22:トール(トルク)、追憶3。
約2200年前
北の大陸フィンデリア帝国最北端アスラッカ雪原
トルク:15歳
俺とダッハは、人里から離れたアスラッカ雪原にいた。
というのも、最近ある魔族の一家の世話になっていた。
一ヶ月前、俺とダッハはこの近くのモミの木の森に居たのだが、その時人間達に追われている魔族の子供達を見つけ、助けた。
魔族と言っても、この子供達を含める一家は、人間と少しだけ風貌が違い、少し魔力が高いと言うだけで、特別人間に危害を加えるような者たちでは無い。俺は旅の途中そういった魔族に沢山出会って来た。
このような雪原の端でしか落ち着いて暮らせない魔族の一家。
ホルーカ族のエルマ家と呼んでいた。
父と、姉と弟二人の魔族の四人家族だった。
ホルーカ族とは、耳が少し尖っていて瞳の色が金色で、髪は少し灰色がかったブロンド。
フードをかぶっていたら、人間とそう変わらない体格をしている。男はがたいが良く力持ちで、女は細身で美しかった。
「ねえトルク。蔵について来てくれる?」
「……ああ」
エルマ一家の長女をライラと言った。ライラは母の居ない家族の、唯一の女性として、弟の面倒を見て家事を担っていた。
灰色がかった金髪を三つ編みにした、大人しく華奢で、気が弱いが家族思いの娘だった。歳は俺とそう変わらないくらい。
エルマ家の大黒柱であるガクトンさんは昼間、この雪原の中を狩りに出ている。
ライラは俺に蔵について来る様に頼んだ。
蔵には夏の間に穫った芋や豆、麦、乾燥させたキノコ、干し肉や干し魚などがあった。
それでもここの冬はとても厳しく、稀に遠くに出て、身を服やフードで隠して人里まで買い物に行く事もある。
代わりに毛皮を売るのだ。
「食料は持ちそうか?」
「うーん……また買い物に行かないといけないかもね」
「ダッハに頼めば良い。あいつ、人の町に行っても問題ないんだから」
「……本当にありがたいわ」
ライラは木の椅子に登って、吊るしてある魚の干物を数枚取っていた。
俺はそれを下で受け取りつつ、食料の在庫を気にする。
「ライラ、代わろうか?」
「い、いいえ……トルクはお客様だもの」
ライラが高い棚の上にある干した豆の樽を取ろうと、台の上で背伸びをした時だった。
台が揺れ、彼女が後ろに倒れたのだ。
「危ない!!」
俺はとっさに彼女を受け止めたが、そのまま後ろに倒れる。
豆も干し魚も、そこらに散らばってしまった。
「ご、ごめんなさいトルク!!」
「い、いや大丈夫だ……。ライラは平気か?」
「ええ、私は何ともないわ」
ライラの下敷きになった俺は頭を抑えつつ起き上がる。彼女はどこか心配そうに俺を見ていた。
「頭、痛いの? トルク……」
「いや、なんてこと無いよ」
少しこぶを作ったが、まあ平気だ。ライラはハッとして俺から退くと、顔を赤らめ頬を手で覆う。
「……あ、ありがとうトルク。私、人間の男の子に優しくしてもらった事無いから」
「そうなのか? ライラは美人なのに」
「………そ、そんな事無いよ」
彼女は顔を背けると、散らばった豆を拾い始めた。
俺も干物を拾っていく。
彼女は一時無言で豆を拾っていたが、不意に俺の顔を覗き込む。
「え、何?」
「……トルクって綺麗な黒髪と黒目よね。あんまり見た事無いから」
「ああ。でもこの大陸じゃあ、黒髪と黒目は異端だ。知っているだろう?」
「でも、それは私たちと同じよ。みんなとどこか違うから、差別されて虐げられるの……」
「………」
「ねえトルク……ずっとここに居てよ」
「………ライラ」
「私、不安なの。このままじゃあ……私たち……」
ライラは豆を樽に戻しながら、目を拭っていた。泣いていたのだ。
ここ最近、彼女達一家は人間に襲われることが多かった。俺たちがこの一家に留まったのも、それが心配だったからだ。
近くの村で聞いた所、フィンデリア帝国は敵国ガイリア帝国の脅威から、同じ様に魔族を捕え兵士にしようとしていたらしい。魔族は人間以上に身体能力を持つが、人間の知恵には及ばない事が多い。その種族にもよるのだが。
特にホルーカ族はその穏やかな性格と優れた身体能力故に、奴隷や兵士として狩られる事も多かった。
近隣の村人達は魔族を捕え、それを国に売る事で金を貰っていたらしい。
俺が生まれる以前は魔族の方が脅威とされていたのに、最近は人間のほうが魔族を脅かしていると、ダッハは言っていた。
