なにも食べないほうが良いのか?
「なあ、見て、このプリンター綺麗だろう。秋葉の家電量販店で買った。機種が様々あってな、素人目に機能の優劣なぞ分からん、判断が難しい。店員が薦めてくる機種でいいかあと思ったさ、あ、ちなみに男性店員な。女性はいなかったか、あ、いたわ、ユニホーム着てる女性が、当たり前か、失礼すぎるな俺。ていうかさ俺の視線読んだよなあの店員、いきなり隣にスッと現れてな、俺が念を入れて観察してる商品の説明始めた。こちら文字ブラックは濃度とコントラストが高く、細かい文字もにじみにくいです、くっきりと出ます。プリントシステムにより全階調での画像安定性を最適化するので美しいプリントを実現できます、使いやすくておすすめですこのプリンター等と、あまりにも熱心に語るから一心に聞いたな俺。見てるだけだ、ひとり静かに観察したいからどっか行ってくれ、去れ、と言おうとしたけどけど言わなかった。接客の鉄則ってやつだろ、視線の先の商品を薦めるの、そいつ側から離れないし‥‥一応他の商品の説明もしてくれて親切だったな。でも俺なんも考えてないから、ぼんやり綺麗な物体だと見てただけ。ひとりが良かった店員いらんかった。プリンター欲しいから行ったよ、だから買ってもよかった。なんだろ店員に誘導されてまんまって癪に障るだろ、あの一旦保留にしますうって、そそくさと帰ってきた。店員の顔は覚えてない、見なかった。見てもいいことないだろ。それでな部屋に戻って調べた。ところが調べれば調べるほどドツボにはまるっていうの益々分からなくなる、どれを選んでも同じじゃねって、違うか。性能はまあどこかに違いはあるだろ、けど、重要なのは使い勝手というか、相性かな、機種との。余計な機能は不要、操作が簡単で使いやすい物、簡単明瞭にプリントできて、あとコピーができたらいいか‥‥その時、ふと思った、店舗に並んでる機種には各々開発した人が、あ、チーム開発か、必ずいるわけで、その人達が考えた最高最善オールオッケーで商品化した物だろ。あのさ、こういうシステム開発出来るって凄くね、医療用光学機器が凄いのはレベチだけど工場の生産機器も凄い。お菓子でも何でも、製造加工作業の自動化、ひとつの物、商品に特化した工業機械を考えて作るんだ、作った人天才だろ。目的の固体を製造する為だけの機械な訳で他には使えないオンリーワンの物だ。自分が企画から立ち上げて開発した物が実際に現場で稼働するってのはどういう気持ちだろ。確信かな、上手く動いて当然みたいな、頭脳明晰で集中力が半端ない人達だろ。どれを選んでも問題はないから最終的に色で決めた。同じ色のようでメーカーによって微妙に色が異なる。結局、店員がすすめた6色高画質モデルTS8930コピースキャン付きプリンターカラーホワイト、綺麗な色だ。言うけど、店員がすすめたから決めたんじゃない、最初から良いなと思って買った。まあ、家電のプロの商品説明は分かりやすかった、滑舌良かったし聞き取りやすいスムーズな説明でら感心した。取説講習あるだろ、自分が使えない物を人に売るのはダメだろ。でもそのプリンターを選んだのは俺だからな。大地の助言は聞いたよ、あ、車で送迎して貰ったんだ大地に。持ち運べない程じゃないけどそれなりの大きさだろ、大地が一緒に行ってくれて助かった。車なあ、身内に買って貰ったんだってさ‥便利だろうな。欲しくはないけど、必要があれば大地に乗せて貰う、帰省のときとかドライブ気分で行ける。普段は徒歩と電車で事足りる。それでな、このプリンターは自分の金で買った、智明さんにも未可子さんにもムーくんにも莉莎子にも頼ってない。俺さあ、駅前のコンビニでバイトして‥‥」
