23:トール(トルク)、追憶4。
あの日の事を忘れた事は無い。
ガクトンさんが移動先を探る為に外に出ていた時、フィンデリアの兵士によって魔族狩りにあった。
ダッハは兵士達の後を追ったが、すぐに戻って来た。
すぐそこにフィンデリアの軍隊が来ているらしい。
「な、なんで……」
「俺たちは知らなかったが、ここよりもっと北に行った所の山に、大勢の魔族の住む集落があるらしい。岩穴に隠れ住んでいるそうだ。そいつらは割と凶暴で、最近は人間に反抗し村や人を襲うそうだ。……兵士達は奴らを討伐するつもりだ。あわよくば捕まえて、ガイリアとの戦争の為の兵士にしようってことだろう。ガクトンさんはその兵士達に見つかってつかまったんだ」
「そんな……」
ライラは心配が的中したと言う様に、目を潤ませた。
弟二人は何が何だか分かっていない。
「どうしたらいい、ダッハ」
「……とにかく、この家が見つからない様にしないと……」
「………」
俺は自分の魔法で、どうにか出来ないかと考えた。
手を掲げ、キューブを作る。
せめて、この正方形で家を覆う事が出来れば、その側面に雪景色を反射させ家を守る事も出来るかもしれない。
「お前、魔法を使う気か」
「……やってみる」
俺とダッハはこの魔法を空間魔法と呼んでいた。
兵士達が側の雪原を通過している。
ここに気がつかず通過してくれれば、それでやり過ごせる。そう思っていた。
しかし、問題が起きた。
「ねえトルク、お姉ちゃんが居ないの」
「………?」
さっきまで部屋に居たライラが、自分の部屋に行くと出て行ったきり戻ってこない。
「まさか、ライラはガクトンさんを助けにいったんじゃ……っ」
ダッハの言った言葉に、俺は青ざめた。
きっとそうだ。彼女は父の元へ、俺たちに何も言わずに行ったのだ。行かずにはいられなかったのだ。
「俺、ライラを探してくる!!」
「トルク……ッ!!」
ダッハが止めるのも聞かずに、俺はその空間を出て、ライラを探しに行った。
外は相変わらず雪だらけだった。
俺は手をかざし、ライラの行方を追う為に魔法を使った。
「…………そう遠くは無い」
でも、軍隊の熱量を感知出来る。
ライラを早く連れ戻さなければ。
「ライラ!!」
ライラはすぐに見つかった。薄着のままあの家を飛び出した様で、顔は青白い。
「ライラ、ダメだ!! 早く帰ろう!!」
彼女に自分のローブをかけ、肩を掴んで体を揺する。
彼女はハッとして、俺を見た。
「でも……でも父さんが……」
「俺が助けてくる!! だから君は家に帰るんだ!!」
「でも……でも……」
そこは小高い場所だった。
すでにそこまで軍隊が来たのが見える。
「と、父さんだわ!!」
彼女は指差した。軍隊の列の後ろの方に、鎖で繋がれたガクトンさんがいる。酷く乱暴を受けた様子だった。
「父さん!!」
彼女は丘を駆けてそちらへ向かった。
俺は急いで追いかけるが、兵士達はライラの姿を見つけ、警戒し始める。
「ダメだ!! ライラ!!!」
俺が叫んだ時だった。
頭上に大きな羽を持った魔獣の群れが現れた。白い雪の表面にいくつもの大きな影が行き交う。
「これが、もっと北の方に住んでいる魔族か……」
羽の生えた魔獣の上に乗った、足に白い毛を生やした魔族たちが、フィンデリアの軍隊めがけて弓矢を射ったり、大きな岩を落とす。
人間の軍隊と攻防戦が始まった。
ライラは父しか見えていない。
戦いの始まったあの中に飛び込もうとしている。
俺が魔族達に気を取られたせいで、彼女は俺の手を払って行ってしまった。
ダメだ。
そっちへ行ってはダメだ。
俺の声は、戦場の騒音の中に消えた。
「………」
行き交う矢の一本が、ライラに飛んできて、彼女を刺したのが見えた。
それはとても小さいシルエットの様で、一瞬何が起こったのか分からず頭が真っ白になったが、彼女の足下の雪が赤く染まっていくのを見てやっと、理解する。
「ライラ!!!」
人間達も、魔族達も、今ここに一人の少女が倒れている事を気にしない。
俺だけが彼女に駆け寄り、抱き起こす。
