31:ユリシス(ユノーシス)、追憶5。
(追憶・5)
約2000年前
南の大陸・ヴァビロフォス
ユノーシス:200代〜
勇者たちが順調に育っていたこの時、聖域が若干不穏な動きを見せていたので、僕は一時ヴァビロフォスに留まる事にしました。
聖域の住人と、ヴァビロフォスを信仰する神官、また緑の巫女であるエイレーティアが対立していたのです。
主に緑の巫女の花婿候補について。
「だから私、あの男たちに言ってやるのよ。私の一番好きな花を一回で言い当てたら結婚してあげるって」
「……またそのような」
「うるさい。ならあなたは知っているの?」
「………蓮花がお好きだったような……」
「それは小さい頃に一番好きだった花よ。今は全然違う……」
その頃の巫女様は、現状が現状なだけに、頑に花婿を拒否し続ける事で長老や神官たちに反抗しているようでした。
幼い頃の無邪気で素直で、可愛らしかった巫女様が、今は父親を嫌がる思春期の娘のようで、僕もまた彼女に拒絶されている節がありました。でも、分かってました。彼女は寂しいのです。
幼くして母を亡くし、聖域の事情に振り回されてきた彼女の孤独を思うと、ずっと側にいてあげられたらと考えてしまいますが、僕には他に使命がありましたからそう言うわけにもいきませんでした。なかなか帰ってこない僕に、彼女は心を開かなくなっていました。
さて、聖域の問題を、たかが花婿問題とは思いませんでした。緑の巫女にとって次代の巫女を産むと言うのは、ある意味唯一絶対の使命でしたし、その血を繋げていく為の花婿の選択は、ヴァビロフォスの将来に関わる事だと考えていましたから。
それは当然、当事者たちの意識の中にもあり、花婿候補がそれぞれの陣営の駒だったと言っても過言ではありません。
聖域の住人たちは、今までの秩序を乱さず、聖域の住人の中から取り分け力の強い若者を花婿にと言っていましたが、聖域の信仰を広めたい神官たちは、ルーベルキア王国と裏で手を取りあい、第三王子を花婿にと考えていたようでした。それに長老は怒り、更に二つの立場の関係は悪化していました。
長老率いる聖域の住人側も、神官側も、それぞれの立てた花婿候補をエイレーティアに選んでもらおうと躍起になっていましたし、エイレーティアはそれに猛反発していたものですから、話は全く進まず。
僕はそれこそ、流血ものの争いにでもなったら困ると思い、聖域にて睨みをきかせていたのです。
二つ前の長老の時代からヴァビロフォスと縁があり、広く名の知れた白賢者という存在の抑止力は、まあ自分で言うのもなんですが大きかったわけです。僕自身、たった一人で反発している緑の巫女の支えとなって、慎重に婿選びが出来るよう手伝えればと思ったのです。それこそが、僕をいつも導いてくれた聖域、見送って来た緑の巫女への恩返しであると。
そう思っていたのです。
「……はい?」
耳を疑いました。
長老はいつまでも婿を選ばない巫女様に焦りを感じていた様で、いよいよ僕を巫女様の花婿にと言ってきたのです。
聖域側からしたら、若干目の上のたんこぶの僕だとしても、ルーベルキア王国に干渉されるよりよっぽどマシだと言う判断だったのでしょう。それに僕だったら、相手もうかつに手を出せないからと。
正直、頭が真っ白になりました。
だって、生まれた時から面倒を見ていた巫女様と自分が結婚するなんて、何かがおかしいでしょう。
娘すら飛び越えて、孫にも似た感覚を持っていたのですから。
「ちょっとお待ちなさい長老。私はあなたより歳を食っている、巫女様から見たらただの老いぼれです。それはあまりに巫女様が……」
僕はエイレーティアの様子を伺いながら、少し焦り気味に物申しました。
しかし長老はどうしても「お引き受け下さいませ」と言うばかり。
エイレーティアはどこか心あらずと言う感じで、僕はしまったと思ってしまったのです。
これでまた彼女が、花婿を受け入れる事に対し不信感を得てしまうのではないかと。
僕自身、この時は緑の巫女の花婿になると言う事に、良いも悪いも考えていませんでした。ただ、エイレーティアの為にどちらが良いのかを考えていたのです。
「それは無理です、長老」
僕は首を振りました。
「私と彼女では生きていく時間の流れが違います」
確かな問題を上げ、否定しようとしたのです。
それが彼女にとって、そして“僕”にとって良い事だと。
ただその瞬間垣間見たエイレーティアの表情が、痛々しい程に心細そうだったのが気にかかりました。瞳が空を捕え、それでいて色を感じなかったのです。
