第4話 お金で買えなかったもの
四度目の日曜日。
庭の噴水は、今日も動いていなかった。
水のない噴水は、ただの重たい石の塊だった。
私は、紅茶に口をつけながら、
ずっと胸に溜めていた言葉を探していた。
老人は、いつものように穏やかだった。
「今日は、顔色が違うな」
私は、逃げ場を失った気がして、意を決して言った。
「……一つ、聞いてもいいですか」
「構わない」
「お金がなくても、幸せそうな人はいます」
言った瞬間、空気が、ほんの少しだけ張りつめた。
だが、老人は否定しなかった。
眉をひそめることも、
声を荒げることもなく、
ただ、静かに頷いた。
「いるだろうな」
私は、拍子抜けした。
「私は、そういう人たちを、学校で何人も見てきました」
給食を楽しみにする子ども。
放課後、何もない校庭で、時間を忘れて遊ぶ子どもたち。
「彼らは、 決して豊かではありません。
でも、笑っています」
老人は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「私は成功した」
その声は、誇りでも自慢でもなかった。
「だが、人生を選ばなかった」
私は、思わず息をのんだ。
「選ばなかった……?」
「いや、正確には、“選んでいるつもりで、
避け続けていた”」
老人は、噴水の方を見た。
「雑談を避けた。無駄な時間を嫌った。
間違えることを恐れた」
それらはすべて、
効率という名の下で、切り捨てられたものだった。
「誰かに頼る勇気も、金で解決できると思い込んでいた」
老人は、小さく笑った。
「結果として、私は一人になった」
その言葉は、責めるようでも、
嘆くようでもなかった。
ただの、事実だった。
私は、胸の奥が、静かに痛むのを感じた。
思い当たる節が、多すぎた。
町内会の調整。
形式だけの会議。
意味のない根回し。
「無駄だ」と思いながら、波風を立てないために、
すべてを受け入れてきた。
私は、自分が賢く立ち回っていると、
思っていた。
だが、それは違った。
私は、選んでいなかったのだ。
校長になれなかったこと。
授業から離れたこと。
定年後の不安。
それらを、誰かのせいにしながら、
自分で選ぶことを避けてきた。
そのとき、はっきりと分かった。
私は、金がないのではない。
人生の配分を、他人に委ねてきただけだ。
老人は、私を見た。
「君は、まだ選べる」
その言葉は、励ましではなかった。
突き放すようで、それでいて、
希望でもあった。
庭を吹き抜ける風が、噴水の縁をなぞる。
水は、流れていない。
だが、私は初めて、そこに流れを感じた。
お金よりも大切なものが、確かに存在することを。
そして同時に、お金とは、
人生を奪うものにも、
取り戻すものにもなり得るのだと。
その境目に、私は立っていた。
次の日曜日、老人は、
“時間”について語るという。
私は、その話を聞く準備が、ようやく整った気がしていた。