「ライラ!! しっかりしろ!!」
「………トルク」
「は、早く手当をしないと」
そんな状況でない事は、百も承知だった。
雪と戦場のただ中。ガクトンさんも危ない。
ライラが死にそうだ。
何を優先すれば良い。
「トルク……父さんを、助けて……お願い」
「……ライラ」
「トルク、私……楽園へ行きたい。怯えて生きていくのは、もう嫌なの……」
「だ、だったら、俺が国を創ろう。魔族が安心して暮らせる国を……っ。楽園を創るから……だから、ライラ……っ」
「………トルクが王様だったら、きっと素敵な国ね」
彼女は真っ白な顔をして、小さく笑った。
彼女の冷たい手を取って、俺はただ首を振る。彼女が既に生きようとしていない事を悟った。
「俺が国を創ったら、俺が王様になったら……お前はお妃様だ。きっと楽しい……」
「ふふ……素敵だわ。素敵すぎて……夢みたい……」
ライラの声がどんどん細くなって、聞き取りにくくなっていく。
彼女の体の力が抜けていく。
「ねえトルク。きっと楽園を作ってね。……父さんと、弟達が……幸せに暮らせる様に…………」
彼女はそう言うと、あとはもう何も言葉にしなかった。
すでに瞳に色は無く、体はずっと冷たい。
白と赤の、雪上の小さな少女の死体を、俺は抱えているのだ。
「……ライラ……」
彼女は最後に、良い夢を見ただろうか。
やっと、心休まる時間を得たかの様な表情だった。
「何でだよ」
戦場は相変わらず、誰が死んでも誰を殺しても、止まる事は無い。
今ここで少女が死んだのに、誰も気に留めない。
間違っている。
死んでやっと安心するような事、あってはならない。
ふざけるな。
ライラはただ弱い、本当に弱々しい少女だったのに。いつも怯えていたのに。
「ふざけるな!!!」
何度そう叫んだかしれない。
俺がそう叫ぶ度に、周囲に空間の歪みが出来た。
俺の中にあった魔力の暴走がどうしても止められなくて、その怒りは争う人間と魔族に向けられる。
この空間の歪みが、そこらに居た人間や魔族を巻き込んでは、彼らをまるで砂糖菓子かの様に粉々にしてしまった。
気がついたら、俺は真っ白の中心で、ただ一人ライラを抱え座っていた。
呆然と。
少し離れた所に数人の人と魔族が居たが、彼らはこの惨状を目の当たりにして、恐れおののき去っていく。
人間も魔族も、目の前の予想外の力に、戦いを止め退散したのだ。
「………」
白い世界。
しかし、目の前に見えた白いものは、雪ではなく全て俺が空間の歪みで圧縮し、粉々に分解してしまった、人間や魔族、馬や岩、その他多くの物質の塵だった。まるで、戦争の産物を消したかったかの様に。
俺はいったい何をしてしまったんだ。
そう考えた時、俺は突然の痛みに襲われ、口から血を吐いて倒れた。
初めて身に感じた、魔法による“リスク”だった。
空間魔法。
この魔法の恐ろしさを、本当の意味で意識した事件だった。
その後、俺は生き残っていたガクトンさんに抱えられ、俺の魔法で守っていた家に戻っていた。
俺が血を吐いた時、結界も解除されていたらしい。
「ライラは死んだよ。……でも、彼女はやっと、ずっと抱えて来た恐れから解放されたんだ」
ガクトンさんも、二人の弟も、結局北へ向かう事にしたらしい。北の魔族達の集落へと。
ガクトンさんは自分の娘を、あの魔族達を含んだ争いで失ったけど、そう決断した。
「最近魔族達も暴走し始めた。今回の戦いが、はっきりと人間と魔族の対立を表している。世界ではこんな事、日常茶飯事だが、そのせいで弱い者たちが犠牲になっている……」
「………ライラの……ような……」
「そうだ」
ダッハは今回の事は、何も珍しい事では無いと言った。
魔族と人間はお互いを受け入れられず、長く争ってきた。今は人間の方が優勢だけど、昔は魔族の方が力を持っていた時代もあった。
やられたらやり返す、その連鎖を断ち切る事は出来無い。
「でも、そのせいでライラのような……弱い女の子が死んで良かった訳じゃ無い。死んで、やっと安心出来るなんて……おかしい……っ」