部屋に備え付けられたデスク横並びの収納ラックの上にある白いプリンターの前に立ち、真っさらなB5のコピー用紙を一枚取り出しながら、徳川珠生はベッドに横たわる金森響生に勢い込んで矢継ぎ早に話をした。
「あ‥‥れ‥れのれ」
称賛の言葉を期待して振り返るも響生の目は硬く閉じられていて、まず、聞いていない、嘘だろ‥‥こいつ俺といるのに寝るんだ‥いいんだけどさ、きっと今の俺といることに馴れたってことだろ‥‥緊張するけどな、俺は、いまだ。腹立ててもしょうがない、しょうがないんだけどさあ‥腹立つだろ買った経緯話したのに、聞いてないという、いいけど。寝てる男を見て、何処でも寝れる男だったか?‥頻繁にふたりで一緒に寝てたと響生は嬉しそうに話してくれた‥‥それ嬉しいやつか‥‥一緒に寝るの、徳川の家、俺の部屋で、俺のベッドに‥‥ふたりで‥‥ふっ‥無意識に口角が上がる、うわぁ俺いまにやけてるんだ‥きっも。俺‥‥人と一緒に寝れたのか‥‥まあ、そういうことだよな。あれ、眼鏡が枕元に放置されてる、頭のすぐ横に、危ないなあ、寝返り打ったらメキョらせるぞ‥‥見て見ぬふりができない性分に舌打ちがでる、チッ、しょうがないなあ、つぶして壊したら困るだろうし、俺の部屋でメキョったとかしゃれにならないだろ‥‥初めて俺んとこ泊まるんだし‥‥ドクンと鼓動が爆ぜて顔の温度が上がる、動悸か、左手で胸をおさえ右手でそっと眼鏡を持ち上げる、あ、かる、すげえ軽い、重量どんくらい?目にあててみる、うわ、度、つよ、目くらむわと目頭を押さえ、瓶底とかじゃないんだ、厚みもない、度数強くても薄く軽く出来る物なのか、凄いな眼鏡界隈、ん、意味違うくね業界かと考えながら、収納ラックの上に置いてあるプリンターと並べるように真っ直ぐ丁寧に置いた。或いは響生のそれは眼鏡の中では重い方なのかどうなんだろ。俺、眼鏡弄ったことないから、今この時が初めて、それってどうなん、暗黙知ヤバ過ぎか、いや普通だろよ、眼鏡に触ったこと無い奴なんて5万といるだろうさ。俺はその5万の中に紛れ込んだ人間のひとり。必要の無い人間にはいらない物だから。されど眼鏡の商品価値は高い。
光の屈折を利用して視力を補正するんだよな、目に入る光の焦点を調整し視力異常を矯正することで物がはっきりと見える、眼鏡の原理ってやつ。平均的な重さは約35グラムなんだと‥‥後でスケールのせて量ってみるか‥そもそもの話こいつ裸眼ではどう見えてるんだ、俺の顔モザイクかかってんのか、いやあモザイクはないか、ぼやけて見えるが近いか。珠生は首を捻る、視力2․0で視力悪い人の見え方とか分からないし、気持ちも分からない。今の今まで他人の視力など気にしたことがない‥‥多分すげえ自己中だから‥俺。
確かなことは響生には眼鏡が必要だということ。大事にしないとな、こいつの眼鏡をメキョらせてはダメだ、絶対に‥‥などと大層に考えなくていいだろうよ‥‥たかが眼鏡だ壊れたら直せばいい。
眼鏡は13世紀後半にイタリアで発明された‥‥眼鏡に不案内過ぎる自分が嫌で検索した(だったらどう見えるかも調べろってな)発明者については諸説あって分からないらしい。ついでに日本に眼鏡が伝来したのは16世紀のこと。安土桃山時代の1551年に宣教師フランシスコザビエルが来日した際、現在の山口県である周防で、国主の大内義隆に献上したのが最初だそうだ。
あれ?俺って‥‥何してるんだろ‥‥ふと、素に戻ると奇妙すぎる、こいつの眼鏡大事にして‥検索かけて‥‥調べるってさあどうなんだろ。俺、変なひとじゃね、俗に言うストーカーかも‥‥我知らず俗化してる、感化されてる?
