21:トール(トルク)、追憶2。
約2200年前
北の大陸シーデルムンド王国の王宮
トルク:13歳
俺は三年の月日を、あの暗い地下牢で過ごした。
特別酷い扱いを受けていた訳ではない。食事も寝床も、着るものもちゃんと用意されたし、俺が頼めば書物や、紙と書くものをくれた。
俺は特にやる事が無かったので、地下牢の石ころや、食後の肉の骨など、不要で固い物質を集めては、目の前に並べ魔法の練習材料にしていた。
というのも、ここ最近これらの物質を圧縮する方法を編み出したのだ。
狙いを定め、正方形のキューブに閉じ込め、グッと手を握るとそれらは砂の様になったり、小さな鉱物の様になったり、力の加減で小さくなったり変化する。
こんな事が出来る様になったから何なのかと言われたらそれまでだ。
俺はどうせここから出ない。
ただの暇つぶしだった。
小さい頃から、自分に出来そうな事であれば、しっかり練習し研修し、極める事が好きだったんだ。
そんな事をずっと続けていたある日、どうにも牢屋番の様子がおかしく外が騒がしい事に気がついた。
松明の灯が沢山階段を下りて来たのが分かる。
兵士達だった。それはこの国のものとは違う鎧と紋章を掲げた兵士たち。
すぐに察したものだ。シーデルムンド王宮は敵国に攻められているのだと。
俺はこんな所に居たから詳しい事情は分からなかったが、元々周辺国家と緊張状態にあった国だ。
いつ戦争が始まり、いつこの国が負けてもおかしくは無かった。今までは当時の北の大国の一つ、フィンデリア帝国がこのシーデルムンドを保護していたが、いよいよ見放したと言う事だろうか。フィンデリアの力が、最近急に落ち始めたと聞いた。そこを狙って、敵国がこの国を攻めて来たのだろうか。
とにかく今、牢屋の外には4、5人の敵兵が居る。牢屋番は「お助け下せえ」と地面に這いつくばって手を挙げている。
「おい、こんな所に子供が閉じ込められているぞ」
「……ひっ……こいつ黒髪黒目だ!!」
牢屋の外で、彼らは口々に何か言っていた。
どうしようかと思った。このままだと捕えられて、悪魔の子だと言って柱にくくり付けられ処刑されるに決まっている。
俺のこの魔法を使って、脱出し、外の様子を確かめたいと思ったが、なぜかその一歩が踏み出せない。
ここを出ないと国王に誓った事を、今でも覚えている。
「王子!!!」
その時だった。
突然荒々しい声が響き、敵兵は次々と薙ぎ倒された。
牢屋の前にはこの国の紋章のついた鎧を着た大きな男が、巨大な剣を持って立っていた。
「………誰だ」
「王子、あなたをここからお連れする」
随分粗野な風貌の、中年の男だ。
「どういう事だ。いったい何事なんだ」
「敵に攻め込まれているのだ。だがご安心を。国王により、あなたをここから逃がす様にと言われた」
「何だと……?」
男は鍵を開け、俺に分厚いローブを着る様に言うと、「さあ早く!!」と叫び俺をこの場所から連れ出した。
何が何だか分からなかったが、そのまま男についていく。
久々に外に出たが、そこは俺の知っている王宮の様子ではなく、あちこちから炎が上がる戦場だった。
「何でこんな事に……」
「敵兵が多すぎたのだ」
「敵国はどこだ」
「ガイリア帝国だ。奴らは魔族を兵に加えている。詳しい事は後でいくらでも話してやろう!! さあ、今は逃げる事だけを!!」
「………」
俺は城を見上げて戸惑った。
城にはまだ国王も、母上もアレクも、みんな居るんじゃないのか?
