20:トール(トルク)、追憶1。
約2200年前
北の大陸シーデルムンド王国の王宮
トルク:10歳
俺の前世の名前は、トルク・シーデルムンド。
遥か昔、北の大陸の沿岸部に、小さな国家があった。
そこはシーデルムンド王国と言って、現代ではもう無くなっている国家だ。
それほどに小さな国だった。
俺はその王国の王子として生まれた。双子の兄として。
弟の名前をアレクと言って、俺たちは見た所違いの無いようなそっくりな双子で、色素の薄い髪と白い肌をした典型的な北の国民の容姿をしていた。
父は国王で、母は王妃だった。
俺は幼い頃から要領の良く、特別問題になる点も無い模範的な王子で、国王は俺を時期王にするための勉強をさせていたこともあって、あまり子供らしく遊んだり振る舞う事は無かった。
弟は逆で、自由気ままだからと王宮のあちこちで悪戯をする問題児で、王妃はいつもアレクを叱っていた気がする。
アレクはバカだった訳じゃ無い。
ただ単に自分に素直で、子供らしかったのだ。
叱られた時はシュンとしているのだが、またすぐにちょろちょろ動き回って、悪戯をしかける。その悪戯は色々な意味で悪質で、ある意味天才なんじゃないかと思った事もある。あの熱意を勉強に半分でも注いでいたらな、と。
王妃はアレクに呆れ返り、逆に俺を褒めた。
「トルクは偉い子ね。次期王になる為の素養を備えている、立派な私と国王の息子です」
俺は母である王妃に褒められたり、抱きしめられるのが好きだった。優しく温かく美しい母が好きだった。
その為に色々と頑張って、褒められる様に努力していたのかもしれない。勉強も武術も、何故かやるほど上手くいくのが楽しかったのもあるけれど。母に褒められ、父に認められる、それがこの時、わずが10歳程の俺の生き甲斐だった。
弟に俺と同じ事は出来なかった。
悪戯好きとは言え、同じ時間、俺と同じ勉強や稽古をしても、きっと俺には敵わなかっただろう。
アレクはそれを幼いながらに分かっていたんだろう。感覚は鋭い奴だった。
だから、母の目を引きたいが為に悪戯をしては、叱られていたのだ。
母はアレクをとても叱っていたが、その後に必ず抱きしめ、慰める事を忘れない。
あなたなら絶対に出来る、と。私と国王の息子だもの、と。
そして、母にかまってもらえる時間は、結局の所アレクの方が多かった気がする。
母も結局、あまり自分を晒さない俺より分かりやすいアレクの方を、良く理解していたのではないだろうか。
アレクと俺は、双子とは言え違う大人のもと勉強や武術の稽古をつけてもらっていたので、お互い関わる事がほとんど無かった。
会ってもアレクは俺を嫌っていたから、いつもそっぽ向いていたっけ。
ある日、母の大切な指輪が無くなった。アレクが隠してしまったのだ。
国王に頂いた物らしく、母はそれを王宮の召使いたちに探させたが、どこからも出てこない。
俺は勉強や稽古の合間をぬって探した。母の悲しむ顔を見たく無かったからだ。
王宮の召使いの誰もが見つけられなかったのに、俺にはすぐに見つける事が出来た。煙突の内側の飛び出た所に置いてあった。
アレクはそれが気に入らなかったようで、今度は王宮の礼拝堂に祭られている小さな聖杯をどこかに隠してしまった。
これには流石に国王や家臣たちが慌てふためき、王宮中を探しまわった。
聖杯は、まれにここへ来る南の神官たちの、祈りを捧げ聖水を受け止めるものだ。
今だから分かる事だが、当時南の大陸にあった大樹の泉の聖水を、神官たちは世界中にもって回って、分け与えていたのだ。
俺は皆に混ざって聖杯を探した。
それは王宮の脇にある、古い鐘の塔の天辺の、レンガの割れたその下にあった。
受け止められた水はこの寒さでも凍る事は無く、不思議と聖杯に留まったまま、ただ静かにそこにある。
俺がそれを見つけたとき、アレクもその場にやってきた。きっとどこかから身張っていたのだろう。
「兄様、なんでいつも僕の隠したものを見つける事ができるのです」
「……アレク、やっぱりお前だったのか」