ストーカー、そりゃあ調べるだろ、定義を知りたい。
特定の相手に恋愛感情や好意向け、それが満たされなかったことへの怨恨の感情を満たす目的で行われる。つきまとい、待ち伏せ、押しかけなどの行為が繰り返されると、ストーカー行為とみなされる‥‥ヤバいなストーカー。
異常な執着心や支配欲に基づいた行動をとり、行動がエスカレートする傾向がある‥‥。ストーカー気質の男性は、独占欲や支配欲が強く恋愛経験が少ない傾向にある‥‥
恋愛経験なぞ皆無だけど。人を好きになったことすらない、恋愛的な意味でいうなら‥くっそヤバいだろ俺。俺何かに溺れてる、なにか怪異に取り付かれて支配されてるのか。
バカか、俺は分からないことを分からないままにしときたくないだけだ。だから調べる、書かれてあることが全て真実だとは思ってはいない‥‥そうか成る程と思うと同時に違うだろと更に追及を繰り返す。
んん、確かに粘着質でしつこい性格かも知れない、つきまとい要素は充分にありそうだけど、俺は絶対に違うだろ‥‥恋愛感情自体がよく分かっていない。響生は男だし‥‥
ひとまず、己の品格を保つべく感情や衝動に流されない、周囲への配慮を忘れない、思いやりの心を持つ、という意思を堅持する。
方向性間違ってね‥‥自分の思考どうなってる
はああ、いいんだ、疑問に解は必要だろ設問に答が必ずあるように‥‥そうだろ、どうなんだと天を仰ぎ見る‥‥しつこいな‥‥まっいいかどうでもとプリンターの横に鎮座する眼鏡を見た。いやいや、そいつ神じゃ無いから、ただの物体、響生の私物の眼鏡‥‥自分で買ったんかな‥‥まだこだわるかと記憶のない自分に臍を噛む、小学生の時からかけてたぞと亮介に教えられたのが不愉快だった。多分知り得たであろう情報を人づてに知るのは悔しいものだった。色々どうでも良くなかった。木内さんに買ってもらったのか、まあ、小学生時代の眼鏡をそのままはさすがに、ないだろう、あるか、いやいや人間は日々成長を繰り返すものだ。新しい皮膚が生まれ古くなった皮膚ははがれ落ちるように。顔が大きくなってのサイズアウトは考えられる、そうだ視力の低下も考えられるか。想像で解決できない疑問は起きたら直接本人に聞くのが正解だ。概して亮介に教えられるのは面白くない‥‥お前どうなんだよと閉じられた響生のまぶたに向かって問うてみる、あれ、こいつ、肌綺麗だなつやつやしてる、あれ睫毛も長いのか濃くてバサバサ、人形劇の人形みたいだ。つい自分の肌に手を運ぶ‥‥俺だってつるつる‥‥はああ、そこ張り合ってどうする、負けず嫌い丸出しのガキか、どうでもいいだろ、バカなの俺。いらんこと考えすぎ。‥‥響生の艶々の頬に‥そっと触ってみようか‥‥いや、いや、いや、いや‥‥顔弄ったら起きてしまうから‥‥せっかく寝てんのに‥‥うああああ俺キモい、キモい、キモすぎて悶死する。アホがキモいくらいじゃ死なんわ。
‥‥視力はどのくらいか、相当悪いだろと、論点を変えてお触りの願望を向こう側へと押しやる(俺の頭の中はやたら忙しい)
目がめちゃくちゃ悪くて度数の強い眼鏡かけていても、高身長で眉目麗しくお肌艶々で睫毛バサバサのk大生なのは間違いのない事実。
本人に聞いた身長は俺と10センチ差の184センチ(あたりまえに俺のが低い)細身で(子どもの頃はデブだったと亮介が言ってた、加えて来た頃は痩せてたけどなだそうな)スタイルも良いという。国宝級顔面の知的眼鏡男子はひたすら女子にモテるだろうよ。
彼是むかつく。
はあああ、実際、女を連れてきたしな‥このクソガキ、思うところは相当数ある訳で‥‥‥‥誰だよと聞いたら大学の同級生だとしれっと言った、勝手についてきたと。
俺、こんなで生きていける‥‥
「ほんと‥お前‥どうなの‥‥」意味なく小声で問いかけても返答はない。端正な横顔にごめんな憶えてなくてとサイレントに呟く、かつて消えた響生との記憶は容易には戻らないらしい、永遠の可能性さえある。自分はハルくんとは呼んでなかった木内さんの相貌は覚えているというあり得ないような事実。
当時の響生本人の姿と、共に過ごした響生との日々の記憶がないのだ。要するに珠生の中に響生がいない。存在していない。どうやら何らかの要因を持ってしてデータベースから完全削除したもよう。