「私たちの母さんは、魔族狩りにあって連れて行かれちゃった……。きっと今頃、酷い仕打ちを受けているんだわ。私たちもいつか、きっと捕まって鎖につながれて、死んだ方がマシって思えるような事をさせられるのよ。私、父さんが狩りに出ているだけで、いつも不安で不安で……っ」
「ライラ……心配はいらない。俺たちがここに居る間は、俺たちが君ら家族を守るから」
「……ずっと、ずっとここに居てよトルク……っ」
ライラは俺に縋って、ずっと抱え込んでいた不安を吐き出す様に泣いた。
人間は傲慢だ。
魔族と言うだけで、弱い彼らまで悪い者扱いで、しまいには捕まえて死ぬまで働かせる。まるで人ではないのだから良いと言う様に。
確かに、魔族の中には邪悪で人を食うものも居る。
でもそんなの人間も同じだ。悪い人間もいれば、良い人間も居る。
魔族も人間も変わらない。そこにあるのは、強者か弱者かという話であって、弱い者はいつも、いつの時代も変わらず強者によって虐げられる。
どうして強い力を持つ者が、弱者を守ろうとはしないのだろう。
「お、トルク。まーたライラと一緒だったのか? いいねえ若者は」
「……う、うるさいくそじじい」
「あれま、王子様だった頃の上品さもすっかり無くなってしまって。誰がトルクをこんな風に……」
「お前だお前。下品で荒っぽいお前のせいだ」
「反抗期だなあ、おい」
ダッハは弟二人と遊んであげている所だった。ニヤニヤして、最近ライラと一緒に居る事の多い俺を見ている。
「トルクおうじさまだったの?」
「トルクおうさまになるの?」
幼い二人の子供は、キャッキャと笑いながら、ダッハの腕につかまったり背中に乗ったりしていた。
子供は無邪気で元気だなあ。
「それにしても、ここ最近また村の人間達を森で見た。奴ら本気で魔族を狩る気なんだ」
「……フィンデリア帝国もいよいよガイリア帝国と戦争をおっぱじめようって事なんだろ。シーデルムンドがガイリアに落とされたのが、つい最近の事の様だ」
「………」
ガイリア帝国の侵攻はここ最近顕著だった。
逆にフィンデリア帝国の弱体化は、長く大国として守って来た北の大陸の秩序の崩壊を招こうとしていた。
「戦争か……。どうしたら止まるのかな」
「戦争はどうしようもない。どの国にもある」
「………そう言うものなのか?」
「圧倒的に力をもつ、抑止力みたいな存在が無いかぎりな」
「………」
ダッハは子供達の相手をしながら、俺にとってとても印象に残る言葉を言った。
「近くの魔族の一族がフィンデリアの兵士につかまって連れて行かれた。我々もここを離れた方がいいかもしれない」
ガクトンさんは深刻そうだった。
この近くには、エルマ家以外の魔族の一族も少なからず居る。みな隠れる様に住んでいるからなかなか出会う事は無いが。
ここから一番近い魔族の小さな集落が、昨日人間の兵士達によって襲撃され連れて行かれたらしい。
「しかしここを離れてどこへ行くと言うんだいガクトンさん」
「………もっと、北へ北へ」
「それは無謀だ。確かに北へ行けば人間は追って来れないかもしれないが、とても住めた場所じゃない」
「………」
ライラはとても不安そうな、今にも泣きそうな顔をしていた。
「大丈夫か、ライラ」
ライラが一人で蔵にいた。彼女は弟達の見えない場所で、一人落ち込んだり泣いたりする癖がある。
しかしライラは泣いていると言うよりは、ただ一人木箱に座って心ここにあらずと言う感じだった。
「こんな寒い所に一人で居たらダメだ」
「………荷造りをしようと思って……。でも、意味があるのかしら」
「……?」
「私たちに行く場所なんて無いわ」
「……ライラ」
彼女はここ最近どこか不安定だった。無理も無い。
不便でもとにかく一生懸命、この場所で生きて来たのだ。それを人間達に追われ、でも行く場所も無い。
「ねえトルク。……南の大陸には楽園があるって知ってる? 昔、母さんが言っていたの」
「………知らないな。ダッハも南には行った事が無いらしい。というか、なかなか行けない場所なんだって」
「そう。結局行けないの……楽園には」
「………」
ライラの細い肩を抱いて、さすった。彼女の肩は、酷く震えていた。
不安で不安でしかたが無く、どうしようもないと言う様に。彼女は本当にか弱かった。
「私たちの国があれば良いのに……っ」
「………」
「私たちが安心して暮らせる、土地と国があれば良いのに。人間達の来ない楽園が……」
ライラの切実な願いは、とても叶いそうに無いと思った。
俺はこの時まだまだ未熟で、それを叶えてあげる力も、発想も無かった。
でも彼女の願いは、後に俺の目標となる。