第3話 真似ることの罪
三度目の日曜日。
私は、少しだけ早く老人の家を訪れた。
前回の講義以来、頭の中が落ち着かなかった。
守る。
防ぐ。
ケチになる。
その言葉が、教員生活で身につけた価値観と、
静かに摩擦を起こしていた。
紅茶が出され、私たちは向かい合って座った。
老人は、唐突に言った。
「私は、誰かの真似をして成功した」
私は、思わず身を乗り出した。
「意外ですね」
「そう思うかね?」
老人は、薄く笑った。
「金持ちになった人間の多くは、最初から独創的だったわけじゃない。
勝ち方を知っている人間の、動き方を真似る」
それは、教育の世界でもよく聞く話だった。
良い授業は、先輩教師の真似から始まる。
優れた指導案は、模倣から生まれる。
私は、強く頷いた。
「それは、正しいと思います」
老人は、しばらく黙ってから続けた。
「だがな」
その声は、少し低くなった。
「その過程で、私は何人かの人間を切り捨てた」
私は、言葉を失った。
「時間がないと言って、古い友人との付き合いをやめた。
利益にならないと判断して、助けを求めてきた人間を無視した」
老人は、淡々と語る。
「成功するためには、選別が必要だった」
私は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
それは、教師として、決して口にしてはいけない言葉だった。
「……それは、正しかったのですか」
老人は、すぐには答えなかった。
「正しかったかどうかは、今でも分からない」
彼は、窓の外を見た。
「だが、成功はした」
その言葉は、正解と不正解が、
同時に存在することを示していた。
その日、老人は
「お金持ちマインド」と「貧乏人マインド」の話をした。
お金は、貯めるものではなく、使うもの。
仕事は、苦痛ではなく、楽しむもの。
決断は早く、行動は速く。
私は、真面目にメモを取った。
そして、優等生のように、すべてを実践しようと決めた。
翌週から、私は変わった。
「お金がない」と言うのをやめた。
投資や副業の本を買い込んだ。
セミナーにも申し込んだ。
行動している自分。
それに、奇妙な高揚感があった。
だが、結果は、惨憺たるものだった。
副業と称するオンライン講座は、中身のない動画を繰り返すだけだった。
返金を求めようにも、連絡はつかない。
「勉強だと思えば安い」
そう自分に言い聞かせたが、腹の底では、はっきりと分かっていた。
騙された。
自己投資と称して参加した交流会では、私は場違いだった。
名刺を出し、用意してきた話題をなぞる。
だが、会話は噛み合わない。
相手の目は、私の肩書きや人脈を値踏みしている。
私は、教師として培った
「相手に合わせる技術」を使った。
結果、誰の記憶にも残らなかった。
さらに悪いことに、職場での人間関係も、ぎこちなくなった。
「最近、変わりましたね」
そう言われたとき、私は返す言葉を持たなかった。
ある夜、私は気づいた。
私は、金持ちになりたいのではない。
ただ、不安から逃げたいだけだった。
定年後の生活。
肩書きを失った自分。
誰からも必要とされなくなる恐怖。
その不安を、「お金持ちマインド」という言葉で、
上書きしようとしていただけだった。
老人の言葉が、胸に刺さる。
真似ることは、楽だ。
だが、考えなくて済む分、危険でもある。
教師人生で身につけた、
「正解をなぞる癖」。
それは、ここでは、致命的な欠点だった。
次の日曜日。
私は、初めて老人に言った。
「……私は、向いていないのかもしれません」
老人は、少しだけ、悲しそうに笑った。
「いいや」
「それに気づいた君は、もう一段、先に進んでいる」
その言葉が、慰めなのか、試練なのか。
そのときの私は、まだ分からなかった。
だが確かに、私は初めて、
“自分の頭で考える場所”に立っていた。




