37:マキア、椅子は爆発する。
黒のサロン二日目、私は前日と同じ様に会場にやってきて、バロンドット卿と共に居ました。
会場に居た貴族たちは、この件についてひそひそと噂話をしているとか。
もしかして恋人同士なのか。
派閥問題はどちら側に有利なのか。
マキア嬢はダンスが苦手だったのではなかったのか。
などなど……。
そして、時間がやってきました。
私がバロンドット卿と優雅にダンスを踊っていた時の事です。シャンデリアの灯がいきなり消え、会場が一瞬ざわめきます。
「まあ……っ」
「大丈夫ですかマキア嬢!」
バロンドット卿は私を引き寄せ、私を心配するふりをしつつ「では」と耳元で呟きます。
私は彼に口を押さえられ、催眠の魔術をかけられ、そのまま彼の腕の中で眠ってしまいました。
という風の一連の演技。
会場の灯が戻らないうちに、私はその場を連れ去られました。
まあ目は覚めていたので、笑いを堪えるのに必死でしたが、幸い会場は暗くどんなに夜目の効く人間でも、眠ったと思っている小娘の表情まで、細かく確認はしていないでしょう。
「………」
薄暗い、甘ったるい匂いのする部屋で、私は目を覚ましたふりをしました。
ドレス姿のまま、椅子にくくりつけられています。
「お目覚めか、マキア嬢」
「………こ、これは………いったい……」
目の前には、白い仮面を付けた者たちが。
この仮面には見覚えがあります。
「手荒な事をしてもうしわけありません、マキア嬢」
「バロンドット様。これはどういう事です!!」
「………」
私のすぐ横で控えるバロンドット卿の不敵な笑み。
この人本当に演技派ですね。
「オホン………。マキア・オディリール、顔をお上げなさいな」
「………」
突然、どこか重みのある女性の声が聞こえました。
この声は、何度か聞いた事のある声です。
「……その声は……正王妃様ですか……」
「おやまあ……わたくしの声を覚えていたとは」
ルスキア王国の正王妃、アダルジーザ様。
宰相の娘で、大貴族テルジエ家の出身。アルフレード第一王子の母でもあります。
彼女は仮面を取って、その姿を現しました。
色々と苦労したのか、前の聖教祭で見た時より少し老けたような……。
絶対に本人には言えませんけれどね。
「いったい何のおつもりです。私をどうしようと……」
「どうしたもこうしたも……ふふ。あなた、本当に………ふふふ」
アダルジーザ様はコツコツを床を鳴らしてこちらにやってくると、ガッと私の顎を掴んで引き上げます。
「ふふ………大人しそうに振る舞っているけれど、本性は隠せなくてよ。あなた……そんな挑発的な瞳をしていて」
「………」
「生意気な娘だこと」
彼女は私から手を離し、側に居た従者から扇子を受け取ると、その先を私にびしっと向け瞳を細くしました。
「マキア・オディリール……あなた、レイモンド卿の元を離れ、わたくしどもの同胞となりなさい。共に第一王子の為に働くのです」
「………何と言う事を。私はレイモンド卿の部下でございます。あの方を裏切る事は出来ません」
「お前が何と言おうと、これは正王妃としての命令です。お前には何も出来ないでしょう?」
「……?」
「知っていますよ。お前が魔力ばかり高く、庶民の母から生まれた憎らしいユリシス殿下や、卑しい東の大陸の生まれのトール・サガラームが居なければ何にも出来ないと……。お前は攻撃の魔術はからっきしだと、情報が入っているのです」
「………」
きっとレイモンド卿がそういった情報を、あたかも機密事項の様にして流したのでしょう。
そのために私に護衛をつけ、魔術を使うなと言っていたのですから。
私は無表情。ここは焦りの表情でも浮かべた方が良かったのでしょうが、先ほどユリシスやトールがバカにされた事をさらりと受け流す事が出来ませんでした。きっと本人達にとっては気にする事でもないのでしょうが。
私が気になっただけなのです。
アダルジーザ様はニヤリと笑って、私の頬に触れました。
「しかしマキア・オディリール。あなたはかろうじて……そうかろうじて貴族の出身ですし、いくら強力な魔術が使えなくても、膨大な魔力を持っていると言うだけで価値があると言うもの。あなたは女なのだから……」
「……どう言う事です」
「お前……妃になりたいと思わない?」
「………は?」
思わず、素で返事をしてしまいました。
いや、本気で驚いたのです。アダルジーザ様はいったい何を言い出したのでしょう。
「わたくしがお前に目を付けたのは、単純に三人の顧問魔術師の中で、お前を気に入ったからです。いずれアルフレードは跡継ぎを生むため、妻を娶らなくてはいけません。しかし貴族というだけが取り柄の無能な女をあの子の妻として……次期正妃として迎えるのも腹立たしい。かといって、庶民の出身なんてもってのほかです。……ユリシス殿下の母親が、庶民出身の魔術師でしたからねえ。あの女、才能だけで国王に見初められたようなものだから。でもね、魔術師の母のおかげで、ユリシス殿下のような魔術の才能を持った王子が生まれたと言う声も、分からなくはありません。……ですからわたくしはお前に目を付けたのです。女であり、貴族の生まれであり、大きな魔力を持った娘……マキア・オディリール。どうかしら……わたくしの言う通りにすれば、次期王妃としてあげましょう」