記憶は海馬で整理整頓され大脳皮質にためられているといわれる、新しい記憶は海馬に、古い記憶は大脳皮質にファイルされていることになる。馬の脳と呼ばれる大脳辺縁系にある海馬はタツノオトシゴのような形をしている、ギリシャ神話のヒポカンプスの屈曲した前脚を連想して海馬と名付けたそうだ。魚の学術名hippocampusはタツノオトシゴのことだとか。説は説で再考が必要だろう。頭をかち割って中を覗いてみたいものだ。びっくりしてhippocampusが飛び出て来るかも知れない‥‥ある日ある時突発的に小さく小さく折りたたまれ脳に収納されているものが何かの拍子にぱっと開いて、形状記憶物質様に元に戻り、数多のエピソードが溢れだし蘇るという現象は、不穏しか産まない。それがフラッシュバックとは異なるものであったとしても突然出て来る記憶感情は恐怖に繋がり得るだろう‥‥記憶のメカニズムの文献をいくつか読んでみた。
ステップ1記銘(外部からの情報を脳に取り込み変換させ海馬に記憶させる)2保持(記憶が脳の中に保たれ貯蔵され)3想起(保持した記憶を必要に応じて思い出す)一度目を通しただけでは内容を把握できない‥‥その目的を明確に自覚し何のためにそれを知る必要があるのか理解しなければゴールは無理だ‥‥。
例えば3歳の頃の微細な記憶は脳の海馬を介して大脳皮質に蓄えられている。隠れた記憶を突然思い出すのは、脳のメモリーに3歳の頃のデータが書き込まれそれをずっと保持し続けてるから‥‥シナプス、グルタミン酸、タンパク質分子、神経伝達信号の出力側と入力側の間にある空間構造がシナプス‥‥神経細胞をつなぐシナプスが脳の中で情報を運ぶ‥‥それが何かをきっかけに突然出ることがある。簡単に文書を読んだだけで語れるような物は何もない。内容を飲み込めない己の馬鹿さ加減が恨めしくて悔しい。これからだこれから学んで知識を深めたらいい。理解できるまで調べたらいい。勉強するのは嫌いじゃない。
響生と会ったのは6歳の頃だと聞いたその時の記憶がまるっとない、6歳の記憶自体がないわけではない(保育園でうるさい亮介の様子や、意地悪な歩くん、障害児の勇気くん双子のお兄ちゃんの和気くん、園庭のジャングルジム、砂場、延長保育でのトランプ遊び、積み木、プール、ジャンボリダンス、塗り絵、担任の聡子先生、園長先生、すごく怖い副園長、用務員の鬼山さん‥‥覚えてる)
いいんだ、無理に思い出す必要はないよ、気になるならそうだな、初めて会ったの東京駅にしないか。それでいいだろ、あの時、人見知りで目も合わないツンツンして感じ悪い珠生が昔と同じで嬉しかった、人って本質はそう変わらないんだなと響生は言った。はあ‥何それディスってる。ツンツンで人見知りね‥‥感じ悪くて悪かったな‥‥確かに珠生は人見知りで無愛想だと思われてる。でも珠生の場合、無愛想ではなく不愛想だ「無」はまったくないこと、でも「不」は少しはあること、珠生は冷淡ではないし人に同調しないわけではない。楽しかったり面白かったら笑ったりする。
「初めて会ったの東京駅にしよ」というのは、佐藤亮介が策略した再会の機会というか場(物理量を持つものの存在がという理論体系下で次元がなどという場では無い)珠生の中では再会ではなく物理的に初めましての人物だったから、そこで初対面ということにしようと響生は言ってるのだ。
亮介にしてみれば保育園の年長の半ばから小五の途中まで同じクラスの同級生で、幼なじみという大義名分があっての場になる。珠生と同じ位置ずけの幼なじみ。違うだろと珠生は言った。2歳から6歳の幼児期に親しくしていた友だちが幼なじみといわれてるから、その定義を厳密に捉えたら年長の終わり頃転園してきて、たかが数ヶ月保育園で過ごしただけの響生は幼なじみではない。幼なじみに七面倒な定義はいらんのよ、短くても保育園の時一緒だったんだから幼なじみだろと亮介は後に話した。そこで疑問だ、連絡はどう取ったのか、そして連絡を取り得る響生の連絡先をなぜに知り得たのか摩訶不思議だろ魔法でも使ったか。なんと言えばいいのか、連絡を取れる状況が亮介と響生の間にあるということが誰に対してか分からないが‥‥喜ばしくなかった、何故連絡先を知ってたのか、何故二人で連絡を取り合ったのか、面白くないだろ。俺、変なとこ気にしてる、俺、狭量なのか、もしかして嫉妬‥‥どこに対しての、誰が誰に対しての嫉妬だよ‥‥違うだろ。
