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Ⅸ Thistle



 アーサーが読書に没頭している間、私は離れたところから壁の本たちを見つめていた。

 出来ることならば、今すぐにあの本の山に飛びついて片っ端から読んでみたい所存であったが、流石に人様の部屋に上がり込んで飲み物も頂いているのにそんな不躾な真似は出来ず、恨めし気に遠い位置から背表紙の英語を読める範囲だけ読んで置かれている本のタイトルを推察する事しかできなかった。


 (推理小説から冒険小説…イギリス文学からアメリカ文学、ロシア文学まで幅広い……)


 私の無駄に視力の良い眼が発揮されるタイミングが、まさかイギリスで訪れるとは。

 本の背表紙から察するに、自己啓発本のようなものもあれば図鑑のような分厚い物もある、随分と幅広く読書を嗜んでいるようだが、それぞれがしっかりとジャンルごとに綺麗に棚に納められているようだった。

 宛ら教授の部屋である。


 (これ一人で集めたんだったら相当だわ……)


 本の山々を恨めし気に眺めながら、ふと手元に目線を移す、するとそこまで気が付かなかったのだが昴の使っていたティーカップが厨房から持ってきたものと同じ絵柄であった。


 「あれ、これ同じ絵柄なんですね」


 読書の邪魔をしたくはなかったのだが、思わず感想が口から出てしまった。

 慌てて口を塞ぐが、アーサーが本から目を上げてこちらを見る。


 「…お前が持ってきたそれは俺の一番気に入ってるティーカップなんだ。他の絵柄はそれぞれ一つしかないんだが、そのアザミのティーカップだけは二つある」

 

 アーサーはエメラルドの瞳を細めながら私の飲んでいたティーカップと、アーサーの目の前にあるティーカップを見詰めていた。

 読書の邪魔をするつもりはなかったのだが、律義にも私の呟きにレスポンスをくれたため、私は閉じていた口を開く。


 「…アザミだったんですね、これ」


 ティーカップの側面に描かれた紫の花はアザミであったようだ。

 冠のような房に包まれ、葉緑や総苞に鋭い棘を持ち、美しい紫の花弁を持ちながら手折ろうとすると棘に刺される。和名のアザミは「浅む(傷つける、驚き呆れるの意)」から来ており、棘があることで花を折ろうとすると驚くことからその名がつけられたとされている。


 どうやら、アーサーからすれば思い出の品のようだ。だから部屋へ通してくれたのかもしれない。


 「素敵な絵柄ですね」


 私は特別ティーカップの絵柄に明るくはなく、正直どれも同じ絵柄に見えてしまう程美的センスは壊滅的であったが、何となくティーカップの絵柄はバラが多いのかなと思っていた。

 アザミとは初めて見た絵柄だったし、あまり陶器に描かれるイメージのない花だったが、こう見るととても素敵な花に思える。


 「………アザミは好き嫌いが分かれる花だが、綺麗だと思うか?」


 素直に褒めただけなのだが、なぜかアーサーは少し探るような顔をしてこちらを見ていた。

 宝石のように澄んだエメラルドの瞳に見据えられると、嘘をつけない魔法にかけられているような気がしてくる。


 「…棘があるということは簡単には触れないということ、それだけ花自身が頑張って自分を守ってきたということですし。紫って高貴なイメージがあるので、私は好きですよ」

 「………そうか」


 私の言葉にアーサーはそうとだけ呟き、また黙り込んでしまう。


 (………わからん)


 この坊ちゃんは本当に何を考えているのか皆目見当もつかない。

 まるで地雷原の上でタップダンスをしているような気分だ。


 そもそも人種も違い育ってきた背景も大きく違うため、一言一言が彼にとっては聞き捨てならないことだとしたら、とんでもない失言をしてしまっていそうな気がする。彼と仲良くなれと言われても、正直向こうがあまりにもミステリアスすぎて仲良くなれる糸口が見えない。まあこちらとしては別に歩み寄る必要性もないのだが、なんというか、本当に、どうしたらいいのか困るのだ。

 とはいえ、出会って三日目くらいなので分からなくて当然ではあるのだが。


 私には対応不可能な無の空間が流れる中、救いの一手かのように扉がノックされる音が響いた。


 「そろそろご飯の用意できたけどー?」


 聞こえてきたのはルイスの声。天の助けが如く聞こえてきたその声に昴はサッとソファから立ち上がった。


 「すぐ行きます!」




***




 ダイニングテーブルには相変わらず豪華な料理が並べられていた。本日はロブスターがメインなのだろうか、一番メインの皿に赤い尻尾がオシャレに飾られていた。


 普段食べている料理も勿論おいしいのだが、慣れ親しんだアジアンテイストとはかなりかけ離れた雰囲気の料理たちに、また開いた口が塞がらなくなる。

 本当に何度も思うのだが、こんな豪華な料理をいただいて良いのだろうか。お金は払えないけれども。


 「今日はどうしよっか、昨日と同じ水で大丈夫?」

 「あ、はい、水で大丈夫です、ありがとうございます」


 唖然としたままテーブルを見つめている私にルイスが話しかけてきた。そこでようやく現実に戻ってきた私は、何とか自席まで動く。

 どうやら、昨日と同じ席が私の定位置になったようで、日本をイメージしてなのだろうか、造花の桜の花がテーブルに置かれていた。


 「じゃあちょっと待ってててね」


 私は席に座りながら辺りをぼうっと見渡す、ダイニングの暖炉の上に掛けられていた男性はアーサーの部屋の前に掛けられていた肖像画の男性とよく似ているが少し違うようだった。

