね」
「………?」
「まあいいわ。そのうち、あなたたちも気がつくでしょうよ」
私は意味深な言葉を残し、その場を駆け足で去っていきました。
バロンドット卿が、私を追う風を装って、付いてきます。
王妃は何も言えず、動く事も出来ず、ただイバラに囲まれ、座り込んでいました。
そのうちに、王妃は気がつくでしょう。
大切なものは全て、自分で遠ざけてしまったと言う事を。
この血のイバラが、消えてなくなる頃には。
「あははははは、爽快爽快。やっと自分の力を惜しみなく発揮する事が出来るの、ね!!」
爆音が響いたのは、私たちを追いかけてくる男たちに向かって、私の血を付けたドアノブを投げたからです。
それはもうただのドアノブではありません。ただの手榴弾でした。
爆発の威力は、それなりに制限していますが、まあ私たちが逃げる分には丁度良いでしょう。
剣を向けてくる者がいれば、先ほどの血のイバラで自動防御。
「……ふふ」
私に死角はありません。この血のイバラは、かつて黒魔王も相当苦労したものです。
何せ媒体が私自身の髪の毛ですから。私の細胞を持つただ一本の髪の毛が、どのようなものより使い勝手の良い剣にも盾にもなるのです。
私は長い廊下の向こう側から、次々とやってくる仮面男たちが見えます。
今度は壁に掛けられていたオブジェっぽいものをもぎ取って、血を垂らしました。
バロンドット卿はさっきから、私を不思議そうな目で見ています。
「マキア嬢……いったい何を」
「良いから見ておいてちょうだい」
私はそのオブジェを、再び兵士たちの方に投げました。
そして自分はバロンドット卿を引っ張って、壁の影に隠れます。
はい、ドーン!!
「やったか……」
私は悪い笑みを浮かべながら、壁から顔を覗かせます。
しかし、バロンドット卿に「危ない!!」と引き戻されました。
直後、ひょろひょろな炎の玉が私の方へ向かって放たれていました。
たとえ直撃しても大した事は無いでしょうが、一応バロンドット卿にお礼を言います。
「あ、ありがとうバロンドット様」
「いいえ……あなたをお守り出来るならば。しかしお気をつけ下さい。一応彼らはエスタ家の魔術師です」
「…………」
彼は相変わらず紳士です。
私たちは煙に乗じて、第一王子陣営の、迷路のような回廊を抜けていきました。
ここの事をよく知るバロンドット卿が居るので、難なく抜けていく事が出来ます。
彼はとある部屋に入ると、壁に掛けられた大きな絵画を魔法で動かし、その裏にある隠し通路を開きました。
「………?」
「マキア嬢……。これは、エスタ家の者と国王のみが知る、王宮の隠し通路です。かつてはこの通路を使って、エスタ家の魔術師たちは国王の密命を受けていたと言います」
「……ここを通っていくのね」
私は特に意味があって、そう呟いた訳ではありません。
しかし、バロンドット卿は少し困った様に微笑みました。
「私の事が、信じられませんか……?」
「……? い、いえ……そう言う訳で、言ったつもりではなかったのよ」
「いや……仕方の無い事です。私は元々、ここ第一王子陣営の人間だったのだから。あなたをわざとここへ導いているのかもしれない……」
「………」
さて、バロンドット卿の本心がどこにあったのか分かりませんが、彼はとても複雑そうな表情をしています。
しかしまあ、先にそう言う事を言うのは、ずるいと言うかちゃっかりというか。
私は思わず吹き出してしまいました。そして、自らその通路へと入ります。
「何言っているのよ。私を誰だと思っているの。たとえ、この通路の向こう側に罠があったとしても、私が危険に陥る事はまず無いわ。ええ………あなたを信頼してここを通った方が、楽と言うものよ」
どうせ何かあった所で、今の私は魔術を使う事を許されているのだから。
「………マキア嬢。……私を信頼してくれると?」
「……? ええ。私はあなたを信頼していますとも。ここまで色々な事が上手く行ったんだもの。さっきも、私を助けてくれたしね」
「…………マキア嬢」
バロンドット卿は、見た事の無い程嬉しそうな表情をしました。
彼の珍しい表情に、私は思わず驚いてしまいます。
彼は私の手をバッと取ります。
「マキア嬢!! も、もう一度お願いします!!」
「な、何が……?」
「さっきの言葉です!!」
「さっきの言葉? え、何? 信頼のくだり?」
「そうですそうです!!」
無邪気にそう言う彼の勢いに押されてしまいました。良い歳して瞳がキラキラしていて、まるで少年の様。
彼はいったい何を喜んでいるのでしょう。
いそいでこの場を脱出しないといけないのに、何と言う足止め。
「あ……えっと……。私はあなたを信頼している……わ」
「本当ですか!?」
「……ええ」
私はクスクスと笑って、彼をちゃんと見上げました。
こんな言葉一つで、喜ぶ人だとは思わなかった。
「あなたを信頼しているわ、バロンドット卿……」
彼は何に感動していたのか、ジーンとして目頭を押さえていました。
大げさな反応です。
「いえ……すみません。私はあなたに、きっと信用されていないだろうと思っていましたから。たとえあなたが私の妻になって下さらなくても、この言葉だけで十分、励みになります」
「ま、またまた……大げさなんだから」
「本音です」
私たちは隠し通路を通りながら、そんな会話をしました。
バロンドット卿の妙な正直さには、敵わない部分があるなと、つくづく思ったものです。
通路を抜け、出た場所は、なんと王宮の礼拝堂でした。
これはどこの陣営の範囲にも入っていない、ある意味独立した空間ですが、こういった通路が繋がっていたとは驚きです。
「マキちゃん!!」
そこには既に、私たちを待っていたユリが。
しかしどこか様子がおかしいのです。もしや、アルフレード王子の救出が失敗したのでしょうか。
「マキちゃん……大変な事になったんだ」
「ど、どうしたの。まさか、救出に失敗したの……?」
「いや、アルフレード兄上の救出は成功したと言える。だけど、トール君が……っ」
「……トール……? いったいどうしたって言うの!?」
ユリシスの表情は、私の不安を駆り立てるものでした。
また明日、更新いたします。
よろしくお願いします。