何を思ったのか亮介はバレーボールの試合観戦に響生を誘ったのだ。ちょうど良いと思った俺が東京行くタイミングと響生のタイミングが上手く噛み合った、それが助走なら、俺が貰ったチケットがペアシートだったのがトスだ、綺麗なトスが上がったならアタック決めるべしだ、失敗の要因はないだろ、ペアシートチケットが2枚なんだから4人で行くのは当たり前だ、余らしたらもったいないだろ。これも後で言ってた。どのタイミングでどうトスを上げたらアタックに繋がるんだよ。お前が会いたかっただけだろと返した。それはそうだな、会いたかったのは本当だ、気がかりだったからなお前ら二人のこと、お前、ほら、頑固で性格可愛くないからさ、ヘソが斜め向いてるんだろ。やたら理屈っぽいかと思えば色々抜けてるから屁理屈斜め左45度だ。お前は忘れてるから仕方ないが、仲良かったからなお前ら、微笑ましいくらいにな‥‥そうだな、ようは俺、緩衝材よとにんまり笑った。緩衝材、どういう意味だよ、意味わかんないこと言うな。いいじゃないか流しとけと亮介は笑った。
そもそも誘われたからといってそれを簡単に受諾するのはどうなんだって話だろうが。バレーボール自体に興味なさそうに見える痩身のこの男は、混雑した東京駅新幹線改札口にのこのこ現れ珠生の隣に無言で立ったのだ。この男何って敢えて顔見ないようにしてた。人が多くて辟易してると大地がようと言って珠生の腕を引いて亮介まだ出て来てないかとぞんざいに聞く。大地の姿に安堵してお前遅いぞ新幹線到着してんだろがと憎まれ口を叩くと、亮介まだならセーフだろと、珠生の隣にすんと立つ男の前に立ちすみませんいいすかと言って割り込み珠生の腰に手を回した。男は目を見開きいきなり珠生の腰にある大地の手を引っ剥がした。驚いて男を見ると微かに口角上げてペコリと頭を下げた。え?なに?知り合い?大地に目配せすると大地は首を横に振る。男は何も言わずその場に佇んでいる、珠生と大地の間に、なんだこの男、怖くないか、ヤバい奴だろ‥‥知らん顔で大地の隣に陣取ろうと身体をずらすと、横で大地が声を上げる、おーいここだここだと手招きする、新幹線の改札から亮介が出て来た。亮介は大勢の老若男女取り取りな乗降客に押されながら人をかき分け人とぶつかり行きつ戻りつ近づいてくる。向こうに移動しようと大地が東方向を指し促すと面識のない隣に立つ男もついでについてくる‥‥人が疎らなところに移動すると亮介は一緒についてきた男に向かって、久し振りここまで来てくれてありがとな、会えて嬉しいよ、元気か、SNS見てるぞ、お前が作ったんだろ等と親しげに話しをする。は?なに?亮介の知り合いだったのか?誰だよ?
珠生、ほら、響生、幼なじみの金森響生だと事もなげに亮介は笑いながら3人を見やる。頷く男は爽やかに笑ってる。
大地と珠生が怪訝そうに顔を見合わせていると、察した亮介が、ヤバい、ごめん、報告するの忘れてたわ、一緒に観戦することになったから、サプライズゲストってことで今報告する。はあ、それ報告って言わなくね、なあと大地に視線を送る。大地は不機嫌そうに頷いた。さらに亮介が、そうだ響生、俺今日珠生のマンションに泊まるけどお前も‥「亮介」すかさず名前を呼んでその先を止めた。俺の部屋は狭い寝具の余分も無い、お前と俺が寝るのがスペースギリだと黙らせる。
「そうかあ」「そうだ」冗談は寝て言えと心の内で呟く。今さっき新幹線改札口で遭遇した知古ではない人間と同じ空間で一緒に俺は寝れない。
「申し訳ない」と男の顔を見ずに頭を下げた。
「なあ、珠生、運命は偶然ではなく、日々の選択の結晶と言う言葉があるぞ」
「‥‥意味分からん」そっぽを向いて視線を遠くに流した。
「亮介、他に人が来るなんて聞いてないぞ」と大地が亮介に詰め寄る。今報告したからいいだろ他人じゃない幼なじみだと平然と答える。悪気が無いから始末に負えない。鷹揚と言えば聞こえがいいが、万事が万事独断で決めて事後報告するのが亮介だから仕方がない。人に考える時間を与えないそれで部活を上手く回していたからすごいよな亮介は。
