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Ⅲ Arthur Styria



 蛇に睨まれた蛙よろしく、金縛りにあったかのように動けなくなってしまった私に、西洋人形の男は満足げな笑みを浮かべる。

 どうにも、昨日は成せなかったことが成せて嬉しいようである。


 昨日は街灯しか明かりがない夜道だった為、顔までしっかりと見ることが出来なかったので、学校ですれ違った時はすぐに気が付かなかったが、今目の前にいるのは紛れもなく昨日会った推察・吸血鬼さんだった。どこかで見た事がある様な気がしていたのは、同じ学校に通う生徒だったからなのか。

 しかし、今目の前にいる彼は昨日の夜に会った吸血鬼とはどことなく雰囲気が違う気がする。お手本のようなクイーンズイングリッシュを喋っているところや、人を小馬鹿にしたような笑みなどは全て昨日の人物と同じなのだが、纏う雰囲気が違う。

 そもそも、昨日はタキシード仮面のような恰好をしていたのに、今はそこら辺の大学生のような恰好をしている。まあそこら辺の大学生だったのだからそうなのだが。


 そこまで考えた私は竦んだ足が自分の意思で動かせるようになったことに気づく。すぐさま顔を鷲掴みにされていた大きな手から逃げるように、さっと身を引き、相手が反応するより早くこちらから先手を打った。


 「どなたと間違えているのか分かりませんが、人違いではないでしょうか。では」


 N〇KEのスニーカー男とおさらばするため横をすり抜ける。

 しかしまた昨晩同様、ワンテンポ遅れてN〇KEスニーカー変質者が腕を掴んでくる。


 「おい待て、話は終わってねーぞ」

 「私は貴方の事は知りません。そもそも、初対面で顔を鷲掴みにするような礼儀のない人と話すことはありません。」

 「…んだと」

 

 …嫌すぎる、なんなんだこの男。あまりにしつこいようであれば警察を呼ぼうか。

 

 人通りがあまり少ない並木道だったので誰も気に留める人はいなく、私は懐からスマホを取り出して警察に連絡しようとする。

 そのタイミングで別方向からまた新たなスニーカー男が現れた、今度はl〇 coqである。


 「ちょっと、坊ちゃん。女の子に初対面で()()は流石にダメだよ」

 「…ちっ」


 現れたのは栗毛の髪を頭の後ろで括っている、また新たな不審者。よく見ればこの人は大学で変質者と並んで歩いていたうちの一人だった気がする。

 ということはこいつの共謀者か、というか坊ちゃんってなんだ。


 N〇KEスニーカー変質者は男の言葉に舌打ちをしながらも、素直に手を引いた。


 「…ごめんね、うちの坊ちゃんが乱暴したみたいで。痛かったよね」

 「はあ…」


 l〇 coqの不審者は人の良さそうな笑みを浮かべて謝ってきた、どうやら話の通じる不審者のようである。

 彼はお洒落なジャケットをラフに着こなしており、N〇KEスニーカー変質者よりはお洒落感度が高いように見えた。


 「俺はルイス・ガルニエ。法学部の三年生で、フランス出身。こっちは同じ法学部三年生のアーサー・スティリア、彼は生粋のイギリス人」

 「……あ、文学部二年生の渡辺昴です」

 「へえ!文学少女か!素敵だね」


 しまった、第二の不審者もといルイスの人の良さと会話のテンポの良さに釣られて、思わず自己紹介をしてしまった。逃げるつもりだったのに退路を断たれた。


 というか見るからに学校の人気者の二人がわざわざ日陰者のアジア人を捕まえて何の用だろうか。

 そもそもルイスの隣でずっとこちらを睨んでいるアーサーという男は記憶にある限りでは人ではないのだが、もしやルイスも人ではないのだろうか。ここはホ〇ワーツ魔法学校かどこかなのだろうか。


