03:御館様、港町にて腰砕く。
私の名前はエルリック・オディリール。
南の大陸の大国、ルスキア王国の一伯爵だ。
田舎ながら、豊かな実りと広い敷地を有したデリアフィールドをまかされている。
今日は隣の海沿いの町、カルテッドへやって来た。流石に港町は活気が違う。
塩気のある海の香りを嗅ぎ、白い海鳥の鳴き声を聞くと、やはりどこか高揚してくるものだ。
なぜ私がこの町へやって来たのかと言うと、ここの領主と貿易関係の取引があったからだ。
なかなかいい取引だったと思う。デリアフィールドの今年の生産高は近年稀に見るほどで、カルテッドも市が潤っている事から、小麦や果物を多く言い値で買い取っていただけだ。
まあ、私の営業力が凄いって言うのもあるかな。
さて、実は明日が、我が愛娘マキアの誕生日であった。
妻に似て美しく、それでいてとても聡明な娘が7歳になる。
7歳とは言え、そこらの7歳の娘とはまるで違う。
大人ですら顔負けするような難しい事を言ったり、どこか地に足の付いた佇まいなのだ。
しかも、子供にしては物欲に乏しい。
ただ、食べる事が大好きでグルメだ。そこは可愛らしいと思っている。
なかなかプレゼントを与えるのが難しい娘ではある。実は先週、娘に何か欲しいものがあるか聞いてみた。
部屋でこの国の歴史の本を読んでいたマキアは、少し考え込んだ後「同じ年頃のお友達」と答えたのだ。
いや、彼女に友達がいない訳ではないが、だいたい他の貴族の娘たちは彼女と話が合わないのだ。どう見てもマキアが合わせているように見える。
要するにマキアが欲しいものは、話の合う同年代の子供と言った所だろう。
「なら、あの子に同年代の世話係を付けてはどうかしら。少しくらい年上でもいいんじゃない? あの子には気の合う友達が必要なのよ」
妻エレナは少し困ったようにしていた。
そんな都合の良い者などポッと出てこない。そもそもあのマキアと話の合う子供がいるんだろうか。
「ヨーデル、お前はどう思う? いったいどこからあの子の世話係を見つければいいと思う?」
「はい御館様。それはもう、どこぞの山奥のおじいさんの家でパンとチーズを食べて育った娘を連れてくるか、孤児院から引き取って使用人としての教育を施すか……使用人たちの子供にちょうど良い者が居りませんゆえ」
「……うーん、難しいの〜」
「マキア様の世話係となると、どこぞの馬の骨とも知れない者ではいけませんからね」
「どうかの〜。むしろ馬の骨くらいがあの子の興味を引きそうなものだが」
私は海辺の露店で、幼い娘が喜びそうな人形やアクセサリーを見ながら、少し肩を落とした。
このようなもの家にいくらでもあるし、あの子が驚き喜ぶとは到底思えない。
喜んだふりをするのだ。そんなのは見たくないなあ。今年も食べ物重視かなあ。
ヨーデルは相変わらず能天気な面構えで後ろに控えている。
しかし、安心安定のゆとり使用人ヨーデルだ。
彼がぼけらっとしているうちに、抱えていた荷物が厳つい男に盗まれたのだ。
「ああああ、あの中には今日の商談の大切な書類があああ!!!」
説明口調な私であるが、別に焦っていなかった訳ではない。
むしろ多いに焦っている。
治安の良いデリアフィールドと同じていで、無防備だったのは確かだ。ここは港町。様々な場所から危ない者もやってくるし、海賊だっているらしい。
それに付けてもヨーデルの足は遅い。まるで使えない。
この私が一生懸命、盗人の男を追いかけた。
「まてい、盗人め!! お前はいったい誰から物を盗んでしまったと思っている!! 我こそはデリアフィールドの………」
ゴキ
嫌な音。そしてそれが、何を意味している音なのか知っている。私は腰痛持ちだ。
この歳で全速力で走るもんじゃない。私は露店の立ち並ぶ道で、無様に転けてしまい腰砕けになった。
「だ、誰か…その男を………」
縋るように町行く人々に手を伸ばした。どんどん男が遠くなって行く。
あれが無くなってしまっては大損失間違い無しだ。ヤバい、どうしよう。
私がしょぼい走馬灯みたいな人生録を脳内再生させていた時の事だ。
盗人の男がダイナミックな転げ方をしたのだ。果物屋につっこんでいくのがかろうじて見える。
何だ? いったい何が起こったんだ?
私は痛む腰を抑えながら、遅れてやって来たヨーデルに担がれ、そちらの方へ連れて行ってもらう。
「おい、おじさん。これおじさんのだろ?」
そこには、漆黒の髪と瞳を持った、ここらでは珍しい風貌の幼い少年が、煙突掃除用のモップを片手に立っていた。
もう片方の手に先ほど盗まれた荷物があり、少年はそれを私に渡す。
「ああ、もしかして君がこの男を?」
果物屋につっこんで、オレンジにまみれている大柄の男を指差して、私は半信半疑で聞く。
少年はこくりと頷き、少年らしからぬ呆れた顔で笑うのだ。
「見た所貴族様って感じだけど、この町じゃ大切なものは服の中にでも入れときな。そこの能天気そうな兄ちゃんじゃあ、ちょっと危ないぜ」
「……」
見た目だけの判断なら、この子はマキアとそう変わらない年頃のように思う。
いくつか年上くらいか。
しかし、何だろうか。この独り立ちした物言いといい、出で立ちは。
真っ黒の瞳のもつ力強さは、どこかマキアに似ていると思う。
「君……名前は?」
私は思わず聞いてしまった。
「トール・サガラームだ。煙突掃除の御用があったら、どうかごひいきにってね」
ニヒルな笑みを浮かべるこのトールと言う少年は、手に持つ長いモップを自在に回して、足取り軽く走り去って行った。
これが、私とトールの出会いである。