同じ高校で同じ排球部の西方大地が来るのは言わずもがなで知ってた。同じ中学校ではないが部活の大会で見知ってる大地とは楽にいれる、お互い関東の大学に進学したから偶に連絡取って時間が許せば会う唯一の同級生だ。高校の頃からの女好きは目に余るが、双方納得の同意なら仕方ない。別に珠生に異性交遊を強要してこないから良とした。それに珠生と会うときに女は連れて来ない。大地以外に親しい人間は関東にはいない。楽でいい。
あの時、なあ違う場所にしないか待ち合わせ、と大地から連絡があった、新幹線の改札は到着時激混みだからヤバだろ避けたほうがよくないかと。いや亮介ああ見えて破滅的な方向音痴だから改札口直がいいんだと珠生が変えなかった。再び4人で一緒に移動しながら大地は、知らん人間入れんなと小声で亮介を怒っていた。男にもお宅には悪いけど俺ら排球バカだからさ、俺らと一緒じゃ楽しくないだろと言った。珠生も同意だった。知らない男がいるのは具合が悪いな。大地の言うようにバレーボールを知らない男と観戦は楽しくはないだろう‥‥無理に付き合わされるバレーボールを知らない側が気の毒ではないか。
いや、大丈夫だろ試合は誰が観てもエキサイティングで面白いからさ。な、大丈夫だよなあと亮介が男に問うと、男は嬉しそうに首肯するから、お前ら何?仲良しなの?二人の様子にイラつきながら大地を見る。もう現場に向かってるからしょうがないなと珠生に言った。ええ、容認するのかよ、大地もっと抵抗しろよ俺は嫌だと心のなかで拒絶した。
しかし、不本意ながら‥‥今まで亮介の考える戦略に間違いはなかった独断はいつも正しかった。県大会優勝を勝ち取れた要因は監督と亮介の采配によるものだ。全中はあっけなく1回戦敗退。悔しかった、全国の猛者たちは考えてる以上に強く巧みだった。悔しくて泣いたっけな二人で‥‥あの時はセンチメンタルだったよなあ部長‥‥はっ、今それ関係ある‥‥頭湧いてるのか俺、はああ困る。
まあ、同じ排球部で全幅の信頼を置く部長亮介が考えたことだ、何かしら意味があるのだろうとトンチンカンにも受け入れた。今日だけのことだ、試合観戦が終わればそのままさようならでもう二度と男と会うことはないと高をくくった。
試合観戦チケットは亮介が知り合いから貰ったものだ。
ペアシート東側と西側で二人並びの右端と左端の席だった。珠生、俺ら東側にしようぜと大地が言えば。はあ、それはダメだと亮介が切り返した。なあ、亮介、お前バカじゃないよなあ、いいか、お前の持ってるチケットは東西のペアシートチケットだ、分かるよな、俺も珠生もその人と今日初めて会った、知らない人だ、そうだろう、だから、知ってるお前が隣に座るのが正解だ。それが安泰ってもんだろ。四人並びの席じゃないんだからさ、と、大地が言い含めたが亮介はあくまで自分の主張を譲らない。大地、二人は仲が良かったんだ大丈夫だ。俺とお前が西でこの二人は東だ。響生、東はそこから行ける珠生を連れてけとチケットを渡す。
はああ、なに勝手に決めててんだよ‥‥無理だって‥‥
知らない人間と二人はお互いさまに気詰まりだろ。
心の内は複雑に揺れ動く、大地のいうその人を、珠生は全然知らないわけじゃなかった。顔を見ないようにしてたから気付けなかった。確かに物理的には初めましてだけど、亮介に教えられたSNSの動画視聴してる、だから初めて会ったのとは違うか?いや、初めてだろ。リピート再生してても画面越しに一方的に曲を聞いて映像を見てるだけの人間だ。まじで本人なのかとちらりと顔を見て直ぐ視線をそらし顔を大地に向ける。顔をちゃんと見れない。嬉しそうに俺をにこにこと見てるらしき男の突き刺さるような視線を避けてツンと顔をそむける。どうしてもそいつと目を合わせられない。自分に注がれる視線の圧は感じるが、いま初めて知ったそいつと顔を合わせ会話することは多分できない。動画でちょこっとだけ見るのが良かった。耳にした音を拾って電子ピアノでなぞるだけで良かった。偶像崇拝、押し本人に会うことなど崇拝者は望んでいない。偶像は偶像のまま存在していればいい偶像の実体は大概が悪い奴だ。ぐるぐる考えながら響生の後ろを歩き席に向かった。試合を見るだけだ試合に集中すればいいのだと指定の席に座った。
