38:トール、エスカの視線を見逃さない。
「ご祝儀タックル!!」
トールです。
ペルセリスとユリシスを浅瀬の中に押し倒し、よっしゃとハイタッチする俺とマキア。
俺たちを忘れて熱エネルギー発生させてんじゃねえよと。見せつけてんじゃねえよと。
「……あたたた、僕結構怪我してるのに……」
「どうせもう治りかけてるだろ」
俺はそう言いつつも、色々と頑張ったユリシスの手を引き、立ち上がるのを手伝った。
これからが大変だぞと、余計なお世話な表情で。
マキアもペルセリスの手を引いている。そして女子同士らしくキャッキャとしている。何なんだろう。
彼女たちが波を蹴る音が心地よい。
ユリシスは海から上がりながら、俺を久々に会った友人のように見る。
「トール君久方ぶり」
「いやいや、今朝会議前に会ったじゃん」
「あれ、そうだっけ。もう何十年も会ってなかった気分だよ。なんせ記憶の中の君はまるで別人のような上に、あんまり出番もなかったもんだから」
「何言ってんのお前」
ユリの言っている事の意味が良く分からなかったが、マキアが隣で声を殺し笑いを押さえ込んでいるその様子が気になる。
何? 何なの?
「黒魔王って結構ぶってたよね」
「ええぶってたわね。思い出すと死にたくなるレベルで」
「……は?」
ヒソヒソ噂話のように。
ユリとマキアにいったい何があったと言うのか。
「ねえ……さっきのあの人、どうなったの?」
ペルセリスが服の裾を絞りながら、砂浜に出て、海を振り返りつつ首を傾げた。
俺たちはやっと思い出した様にハッとして、そして悲しい顔をする。
「エスカ……なかなか手強い奴だったよ」
「惜しい逸材を亡くしたな」
「合掌」
俺とマキアとユリは海に向かって手を合わせる。
「死んだの!?」とつっこんでくれるペルセリスはやはり俺たちの中ではまともな部類だ。
「死んでねえよ!!!」
あれ、どこからか声がした。
キョロキョロ声の行方を探ってみると、それはいきなりサバアアアと海中から現れた。
大きな黒い亀に助けられ陸に戻ってきた、例のエスカ。わかめを頭に乗っけて、ユリに殴られた腹を抑えている。
「良かった、生きてたんですね」
「良かったって、おま、さっき手を合わせてただろうが!! 殺すぞ!!」
殺されかけたのはお前だった訳だが、まあいい。
エスカはどこか悔しそうに歯をむき出しに噛み締めていたが、これだけ喋れるならこいつもまだまだ元気だって事だ。
黒い亀は第二戒の人型の姿になった。肩程の黒髪の幼い少女だ。頭に飾り帽子を被っている。
「負けちゃったねビビ」
「くそっ、俺はまだ本気出してないだけ!!」
「小物臭凄いからそう言う事言うのやめようネ」
精霊に嗜められ、哀れみの視線を向けられている。何だかこいつらの関係はユリと精霊のそれとは違う様だ。
ユリシスはエスカに手を差し出した。
「勝負をしたとは言え、あなたは全ての精霊を使った訳ではないし、まだ魔法陣の余裕もあるようです。本気を出して居ないと言うの分かってますよ………お義兄さん」
「どさくさに紛れててめえ何言ってやがる!!」
エスカはユリシスの胸ぐらに掴み掛かり怒鳴り散らすが、その時ハッと気がついた。
「……お義兄さん?」
ペルセリスが目を点にして小首をかしげている。
ここで空気の読めなかったマキアが一言。
「あ、そうそう。エスカってペルセリスの実のお兄さんなんでしょう? びっくりだわーこんなに似てない兄妹が居るなんて」
「………え」
ペルセリスの表情が大きく変わった。
ついでにエスカの表情も。口をあんぐり開けたまま石化する。
「お……兄……ちゃん? 私の……?」
「うわああああああ!!!!」
エスカ発狂。
ユリシスの胸ぐらを掴んでいたのを乱暴に離し、もの凄い形相でマキアの方へずんずん進んで行く。勢いに押されマキアは数歩下がったが、エスカは彼女のローブの首元を捕え、額に青筋を立てていた。
「てめえ……よくも巫女様の前で………」
「ええええええ。だってあんた、割とあっさりバラしてたじゃない私たちには……」
「巫女様はダメだって言ってるのに!!」
言ってませんでしたけどね!!
マキアはやってしまったのかもと言う様に青ざめ、視線を俺に向けてきた。
俺は小刻みに首を振って、「ダメかも」と言ってみる。
すでにペルセリスは期待の眼差しでエスカを見上げている。
「ビビ……私のお兄ちゃんだったの? 聞いた事はあるの。世界に調査に出ているお兄ちゃんが居るって。……そっか」
「………あ、あわ……」
さっきまであんなにハイテンションだったエスカの、足の震え様が凄い。ガクガクである。
なんでこいつ、こんなに兄である事を隠したかったのか。
「そっか……ビビが……私のお兄ちゃんの“トリスタン”だったんだね」
「………」
「あ、情報が見えた」
まさかの本名暴露。教国出身の人間は姓が無いから、一つの名前だけが本人の名と認識されるらしい。
ビビッド・エスカの本名はトリスタンだったらしい。でもやっぱりエスカの方がしっくり来るな。
マキアは瞬時に奴の名を読み込み、目をまん丸くさせる。
「うっそ!! やっぱりこいつ魔王クラスだわ!! だって魔力数値が130万越えてるもの!!」
「ほーら。絶対そうだと思ったんだよ。あの魔法陣のストック数はおかしい」
「と言う事は、いったい何者なんですお義兄さん」
「………」
めくるめく情報開示に、エスカはさらさらと砂になっていく。
そう言えばこいつ、自分の名前知らないって言ってなかったっけ?