 しかし、今思えばこの部屋にはこの男性の肖像画があるのみで、アーサーの部屋の前に対になって飾られていた女性の肖像画はない、なぜだろうか。気付けば、たくさんの写真や絵が壁や棚の上に飾られているが、あの女性が写っている物は一つとしてないような気がする。

 そういえば、この肖像画の男性は赤い眼をしているのに、あの女性はアーサーと同じように透き通るようなエメラルドの瞳をしている。


 そんなことを思いながらぼけっとしていると、グラスとピッチャーを持ってルイスが厨房から現れる。


 「あれ、まだ来てないんだ」

 「そうですね、お食事冷めてしまいますよね」


 グラスを昴の前に置き、ピッチャーから水を注ぎながらダイニングルームの入り口を見てルイスが呟く。

 アーサーは「少し用がある」と言って一緒には来なかったのだ。


 「まあ、そのうち来るでしょ。それより、あいつと少しお話できた?」

 「…あ、はい」


 自分のグラスにも同じように水を注ぎ席に着いたルイスがそう言いながら意地悪な笑みを浮かべていた。

 私は恨みがましい目でルイスを見上げる。


 「人が悪いですよ、ガルニエさん。ティーカップのこと、絶対分かっていましたよね」

 「ふふ、何のことだが」


 鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌である。

 この人もこの人で、やはり()()()()をしていると思う。


 「いやー、それにしても珍しいよ。あいつが他人を部屋に入れるだなんて」

 「…そうなんですか?」

 「うん。基本的にあいつ秘密主義だから自分の事話したがらないし、部屋にも入れないんだよ。ましてやお気に入りのティーカップを出して一緒にお茶飲むなんてねー……本当、明日は槍が降るかも」

 「槍……」


 そんなにか。


 確かに部屋に入るどころかミルクティーを受け取るのすら最初は拒否されそうだったし、思い返せば『お前に家の中をうろうろされるのが嫌だ』的なことを言われていた気がするが、あのティーカップを見た瞬間にアーサーの態度が変わったのだ。

 そこまで考えて、私はふとダイニングルームの入り口を見る、まだアーサーはこちらへは来ていないようだ。


 「あの…ガルニエさん」

 「ん?」

 「あのティーカップって…何かあるんですか?」


 気になっていたけど聞けていなかった事をこの際白黒はっきりさせたかった。

 アーサーの態度からして何かがあることに違いはないのだが、彼はどうにもミステリアスすぎてその「何か」を解明するのは大分骨が折れる作業のような気がする。


 ルイスは昴の質問に対し、一瞬鼈甲色(べっこういろ)の眼をきらりと光らせた。


 「知りたい?」

 「え…いや、まあ…少し気になるくらいですけど」


 何故か勿体ぶる態度を取られる。

 ルイスは私の問い掛けに対し、うーんと唸り、暫し考える様な素振りを見せた。少し返答に窮しているようである。


 「…まあ、俺から言うのはダメだと思うんだよね」


 それはその通りだろう。


 恐らくは確実にアーサー本人にまつわる話であるので、これは本人から聞くべきなのだろう。彼ともっと心を通わせればそのうち教えてくれるかもしれない、いつになるのか分からないが。


 「そうですよね…」

 「でも、これだけは言えるかな」


 ルイスは悪戯っぽく人差し指を唇の前に当てて、昴の耳に小声で耳打ちをした。


 「あのティーカップは坊ちゃんが買ったものじゃないんだよ」

 「…え?」


 ルイスの鼈甲色の瞳が意味ありげに揺れていた。

 どういうことだ、とその目を見つめているとダイニングルームの扉が開き、アーサーが現れる。


 「悪い、遅くなった」

 「大丈夫まだ冷めてないから。飲み物はいつもと同じでいい?」

 「ああ」


 少しくすんだ真鍮のような金糸を持つエメラルド色の吸血鬼は、先程と変わらぬ仏頂面を浮かべ、男性の肖像画の前に置かれた自席へ座った。

 こう見てみると、後ろの男性ともよく似ていた。


 ルイスの言っていた事は一体どういう事だったのだろう。

 あの厨房に置かれていたティーカップは全てアーサーが出先で集めたコレクションだと言っていた、しかし先程のルイスの言葉によれば私が選んだあのアザミのティーカップだけはアーサーが買ったものではないということだ。そう言えば、部屋に行ったときにアーサーが出してくれたティーカップは同じ柄をしており、これだけは同じ柄が二つあると言っていた。誰かから贈られたものだったのだろうか。