奇しくも自分の部屋に招き入れる関係になるとは想像だにしてなかった。微塵も。人との距離はエベレスト並みが無問題、極力他者との距離は詰めたくない。そういう性分なのだ、知らない人間とは相容れない。薄情なんだ‥‥たぶん、生まれた瞬間から、莉莎子以外の人間には、期待しないようすり込まれてるから該当人物は簡単に除外する‥‥人に対しては興味が薄いうえに何様で失礼な話だけど珠生は人選が難しい、直感的に好きになれない人と関わるのは嫌で面倒くさくて疲れるので諸々交流が浅い。親密感への恐れだろうと言われたけど違う気がしてる。人にどう思われてもいい訳ではないし、悪感情は困るけど、顔がどうとか背がどうとか親がどうとか、個人事情に興味を持たないでほしいというか、知らん顔しててくれるのが望ましい。かといって淡泊な性格ではないから悪く言われるのは嫌だし口も手も出るという‥‥プライドもこだわりも執着も強い煩雑な男だ。厄介な自分に呆れるけど、これが自分だから仕方ない。こんな粗悪な男のどこがいいのか分からん。いろいろ考えると頭が混乱するけれど、響生を想うと胸がぎゅっと締めつけられて喉のした辺りがシクシク痛むから面映ゆい。自分でも理解に苦しむ性格と思考停止寸前の心を持て余し‥‥今さら、思ったのと違ったとひとり放置されたら困るなと、深くため息をついた。
部屋に着いて、無理やり手洗わせてうがいさせ終わるとベッド直行して倒れ込んだからなあ‥‥あ、靴下脱がせるか‥‥んん‥‥いいか。バンド活動と学生の両方だから、よく分からないけど忙しいんだろう、やっぱ、疲れるよな‥‥無理に起こす必要はないかとそっとベッドから離れ、デスクチェアに座ってコピー用紙を机の上に置いた。
大学まで歩いて行けるアーバンコート本郷は、2023年竣工、鉄筋コンクリート造り、14階建て、全100室だ。
珠生の暮らす部屋は3階の角部屋、選ぶも何もその部屋しか空きがなかった、角部屋空いていてラッキーくらい思わないといけない。アーバン(都市の)コート(中庭)だからか都会的で学生マンションにしては広いエントランスがあって日勤の管理人がいる。
家具家電付きで、2ドア冷蔵庫、ベッド、デスク、チェア、収納ラックはあったがプリンターはなかった、だから買った。自分が労働した金で手に入れたかったから近くのコンビニでバイトした、そしてその倍勉強もした。珠生には意地があった‥‥まあ、それはいい。備え付けのデスクに置いてあるカバみたいな妖精のキャラクターが描かれたペンケースを開けて、少し思案してから青いインクのボールペンを取り出す。多分、小学生の頃から使ってるペンケース、スクエア型で大きく開くから中身が見やすく大容量だから重宝しているしずっと大切に使ってる。妖精のキャラクターが可愛すぎ問題はあるが、ワンポイントで目立たないように存在を主張してるから大丈夫だと判断した。かなり前に考えたことだけど、特別な誰かのプレゼントだったりするのかも知れない、記憶になくても大事にしているのだからそういうことなのだろうと考えた。誰から貰ったのかはっきりしないのはモヤるが、憶えていないことに無駄に苛つくのが嫌で別に誰でも構わなくね今は自分のものだと結論づけた。泣きわめいて解を求めるには程度があり妥協が必要だ。
でもあっさり解が降ってきた。少し前とあるカフェで待ち合わせたときのことだ、待ってる時間勉強してたら、響生が来て驚いたように言ったシウそれまだ使ってたのか嬉しいと自分のカバンの中から同じスクエア型で色違いの古びたペンケースを取り出した。
え?え?おそろ?
響生は頷いて、そうハルくんが俺たち二人にって送ってくれたものだ。
へえ、送ってくれた?ハルくん?ハルくんて誰だ。シイ?シイって俺のことか?
俺のことシイなんて呼ぶ奴はいない‥‥響生はそう呼んでいたってことか、憶えてないからはっきりしない。だいたいが徳川珠生とフルネーム呼びが多いが、トクシュウと呼ぶ奴もいる。俺は響生をどう呼んでいたのか‥‥記憶に無い‥‥はあぁ困る。
首をこきこき鳴らして脳みそ揺らしても何も出て来ない。
ペンケース、まさかのお揃い!嘘だろ、気色悪くないか、女子高生か‥今どきJKもしないだろ、するか?世情に疎くて知らないけど。
ペンケースイロチでおそろ‥‥俺‥‥別世界飛んだ?
