10:トール、あの香りに弱い悲しい男の性。
「あれ……来た。予想外」
「……なにその反応」
マキアは今朝の事もあって、俺が今日の夕飯も来られないのではと思っていたそうだ。
だからなのか、俺が庭から部屋を尋ねたら、何だかきょとんとした顔をしている。
「このクソ寒い中、庭からとは。あんたも好きよね……」
「いいから部屋に入れてくれよ。……寒いだろ」
「寒いのは得意だとか、格好つけて言ってたくせに」
段差のある上からマキアに見下ろされると、やはり王女とのようにはいかないなと思う。
「やあトール君。遅かったね」
「……あれ、ユリ……お前も来ていたのか。良いのかよ奥さん放っておいて」
「まあ、たまには友人と夕食も良いかなと思って……」
ユリシスの笑顔がどことなくぎこちない。
いったい何があったのか。
「どうせこの後、すぐ教国に行くんでしょ? 通い夫は大変ですね〜爆発して下さい」
とは言っても、久々に三人が揃った事で、マキアは随分嬉しそうにしていた。
俺たちはテーブルに付くと、ベルをチリンチリンと鳴らして、外で待機していた召使いたちに食事を運んでもらう。
今夜はカモのローストローズマリー風味が目玉のコースと来た。良い匂いが部屋中に広がる。
毎度の事だが、マキアが瞳を輝かせている。
俺も随分腹が減っていたから、マキアに負けず劣らず夕食にがっつく事になった。
「ルルーがヤンデレ? え?」
食後のティータイムの時、今日の事を二人に話した。
ユリシスはルルーベット王女のあらゆる行動の事を聞くと、目を点にして首を傾げた。
「いやいやいや、前も言ったけど、ルルーは本当に心優しい子だったんだ。北の棟に隔離されていたから、たまに僕がこっそり遊びに行って、外に連れ出したりしてあげていたんだよ」
「お前……ルルー王女の事、知っていたのか?」
「いやまあ……それなりには……」
「何で教えてくれなかったんだ」
「いやだって、まさかそんな事になっているとは思わなくて……ごめん……」
謝りついでに、ユリシスは大きく息を吐くと、「そうか……」と。
「あの子が帰ってきて、まだそんなに話していないから、気がつかなかったよ」
「まああんたは自分の新妻の事で、手一杯精一杯だものね」
「まあねえ……って、いやいや。何言ってるんだいマキちゃん!!」
と言いつつ、どこか誇らし気でニヤけ顔のユリシスは、紅茶を全部飲んでしまって一息つくと、
「じゃあそろそろ僕はこれで……」
何か照れながら、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
展開の早さに、俺もマキアもポカーン。
「………」
「……は?」
何だあいつ、口で否定しつつ奥さんの所へ行ったぞ。
俺がお前の妹のヤンデレ姫に手を焼いている時に、新婚さん幸せオーラをふりまきやがって。
しかしマキアはクスクス笑っている。
「何だお前、やけに楽しそうだな」
「……ユリシスとペルセリスが上手くいってそうで、良かったなと思って。色々とあった二人だもの。今度こそ、末永く一緒に居て欲しいと思うわ」
「へえ意外。お前は嫉妬するかと思ったけどな」
「……そこまで心の狭い女じゃないわよ。何あんた、私を馬鹿にしてる訳?」
「別に?」
マキアのジトッとした視線を軽くかわしながら、紅茶を啜ってホッとくつろぐ。
やはりこのポジションは落ち着くものがある。
「なあマキア。何か欲しいものあるか?」
「……何それ、直球ね。誕生日の事だったら、別に何もいらないって言ったでしょう?」
やはりマキアはそう言う。
ですよね。
「でも誕生日、あんたも来れそうで良かったわ。……もしかしたらトールは無理かもって、今朝の様子を見て思っていた所だったから」
「まさか。そこはほら、ちゃんと……行くとも」
「なにその曖昧な返事」
マキアはムスッとして席を立ち上がる。何か怒らせたか?