「だ、ダメだ。俺も国王と……」
「王子!!」
男はその大きな腕で俺を殴った。
あんまり突然の事だったから、俺はそのまま気絶する。
まぶたの向こう側の炎のオレンジだけは、何となく分かっていたけれど、そのまま意識が飛んでいった。
父上……母上………アレク……
目が覚めた時、俺は毛布にくるまれ紐でグルグル巻きにされ、大男の背中にくくり付けられていた。
「!?」
「おお、起きられたか王子。早馬だったから背中にくくり付けさせてもらった。ダハハハ」
「………俺は荷物か」
目が覚めた時、そこは短い草しか生えていない草原だった。寒い……が、雪はまだ降っていない。
「ここはどこだ」
「フィンデリアまでのハルパ山道だ。もう王宮から追っ手は来ないだろう」
「………お前、いったい何者だ。名前は?」
「ああ、申し遅れた。俺はダッハルーマ・ガルトン。ダッハと呼んでくれ。ちなみに王子の事は何と呼べば? 俺は畏まったのが苦手でな。出来れば名前で呼ぶ事をお許しいただきたいのだが」
「……俺はトルクだ。そのまま呼べば良い。それに俺はもう王子じゃない。………畏まる必要なんて無い」
「そうかそうか。ダハハハハ」
笑い声の豪快な、四角い顔の男だ。
「ダッハ……お前は王宮の兵士だったのか?」
「ああ。お前さんがあの国の地下牢に幽閉された後に、王宮の兵士になった……実のところは旅人だ」
「旅人?」
「ああ。元々西の大陸の人間だがな。あちこち行っているうちのシーデルムンドに辿り着いて、国王に旅の話を聞かせるうちに兵士になった。次、旅に出る時に……お前さんを連れて行ってくれと言われたよ……」
「………」
ダッハの背中は大きく、父上と重なった。
「ねえ……シーデルムンドはどうなったの?」
「………戻って確かめる訳にもいかないだろう。そのうち情報が入るさ。まあ、あまり気に病むな。お前にとったら、良い国でも無かっただろう」
「……そんな事、無いよ」
別にあの国を恨んだりしちゃいない。
俺が異端だったと言うだけの話だ。
「お、うさぎだ」
草原の途中、ダッハがうさぎを見つけたようだった。
何やら悪い顔をして、弓を取り出す。
「え、どうするの?」
「取っ捕まえて食うんだよ。お前も腹減ったろ」
「ここから!?」
ダッハは俺にしっかり捕まっていろと言うと、馬を走らせ弓を構えた。
当然うさぎは逃げるが、ダッハはそれめがけてつっこみ、そのまま弓を射る。
矢は確かに、うさぎを射止めた。
「うさぎの肉、食った事無いのか? 美味いぞ」
「………」
ダッハは「ダハハハハ」と笑いながら、うさぎを捌くと、小さな鍋で豪快にスープを作り始めた。そこらの枯れ草を集め、火をつける。ダッハは指先にちょいと炎を灯す魔法を使っていた。この時代、この程度の魔法は日常的に良く使われていた。
ダッハの旅道具の中には乾燥させた豆と、東の大陸で手に入れたと言う調味料があって、それをスープに混ぜ込む。
「こんなもの、あの脱出劇の中で持って来たのか」
「俺は色々な国に行っている。いつ国を出ても良い様に、日頃から準備はしているのさ」
「………なんて奴だ」
「ほれトルク。食ってみろ、美味いぞ」
彼は木の器にスープを盛る。胡椒と唐辛子の効いた、豆とうさぎ肉のスープ。
随分お腹が空いていたんだなと思ったのは、その匂いを大きく嗅いだ後。どっと、空腹感が襲って来た。
一口、どこか不安そうにうさぎ肉を口にいれ、ゆっくり噛む。そしてあまりのおいしさに驚いて、スープを飲む。
温かい。
「………」
夢中になって、次から次に食べた。
ダッハも隣でガツガツ食べ、そしてまた器につぎ足している。
「やっぱり美味いなあ、うさぎ肉は。北の大陸にはうさぎやキツネが居るから、そいつらを捕まえて食う事が多いんだ」
「………」
「うさぎの毛皮は温かいから、今度お前の首巻きにしてやろう。本当はキツネなんかが良いんだが。まあ旅の途中に出会う事もあるだろう」
「………」
「ほらトルク、もっと食え」
ダッハは中身の少なくなった俺の器を取り上げると、再びうさぎ肉のスープをついだ。
「美味いだろう、トルク。ん?」
「……う、うん」
肉を食いながら、曖昧に返事をする。ダッハは豪快に笑うと、再び旅の話を続けた。
「東の大陸の、大河沿いの旅なんかだったら、ワニを食うんだけどな。あれは鶏肉と魚の丁度中間でなかなか美味い」
