07:トール、ヴァイオレット・アマリリスの恐怖。
「いえ、あの……ですから、俺は自室で夕飯を食べますから。その、既に先約があって……」
「仕える姫以上に大切な先約とは、いったい何が?」
「………」
ルルー王女は日増しに俺を束縛したがる様になっていった。
特に俺が、いつも夕食を別の者と食べていると知ってからは。
「知っていますよ。マキア嬢と食べているのでしょう? ふふ、あの魔女とはいったいどういったご関係なのですか? 恋人なのですか?」
「い、いいえ……。そんな大層なものでは無いのですが。古くからの友人で、主と従者の関係と言うか……」
「何を言っているのか分かりません。今の主は、わたくしでしょう?」
「………」
正直怖い。
だって目に光がないんだもん!!
「しかし夕食を共に食べると言う条件で、あなたの騎士になるのを承諾してもらったのです」
「そんな事は、わたくしが王女であり、あの方がただの王宮魔術師であるという事で、すべて解決してしまうのです」
「いいえ、そう言った問題ではありません。俺とマキアの今後の関係に差し障りが出ると言っているのです!!」
言った、言ってやったぞ。
どうだ!!
「差し障りが出て、何か問題でも?」
「………え」
「あなたはこれから、私だけの騎士なのです。私だけを見て、私の事だけを考えていれば、それが一番正しく幸せな事なのです。あの魔女の事なんて、取るに足らないことでしょう?」
「……」
だめだこりゃ。
何を言っても、ルルーベット王女には一つの結論しか出てこないのだ。
「それでも俺は、約束を破るような騎士にはなりたくありませんから。……失礼します」
ルルー王女に背を向けるのはとても怖かったが、俺はそのまま彼女の部屋の扉に向かう。
「……!?」
しかし、鍵が開かない。
「無駄ですよ、トール様……」
「………」
いつの間にか両脇に双子のメイドが!!
片方が持つ甘いアロマの香りを、俺は一杯に吸ってしまった。
なぜだろう。体が動かなくなる。
「うふふ……ジブラルタの国花は、何だか知っていますか? トール様」
「………い、いったい何を……」
「なぜあの国が、女王制で、女性の方が地位が高いのか、知っています?」
クスクス……クスクス……
王女のクスクスと笑う声が頭の中に響いて、そしてだんだんと遠くなっていった。
ふと思い出したのは、ジブラルタの国花は、アマリリスの花であった事。
確か、淡い紫色をしたヴァイオレット・アマリリスだ。
「……ハッ」
目が覚めたら、そこは先日も見たような、天蓋付きのベット。
白いレースのふかふかした毛布に埋もれていた、俺。
暗い部屋から見える空は、既に少し明るくなっている。
「……こ、これって次の日……?」
そりゃそうである。
俺は何故か、あのアロマを嗅いで、急な眠気に襲われたのだ。
「お目覚めですか」
「……!?」
なぜか側にレピスが。
「おおお、おま、お前っ……なんでこんな所に……っ!!」
何故か布団をたぐり寄せ、後退する。
レピスは白々と俺を見ていた。
「何、ではございません。マキア様と夕食を食べると言う約束を破ったではないですか。あのメイドが、トール様が王女と夕食をとるという旨を伝えにきたのですよ。マキア様は仕方が無いと言っていましたが、心細そうにしておられました……」
「………」
「ついでに怒っておられました」
「そっちだろ。そっちがメインだろっ!!」
「これをどうぞ……マキア様からです」
「……?」
レピスは俺に、一枚の紙切れを手渡した。
俺はそれを恐る恐る覗き込むと、そこには日本語で「仏の顔も三度まで」と殴り書かれた字が。
「…………」
どういう意味だ。いや、意味は何となく分かる。
問題は今、何度目かと言う事だ。