もしかして今初めて、自分の名前と魔力数値知ったりとか?
「あーあ……やられたネ、ビビ」
「………お前たち……絶対……絶対殺すからな……っ」
声を低めて三白眼を血眼にさせている。
ヤバいガチギレだ。
「はいはい、ちょっと通りますよ?」
パンパンと手を叩き、俺たちの前に当たり前の様に現れたメディテ卿。
またストーキングですか。
「やあエスカ。3年ぶり」
「……ウルバヌス……てめえどっから現れやがった!! またストーカーか!!」
わざとかそうでないのか、この空気の中エスカに向かって笑顔のメディテ卿。
ああ……やっぱりこいつにもストーカーしてたんですね。流石魔王クラス信者。
「あれ、メディテ先生こいつの事知ってるの?」
「ああ勿論だとも。本名までは知らなかったけど、稀に彼がこの国に帰ってくる事もあったから」
メディテ卿は眉を八の字にして含み笑い。相変わらずただ見ているだけでもムカつく表情だ。
「エスカ、君の事をこの者たちに話しても良いんじゃないかね?」
「は!? なんで……」
「だって、同じ魔王クラスじゃないか……」
「………」
エスカ、まず白賢者であるユリシスを見る。そして独りでに頷き、そして俺を見る。
「……お前、魔王クラスだったのか」
「今更!?」
奴は顎をさすりながら、唸る。そして、人差し指で俺を指差し「黒魔王!!」と叫ぶ。
俺はまた「今更!?」と返す。
そして奴はペルセリスを見て、また独りでに頷くと、今度はマキアの方を見て大きく表情を歪めた。
「………な、何よ……」
「お前、魔王クラスなのか」
「……だったら何よ」
「紅魔女だろう」
「………い、今更……」
本当に今更だ。
エスカはニヤリと片口を上げると、親指で自らを指し、何故かとても偉そうにふんぞり返る。
「俺は1000年前、教国ヴァビロフォスを建国した“聖灰の大司教”だ。要するに教国は俺の国!!」
「………マジか……想像と違いすぎて……マジかあ……」
想像では、聖灰の大司教はもっと崇高で威厳のある清らかな人物だと思っていた。
メディテ卿が優雅に煙管を吹きながら、付け足す。
「ちなみに、1000年前の大司教も、当時の緑の巫女の兄だったと言われている。聖域の住人と神官たちの抗争を終わらせ、新たな“教国”としての体制を作った偉大な人物だよ。教国に像もあるよね」
「そうだ。もっと褒めろよ褒め讃えろよ」
いやはや、そんな事を言われても、目の前の姿と、聖域の大司教の情報がなんとも噛み合ない。
こんな中二病こじらせたような奴が、そんな偉大な事をどう成し遂げたと言うのか。
それとも、当時はまともだったのか? いつからこんな哀れな事に?
「お兄ちゃん……凄い人だったんだね」
ペルセリスはさっきからとても興味深そうにしている。
エスカは表情をキリッとさせた。
「………巫女様。言っときますけど、俺を“兄”として見るのはやめて下さい。俺もあなたを“巫女様”として扱いますから。い、妹だとか、そ、そんな……」
「なぜどもる」
エスカの言葉に、ペルセリスは少しシュンとする。
自分の手に持つ白桔梗の花をクルクル回しながら「でも……」と上目遣い。何ともいじらしく卑怯なご様子だ。
流石のエスカも立場の無いような顔で、目を回し始めた。面白いなこいつ。
「ああああ、もう!! 分かった……分かりました!! この男の推薦人になりますよ!! 勝負に負けた訳だし、潔く約束は守ります!!」
「……あんた敬語とか使えるのね……」
一応、腐っても元大司教。今も司教。緑の巫女という存在に対して尊ぶ心はある様だ。
ペルセリスはパッと表情を明るくして、ユリシスの方を見た。
ユリシスも彼女に軽く微笑み返すと、エスカに対しても深く頭を下げる。
「ありがとうございます……お義兄さん……」
「だからそれやめろって。殺すぞ」
エスカは何だか目の下の隈を余計に色濃くして、げっそりした様子だ。
「……チッ」
舌打ちすると、ブラクタータに顎で合図し、この場を去ろうとする。
「お兄ちゃん良いじゃないのヨ。妹萌えだヨ」
「うっせタータ」
しかし去り際に、奴はさり気なくマキアを一瞥する。流れるような視線だったが、その一瞬の鋭い殺気を、俺は見逃さなかった。
青と緑のオッドアイが、深く光った気がした。
「……あいつ……」
マキア本人はユリシスとペルセリスをいじっている。
この二人の関係が何とかなったのはホッとする事だが、気がかりと胸騒ぎは、また新たに芽を出した。
「……エスカは教国の為なら、聖域の為なら何だってするだろう……」
俺の表情の変化を見逃さず、メディテ卿が横で意味深な事を言う。
「1000年前から、聖灰の大司教が最も気にしていたのは、やはり“棺”と“緑の幕”の不完全さだ。さあて、これからどうなる事やら……」
「………」
潮風が冷たい。
エスカの背中が遠くなって行く。
転々とした足跡に、奴もまた長い記憶の中に遥か昔の大業を残し、何かを背負った存在なのだと思い巡らせる。
俺は眉を潜めた。