はあ、お前もまだ使ってんのかよ。
珠生は持ち物全般に言えることだし、当然のこととして、気に入った物は永遠に使う。この場合、ペンケースの場合になるが、外側と内側、中に収めた内容物の綺麗清潔が持続しないのは我慢ならない、ので、頻繁にアルコール成文配合のウエットシートで内容物全てを拭いて除菌してクリアにしてるつもり内も外も物も。黒鉛の残存は許せないから鉛筆キャップは必須。シャープペンシルもしっかり芯をしまってから収納する。ボールペンもしかりだ。間違って内側に線など引こうものなら激昂ものだが実際激昂はしない、森羅万象限界はあるものだ、年数による物質的な劣化は避けられないからだ。形あるものは色あせるし汚れるし壊れるものだと思ってる。ボールペンのインクも使えば無くなり書けなくなるのが通常でそれが道理だ。
青で描こうと思ったのは、青は頭に残りやすい色だと聞いた記憶があるからだ。書き写しは頭に残るから青ペンで書くのを推奨されるインプットとアウトプットの繰り返しは記憶を強化するから青がいい、緑のインクもいいらしいが、サヨナラの合図になるらしいから却下したがどうでも良すぎていらん情報だな‥‥。記憶に残ってないってどういうことだろう、響生を忘れたのは珠生の脳内のシナプスが機能障害起こしたか、神経細胞のシステム障害、シナプスの可塑性が失われたのか単に記憶力が悪いのか。必要ないから削除したのか?何かの記憶が辛くて柔軟に消した?わからない。
取りあえず青で描こう、この先の事すべてを長期記憶するように‥‥ビイを‥‥受け止める決意‥‥ああ、ああ、ああ、そうだ。突然、思い出した、ひとつ疑問が解消か‥‥ビイ‥と‥‥呼んでたな俺‥‥ビイ、シウ、確か少年BとCだ‥‥は?どういうこと?まあ、いいか(あの時俺に会って嬉しそうだったから今は考えない)突破したから、響生が想定の解をくれた。ビイだったよね、良かった思い出してとコピー用紙にスッ、スッとカーブをつけた線を二本描くと不思議なことに人間の胴に見える。紙とペンと線は万能だ。二本の線の間にコの字?ロの字ではないからコだ。どうだ、大腸にしか見えないだろう、見えないか?遠く離して掲げてみる、やっぱり大腸以外には見えない。
大腸は小腸から送られてくる内容物から水分や電解質を吸収し便を作る働きをしている。食事をしてから便が排泄されるまでは24~72時間かかる。大腸の長さは1․5メートルほどで、盲腸、結腸、直腸に分けられる。直腸の長さは約18センチ、肛門管は約4~5センチ。
「‥‥」
飲食物が胃に入ると小腸の内容物が回腸口から大腸に送られ、下行結腸に強い収縮運動(大蠕動)がおこり、S状結腸にたまっている糞便が直腸へ押し出されて便意がおこる。
ヤバいだろ‥‥上行結腸、下行結腸は後腹壁に固定されて動かないが、横行結腸、S状結腸は間膜に吊されてよく動く‥S状結腸まで入るか‥いやいやいや‥‥無理か‥‥大きさと長さにもよるだろ‥‥違うか。直腸横ひだがあって直腸膨大部があって、その下端から肛門に至るまでが肛門管だが、範囲は諸説あるらしい。肛門は内肛門括約筋と外肛門括約筋の緊張によってふだんは閉じられている。
ここをほぐして広げて突っ込むんだよな‥‥はあ、無理だろ‥‥汚い‥‥肛門は最大3․5~4センチ開く‥‥調べた文書では開きやすいのはふんばり派かリラックス派‥‥よく分からない理論だが‥‥太さは‥‥
「なに考えてる」
いきなり耳打ちされて、うわと驚く、さっと身を引き見上げるとそこに響生の顔があった
「お、お、お、起きたのか?」あわてて描いた図を手で隠す
「ふっ、耳赤ぁ。ふふ、あいかわらず描いてるんだ臓器。好きだよね人間の内臓」
「‥‥え?知ってた?俺、お前の前で描いてた?」
嬉しそうに頷く響生を見て‥‥そうなのかと思い、隠しても意味ないことを悟り手の力を緩めた。
人間の身体の中、内臓、臓器を描き始めたのはいくつの時だろう、貰ったんだよな、目で見るからだの地図帳とからだのメカニズムとかいう2冊の図書を、開いた形跡は無くて新品同様なのに裏にはしっかり記名があった。千晃と女性の名前のようだったけど確かめたわけではない、自分が思っただけだのことで確実性は無い、実際は男かも知れない。確かめようが無いだろ、あっ、大叔父に聞けば判明するかも、大叔父から譲り受けた図書だ。
図書に描かれていた人間の身体の中、内臓というか臓器が興味深くて好きだった。図を真似て描いていた、所謂模写だ。
人間の骨格、細胞の構造と働き、発生と分化、組織‥‥。
「これは、大腸だろ」
響生が顔を近づけてくる、理解が嬉しくて珠生も顔を寄せる「わかるか‥‥」
振り向いた瞬間あまりに間近に響生の顔があって驚いて手で押し戻そうとしたら響生がペロンと珠生の手のひらを舐めた。
「うわぁやめろよ」
舐められた手のひらを拭いながら必死に顔を押しやると響生は抵抗せずに再びベッドにストンと寝転び目を閉じる。
なんだよまた寝るんかいと安堵なのか落胆なのか分からない感情に襲われ‥‥あらぬ事に思い至る‥‥あれ?あれ?‥‥俺って‥‥どっち‥‥疑いもせず‥‥洗浄しないとと‥‥受け入れる側と決めつけていたが‥‥どうなん?
そうとなれば、24時間なにも食べない方がいいのかとか‥‥はああ、今日は無理とか、なんとも悩ましい問題だとか、頭を抱え、お前、勝手に寝るんじゃねえと複雑な心境を胸に響生の端正な横顔をみつめ、むしゃむしゃ頭を掻きむしる。




