05:御館様、でかい魚を待つトールと堤防にて。
私はエルリック・オディリール。
大切な書類を盗まれ、腰をギックリしてしまった私は、勇敢な少年によって最悪の事態を免れた。
黒髪と黒目の印象的な、なかなか器量の良い少年のようだ。
私はその少年を捜そうと思い、町の住人に聞いて回っている所だ。
「トール・サガラームという少年を知っているかね」
町行く花売りの娘に聞くと、その子は瞳を大きくして、笑顔で答えたものだ。
「もちろん。とても可愛い煙突掃除夫です。あんなに良い子は、そうそういませんよ。前に暴漢から助けてもらった事があるんです」
八百屋の旦那はこう答えたものだ。
「ああ、知ってますぜ。確か東の大陸から移住して来たんだっけな。お袋さんが病気で、あんな幼いのに煙突掃除やってるって話です」
富豪の夫人はこう答えたものだ。
「知ってるも何も、ご贔屓にしてあげているざます。あの子が煙突掃除をしたら、煤一つ残らないざます。隣の通りの白い三角屋根の家の親分さんに雇われているざます」
白い三角屋根の家の親分はこう答えたものだ。
「ああ、あの子は今日のノルマを達成したから、もう帰ったよ。12番地の海辺の小屋に住んでるぜ」
さて、なかなか評判の良い少年のようだ。
南の大陸の人間は、他の大陸から逃げ移住して来た者を良く思わず、差別する者も結構居るが、なかなかどうしてこの町に溶け込んでいると見える。逆境をはねのけ自分の立ち位置を確立する事は大人でも難しいと言うのに、大した子供だ。
少年はすぐに見つかった。海沿いの12番地の小屋の前の堤防で、海に釣り竿を垂らしている。
私はその子の後ろに立った。
「やあ、今日は良く釣れるかね」
「…………」
少年トールに間違いない
。振り返ったその顔は、さっき見た整った面立ちだ。
「どうかな〜。予定では大物が釣れるはずなんだけど」
彼はくすくす笑いながら、釣り竿を固定し堤防から降りた。
「どうしたのおじさん。また何か盗まれたのかい?」
「………いや、まだ君にお礼を言っていなかったと思ってね。先ほどはどうもありがとう。本当に大切なものが入っていたんだ。君に言われた通り、今では服の中に隠しているけどね」
私は屈んで、視線の位置をトールと同じにした。
なかなか度胸のある子供である。私がまっすぐ見つめても、何て事無さそうにしている。
「何か欲しいものがあったら言ってくれ。助けになれることがあったら。……私は君にお礼がしたいんだ」
「うーん、そうは言われてもなあ。欲しいものなんて選べないほどにあるし、やってほしい事だって沢山ある。その中で全てを叶える為には、沢山の金が必要なんだ」
私は素直に、お金が欲しいと言うかなと考えたものだ。しかし少年はニヤリと笑う。
「もっと金の稼げる仕事を紹介してくれよ。貴族様だったら何か知ってるだろ? 俺、お袋を良い病院に看てほしいんだ。……どう?」
「……ほほう」
こりゃあ参ったな。
本当にこの子は年端のいかない子供なんだろうか。まるで立派な大人の考え方だ。
そして、ふと思い至ったのだ。このように口達者で大人顔負けの考え方が出来る子供なら、マキアの話し相手にも十分通用するのではないだろうか。
きっとそうだ。神が私に、この少年を巡り会わせてくれたに違いない。
「わかった。では、うちの屋敷の使用人として雇おう。君次第だが、報酬は期待していてくれ。それと、君の母上に関しては心配しなくていい。デリアフィールドには良い病院があるんだ。私が手配しよう。……どうかね、君の衣食住は保証されると思うが」
「……なるほど。なかなか良い提案だねおじさん。でも、俺今の親分に雇われている身だから、そっちから買い取ってもらわないといけないよ。そこまでして、俺を雇ってくれるの? 俺は何をすれば良いんだ?」
「ほほう。私を試しているのかねトール。いいだろう、親分から私が君を買い取ろう。…君には私の娘の従者となってもらいたい。なあに、話し相手をして、護衛をしてくれれば良い。それなりの教育を用意しよう」
「へえ、悪くないね。いいよ、その話乗った。えっと、あんたデリアフィールドのオディリール伯爵?」
「そうだとも。良く知っているね」
「だってあそこの伯爵家の御館様は、お人好しだって聞いた事があるからな」
私はまた驚いた。
この子供が自分の名前を知っていた事もだけど、それを私だと当てた事が。
そうして私は恥じたのだ。自分がまだ名乗っていなかった事に。
この拾いものに、他人はまた私の事を「お人好し」とバカにするかもしれない。
しかし、私にはちょっとした確信があったんだ。
この子は世界中どこを探しても、そうそう見つかる事のない子供だろうって。
なぜなら、娘のマキアと同じような瞳をしている。
明日はマキアの誕生日だ。
あの子はこの少年を、気に入ってくれるだろうか。