「……ワニ?」
「ああ。お前は知らないだろうなあ。口がこんなに大きくて、歯がこんなで、とにかく噛まれたらヤバい。でも頭をぶっ叩くのが効果的なんだ」
ジェスチャー付きで、ダッハがワニの様子を教えてくれようとしたが、この時の俺には良く分からなかった。
他大陸の話に、俺は興味を持ち始める。
「………お前、西の大陸出身って言ってただろ。西ってどんな所だ」
「西の大陸は食うに困らない場所さ。気候も穏やか土地も豊潤、国家間の争いも北に比べたら少ない。……逆に言えば、旅するにはちと退屈だがな」
「…………」
「ダハハハハ、トルク。行きたい所はあるか?」
俺は、一口温かいスープを啜った。
口の中へ、胃の中へ、おいしいと思えるものが流れ込んでいく。
あの地下牢で、どんなに手のこんだ食事が出て来ても、おいしいと思えなかったのは何でだろう。
「………」
「……トルク?」
何故か一筋、涙が流れた。
色々な思いが、複雑に混ざっていたのと、何よりおいしいスープ。
側に人が居て、誰かと共に、何かを食べると言う久々の感覚。
ダッハは俺に、どこに行きたいかと聞いたのだ。
もう二度と外に出る事は無いだろうと思っていた、この俺に。
ダッハは今までの愉快な表情を少し真面目にして、俺を見ていた。
「酷い話だよな……ただ黒髪黒目になったってだけで地下牢に閉じ込めちまって」
「でもああしなければ、国を保つ事は出来なかった。もし俺をあのままにしていたら、国民の不安が高まり内乱が起きたかもしれない。高官達がアレクを担いで謀反を起こしたかもしれない。不安や不安定といった要素は、敵国に攻め入る隙を与える。………そんな余裕はあの国には無く、俺が国王になる訳にもいかなかった。……国王は正しい事をしたんだ」
「………」
それでも結局、あの国は敵に攻め入られたけれど。
国王が俺を生かしておいたせいだろうか。悪魔の子として、俺の厄災は結局あの国に降り注いだのだろうか。
「まあでも、東の国に行けばお前みたいな見た目のやつは沢山居るぞ」
「………そうなのか?」
「ああ。何も変な事じゃないんだ。……北の大陸の、特に海沿いの国はな、昔、東の大陸の国と戦争する事も珍しく無かったから、その時の傷跡っていうか、黒髪黒目に対する印象の悪さが、あの“悪魔の子”っていう迷信に変わっていったんだろう。よくある話さ」
「………」
「ほれ、とりあえず今は食え。食える時に食っとかないと」
ダッハは俺の器をまた取り上げて、スープの残りをついでしまった。
色々と考える事がありすぎて、ぼんやりとしてた。
「お前が食わないんだったら俺が食うぞ。ん?」
「…………た、食べるさ」
「ダハハハハ」
ダッハの笑い声は王宮の地下牢のあの静けさと正反対で、あまりに愉快で豪快だ。
何だろうな。
荒々しいのに裏が無く素直で、まっすぐで、どこか安心する。
「さあ、どこへ行こうかトルク。お前はもう、どこにだって行けるぞ」
「………」
スープの最後の一口を啜って、俺は考えた。
きっともう、あの王国に帰る事が無いなら、俺はいったいどこで何をすれば良いのだろうかと。
「行ける場所に、行ける所まで………。でも俺はまず、この大陸を見てまわりたい」
「………ほほう。あえて、北の大陸を旅すると言うのか」
「この大陸の事を……もっと知りたい」
本当なら、豊かな西の大陸にも、俺にとって生きやすい東の大陸にも行けたんだろう。
でも俺はあえて、この寒くて何も無い、戦火の激しく魔族の多い、俺にとってあまり都合の良く無い北の大陸に留まりたいと思った。
ダッハは「もの好きな奴め」と笑っていたが、彼もそれに乗ってくれた。実のところ、彼も北の大陸の旅の途中だったらしい。
ダッハルーマ・ガルトンという旅人。
俺はその後、ダッハと北の大陸の旅に出る。
長い長い俺の人生の中で、ダッハと言う存在はとても大きい。
彼にとって俺を連れて旅に出る事に、いったい何のメリットがあったのか知らないが、彼は俺の父との密かな約束のもと、俺を白く冷たい、でも広く自由な北の世界に連れ出した。
きっと俺にとって、国王とダッハの二人をあわせて、父親だったのだろう。
彼が俺の事を馬鹿息子と呼び、俺が彼の事を馬鹿親父と呼ぶ様になるのは、そう遠く無い話。