第一話 深層の先に
五十階層。
現代ダンジョンの最深部。
それは、探索者たちの間で
「生還率一割以下」と囁かれる、
死と隣り合わせの領域だった。
厚い岩盤で構成された広間。
天井から垂れ下がる青白い結晶が、
ぼんやりと周囲を照らしている。
床には、幾重にも刻まれた
魔法陣の痕跡。
長い年月を経てなお、
かすかに魔力を放っていた。
「……おかしいな」
低く、重みのある声が響く。
声の主は、
巨大な大剣を背負った男。
勇者、バルガス。
人族の戦士であり、
数多の魔王軍を討ち滅ぼしてきた
伝説級の存在だった。
「このダンジョンは
五十階が最下層のはずだ」
彼の視線の先には、
さらに下へと続く
石造りの階段があった。
明らかに、設計思想が違う。
壁の質感も、
空気の匂いも、
微妙に異なっている。
「……魔力の流れが
歪んでいるわ」
そう告げたのは、
銀色の長髪を持つエルフの女性。
聖女ティファニー。
彼女は両手を胸の前で組み、
目を閉じていた。
「ここは、
私たちが知っている
ダンジョンとは
別物よ」
静かな声だったが、
その中にははっきりとした
不安が滲んでいた。
「冗談だろ……」
軽口を叩いたのは、
小柄な体躯のホビット。
盗賊フィオ。
「帰還したと思ったら、
また別のダンジョンだなんて。
おやつの時間が
遠ざかるじゃないか」
だが、
笑顔の裏で、
彼の目は真剣だった。
「空気が重い」
ぼそりと呟いたのは、
角と鱗を持つ竜族の剣士、
ライク。
「ここは、
異世界の魔気と似ている」
最後に、
黒いローブに身を包んだ
ダークエルフの魔導士、
アドルが口を開く。
「……二つの世界が
重なったと考えるのが
妥当だろうな」
その言葉に、
全員が沈黙した。
異世界。
かつて彼らが、
命を賭けて戦ってきた場所。
そして――
その場から、
少し離れた位置で、
一人の青年が
彼らを見つめていた。
佐山孝也。
年齢二十代半ば。
表向きは、
探索ギルド所属の
駆け出し探索者。
だが、
その正体は――
数か月前、
異世界から帰還した
元勇者だった。
(まさか……
こんな形で
再会するとはな)
胸の奥が、
わずかに疼く。
かつて、
共に剣を振るい、
共に血を流し、
共に笑った仲間たち。
だが、
今の自分は
勇者ではない。
ただの探索者だ。
それも、
力を隠している
偽物の探索者。
(出るな……
まだだ)
自分に言い聞かせる。
今、正体を明かせば、
現代社会で築いた
すべてが壊れる。
ギルド。
生活。
平穏。
そして――
彼らを再び
戦場に縛りつけてしまう。
「この階段を
降りるしかなさそうだな」
バルガスが、
静かに言った。
「戻る道は?」
ティファニーの問いに、
アドルは首を横に振る。
「入口の転移座標が
完全に乱れている。
今は戻れない」
「つまり……」
フィオが唾を飲む。
「進むしかないってこと?」
「そういうことだ」
バルガスは剣を握り直す。
「俺たちは、
勇者パーティーだ」
「どんな場所だろうと、
切り拓く」
その言葉に、
仲間たちは無言で頷いた。
変わらない。
あの頃と。
佐山は、
思わず拳を握り締める。
(本当に……
変わらないな、お前らは)
階段へ向かう
五人の背中。
その後ろ姿を、
彼は黙って追った。
距離を保ちながら。
気配を消しながら。
現代ダンジョンの最深部で、
異世界の勇者パーティーと、
帰還勇者が交差する。
誰も気づいていない。
この重なりが、
やがて――
現代と異世界、
両方を揺るがす
大事件へと
発展していくことを。
佐山孝也は、
静かに息を吐いた。
(探索者として……
いや、元勇者として)
(俺は、
見届けるしかない)
階段の奥から、
冷たい風が吹き上がる。
未知の深層へ。
運命は、
音もなく動き出していた。