「ちなみにマキア様は、“今回は2度目”だとおっしゃっていました……。何の事だか分かりませんが」
「多分、一度目が俺が王女の騎士になる事で、今回が二度目って事だろう。……次は無いな」
「しかし、どうされるおつもりです。ルルーベット王女はあなたを束縛しておられるのでしょう? 驚きました……ヴァイオレット・アマリリスのアロマがこちらの部屋にまで漂ってきますもの」
レピスは少し眉を寄せ、黒いローブの袖で鼻と口辺りを抑えていた。
「なあ……この香りって……」
「ええ。ジブラルタの象徴であるこの花の香りは、魔法薬の絶妙な調合によって、男性にしか効かないあらゆる薬になるとか……。恐ろしいですね、媚薬なんて盛られたら、あなたは色々な意味でおしまいです。人生終了です」
「うわあああああ、助けてくれええええええ!!!!」
「しっ、お静かに。隣の部屋の王女が目を覚ましてしまいます」
と、その時だった。
どこからか凄まじい視線を感じ、俺とレピスは隣の王女の部屋と繋がる扉の方へ視線を向ける。
「………何をしているのです?」
そこには、ネグリジェ姿の、王女が。
じっと、ただじっとその瞳で、こちらを見ていた。
「あ、やばっ……。あ、では私はこれにて……」
「おいお前、今やばって言ったよな。言ったよな!!」
レピスがそのような言葉を使ったのにも驚きだが今はそれよりも、彼女がこのように驚いて慌ててしまった事に、俺自身がビビる。
魔術師でもなんでもないルルーベット王女に、とてつもない何かを感じ取ったと言う事だから。
レピスは得意の空間魔法で、そそくさとこの場を去った。
俺だけを残して。
「…………」
「……トール様。あの女は誰ですか?」
「い、いや……その……」
「うふふふ、どうせ魔女の差し金でしょう? 分かっていますよ分かっていますよ。わたくしたちの絆を引き裂きに来たのですね」
「違います。マキアは仕方が無いと……言ったそうですから」
それに、絆を裂かれそうなのはこちらの方だ。
「王女、俺にアマリリスの魔法薬を使いましたね。普通、信頼のある姫と騎士ならば、そのようなものを使ったりいたしません。……今後はやめて頂きたい」
俺は若干怒りを感じていたし、焦っていた。
ジブラルタから王女の持って帰った薬は実際とても危うい。
ユリシスの様に、体内で毒を分解するなんて芸当、俺には出来ないし、体を傷つけられた訳では無いから治癒魔法も効かない。
意識していれば、少しは効き目を薄める事が出来るだろうが、そもそもこんな薬を使われるとは思っても見なかったから。
「でも……でもトール様、それでしたらトール様は、わたくしを置いてあの魔女の所へ帰ってしまうのでしょう!?」
「………いいえ、あなたの騎士である間は、あなたの側にいます。それが仕事ですから」
「嫌です!! わたくしはそんなの……っ!!」
「ならば、他の騎士を探すべきです」
俺は少し声を低めた。
すると、王女は少し焦ったような表情になる。
「……トール様?」
「すみません、自室に帰ります……。また、後で来ますから」
俺は彼女から視線を逸らし、上着を着て急ぎ足で部屋を出た。
まだ暗い廊下を歩いて、長い長い渡り廊下に出る。
渡り廊下からは、このミラドリードの夜明けを伺え、スッキリと清々しい空気を吸う事が出来た。
あの甘い香りを、精一杯払う。
「…………はあ」
ルルー王女は、いったいどうしてあんな風になってしまったのだろうか。
ユリシスに聞いてみたら、幼い頃は普通に可愛らしいお姫様だったらしいじゃないか。
分からないな。
ただ、この離れの塔に彼女だけが住んでいると言う事が気になる。
そして、俺は少しだけ思い出すのだ。
僅かに、前世の事を。黒魔王になる前の、幼かった頃の事を。
「………マキア……起きてるか??」