「兄様は変だ。何でも出来るし、誰にも見つけられないものを見つける事も出来るし。まるで北の果ての洞窟に居る化け物のようだ」
「………嫌な事を言うな」
北の果ての洞窟の化け物と言うのは、当時は世界各地に存在し、討伐の対象とされていた魔族の事だ。
魔族と人間は、お互い長く受け入れがたい存在になっていた。
「聖杯の中の水が無くなったりしていたら、お前、悪戯じゃすまなかったぞ」
「……僕はそんなヘマはしません」
「………」
ずる賢さを普段の勉強に生かせば良いのに。
「それ、こっちに渡して下さい。僕が見つけたって事で持っていきます」
「……お前なあ」
「兄様は部屋にこもって勉強でもしていれば良いでしょう」
アレクは考え無しに聖杯を奪おうと、こちらに飛びかかって来た。
俺は慌てて聖杯を庇って、身を避ける。
そしたら、アレクはさきほど聖杯を隠してあったレンガの窪みに足をひっかけ、塔の天辺から落ちそうになった。
「アレク!!」
急いでアレクを引っ張ったが、ホッとしたのもつかの間。
レンガがぼろぼろと崩れていって、俺たちはそのまま古い塔の上から落ちたのだ。
ああ、死んだなと思った。
短い人生であったと、幼いながらに何かを悟ったりしていた。
この時、聖杯の水はその器から溢れ俺の体にかかったのだ。
あの瞬間がまさに、俺、トルク・シーデルムンドの人生の分かれ目であったのかもしれない。
いやしかし、もともと分かれ目なんてものは無く、必然だったのかもしれないけれど。
極寒の地であったのに、とても柔らかい、木漏れ日のような温かさに包まれた気がした。
緑色の、木々の葉の擦れる音が脳内に響き、断片的な大樹のヴィジョンを垣間見た。
それらが俺たちを守ってくれたのかは知らないが、俺とアレクは、ほぼ助かるはずの無い北の搭天辺から落ちて、なぜか生きていた。
アレクはあまりの怖さに泣いていたが、俺は不可解でしかたが無く、当然首を傾げたままだった。
その後、アレクは礼拝堂に聖杯を返し、国王と王妃、その他諸々にこっぴどく怒られた。当然と言えば当然。
アレクは暗い部屋に閉じ込められ一晩飯抜きと言う典型的な罰を与えられ泣いていたから、俺は彼の所に行って、こっそりお菓子と温かいミルクをあげた。
「…………兄様……っ」
「ほらもう泣くな。お前、なんで怒られるって分かっていて、あんな事するかな……」
「だって……だって……」
アレクはバカだ。
こどもって言うのは怒られても怒られても、悪さばかりしてしまうのかもしれないけれど。
アレクはお菓子を食べ、ミルクを飲んで、また泣いた。
その夜、暗い部屋を怖がるアレクとずっと一緒に居てあげた。
初めて色々と話した気がする。アレクは暗いのを怖がっていたから、ずっと何かを話していた。
なぜ俺が、誰も見つけられないものを見つける事が出来るのか、やたらと気にしている。
「……なぜって言われても困るよ。俺だって、分からない。探していたら見つかる」
「それはおかしいよ、兄様。大人でも見つけられないのに」
「………ふむ、何でだろう」
あまり自分でも考えた事は無かった。
色々と考えたり語ったりしているうちに、俺たちはいつの間にか寝てしまった。
そして、その暗い部屋故に、俺は自分の体に起こっている変化に気がつかなかったのだ。
この日の夜が、俺にとって最後の、王子としてのトルクであった。
次の日、アレクを部屋から出そうと思ってやって来た母の、痛烈な悲鳴で目を覚ます。
「その髪と瞳の色は何なの!?」
「……?」
俺は母が何を言っているのか分からなかったが、アレクも俺の方を見てギョッとしている。
朝日が部屋に差し込んで、俺の姿は今、誰にでも見える。
「ア、アレク……ッ。こちらへ来なさい!!」
母はアレクを自分の方へ引いて、俺を怯えたような瞳で見た。
俺は訳が分からずにいたが、母が落とした銀製の皿に映る自分を姿を見たとき、思わず目を見開いた。
黒だ。
黒く無いはずの髪と瞳が、真っ黒だった。
「……あ……」
そしてその時、悟った。