 「……あの、私予定あるので…」


 考えるのが面倒になり、逃げるが勝ちと判断した私がその場から去ろうしてそう言うと、ルイスは少し慌てた様子で引き留めてきた。


 「ちょっと君に用事があってさ、少しだけでいいんだけど…」

 「いえ、私貴方たちの事知りませんので」

 「…いや、俺たちの方は君に話さないといけないことがあるんだよね」


 しつこい。


 優男に見えて、全く引き下がる様子を見せない。こちらからすれば学校の廊下で女子生徒から黄色い声援を送られていたような人気者の二人に、急に呼び留められている事自体が迷惑でしかないのだが。

 急に彼らのファンにやっかみを受けても堪ったものじゃない、昴はその場を何とか切り抜けようとした。


 「……今だったら貴方の事、何も言わないですよ」


 目の前で何とか自分を引き留めようとしているルイスではなく、その奥で仏頂面を浮かべるアーサーを見て昴はそう言った。

 その言葉に柔和な笑みを浮かべていたルイスの顔が引き攣り、後ろでじとりとこちらを睨み付けていたアーサーがため息をつきながら口を開いた。


 「だから言っただろ、対話なんて無駄だって」

 「…って言っても、無理矢理連れて行くわけにいかないでしょ」

 「じゃあどうやって説得すんだよ」

 「それは、なんとかして」

 「なんともなんねーだろ、クソ」


 私を置いてけぼりにして意味の分からない言い合いを始める不審者たち。

 ルイスが良い人なのはなんとなくわかるが、私からすればずっとこちらを睨みつけているアーサーとかいう男は非常にとんでもないクソ野郎にしか見えていなかった。そもそも、あんな夜中に急に目の前に現れて痴漢紛いのことをした挙句、次の日も同じようにストーキングしてくるとか、もう犯罪者なんじゃないだろうか。


 (もういいや、逃げよ)


 そう決心した私は、二人が意味の分からない言い争いをしているのを良いことに、回れ右をしてその場から走り去ろうと足を踏み出す。

 しかしそこで、会いたくなかった別の集団が視界の端に現れた。


 「え!?」

 「…うわ」


 回れ右をして振り返った先には、先程学校でアーサーを取り囲んでいたどこぞの学部の女学生集団がいた。

 大体こういう時はあらぬ誤解を植え付けられて変に虐められるストーリーが始まるんだとゴ〇ップガールで知っている。虐められて可哀想な女主人公にイケメンがその子を庇って、好きになっていくラブストーリーは韓ドラで何回も見た展開だ。


 強気全開のかき上げヘアをしたスタイルのいい女の子たちは、強いアイラインをさらにきゅっと引きつらせてずんずんとこっちに向かってきた。

 思わず嫌なものを見てしまったという声を出してしまったおかげで、言い争いをしていたアーサーとルイスもその集団に気が付いた。


 「あちゃあ…」

 「何だ、あいつら」


 ルイスは女の子たちの登場で全てを悟ったようだが、アーサーは状況を理解できていないようだ。


 「あんた、とうとうアーサーとルイスにも色目使いだしたの、このビ〇チ」


 先頭に立っていたブロンドヘアのリーダー的な女学生が開口一番でそんなセリフをぶっかけてきた、人生初の英語での放送禁止ワードに目が眩みそうになる。

 唖然として言葉の出ない私や、状況を掴めていないアーサーたちを置いて、その女学生は私を突き飛ばしアーサーとルイスのもとへ猫撫で声を出してすり寄る。


 「二人とも、なんでこんなところにいるのよ?」

 「そうよぉ、こんなクソ浮気女に構っても時間の無駄よ」


 絵に描いたような三流格下ムーブをかます女学生たちに、もはや見ているだけで感動が湧いてくる。こんなリアルゴ〇ップガールみたいな場面に出会う事ができるとは、ここはイギリスだが来た価値があったというものだ。どうやらこの場合、いじめられる対象は私のようだが。

