Ⅶ The Prefect of University
昴はココアの入ったカップで手の平を温めつつ、アーサーとルイスを交互に見た。
片方が半吸血鬼で片方は狼男とは、改めてとんだ巣窟に潜り込んでしまったものである。私の意志で此処に来たのではないけれど。
今は人間の姿をしているとはいえ、最初に会った時は紛れもなく怪物であっただろう。私は人為らざる者に遭遇することが多々あるため、会えばそれが人間かそれ以外かは分かる。あれは確実に怪物だった。
ルイスはどういう能力なのか巧妙に人間に化けているようだが、分かる人には、匂いが人ではないと分かるらしい。当初は気が付かなかったが、近くにいれば何となく気が付くようになった。
それに比べて、アーサーは半分は人間だからか今の状態だとモンスターだとは絶対に気が付かない。
しかし、あの夜出会ったときは完全に人為らざる者の匂いをしていた。
「…そもそも、なぜ私を襲ったんですか?」
最大の疑問を私は口にする。最大かつ、聞いていいのかずっと悩んでいた疑問だ。
しかし、アーサーは先程自分が半吸血鬼であるのを明かす時にしていた神妙な面持ちとは百八十度違う様子で、随分とあっけらかんと答えた。
「お前、『なんで朝食を食べたんですか?』って聞くか?」
「………。」
聞いた私が馬鹿だった。
先程まで、「人間と吸血鬼のハーフなら案外人間に近い感性も持ち合わせているのかな」と思っていた私が愚かだった。
その言い分では、私があそこであのような行動に出てなかったら今頃骨も残ってなかったかもしれないということだろうか。
「まあ、でも。百発百中の坊ちゃんが自信満々に話しかけてすげ無く断られた子なんて、君が最初で最後だからさ、安心してよ」
「…意味が分からないのですが」
ルイスのフォローは完全にフォローになっていないだろう。
そう言えば、ルイスはずっとアーサーの事を坊ちゃんと呼んでいるが、これにも理由があるのだろうか。
「…ところで、なんで坊ちゃんと呼んでいるのですか?」
「それは俺の一族が代々アーサーの一族に仕える従者の家系だからだね、付き人みたいなもんだよ。だから俺も産まれてこの方、我儘坊ちゃんの世話を焼いてるってこと」
種族が違う者同士で主従関係を結ぶこともあるのか。不思議なものである。
「世話を焼かれた覚えはねぇけど」
「あれだけ面倒見てあげてるのに薄情なやつ〜」
「言ってろタコ」
とはいえ、二人を見ていると主従関係というよりは仲のいい兄弟のようにも見える。
「それにしても、ここまで坊ちゃんの事を知らない生徒もあの大学では珍しいと思うんだけど。昴は本当に知らなかったの?」
「え?」
唐突に謎の問いかけをされて私は変な声を出す。
まるで知らないほうが稀有のような言い方をされる。確かに、茉莉の言っていた通り顔が整っている為それなりの知名度はあるのだろうが、それで全校生徒が把握しているというのはあまりに買い被りすぎなのではないだろうか。
浮世離れした美しさを持っているとはいえ、顔の整った生徒ならそれなりに他にもいる。幼馴染のアイザックもその部類だと思うが、それでもアイザックはそこまでの知名度は無いだろう。
「もしかして、全校集会とかあまり出てこなかった?」
「全校集会?」
しかし、話は思いも寄らないほうに飛んでいく。
確かに、留学の手続きやらタイミングが合わないやらで今まで全校集会などの催しには出たことがなかったが、それとアーサーの知名度に何か関係があるのだろうか。
困惑で一杯の私に、ルイスは思いがけない言葉を口にした。
「坊ちゃん監督生だから、集会とか出てたら必ず目にしてた筈なんだけどね」
「………………はい?」
長めのフリーズをしたのち、十分な間を開けて私の喉から気の抜けた声が出た。
(……今…監督生って、言った……?)