黒い髪と瞳は、この国では異端とされ、疎まれている。黒髪は災いをもたらすと言われていた。
母は俺を見て恐れているのだ。
「どうしてこんな事に……トルク……ッ。トルクは悪魔に食べられてしまったんだわ」
母はアレクを抱きしめながら、戸惑いを隠せないようだった。喚いて泣いて、ヒステリーを起こしている。
俺はただその場に座り込んで、母の嘆き悲しむ姿を見ているしか無かった。
「は、母上……」
「来ないで!! ……来るな、悪魔の子……っ。トルクに化けて、アレクまで食べてしまうと言うのか!!」
「………」
突然、我が子が黒髪黒目になる事実より、我が子は悪魔に食われたと考えた方が、今の彼女にはまだ良い事だったのだろう。
母はもう、俺がトルクだとは信じない。
その後もトルクは死んだのだと言って、俺を絶対受け入れようとはせず、冷たくあたった。
その後、国王の決定により、俺は王宮の地下牢に閉じ込められた。
本来、黒髪の子は災いの元とされ処刑される事の多かったこの国だが、俺は病で死んだ事になって地下牢で幽閉され、今までの贅沢で忙しい生活は一変する。
何もする事は無くなったし、誰とも関わる事が無くなった。
服と食事は、父である国王の配慮でそれなりのものが出て来たが、それをおいしいと感じる事は無くなったし、寒い地下牢は光も音も無く本当に寂しい場所だった。
どうしてこんな事になったんだろう。
それを教えてくれる者は誰もいなかったし、きっと、それを知っている者は誰もいなかった。
悲しいと言うより、この時はただ、何でだろうと言う気持ちの方が大きかった。
「………」
地下牢に入ってどのくらい経っただろうか。半年くらい経っただろうか。
俺は、この薄暗く冷たい鉄格子の中で、ただ一つの退屈しのぎを見つけていた。
それは突然出来る様になった事だったが、手の甲を前にかざすと、小さな正方形の造形物が出て来て、俺にこの王宮内の様子を教えてくれるのだ。
詳しい様子が分かる訳ではないが、誰がどこに居るのか、何となく理解出来る。
「……アレクの奴、また授業をサボっているな。次期王はあいつなんだから、もうちょっとしっかりしないとな」
アレクの行動は何となく分かりやすい。
この時間は授業があるはずなのに、その部屋に居らず、いつも誰もいない場所を探そうとうろうろしている。
母はそんなアレクをいつも探し、目の届く場所に置こうとしていた。
俺の事件があってから、母はアレクに対し、とても過保護になっているようだった。アレクと共に居る事が多い。
国王は相変わらず、王としての仕事をこなしている。
立派な王だ。俺をここに幽閉するのも、迷わなかった。
次期王と噂されていた俺が黒髪と言う悪魔の子になったと噂になったら、国民は不安になり、政治に影響が出る。
この時代、まだ科学的なものより、魔術や信仰、呪い的なものが力をもっていた時代だ。
俺はまだ、閉じ込められただけマシな方だった。
俺は牢屋番の目を盗んで、だんだんとこの“空間魔法”の技を磨いていって、ある日、牢屋から抜け出す力を得た。
それは、空間と空間を瞬間的に移動する、言ってしまえば“ワープ”する魔法だ。
最初、人の歩幅程しかできなかったけれど、それだけで鉄格子を抜ける事は出来る。
俺はその力を使い、牢屋を出た。
何かがしたかった訳ではない。
ただ、久々に家族の顔を見たいと思った。半年間、俺に会いに来てくれた者は居ない。
頭から布をすっぽり被って、空間魔法を駆使し、誰にも会わない様に王宮を彷徨う。
久々に、王宮の中央広場や稽古場を見て、美しい彫刻の像を見た。好きだったのは、肖像画だ。歴代の王が描かれている肖像画。
王宮の所々が懐かしいのに、どこか知らない不思議な場所にも思えた。
前までここで暮らしていたのに。
「アレク、いい加減になさい。あなたは王になるのだから」
どこからか声が聞こえた。
アレクの部屋からだ。母も居る。
俺はドアを少しだけ開け、その会話を覗く。
「……お勉強やお稽古を嫌がってはいけません。昔はあんなにやっていたじゃない」