「……っ私だって、あなたみたいな老いぼれくそじじい、断固お断りよ!!」
そして彼女は、どこか怒った様に立ち上がり、僕に向かって言い捨てました。
強がっていたけれど言葉は震えていて、去っていく彼女の背中は小さく、今にも崩れてしまいそうでした。
もしかしたら彼女は僕に、何か求める事があったのかもしれない。
僕は考えを改め、長老と向き合いました。
「……いったい、何をお考えなのです、長老……」
「………」
「私はあくまで第三者としての立場で、ヴァビロフォスを見守る事が出来ればと思っていました。今までの様に。しかし、私を引っ張り込んでまで、神官たちを出し抜きたいと言うのですか。……あなたが緑の巫女……エイレーティアの事を第一に考え私を選んだと言うのなら、私も真剣に考えねばと思います。しかし……」
「……賢者様。あなたは何か勘違いしておられる様だ」
「……?」
長老は意味深に笑いながら、長く白い髭を撫でています。
年老いた彼の声は嗄れていたけれど、とても力強く感じました。
「あなたは巫女様と生きる時間が違うと言いました。それは、あなたの魔力数値が影響している事であると、あなた自身知っておられる」
「……ええ」
「では、巫女様の魔力数値がいかほどか気にした事は?」
「巫女様の……魔力数値?」
僕は今まで、緑の巫女の魔力数値と言うものを気にした事はありませんでした。
当然魔力数値というものは魔術を使う際求められるものであり、確かに巫女様も神秘的な力を帯びてはいるけれど、確かな魔力数値を知らなければならないものという認識はありませんでした。
「確かに巫女様は魔術師ではありませんが、歴代どの方も優れた数字を出しておられます。しかし、今の緑の巫女様……そうエイレーティア様は特別です」
「……」
「あなた様とそう変わりませんよ。黒魔王、紅魔女、また異世界から来た伝説の勇者と並ぶ、100万mgを越える存在。彼女の魔力数値は130万強。白賢者様……聖域の中だと全く気がつかないでしょうけれど、これがあの方が生まれた時に測定した確かな数値なのです」
「……っ130万!?」
驚きました。
この時代の僕より大きな数字だったから。
そしてその瞬間頭によぎったのは、そこはかとない喜びと不安でした。
もしかしたら彼女は自分と同じ時を生きてくれる存在かもしれない。
もしかしたら彼女もまた、自分と同じ様に長い時に翻弄され続けるのかもしれない。
そして、その喜びと不安と言う二つの正反対の感情が、ただ一つの結論を出していったのです。
聖域の聖なる泉から上がったばかりの巫女様は、やはりどこか神聖な空気と光の中にいて、まだまだ子供だと思っていた彼女の大人びた表情と出で立ちに、言葉を失ったのは言うまでもないのです。
やはり僕はこの時既に、彼女を一人の女性として見ていたのでしょう。
「巫女様……私と夫婦になりますか?」
「………」
数日考えた上での、僕の結論でした。
あの日から巫女様はどこか無気力で、痛々しく、現状に疲れ果てているように見えました。もし彼女が僕を必要としてくれたなら、僕と言う存在に安心を覚えると言うなら、彼女と共に人生を歩もうと、そう考えたのです。
そして、多分それは、自分自身求めていたものなのかもしれないと。
「いえ、違いますね……すみません。私と夫婦になってくれませんか……ですね。すみません……全く私は……」
「……は?」
それにしても僕はプロポーズが下手でした。
「なにそれ、長老に言いくるめられたの……? おかしいじゃない、この前は無理だと言っていたのに。私はそんなに哀れ? それが、賢者様の導き出した最良の決断ってわけ……」
彼女はひねくれた返事の後、我慢していた糸が切れた様にぼろぼろと泣き出しました。
当然、僕は一度彼女との結婚を否定したのですから。それが彼女をどこかで傷つけていたのです。
この時の僕にはその事を分かっていました。だからこそ、自分自身彼女の涙に痛みを感じたのです。
側に咲いている小さな白桔梗の花が、どこか彼女のように思えました。
「巫女様……私はきっと、一生誰とも寄り添う事は無いだろうと、そうすべきだと思って生きて来ました。今はこんな風ですけれど、私にだって若い頃があったのです」
本当は、もっとスマートで、もっと気の聞いた話が出来れば良かったのです。