まだ朝が早いから、軽く彼女の部屋の戸を叩いてみる。
はい、シーン。
ですよね、寝てますよね。
「なに、あんた今帰ってきたの?」
「うわああっ!!」
背後からマキアの声が。
俺は彼女の部屋の前で一瞬飛び上がった。
「朝帰りとは大層な御身分ね。……寝癖が凄いんですけど」
「え、マジ……」
「言い訳なら中で聞くから、お入りなさい」
マキアはあくびをしつつ、自分の部屋を開けた。
「あんたが帰ってこないから、私は隣の部屋に居るノアの部屋で、レピスと一緒に食事を取ったのよ」
「……ノア?」
「ふふ、トワイライトの一族の男の子よ。あんたが他のお姫様の騎士になったものだから、レイモンド卿が護衛を追加なさったの。今スミルダが王都に来ていてね、久々に会ったんだけど……まあちょっと色々とあってね。護衛を追加してくれていて、本当に助かったわ」
「スミルダが来ているのか。……何があったんだ?」
「魔族と変な男たちに襲われたのよ。……私か、スミルダの魔力に反応したんでしょうね。男たちが何者なのか良く分からないけれど、他大陸の武器を持っていたから、この前レイモンド卿が言っていた事と絡んでいそうだけど」
「…………」
マキアは温かいココアをいれてくれた。
それにしても、彼女はとても眠そうだ。
「お前、今まで隣にいたのか?」
「そうよ。ノアと一緒に、トランプしてたの。あの子頭がいいから、すぐ負けちゃうんだけど。ちょっと照れ屋でツンツンしているけど、そこが可愛いのよね……」
「…………」
「船が大好きみたいでね。部屋に沢山の模型があったの。ああいうのいじっていたから、魔導要塞のイメージに“船”ってものが浮かんで来るんでしょうね。………まだ12歳なんだけど、凄いわよね」
「………なんだ子供か」
俺はココアを啜りながら、しれっと呟く。
マキアは「そうよ、昔のあんたをもうちょっと小柄にした感じ」と。
「でも凄い才能だわ。あんた、会った事が無いなら、今度会ってあげてよ。魔導要塞に凄くこだわっていそうだったから」
「……子供に魔導要塞のリスクは大きいだろうに」
「そうね。……あの子も義手だったわ」
「………」
マキアはそう言いつつ、ジトッと俺を見ている。
さあ、次はお前の番だと言う様に。
「……え、えっと……今日はごめん……な?」
「あ?」
「だから、夕飯一緒に食べるっていう、約束を守れなくて!! ごめん!!」
「………」
頭を下げ手をパンと合わせ謝る俺に、マキアはただじーっと、その瞳を細めていたけれど、ふうと小さく息を吐く音が聞こえた。
「別に、良いわよ。事情もレピスから聞いて分かっているし。……でもね、あんな小娘に好きな様にされてるんじゃないわよ、黒魔王の名が泣くわよ!」
「……ええ、ええ……もうおっしゃる通りで……」
「昔のあんたは、もう本当に魔王気取り大物気取りの、クール系装っていたくせに!!」
「やめてえええええ」
って、それを言うならお前だって、昔はもっといかれた魔女だったはずだ。
いやはや、昔の事を触れられると恥ずかしいですな。
「……でも、まあいいわ……。こうやって、ちゃんとここまで来てくれたんだか……ら……」
彼女はココアのカップを机に置くと、そのままうとうととして、終いには額をガンと机に落とし、そのまま沈黙。
「……マ、マキア……?」
「…………」
完全に寝てしまった様だ。
就寝までダイナミックな奴め。
俺はそのまま彼女をベットまで連れて行き、毛布を何枚も掛ける。
長い髪が顔にかかっていたのを払って、寝顔を伺いつつ、ベットの端に座ったまま。
「……すまないな、マキア」
頭をポンと包む様に撫で、そして立ち上がる。
ココアの香りしかしないこの部屋を出て、俺はまたあの北の離れの棟へ行くのだ。