 脳内で思考を巡らせている間に、ルイスはアーサーの元にグラスを用意し何か飲み物を注ぐ、何かというか、紛れもなくそれは白ワインではなかろうか。

 この坊ちゃん、いつも白ワインを食事の時に飲んでいるのか、まあ成人済み…だからいいのか。というか半吸血鬼の年齢とはどういう進み具合なのだろうか、怪物は大抵人間よりも長生きであると相場が決まっていると思うのだが。


 そうこうしているうちに、全員の元に飲み物が揃い食事がスタートした。

 昨日と変わらずルイスの作る料理は料理名は分からないがとても複雑な美味しさを奏でており、一口噛み締めるごとに口内が狂喜乱舞した。ロブスターをメインにしたホワイトスープのようなものだったが、それと付け合わせで出されたフランスパンのようなもの(すべて正式名称がわからない)がこれまたとても美味しく、非常にスープとの相性が良かった。

 最初はアーサーのティーカップが頭から離れなかった昴だったが、食べ進めていくうちに、あまりの美味しさからティーカップの話は完全に頭から抜け落ちていた。


 「ご馳走様でした。…ガルニエさん、本当に料理が上手ですね」

 「Merci. 君みたいに綺麗な女性に褒めてもらえると作った甲斐があるよ」

 「…ありがとうございます」

 「今度好きなもの作ってあげるから、昴の好きな食べ物も教えてね。あ、日本料理は素人だから、その場合は教えてもらわないといけないけど」

 「いや、そ、そんな、私は人様に教えられるようなレベルの料理は作れないですよ…」

 「でもやっぱり、その土地それぞれの味は現地の人間にしかわからないからねー」


 食後に出されたココアを飲みながら他愛のない話をする。


 しかし本当に、お世辞抜きでルイスは料理が上手だと思う。私は高級フレンチなどには生まれてこの方行ったことはなかったが、それでもお店が開けそうだと思うほどには非常に美味しい。日本に帰ってフランス料理を食べても彼の腕には適わないかもしれない。


 こうしていると、本当に目の前にいる彼らが人間ではないことを忘れてしまいそうになる。

 特に、ルイスは最初の印象もそうだったがとても人当たりの良い男性で、人付き合いが上手なのが非常に分かる。彼が狼男だと言われても、正直信じられないほどだ。



+++ 



 食後のココアを飲み終え、「皿洗いはやります」「そこまでしなくていいよ」「いえ、やります」「いや、いいって」という押し問答をなんとか勝ち取った私が少しだけ皿洗いの手伝いを終えた頃、ルイスは送りの車を用意すると部屋からいなくなった。

 いつの間にか持ってきた本を暖炉の前の席に座って読んでいるアーサーを見て、私は少しだけアーサーに近寄る。彼が読んでいた本が気になったのだ。

 

 「ジキルとハイド、読み始めたばかりだったんですか?」

 「…わっ、急に寄るな……」


 急に近寄ってきたことに驚いた様子のアーサーが驚きのままエメラルドの瞳を飛び出さんばかりに見開く。そんな顔をしなくてもいいだろうに、失礼である。


 「すみません、気になったもので」


 アーサーは恨めしそうにこちらを見据えていたが、一つため息をついて本を閉じた。


 「違う、これで読むのは二十回目くらいだ」

 「二十回? そんなに読んだんですか、好きなんですねその話」


 同じ本を何度も読み返すのは確かによくあることだし、私も気に入った本は何度も読み返しているけれど、流石に二十回も読み返すというのは中々珍しいように思う。相当好きなのだろう、この物語が。


 「…まあ、そうだな。少し…感情移入できるからな。 …誰もが一つの人格だけを有しているわけじゃないんだ」


 まるで、自分に言い聞かせている様だった。


 ジキルとハイドの二面性については、かなり論争を呼ぶ部分ではあるかもしれないし、このお話自体は怪奇小説として捉えられることも多いため、ポジティブな面で主人公の二面性が語られているわけでもないのは確かだ。実際、主人公であるジキル博士は薬の力でハイドになり、罪を犯している。

 しかし、全てがポジティブな登場人物に自己を投影するのかと言えば、そういうこともないだろう。


 「どちらの人格も含めて彼ですもんね」


 ダイニングテーブルに置かれたジキルとハイドの表紙を見下ろしながら私はぽつりと呟く。

 私は自分で認識している以上は一つの人格しか持っていないが、そんなの自己認識の範囲であり、もしかしたら他人からすれば他の人格もあるように映るかもしれない。でも、私からしたら渡辺昴は一人だ。ジキル博士もハイドという人物を自分とは違う人間とは思っていなかったかもしれない、それも含めてジキルでありハイドなのだから。


 昴の言葉にアーサーは口籠る。

 彼の内面の一部分に触れることが出来て、少しだけアーサー・スティリアという男を知ることが出来たのかもしれない。彼と距離を縮めようという気持ちはさらさらないが、嫌でもこの屋敷に毎日訪れて謎に夜ごはんを一緒にしないといけないというのなら、少しでも話のネタがあるに越したことはない。



 車の用意が出来たとルイスに呼ばれ、ミルクティーの礼をした私は夜の洋館を後にした。



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