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【純文学3位達成】教頭先生と、金持ちの老人  作者: 虫松


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第2話 ケチという名の防御

最初の講義は、拍子抜けするほど簡単な言葉から始まった。


「まず、ケチになりなさい」


私は思わず、老人の顔を見た。


冗談を言っているようには見えない。

だが、その言葉は、私がこれまで教壇で語ってきたすべてと、

正面からぶつかっていた。


「……それは、どういう意味でしょうか」


声を抑えたつもりだったが、自分でも分かるほど、硬かった。


小学校教師として三十年以上、私は子どもたちにこう教えてきた。


1 人に親切にしなさい。

2 困っている人がいたら助けなさい。

3 分け合いなさい。


それが、教育だと信じて疑わなかった。


老人は、私の内心を見透かしたように、

静かに立ち上がった。


「言葉の続きを、庭で話そう」


案内された先には、広い庭の中央に、ひときわ目立つ噴水があった。


白い石で作られ、凝った彫刻が施されている。


だが、水は流れていなかった。


噴水は、沈黙したまま、ただそこに「ある」だけだった。


「立派ですね」


教師としての癖で、とりあえず無難な感想を口にした。


老人は、鼻で笑った。


「若い頃に作った。金を持ち始めた頃だ」


彼は噴水を見つめながら続けた。


「成功した証が欲しかった。 誰かに見せたかった。

 自分が“上に行った”と、分からせたかった」


私は、町内会の新しい会館を思い出していた。


必要以上に立派な外観。

使われない設備。

誰も責任を取らない予算。


「結局、一度もまともに使わなかった。

 維持費だけが、静かに金を食い続けた」


老人は、噴水に指を向けた。


「これはな、浪費の記念碑だ」


私は、胸の奥がざわつくのを感じた。


「……ですが」


言わずにはいられなかった。


「子どもたちには、 人に与えることの大切さを教えてきました。

 ケチになるというのは……」


老人は、振り返った。


その目は、厳しかった。


「勘違いするな。私は“与えるな”と言っているんじゃない」


そして、低い声で言った。


「守れ、と言っている」


「守る……?」


「金を失う恐怖を知らない者は、金に殺される」


その言葉は、教室で聞いたことのない種類の重さを持っていた。


「金はな、善でも悪でもない。 だが、無防備な人間には、牙をむく」


老人は、ゆっくりと噴水の縁をなぞった。


「詐欺、無駄な投資、盗難、 甘い話、宗教、恋愛、見栄、ギャンブル……」


次々と挙げられる言葉に、私は心当たりのある保護者や同僚の顔を思い浮かべていた。


「守る力がない金は、自分から逃げていく」


私は、反射的に反論しそうになった。


だが、言葉が出なかった。


私は、金について、子どもに何を教えてきただろうか。


「お金は大切にしましょう」


それ以上、踏み込んだことはなかった。


老人は、私の沈黙を肯定と受け取ったのか、

少しだけ口調を和らげた。


「プロのケチとはな、出さない人間じゃない」


彼は、私の目を見て言った。


「出すべき時と、出してはいけない時を、

 はっきり区別できる人間だ」


私は、その言葉を反芻した。


町内会の不要な支出に、なぜもっと強く反対できなかったのか。


空気を読んで、波風を立てないことを優先した結果、

無駄が積み重なっていった。


それは、教育者としての「優しさ」だったのか。


それとも、ただの思考停止だったのか。


噴水は、何も答えない。


だが、その沈黙は、私に十分すぎるほどの問いを投げかけていた。


「……ケチになるというのは」


私は、ゆっくりと口を開いた。


「守る覚悟を持つ、ということですか」


老人は、初めて満足そうに頷いた。


「そうだ、東教頭先生」


その呼び方に、私は少しだけ、胸を刺された。


その日、家に帰ってからも、

私は噴水のことを考え続けていた。


そして、初めて真剣に思った。


私は、お金を、守ろうとしたことがあっただろうか。


教えるだけで、考えたことはなかった。


こうして私は、「お金を守る」という発想を、人生で初めて、自分の問題として考え始めた。


それが、教育者・東純一郎の価値観に、最初のひびを入れた夜だった。


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