だけど、それはとても難しい事でした。ただシンプルに気持ちだけをぶつける事が出来れば、かっこ良いプロポーズが出来たかもしれません。
でも口から出てきたのは、長い長い記憶への皮肉。長く生き続けた自分への憂いでした。
決して意味の無かった人生だとは思っていません。でも、自分自身、どこかで少し疲れていたのです。
誰かに癒しを求めていたのです。
側の白桔梗の花を、ぷつんと摘みました。
「私には永遠があるような気がしてならないのです……」
その言葉が全てでした。
誰にも言った事のなかった、僕の弱さみたいなものでした。
手の中の白桔梗の花をクルクルと回しながら、自分自身何を言っているのかと笑ってしまったものです。今更白賢者たる者が、何を言っているのだと。
「すみません。私は何を言っているのでしょうね……一人ごとですから……」
自分が彼女を支えねばならないのに、自分自身が彼女に何かに期待している。それは良く無い事だと、自分自身に言い聞かせて。
「………」
彼女は僕の話を真剣に聞いてくれていたようでした。
口をグッと結んで、視線を手に持つ白桔梗に向けています。
「ねえ……知ってる? その白桔梗の花言葉」
「……?」
「“永遠に君を愛する”って言う意味なの……胡散臭いと思わない? だから私、その花あんまり好きじゃないの」
「……」
不意打ちでした。
花言葉……専門外でした。
しかも結構クサい、胡散臭い花言葉でした。いえ、決して狙ってたわけではないのです。本当に知らなかったのです。
しかし白賢者のくせに花言葉も知らないのかと呆れられるのも困りものでした。
いやあ……この時は本当に焦ったし、困った。
巫女様も「賢者って言っても……たいした事は無いわね」とジトッとした瞳を向けてきています。
わあああ、こんなつもりじゃなかったのに!!
穴があったら入りたい程、恥ずかしくてたまりませんでした。
やり直しのきかない人生、一瞬一瞬を大切に!!
一度やらかすとパニックになる自分本当に賢者とか名乗ってもいいのかな?
……ここまで考えました。
「……」
巫女様は僕を相変わらずじっと見ていました。
「その花、私にくれるなら……私その花を一番好きになれそうなんだけど」
「………?」
「そしたら、あなたは私の一番好きな花、言い当てる事ができると思うのだけれど」
しかし彼女の反応は自分の思っていたものとは違っていて、とても意味深で、だけど気がつけばハッとする意味合いのものでした。
以前、彼女は言っていたのです。
自分の一番好きな花を言い当てた者を花婿に選ぶと。
そしてそれが出来た者は、今まで誰一人いませんでした。
僕は僅かに口を開き、何とも言えない感情に戸惑っていた気がします。
それは、確かに温かく、嬉しい感情だったのです。
「私は……老いぼれくそじじいですよ? 常に側に居る事もできませんし、何しろ……老いぼれくそじじいですよ?」
「な、何……根に持ってるの……?」
エイレーティアは困った様に笑って、そして、大人びた口調で言いました。
「でも、その花の花言葉……あなただけが説得力をもてると思うから……。あなたには永遠がある気がするのでしょう?」
「………」
完全に、してやられたと思いました。
きっとこの時、僕は彼女に対し、特別な感情を抱いたのです。
この歳になって、こんなに新鮮で夢心地な感情を抱くとは思いませんでした。
それはとても切ない喜び。
「あなたの一番好きな花は、白桔梗ですか」
「………ええ……正解よ」
「私の妻になってくれますか?」
言葉に、確かな力を得た気がしました。
義務でも、責任感でも、彼女を支えなければと言う感情だけでなく、確かにあなたを求めているのだと言う言葉の力。
捧げる白桔梗。
「いいわ、ユノーシス」
彼女はその大きな緑色の瞳で、まっすぐ僕を見て花を受け取ってくれました。
その瞬間の、聖域に届く木漏れ日の、光の柱の聖なる恵の匂いを、今でも僕は覚えている。
エイレーティアが僕を選んでくれた、その静々とした歓喜を、彼女はきっと知らなかったでしょう。
自分自身驚いた程、僕はただただ嬉しかったのです。
帰るべき安住の地があるのなら、それはきっと彼女の元であると。そして、自分も彼女にとってそんな存在になるのだと。
そう、僕は誰もがそうする様に、ただ一人の女性に恋をしたのです。
ふと……懐かしい匂いが鼻をかすめた気がしました。
故郷の綿花の畑の中で、今は遠く懐かしい、忘れかけていた家路を振り返っているような、そんな心地でした。