「な……何を……」
私はこのような事、バロンドット卿に聞いていなかったので、少し驚いてしまいました。次期王妃なんて椅子に興味は無いけれど、何と言うか……大きな餌を持ち出したものです。
このアダルジーザと言う女、流石に“王妃”としての気位が高いのでしょう。
バカ親だと、息子の嫁なんて認めないタイプかと勝手に思っていました。一応次の王妃の事など考えているのですね。
バロンドット卿がどこか不満そうに口を挟みます。
「アダルジーザ様……それはお話が違います……。それでは……」
「おだまりバロンドット!」
しかしアダルジーザ様はバロンドットの方をキッと向いて、彼の言葉を遮りました。
そして裏腹な優しい声を出します。
「お前には、この娘をこちら側に引き込んだあかつきには、嫁にくれてやると言いましたが……気が変わりました。しかしバロンドット、心配はいりません。お前にはその身分に見合った良い縁談を約束いたしましょう」
「………」
バロンドット卿はいったい何を考えていたのか。このやり取りも演技だったのでしょうか。
一度頭を下げ「おおせのままに、正王妃」と言って下がります。
「さあ………マキア・オディリール。どうしますか? わたくしに従いますか……?」
「……い、嫌です。私は決して……」
「まあ……そう言う事は分かっていましたけれど」
アダルジーザは扇子を上げ、奥に控えていた仮面の者たちを呼びます。
「この娘に、わたくしに従順になるよう洗脳の魔術を施しなさい」
「おおせのままに」
仮面たちが私を取り囲みます。手には色々な形の鏡を持っていました。
それはあまり、見つめてはいけないような、そんな嫌な気がしました。
「その鏡は、洗脳魔術に長けた異国の道具です。マキア・オディリール………いくらお前が大きな魔力を持っていようと、その鏡の前では何も出来ないでしょう」
「………」
なるほど。これを使って、アルフレード王子を洗脳したのでしょうか。
いや、まだしてないかもしれませんが。私を実験台にしてから、王子に施すかもしれないのだし。
しかし異国を嫌っているくせに、結局はエルメデス連邦と手を組んでこのような異国の道具までもってきて。
本当に好き勝手やってくれます。
仮面の男の一人が、王妃に「お言葉ですが」と。
「王妃、顧問魔術師は我々とは比べ物にならないほど魔力が高いと言いますが」
「何を恐れているのです。この娘は、攻撃魔術なんて使えない、一人では何も出来ない無能な魔術師ですよ!!」
「………お、おおせのままに」
仮面の男たちは慌てて、術の準備に入りました。
しかし私はアダルジーザ様の言葉に、思わず吹き出してしまったのです。
「…………」
「………」
「………何です、マキア・オディリール」
一瞬の沈黙の後、アダルジーザ様は表情を強ばらせました。
私は今までの態度を全て捨てて、皮肉な笑みで彼女を見上げました。
「私を洗脳しようなんて、本気で思っているの?」
「………」
「私を殿下の妃として、迎えるだなんて、本気?」
「……な、何がおかしいのです」
「あっはははははは」
私は笑いが止まりませんでした。椅子をガタガタさせ、足をぶらぶらさせ、笑っています。
しかしその間に、後ろで縛られていた手の甲を爪で強く引っ掻き、血を僅かに滲ませておきます。何かあった時の為、左の小指の爪を尖らせていましたから。
その血を椅子の背もたれにくっつけるだけで良いのです。
3、2、1………はい爆発。
ドオオオオオン!!!
「きゃあああっ!!」
「王妃様!!」
「アダルジーザ様!!」
正王妃が椅子の爆発に驚き、後ろに転びました。側にいた仮面の男たちの持っていた鏡も、いくつか割れてしまいました。ちなみに彼らの仮面も、いくつか吹っ飛びます。
バロンドット卿が何だか目を見開いて、呆然としていました。
ハラハラと縄がほどけていって、私はその場から立ち上がります。
そして、腰を抜かしてしまったアダルジーザ様の前に仁王立ちすると、髪を払って言ってやりました。
「私を誰だと思っているの?」
はい、今までの可憐な演技は、全て無に帰しました。
あとはユリシスとトールが上手くアルフレード王子を助け出してくれていれば万事オッケー。
というか、そうであって欲しい所です。私はもう止まりそうに無いので。
「バカにしないでくれる? 私が無能ですって? 攻撃魔術は使えないのですって? ………あっははははは、嘘でしょう? 私、確かあの三人の中で一番、残酷な破壊の魔法って言われていたけれど?」
「…………え、は……?」
アダルジーザ様は、私のいきなりの豹変っぷりに、言葉が上手く出てこないようでした。
私は自分の手の甲に滲む血を舐め、いかにも悪そうな笑みを浮かべました。
いや、浮かべていました。私は紅魔女。
「私はね……悪い奴に攫われて、ヒーローが助けにくるのを待ってられる女じゃないのよ」
小指の爪の尖った所で、白い腕の内側の、皮膚の薄い部分に、スーと傷をつくりました。
赤いだまがポツポツ浮かんで来て、それが一本の赤い線になって、そしてポタリポタリと、床に血が落ちていきます。
誰もがその血の流れから、目を逸らす事が出来ませんでした。