36:マキア、貴族たちの黒のサロン週間。
黒のサロン1日目。
夕方からはじまるこのサロンパーティーは、王都随一の高級ホテルを貸し切って行われます。
この日の私は、オディリール家の娘と言う“貴族”の身の上です。
トールはたとえ王宮の顧問魔導騎士と言う立場でも、貴族の生まれではないのでこのサロンに出席する事は出来ないし、ユリシスは全く反対の立場ですが王族なので出席する事はできません。
正真正銘、貴族だけが参加を許されるサロンパーティーなのです。
「マキア!!」
会場につくと、私を待っていたかのような甲高い声が聞こえました。
スミルダです。
「あ」
そう言えばそうです。彼女は大貴族会議に出席する父、ビグレイツ公爵とともに、少し前から王都へ来ていました。
当然、このパーティーに出席しているはずです。すっかり忘れていました。
「ス……スミルダ……」
「まあ、なんですのマキア。そんな驚いた顔をして」
「い、いや……そうよね。あんたも居るわよね〜」
「……はい?」
スミルダは相変わらずキツい巻き毛のツインテール。
この日はすみれ色のドレスを着ていました。フリルの沢山飾られた、相変わらず派手なドレスです。
しかし困った困った。
彼女が居ると、色々と厄介です。いえ勿論、旧友に会えた事は本当に嬉しい事なのですが、お仕事の事情と言うものは別ですから。
「おや……元気そうだねマキア嬢。ごきげんよう」
「…………ビ」
ビグレイツ公爵でした。
何と言うか、笑顔が固まってしまいます。
そりゃこの人も居るに決まっているわよね!!
「レイモンド卿に色々と聞いているよ。君もトール・サガラームも、なかなか良い働きをしているそうじゃないか」
「おほほほ……それほどでも」
私が片眉を上げ、無理矢理笑ってみせると、ビグレイツ公爵は目元のしわをより深くして、スミルダの肩に手を置いた。
「さあスミルダ。ブルーズ伯爵夫人がお前の顔を見たいと言っていたよ。お前ももう15で成人の娘なのだから、立派に挨拶をしていかなければいけないね」
公爵の言葉に、スミルダは少し残念そうな顔をしました。
「でもお父様……せっかくマキアと一緒に……」
「我が侭は駄目だ、スミルダ。それにマキア嬢だって、色々とお忙しいのだから。周りを見てごらん……」
スミルダが周囲を見渡すと、ドレスの波間に潜んでいる鋭い視線の数々に気がついた様でした。
貴族達が、私たちを見ています。あれはビグレイツ公爵と、そのお嬢様と、王宮の顧問魔術師であるマキア嬢だと。
そのあまりに混沌とした視線の数々に、スミルダは一瞬肩を上げ、緊張してしまった様でした。
私は思わずクスッと笑ってしまいます。
「なに緊張しているのスミルダ。あんた、大貴族の娘のくせに。子供の頃はあんなに女王様気取りだったくせにね」
「う、うるさいですわマキアっ」
スミルダは昔の事を言われ、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして言い返してきました。
しかしすぐにピンと背筋を伸ばすと、貴族らしい気高い空気を纏います。
「………」
やはりスミルダは大貴族の娘です。この場において、自分の立場がどういったものなのか知っていますし、どのようにしていなければならないか分かっています。一瞬怯む事はあれど、彼女はこのような場所の雰囲気に飲み込まれるタマではありません。
「ふふ、挨拶回り頑張んなさいな」
「マキアこそ、トール様が居なくて寂しいんじゃなくて? あなたは貴族としての位は低いのだから、いじめられて泣きついてこないか心配だわ」
「あんた……相変わらずねえ」
「ま、何かあったらこのスミルダ・ビグレイツに頼りなさいなマキア」
結局そうなるのね。スミルダは頼られたりする事が好きな、典型的な女子グループリーダーの器です。
彼女はきっと、今でも私が、幼い頃共に遊んだ同年代の友人と思っているのでしょうね。あの頃と何も変わらないと。
私のやっている事、抱えている事は、とても彼女には言えないなあ。
「ではマキア嬢。我々はこれにて」
「………ええ、ビグレイツ公爵。ごきげんよう」
スミルダとは裏腹に、何もかも知っているかのようなビグレイツ公爵は、去り際に意味深な笑みを残しました。
レイモンド卿と気が合うはずです。
「………ふう」
嵐が去りました。
しかし安心していたのもつかの間。
ビグレイツ公爵が去るのを見計らっていた様に、次々に貴族の紳士淑女が、何を企んでか私に挨拶をして行きました。
いくら私がレイモンド卿の側に居るからと言っても、私に擦り寄って出てくる得なんて一文もありゃしないのに。
「マキア嬢」
その時、私の名を呼ぶ声がしました。
これはまさに打ち合わせ通り。予定どうりの状況です。
貴族達が私に挨拶をしている、それに便乗して、バロンドット・エスタが声をかけてきました。
「あら……バロンドット様。お久しぶりですね」
予定通り、私はそう挨拶をする。あたかも、顔は知っているけどまだそれほど深い仲だとは思わせない様に。
バロンドット卿が出てくると、そこらにいた貴族達はそそくさと距離を置きました。
それほどにエスタ家とは力を持った一族なのです。