監督生というのは、英国のパブリックスクールなどでよく見かける制度のことであり、要するに模範生徒だ。普段の行動や成績が優秀な生徒を、学生たちの模範として任じ、風紀の取り締まりや学校運営の手伝いなどをしたりする。集会等では全生徒の前で発言をしたりする機会もある。
この大学にも監督生がいるというのは何となく聞いたことがあったが、そもそも監督生になるのにはかなりハードルが高い。一応、我が校は英国の中でも指折りの学力を誇るのだが、その中で最も成績が優秀なものだけがなることが出来る。一学年150名ほどはいたと思う学生の中で一番にならなければならず、それに加えて普段の行いも品行方正でなければならない。進んでボランティアに参加したり、学校外の催しの手伝いをしたりとか、思い当たる限りでもそれなりに大変な事をしなければなれなかった筈だ。
それがまさか、目の前にいるこの男が監督生に当て嵌まると言うのだろうか。
「……優秀なんですね」
驚きすぎてポンコツのような感想しか出てこない。
この吸血鬼に天は二物を与えすぎなのではないか。浮世離れした容姿の良さに加えその頭脳明晰なんて、文字通り人間の出る幕がないではないか。
「…誤解されたくないだけだ」
アーサーは憮然とした態度でそう言い切った。
その言葉には、言葉以上に何かの感情がたくさん織り交ぜられているような気がした。
以上で俺の話は終わりだ、とばかりにアーサーは口を噤んだ。こんな大きな屋敷に一人で住んでいる事や、ルイスという従者がいることなど、まだ分からないことはたくさんあるが、その辺りは彼らの領域なのだろう。人間が容易く踏み込んではいけないものなのかもしれない。
とは言え、協力しろと言うのなら教えてもらってもいい気もするが。まだ首と胴は繋げておきたいので、下手な事は口にしないでおこう。
「私は渡辺昴、専攻はイギリス文学史の2年生。純粋な日本人です」
昴も2人に倣って、改めて自己紹介をする。
「アジア人の生徒も多いけど、日本人は意外といないから珍しいよね」
「そうですね、あまりこの大学にはいないようです」
中国系の留学生や韓国人の留学生には会ったけど、同郷の留学生には今のところ出会っていない。
自己紹介と言っても、私は監督生でもなければただの人間であり、面白いサイドストーリーも無ければ自慢できる経歴も持っていないので、自分の名前を名乗るくらいしか言うことがない。
「…お前は霊感があると言っていたが、今までも何度か見た事があるのか?」
珍しく、アーサーが問い掛けてきた。私は黒い目でアーサーを見返す。
随分と以前から霊感の部分を気に掛けているようだが、今までそんな人間に会ったことはなかったのだろうか。
「…何度かは。母国では今まで何度か見た事がありますし、こちらに来てからもゴーストは見た事があります。大学にもいたと思いますが」
「あー、いるね。研究室に低級霊がいたのは見た事あるよ」
「あ、それです」
「……だから、俺にも驚かなかったのか」
アーサーが愚痴を零すかのように小さく呟いた。
その言葉に思わず私もルイスも口を閉ざし、顔を見合わせる。
「……あ、でも。流石に吸血鬼にあったのは初めてでしたよ」
フォローにならないかもしれないが、それは事実だ。
「…前日に宿舎の友達と『ト〇イライト』を見てたので、それが原因かなとも思いましたけど」
「………は?」
今度はアーサーの喉から気の抜けた声が出た。
一拍遅れて、ルイスの方から笑い転げる音が聴こえた。
「はは、あははは!『ト〇イライト』かあ! あははは、いいね!」
「…そんなに笑います?」
「うふ、ふふふ…いやー…本当にいいキャラしてるよね、君。ふ、ふふふ」
「……」
褒められている気がしない。
床に転がり落ちながら笑い続けるルイスを半目になりながら見下ろす中、話に付いてこられていない様子のアーサーが「おい」と不満げな声を出す。
「何だよ、それ」
「アメリカの吸血鬼映画だよ、確か人間と吸血鬼の恋物語じゃなかった?」
「はあ?」
隣で見ていた茉莉が事あるごとに黄色い悲鳴を上げるのであまり内容に集中できず、残念ながらストーリーはほぼ覚えていないのだが。確かに、大筋はラブストーリーだったと思う。
「…なんだそれ、くだらねえ」
アーサーは吐き捨てるようにそう言い切った。
その感想には私も多少同意する所があった。
異種族間のラブストーリーというのは昔からよくある話で、世界的に有名なのはやはり人魚姫なのかもしれないが、相容れない世界を生きる生き物は互いに惹かれやすく、その当たり前が当たり前ではない世界を目にした瞬間の感情に人々はトキメキを感じるのだろう。
その心はわからない事もないが、そういう物語は「とはいえ有り得ない存在」として人々に認識されて夢物語として消化される。いたら素敵だけどな、人魚姫、くらいの気持ちだ。それがまさか今目の前にいる女性が人魚その人だと言われたら腰を抜かして恋どころではないだろう。人間の他人種同士でも理解するのが難しい問題があると言うのに、それを飛び越えた異種族で理解し合い愛を育むなど土台無理な話だ。
そもそも、愛だの恋だのという感情自体、難しいものだと言うのに。
「まあ、ある程度霊的な存在が見えるって人は俺も出会ったことあるけど。それにしてもさすがに話しかけてくるタイプの怪物に出会ったら大抵叫んで逃げるんだけどね、昴は肝が座ってるよね」
一通り笑い終えたルイスが、目尻の涙を拭いながらそう言ってきた。