 というか、この隙に逃げればいいんじゃないか。


 そろりそろりと足を前に進めだした私の耳に、アーサーの声が届く。


 「クソ浮気女?」

 「こいつ二年生のアイザックと付き合ってるのよ、その癖にアーサーに声かけるとかさいってー」

 「ふーん」


 女学生たちは許してもいないのに人のプライベートをべらべらと他人に伝えている。相変わらず誤情報が当たり前のように流布されているが、もはや訂正する気にもならない。


 アーサーの興味なさげな返事が聞こえるが、私は問答無用でその場から離れていく。もう十分な距離はあるし、女の子たちに囲まれている今なら容易に追ってくることもできないだろう。女の子たちだって私が居なくなった方が嬉しいに決まっているだろうし。

 足の速さに特段自信があるわけではなかったが、ここしばらく使っていなかった筋肉を活用する時なのかもしれないと、走り出す体勢になった私の背中にとんでもない言葉が突き刺さった。


 「悪いけど、そいつ、俺の友達なんだよね。これから大事な話をするところだったから、どいてくれるかな」

 「…え?」

 「…は?」

 「……フッ」


 雷が落ちたような衝撃がその場を奔った。


 その場にいた私を含む数名の女の子たちの口から、腑抜けた音が漏れると共に、その様子を黙って見ていたルイスの口からは堪え切れなかった笑い声の欠片が零れる。

 呆気に取られる私たちを置いて、西洋人形のように綺麗な男はにっこりと目も眩むような笑みを浮かべていた。


 「な、昴」


 全身の産毛という産毛が全て逆立つ音が聴こえた。




***




 「離してください!」

 「離したところで逃げるだろ、お前」

 「当り前じゃないですか!」


 意味不明な根拠のない嘘八百をあっけらかんと言い放ったアーサーは、唖然とする私を無理矢理引き連れて学校から遠く離れた場所へ向かっていた。

 あの後、魂が抜けきったような顔でこちらを見ることしか出来ていなかった女学生たちのこれからの行動を考えると胃が痛くてしょうがないのだが。そもそも、こいつが変な出まかせを言うからいけないのだ。何なんだ本当に、私が何をしたというのだ。


 「いやあ、名優も顔負けの名演技だったよ、アーサー。お前にあんな特技があったとはね」

 「うるせぇ」


 ぐいぐいと腕を引っ張られていく横で、ルイスは呑気にそんな事を言っている。この人はまともな良い人だと思っていたのに、どうやら大概なのかもしれない。


 随分と遠いところまで連れてこられた、学校から出て三十分は経過したのではないだろうか。もはや宿舎もこの位置からは四十分はかかる遠さであり、成す術のない私は段々と逃げることを諦めていた。

 よくわからないけれど、この人たちは私に何か用事がありそれを話さないといけない責務なのだろう、もしかして吸血鬼と知ってしまったから本格的に血を吸われて存在を消されるのだろうか、そうならば早めに教えてほしい、両親に遺言くらい伝えたい。


 脳内で物語が飛躍していた昴は、古びた洋館に着いた途端に急に拘束を外された。


 「着いたぞ」

 「……掴んでなくていいんですか」

 「お前、もう逃げる気ないだろ」


 淡々とした調子でそう返された。頭は馬鹿そうなのに、人の心を見る目だけは一人前なのだろうか、嫌味な奴だ。

 

 「まあ立ち話もなんだし、俺たちの家へようこそ」

 「()()、だ」


 にっこりと笑いかけてくるルイスの言葉に仏頂面のアーサーがきっぱりと訂正していた。

 こんなにデカい家がアーサー個人の持ち物だというのだろうか、ということはやはりお坊ちゃんなのか。


 重そうな鉄の門を開けると、二階建てのとんがり屋根をした大きな洋館が現れた。洋館前の石畳を歩けば、これまた重厚な玄関がでんと構えており、玄関を抜けると中は入った場所が吹き抜けの踊り場になっており、左右に階段があって階段の上にはたくさんの扉が並んでいた。