「ちがうよ母上、それはトルク兄さんだ」
「まあ……何を言っているの? あなたなら出来るわ。私と国王の、唯一の息子だもの」
「母さんはそう言って、俺にトルク兄さんの代わりをさせているんだ」
「………まあ、何て事を言うの!?」
母はアレクを抱きしめた。アレクはどこかムッとしている。
「母さんは何でトルク兄さんを嫌うんだ。あんな場所に閉じ込めて。……訳が分からないよ、たかが髪が黒くなったくらいで」
「滅多な事を言わないで、アレク。あの子はもう居ないの。悪魔に食べられてしまったのよ……」
母は泣き出した。まるで本当に悪魔に食われたかの様に「あんなにいい子だったのに」と言って。
何だろう。
とても、胸が痛くなった。
母の中で、自分は既に死んでいるのだ。
「何がいい子だったのに、だよ!! 何も変わってなかったよ、兄さんは。いつもの様に何でも出来て、僕とは違って偉かった。僕にお菓子とミルクを持って来てくれた兄さんは、いつもと何も変わらないトルク兄さんだった!! ただ、髪と目が黒くなっただけで、他は何も変わらない兄さんだったのに……っ」
アレクはそう言うと、机の上の小物を床に落とし、地団駄をして泣き出した。
母はそんなアレクを一生懸命抱きしめ、「可愛いアレク、あなたは何も不安に思わなくていいのよ」と言って泣いている。
「悪魔が恐いのね……大丈夫、母がきっと守ってあげるからね。大事な私の、たった一人の息子」
俺は、何かもう色々な事が色々と悲しくて、申し訳なくて、その場に居られなかった。
来るべきではなかった。
アレクはこども故、俺がなぜあの場所に閉じ込められたのか納得出来ずにいる。
だから、俺の面影を彼に求める母に反発し、不安定になっているんだ。
母は母で、俺への愛情や複雑な思いを全てアレクに向け、押し付けている。どうしようもないんだ、きっと。
見るべきではなかった。
もう、帰ろう。あの牢屋の鉄格子の向こうで静かにしていて、誰からも忘れられなければ。
それを考えると、思わず涙が溢れそうになった。
「……わっ」
俺は、魔法で周囲を確かめるのを怠っていたせいで、誰かにぶつかってしまった。
やばい、と思ったが、顔を上げると、そこには国王が居た。
「…………」
かぶっていた布は既に床に落ち、俺はその黒髪と黒目を晒していたから、急いで布を引き寄せる。
涙で視界が歪んで、上手く布を引き寄せる事が出来ず、俺は壁際に後ずさった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……。もう、牢屋に戻りますから」
「………」
「もう、ここへは来ませんから」
泣きながら何度も謝る俺に、国王は黙ったままその布をかぶせ、そっと俺を抱きしめる。
あまりに不意な事で、俺はおもわず身を硬直させてしまったが、国王は、父は、ただ静かに、でも強く言ったのだ。
「すまない、あんな所に閉じ込めて……トルク。寂しかったろう……っ」
いつも、王としての言葉しかくれなかった父が、俺に謝ってはいけない国王が、震える声でそう言葉にした。
その言葉は、少し悲しくて、そして確かに父が自分をまだ息子だと思ってくれている言葉で、俺はまた泣きそうになった。
本当は「なぜあんな所に閉じ込めたのです!!」とか「あの場所はもう嫌です、出して下さい!!」とか、言いたかったのかもしれない。
「いいえ、“国王”。大丈夫です、もう……帰ります。あの場所から、もう二度と出たりしません」
「………トルク」
「ありがとうございます」
父が、まだ自分を息子だと思ってくれているだけで、俺は十分だった。たとえ母に嫌われ疎まれ、忘れられようとも。
この時の俺には、十分すぎる救いで、あの牢屋に帰る意味でもあった。
困らせてはいけない。
自分の存在が、もし黒髪黒目の悪魔の子の災いとして、本当に何かに影響してしまったら、それこそ自分を生かしてくれている国王に申し訳ない。
帰ろう。あの場所へ。
そしてきっと、もう外に出る事は無いのだろう。