昴は昔から霊的な存在が見えていたのと、元来持ち合わせている冷静沈着な性格も相まってか人より喜怒哀楽が乏しく、その中でも驚きに関する感情はゼロと言っていいほどない。自分が今まで見たことのない何かに会ったとしても、そういう存在もいるんだな、知らなかっただけで。で済ませてしまう。
とは言え、そんな自分の性格が災いして他人に影響を与えることになるとは、まるで思いもしなかったが。
「…ですが、それが理由で私が貴方に影響を与えてしまったのなら、すみません」
そこまで考えて、なんとなく罪悪感を覚えた私は、アーサーに向かって軽く頭を下げる。
実感は全くないし、悪いとも思わないし、存在が消えるってなんのことだとは思うが、私の人生で訪れないであろうこんな浮世離れした場所にお呼ばれして見たこともないお食事を頂き、見ていたら目が弾け飛びそうなくらいの美人二人を前にしては、これは現実ではないと言うのも無理があるような気がしてきた。
下手な宗教に勧誘された気分でもある。
ルイスとアーサーは頭を下げた昴を見て顔を見合わせる。
二人からしても、こんな人間に会うのは初めてだったのだ。
「……いや、お前が謝る必要はない」
「そうだよ、悪いのは坊ちゃんだからさ」
「……」
軽快な調子でそう言ったルイスをエメラルドの瞳が睨みつけていた。
「じゃあ、そろそろ時間もいいところだしね。宿舎まで送るよ」
ルイスのその言葉で、本日は終了となった。
***
(あんなに美味しい料理食べたの、久しぶりだったな…)
時刻は夜の10時丁度。
洋館から宿舎までは車で十五分ほどで着く場所にある。
私は車窓から流れる夜の並木道をぼうっと眺めながら、先程食べた美味しい料理の事を思い出していた。
どれもこれも今まで食べた事のない味がしたし、須らく美味しかった。巻き込まれた身とはいえ、お金を出さずに頂いているのに、凄く罪悪感を感じていた。
そんな中、程なくしてルイスの運転するハイパー高級車は宿舎の近くまで着いた。こんな高級車が宿舎の目の前にあればすぐに騒ぎになると予想したので、少し離れたところに留めてほしいとお願いしたのだ。
「じゃあ、明日も同じ時間帯でいいかな」
「あ、それはいいのですが。 …あの」
車が停車し、後部座席のドアをルイスが開けてくれる。
明日の予定を確認してくるルイスに、何か言いたげに昴が口籠れば、ルイスは鼈甲色の眼を不思議そうに揺らめてこちらを見下ろした。
「ん?どうしたの」
「…あんなご馳走頂いてよろしかったのでしょうか」
「気にしなくていいよ。いつもあんな感じだし、一人増えたところで大した問題じゃないからさ」
「いえ、そうではなく…」
ルイスは私の言葉に問題ないというようなジェスチャーをして優しく笑い掛けてくる。どうやら、料金面での心配ではなく、作る手間の心配をされていると思っているようだが、それもあるがそうじゃない。
とはいえ、お金を払いますと言って払えるほど今の私は裕福ではなかった。イギリスの大学に留学している費用は親に見てもらっているが、生活費については必要最低限の援助のみを貰っていた。ただでさえ親に大分面倒を見てもらっているのにこれ以上迷惑を掛けたくなかった為だが、それ故娯楽に興じるほどの金銭的余裕もない。
「……あの、明日からは私にも何か…お手伝いをさせていただけないでしょうか」
「お手伝い?」
「はい」
代金を支払う事は出来ないが、雑用くらいであれば自分にも出来る。
聞くところによると、あの屋敷に住んでいるのはアーサー一人で、ルイスは屋敷の隣にある小さめの家に寝泊まりしているらしい。メイドなどの使用人はいなく、先程の料理も勿論ルイスが作ったものだったし、身の回りの掃除洗濯なども基本はルイスがやったり手分けして行っているというのだ。あれだけ立派な屋敷を一人で持っているというのであれば、相当のお金持ちであるはずなので使用人の一人や二人雇うことも造作のないことだと思うのだが。
兎も角。だとすれば、自分に出来ることはそれしかないだろう。
「流石にお食事を頂いてばかりでは、私も気が引けます。一人暮らしの経験もあるので一通りの家事は出来ます、料理に関しては…ガルニエさんの方が確実に上手なので、掃除や洗濯などをやらせてください」
「…え、気にしなくていいよ、本当に」
「いえ、ダメです。私が気になります」
「…でも、昴はお客様だからさ」
「いえ、同じ学生ですので。それにお二人とも私より先輩です」
「……いや…」
「大丈夫です、私は好きでやりたいだけですので」
両者一歩も引かない攻防が、夜の並木道で執り行われる。
渡辺昴という人間は、そうと決めたら物事を曲げない意外と頑固な性分だった。
ルイスはこの二日間で見た彼女の表情の中で一番と言っていいほど意志の強い瞳に気圧され、最初は断る姿勢を見せていたものの何も言えなくなってしまっていた。日本人は柔和で押しに弱く、自分の意見をはっきり言わないと思っていたのだが、皆が皆そうではないらしい。
正直、勝手に許可してアーサーになんて言われるのか想像もしたくなかったのだが。
「…わかった、坊ちゃんに聞いてみるよ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします!」
ルイスとの押し問答に打ち勝った昴は、そう言って軽くお辞儀をしその場を後にした。
残されたルイスは大きなため息とともに、屋敷に戻った後の主人とのやり取りを考えて足取りが重くなっていた。