 まるで高級ホテルか、それか夢の国に来たような内観と外観に目がクラクラとする。

 イギリスに来てこんな立派な建物に、それも観光地以外に来たのは初めてだった。本当に、(さなが)ら吸血鬼の館のようである。


 上から吊るされた見たことのない大きさのシャンデリアや、階段の傍に置かれていた西洋甲冑に目が泳いでいると、いつの間にか一階の奥にある広めのリビングに通されていた。ハ〇ー・ポッターの談話室を想像してもらえるとわかりやすいのだが、長いカウチや一人掛けのソファ、サイドテーブルにロッキングチェアなどが無造作に置かれており、部屋の奥には実際の薪を使った暖炉が煌々と燃えていた。

 私はそのまま一人掛けのソファに座るよう促され、隣にいたルイスは「飲み物、ココアとかでいいかな」と言っていなくなった。


 というか、いつの間にかアーサーがいなくなっており、部屋に残されているのは私一人である。


 「……凄い」


 改めて周りを見渡してみると、本当に異世界に迷い込んだような気持ちになる。東洋人である私からすれば、イギリスという土地自体異世界のようなものなのだが、この空間はその中でもさらに異質だった。壁に掛けられている何の絵かわからない絵画も気付けば動き出しそうだし、棚の上に並べられた調度品が命を持っているように見えた。うまく表現ができないのだが、普段美術館で見る絵とはどこか違う、魔法にかけられているような印象があった。

 誰もいないのをいいことに、好奇心が買ってしまった私はゆっくりとソファから立ち上がり部屋をぐるりと一周した。壁の絵画や大きな置時計を眺め、棚の上にある調度品に向かう。そこに置かれていたのは可愛らしい西洋人形や骨董品の数々だった。


 そんな中、一際目を引くものがあった。

 それは、綺麗なエメラルドグリーンをたくさん使って作られたアンティークジュエリーのネックレスだった。普段昴が見慣れている線の細いネックレスではなく、中世の貴族がつけてそうな大ぶりなもの。こんなものつけたら首が凝ってしまいそうとも思うが、見る分にはとても綺麗なものだった。


 「綺麗……」


 思わず声に出すと、ふわりと何かが近くを通る気配がした。ふと隣を見ると、優しい笑顔を浮かべた女性がそこにいた、美しいブロンドに緑の目を持った柔和な笑みを浮かべるとても綺麗な女性だった。

 女性に気を取られていると、部屋の入口から声を掛けられる。


 「何してんだ」

 「わっ」


 思わずびっくりして大きな声が出てしまう。慌てて振り返ると相変わらず不機嫌そうな顔をしているアーサーが腕を組んで立っていた。そこでやっと昴の意識は現実に戻ってくる。そういえば、この変質者に拉致されていたのだった。


 アーサーはどうやら着替えてきたようで、ラフな格好から更にラフなスウェット姿になっている。なんというか、顔は整っているのでそれなりの恰好をすれば似合うだろうに、残念である。

 驚きのまま棚の前から動けずにいる私に、アーサーはふんと鼻を鳴らした。


 「…そこにあるのは全部母さんのコレクションだ」

 「お母さん?」


 緑の目を細めて暖炉の火を見ながら彼は小さく口を開いた。


 「そういうのを作るのが趣味だったんだよ」


 随分と寂しい声だった。


 顔は相変わらず仏頂面なのに、声に寂しさが滲んでいた。「趣味だった」と過去形で話すところが気になった、もしかしたら、先程見た美しい女性が彼の母親なのかもしれない。言われてみればどことなく雰囲気が似ている気がする。

 昴はふと顔を上げて、先程女性のいた棚の近くを見つめた。


 「お待たせ、昴はココアで坊ちゃんは紅茶ね」

 「ん」

 「ありがとうございます…」


 そこへ飲み物をトレーに載せたルイスが部屋に入ってきた。

 三人が揃ったところで、やっと話は本題に入る。




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