「マキア嬢……私とダンスを踊っていただけますか?」
「まあ……私、ダンスは苦手なのですよ。有名な話ですわ」
これも予定通りの会話。
しかしダンスが苦手だと言う噂は本当です。ほら、以前カノン将軍こと勇者とダンスを踊った際、私が奴の足を踏んづけてやろうとして色々と不自然な動きをしていましたからね。それ以来、私はトール以外の人間とダンスを踊る事が無かったと言う事も、噂に拍車をかけました。
「ははは。何をおっしゃるかと思えば。噂は噂ですよ」
「うふふふふ。後悔なさいませんよう」
バロンドット卿はなかなかの役者です。全然違和感無く、スマートに私をダンスに誘います。
当然、私はそれにお応えしたのですが。
会場に居た者たちは私たちに驚き、注目しました。
そもそもバロンドット卿自体、誰かをダンスに誘う事は少ない様で、また私も基本的にダンスのお誘いはお断りしてきましたから。
そんな二人が、何故かこのサロンにてダンスをすると言うのは、貴族達にとって注目すべき事だったのでしょう。
それに、私たちはレイモンド派とアルフレード派な訳ですから。表向きは。
「おや、マキア嬢………ダンスは苦手だとおっしゃっていましたが、なかなかお上手じゃないですか」
「………あれは、そう言う噂が立っちゃったから、あえてそう振る舞っていただけよ。だっていちいちお誘いに乗っていられないじゃない。ていうかそもそも、あまりダンスに誘われる事も無いけれど」
「貴族の男達は、あなたの側にいつもトール君が居るから、なかなか近寄れないのですよ」
「どうかしら」
「どうもこうも……そう言う事ですよ」
私たちは、特に問題なくダンスを踊りながら、こそこそと会話しました。
この会場で、事情をお互いしか知らないと言う事が、バロンドット卿への妙な親近感へと変わります。だからか、ここ最近私は彼と会話する時、いつもの私らしい口調(ちょっと控えめ)になっているのです。彼の切り返しはなかなか面白い所がありますしね。
「ほら……見て下さいマキア嬢。会場の者達は皆、私とあなたを見ているのです。世界の中心とまではいかなくとも、この黒のサロンの中心は、間違いなく私とあなたですよ」
「………あんまり目立つのって、好きじゃないのだけど」
「そうなんですか? あなたは日陰の人間には見えませんが。あなたはとても強く印象に残る。表に立って、その美しさと存在感を、何にでも役に立てる事が出来る。……何もかも意のままに出来るでしょうに」
「いやよ、面倒くさい」
「はははは」
爽やかに笑う事を自重しないバロンドット卿。
「いや、実にあなたらしい。そう言う所が、私はとても好きだ」
「…………」
魔術師のくせに、そう言う事をあっさりと言いやがって本当に。
胡散臭い正直者の彼には、驚かされるばかりです。
ダンスの後、私たちはサロンの外に出て、夜風を浴びました。
まあ男女がサロンを抜け出す事は、お約束と言うか良くある事です。会場に居た貴族達は、ますます私たちの関係を気にするのでしょう。
しかしこれも、作戦内のパフォーマンスです。
全て計画のうちの事。
しかし正直、冬の空の下は寒い。
「………ふう」
「お疲れですか? マキア嬢」
「………はい。少し、人ごみに酔ってしまいました」
ここからはいつもパーティーなんかで貴族の前に出る時の猫かぶりの演技です。
何しろ、この会話を“敵側”に聞かせなければならないのですから。
バロンドット卿は、こう言いました。
「あなたのようなうら若き女性を、このような貴族達の黒い集いに一人で参加させるとは……レイモンド卿はなかなか酷ですね」
「い、いえ……決して、レイモンド様のせいでは………」
私は若干、戸惑いがちの表情。揺れる乙女の顔。
バロンドット卿は、その表情を見逃さず、私に一つ誘いを投げかけました。
「明日のサロンパーティーにも、お越し頂けますか………マキア嬢。また私と、お付き合いいただけないでしょうか……」
「………何故です?」
「そんなに警戒しないで下さい。………私はただ、あなたと二人で、話がしたいだけなのです。お互いの身の上を、この時ばかりは忘れて………」
「………バロンドット様」
「あなたは清楚でか弱い女性だ。本来争い事には向かない、可憐で美しい人だ。真っ赤な髪はとても情熱的なのに、その瞳は青い海の底のようで、私は何度目を奪われた事か。あなたのような人が政治に利用されて良い訳が無いっ!!」
いやあ……よくもまあ、ぽんぽんくどき文句が出てくる事。
とは言え、お互い演技なんですけれどね。ちょっと笑ってしまいそうになりました。
いえ、一生懸命演じてくれているバロンドット卿には悪いのですが。
私は気を取り直し、また清楚な態度で彼に対し上目遣い。
「………バロンドット様。分かりました……明日も、ここへ参ります……」
ちょっと頬を赤らめて。
何だか面白くなってきたぞ!
さて………これを今、一体誰が見ているのでしょう。暗闇に乗じた気配の数を数えてみます。
きっと敵側の、バロンドット卿がまんまと私を騙したと喜んでいる輩と、隠れているトールが見ているんでしょう。
しかし、実はこっそり私たちを覗き見していたメディテ卿には、残念ながら気がつきませんでした。
そう言えば彼だって大貴族でした。