「………トルク」
「ねえダッハ……俺、国を創るよ。ライラと約束したんだ。魔族の楽園を創るって……。居場所さえあれば、魔族も暴走しない」
「………人間のお前が?」
「だから、意味があるんじゃないか」
ダッハは何も文句を言わなかった。
ただ、ライラの棺の前で泣く俺の肩に手を当て、「行ける所まで行くんだろ」と言っただけ。
その後俺は、空間魔法をより研究し、“魔導要塞”を確立する。
ダッハは俺の魔法を完成に近づける為、色々と手を尽くしてくれた。
俺たちは再び長く旅をしたが、最終的にフィンデリア帝国とガイリア帝国に挟まれたヨルウェ王国の山の連なる場所に落ち着く事になる。
約2150年前
北の大陸ヨルウェ王国
トルク:40歳〜
30年かかった。
30年かけて、俺はやっと、魔導要塞による広い空間を作り上げた。
ヨルウェ王国とフィンデリア王国の国境の、山の連なる場所に、広い広い人間の干渉出来ない空間を作り上げた。
それはただの空間であり、人には侵略する事の出来ない囲いであり、要塞だった。
中に物質的な何かを構築した訳ではない。
場所は用意したから、後は自分たちの手で、国をつくっていこうと思った。
ここを魔族の国、魔族の理想郷として“アイズモア”と名付ける。
ダッハが再び旅に出た。もう十分な老人だったが、世界中の魔族をこのアイズモアに誘うと言って、再び世界に出て行った。
俺は心細いと思ったが、ダッハは元々旅人だ。それなのに、俺が国を創ると言ったから、全力で手伝ってくれていたのだ。
もう、この人に自由に好きな事をしてもらって、余生を過ごしてほしいと思った。
大切な親父だったから。
ダッハが居たから、ここまでくじけずやってこれた。何を見ても、何に絶望しても。
「………」
雪の積もった丘の上で、俺は自分の創った国を見下ろしている。
すでに沢山の魔族が生活をしていて、俺の統治のもと暮らしていた。
当然、人間の俺に反発する魔族もいたが、その頃の俺は黒魔術“空間魔法”を十分使いこなせる様になっていて、向かう所敵無しだった。
黒髪黒目を晒し、いつも黒いマントを着ていたから、魔族も人間も俺の事をこう呼ぶ。
“北の黒魔王”
俺の存在は、人間にも魔族にも、ある意味の恐怖となっていく。
人間からしたら魔族を従える魔王。
魔族からしたら、自分たちを支配する魔王。
俺にとって、正義が何かなんてものどうでも良かった。支配者であれ、魔王であれ、人間の敵だったとしても。
ただ俺の根本にあったものは、強い者が弱い者を守らねばならないという思いだけで。
虐げられていた魔族と、人間の間に立つ“力”であろうとした。それは傍目から見たら、傲慢な悪だったかもしれない。それでも良かった。
すでに俺は、北の大陸のあらゆる争いの抑止力であった。
魔族を利用し戦えば黒魔王が怒る。ヨルウェ王国周辺で争えば、黒魔王が出てくる。
人間を襲えば、黒魔王が裁く。
そう言った恐れを、俺は利用した。
どうせ本当に、俺に敵う者は居なかった。
一生懸命、ただ一生懸命国を創ろうと魔術を極めるうちに、俺はとても人間と呼べる存在では無くなっていた。
見た目も魔力故か、魔術故か、20代後半程を保っている。
魔王だ。
「………ライラ……俺はやっと、国を創ったんだ」
ぼんやりと雪の中の楽園を見つめ、遠い約束を思い出していたら、いきなり背中に気配を感じた。
振り返った時、真っ白な世界に見慣れない鮮やかな紅色が飛び込む。
ありえない事だった。
俺の背後に、いつの間にか人間の少女が居たのだ。
「………あなたが……黒魔王……?」
真っ赤なワンピースを着て、黒い三角帽子をかぶった、赤毛の美しい娘。声は高く耳に残る。
妖艶さとあどけなさを兼ね備えたような、とても不思議な、でも無視出来そうに無い存在感を持った見知らぬ少女だ。
「……お前は……誰だ……」
「………」
少女は木の影から俺を見つめ、そして赤い唇を戸惑いがちに開いた。
「私は……紅魔女」
それが、俺と長い因縁を共にする、ある魔女との出会い。