しかし彼女はドレッサーまで歩いていくと、しかめっ面で鏡を覗き込んでイヤリングを取ろうとする。
「もう、やっぱり複雑な装飾のイヤリングはダメね。……耳が痛いし……あいた……っ。ほら、髪にも引っかかっちゃうし……あたたた……」
どうやらイヤリングが髪に引っかかって、上手く取れないようだった。
俺はマキアの側に寄って、引っかかった部分を確かめる。
「かしてみろよ」
「ほら、金属の部分に髪が引っかかっちゃったの」
「ややこしいなら、イヤリングなんか付けなければ良いのに。そう言う訳にもいかないのか?」
「そう言う訳にもいかないのよ。特に王宮に居る時は。それでなくても年齢的には、私はまだまだ小娘だもの。舐められちゃうでしょう? 見栄くらい張らなきゃ」
「……大変だな女も。ほら、髪を押さえていろよ」
マキアが腕を後ろ髪の方に回して、髪を押さえる。俺は彼女の髪にひっかかったイヤリングを確かめつつ、ゆっくりとそれを外す。
「あいた……ちょっと、引っ張らないでよ」
「あ、ごめん」
イヤリングを髪ごと少し引っ張ってしまったらしい。彼女は痛そうに目に涙を溜めている。
「なんか中途半端に髪を引っ張られた時って、絶妙に痛いのよね」
「だからごめんって」
「あれだったらもう、ハサミで髪を切ってちょうだい」
「それはいかんだろ。髪は女の命なんだろ?」
「なにその古くさい説」
男前なマキアさんがドレッサーからハサミを取り出し、本気で髪を切ろうとしていたから、俺はそれをすんでで止めて、ハサミを貸す様に言う。
マキアが自分で切ると、きっとごっそり髪を持っていかれるぞ!!
「必要があったら俺が切るから」
「……そう」
マキアは納得した様にコクンと頷くと、いつもハーフアップに髪をまとめているリボンをほどいた。
長い髪がふわりと解かれ、閉じ込められていたフローラルな香りが一気に広がる。
「………」
俺は驚いてしまった。
一瞬固まる。
「……ちょっと、せっかく髪をほどいて切りやすい様にしたんだから」
「あ、ああ……」
あれですな。男はシャンプーの匂いに弱いと言うけれど、あれと似た感覚かもしれない。
いきなり妙な緊張感に襲われる。
いつもの高飛車リボンが無いだけで、マキアが随分大人びて見える!!
「ちょっとあんた、大丈夫? やっぱり私、自分で切ろうか?」
「い、いやいやいや、大丈夫ですから」
「なんで敬語?」
俺は深呼吸して、イヤリングの絡まった髪の部分だけちょいちょいと切った。
耳元とか首筋とかチラチラと気になるけど、そこは平静を保って。
って思っていたら、切った髪が首筋を流れていって、胸の谷間に落ちると言う危険な罠。
マキアは特に何て事の無い様に谷間から髪を摘んで、隣のゴミ箱へポイッ。
もうすぐ15歳の娘とは思えない反応ですね。流石です。
それ以前に、もうすぐ15歳の娘の胸が、引っかかりのある程育っちゃってる事自体が罪なんですけどね。
さて、取れたイヤリングを持ってみると、それは割と小さめな方だけどずっしりと重い。
「なるほど。これは耳に負担だな」
「でしょう? もういっそ新しいちっちゃいの買おうかしら」
彼女はもう片方のイヤリングを外すと、それらをドレッサーの上に置いて、長いウェーブのかかった髪を払う。
その様子をまじまじと見てしまった。
「……何よ」
「いや、だんだんと紅魔女っぽくなってきてるなーと思って。ほら、昔はそれに三角帽子をかぶってただろう?」
俺は彼女の頭の上で、三角を描く。
魔女らしい帽子を、かつての紅魔女はかぶっていた。
「それはそうでしょう。紅魔女だった頃の私は、セブンティーンの見た目をキープしていた訳だし。……あんたはまだまだ、黒魔王にはほど遠いわね」
「………ほっとけ」
マキアは軽やかに先ほど食事をしたテーブルに戻ると、ベルを鳴らして王宮の召使いに食器を下げてもらっていた。
ドレッサーの前から動けない俺は、ふと考えた。
そう言えば、黒魔王の見た目の年齢ってどれくらいだったっけ?
確か、20代後半くらいだったか。大人の男だったはず。
見た目の年齢はいつの間にか止まっていたから、あまり覚えていないが。
「…………」
ドレッサーの鏡に映る俺は、やはりまだまだ若造に見える。
マキアがほど遠いと言った意味も、理解出来るってもんだ。