【Ⅲ その血に生まれた運命】
「ねえ母上」
「どうしたの?」
「なんで僕は父上や兄上たちと違うんだろう」
「…それは」
「父上はずっとあのままでいられるのに、僕は無理なんだ。兄上たちもできるのに、僕だけできないんだ」
「………」
「僕も父上みたいになれるかな…」
「……ごめん」
「ごめんね、アーティ」
俺にとって、血とは罪であった。
罪であり、証明であり、事実であった。
この血は持って生まれたもの。抗うことも拒むこともできない、生まれた時からそのレールは俺の下に敷かれていた。幼少期は嫌がったり拒んだりしたこともあったけれど、いつしかそれすらしなくった。魂が、これを運命だと、受け入れたのだろう。
俺はこの運命に従うことしかできなかった。
あの少女は異質だった。
声を掛けたのは気紛れだった。この国で、夜中に一人で出歩くなんて、危機意識が無さすぎてすぐ目に止まった。
変なやつだと思った、最初は少し驚いていたようだがすぐに態度を変えてこちらに興味をなくした。今まででこんな態度を取られたのは初めてだった。大体が自分の姿を見ると逃げ惑うかその場で気を失っていた、だというのにこの少女はあろうことか途中で自分に興味を無くした挙句、「私、予定あるので、用がないならよろしいでしょうか」と言ってその場から去ろうとしていた。
あまりの出来事に、脅かすつもりがこちらが驚いてしまい、そのまま彼女を逃がしてしまった。
これが、俺の人生で初めて、運命から外れた瞬間だった。
「…スティリアさん、聞いていますか?」
「…あ、ああ。 …なんだ?」
「聞いてないじゃないですか…。 いいですか、まずは単語を覚えるところからです。日本語は英語と文法が全く異なりますが、まずは単語を把握しないとスタートラインにも立てませんので」
俺の目の前の席に座り、黒い瞳を胡乱げに細めてこちらを見ていた彼女。わざわざ東の果ての日本から西の果てのイギリスまで留学に来ている物好きなアジア人の渡辺昴は、俺が使っている日本語のテキストを指差しながら説明を始める。
彼女の声は凄く耳心地がよかった。今まであまり感じたことはなかったが、昨日初めて日本語を喋る姿を見て以降、妙にその声が耳に残るようになった。
最近、よく変な感情になる。この心の名前を俺は知らない。
「なあ」
「はい?」
アーサーは緑の目に昴の全身を映し出した。
最近彼女と目を合わせると変に胸騒ぎがするから、合わせないようにしていた。白いとっくりセーターを着ていた昴は、そのアーサーの目に不審そうな顔を浮かべる。
声を掛けたはいいけど言葉が出てこずに狼狽える。そんなアーサーを不思議そうに見る昴の黒い目に見つめられ、咄嗟に話題を作った。
「そ、そういえば。昴って名前にも意味はあるのか?」
少し苦しい問い掛けだったが、昴は特に気にする様子もなく、「えーと」と呟きながらノートの端に何やら漢字を書いた。
「これでスバル、と読みます。英語で言うとthe Pleiadesですかね。牡牛座の星団の名前で…星の名前ですね」
「星…」
不思議な響きだと思っていたが、星の名前なのか。そういえば日本の車にもそんな名前のメーカーがあった気がする。
「なんで星なんだ?」
「よくわからないのですが、私の家では元々星の名前…天体に因んだ名前をつける習わしがあったみたいで、それの名残ですかね。今は形骸化していて、父も母も普通の名前なんですけどね」
「へえ…」
「この名前は祖母がつけてくれたんですよ」
そう話す昴の顔はとても穏やかな表情をしていた。おばあちゃんのことが好きなんだろうな、その顔を見てアーサーはそう感じた。
「どうしました?休憩にしますか?」
「…いや、少し聞きたいことがあって」
時計を見ながらそう聞いてくる昴に、アーサーはふと目線を下に落とした。
「なんですか?」
「……生まれた時から、生き方が決められてたらどうする?」
「…はい?」
口から出てきたのは随分と抽象的な言葉だった。
あまりに抽象的すぎる問いに、昴は怪訝そうに形のいい眉を顰める。
問いかけをした手前であったが、口に出してみてあまりに支離滅裂な質問だったと感じ、すぐに訂正しようと口を開くが、最初は怪訝そうな顔をしていた昴がすぐに真面目な顔になり「そうですね」と少し考えだした。
「生き方、というとかなり抽象的な表現ですが…そうですね、例えばお金持ちに生まれて結婚相手も決められていたと仮定しますね」
昴は脳内で物語を勝手に作り出し始めた。
「その結婚相手が相当相性のいい方でしたらいいですが、自由な決定が出来ないというのは少し息苦しそうですね。 うーん…私だったら、そんなの嫌だってなったら逃げちゃうかもしれません」
「逃げる」
思った斜め上の回答が返ってきた。
昴の言葉にアーサーは思案気な表情を浮かべる。
「それが出来ないのなら、ほかの選択肢を自分で作りますかね」
「選択肢を作る……?」
「はい。道筋の敷かれた人生なんて嫌ですけど、何かの拍子でいつかその道が分岐することがあるかもしれません。もし分岐する気配がなければ、自分で作りますし、そんな道が目の前に現れたら可能性を懸けてそっちに進んでみますね」
「……。」
また想定外の答えが返ってきた。
選択肢を作るなど、考えたこともなかった。
敷かれた運命の上で、外れることなく生きることしか自分には与えられてないのだと知り、その人生をそのまま波風立てずに終えることだけが自分にある選択肢だと思っていた。
ぞれが嫌なら自分で選択肢を作る、なんて、考えたこともなかった。
「自分の人生は自分で決めるものですからね」
そう呟く彼女の言葉が、ずしりと心の中に落ちていった。
アーサーは昴に対して多くの事を隠したままで、何も正直に話せていない。
辛うじて彼女がアーサーの事で知っているのは、半吸血鬼だということと、学校の監督生であるということくらい。本来であればもっと聞きたいことや知りたいことがあって当然だろうし、訳も分からず習慣のようにこの洋館に呼ばれているのも、不満に感じても仕方のないくらいの事だと思う。けれど、彼女は自分から多くを知ろうとはしなかった、もともとあまり興味がないのもあるのかもしれないが、アーサーが言う気がないのであれば知りたくはないと言ってくれた。
昴は見た目以上に肝が据わっている女性だった、最初からそうであったが何か不測の事態が起こっても変に動揺しないし、まずは冷静に事実を受け入れる性分なのだろう。だからこそ、こんな地球の間反対の国に留学に来ているのかもしれないが。
「………お前は強いな」
人知れず、口からそんな言葉が漏れた。
風に揺れて消えてしまった言葉だったが、それが今の本心だった。
***
試験まであと少しとなってきた頃、学校ではとうとう逃げ切れない距離にまで近付いてきた試験に皆一様にぴりぴりとし出し、常に図書室は満員の様相を呈していた。
学校において、人間としては監督生及び主席と呼ばれる立場になっているアーサー・スティリアもまた試験を受ける一生徒ではありながら、監督生であるというだけで普段の仕事もそれなりにこなさなければならない。土日も仕事があるのは変わらないため、土曜の夕方に学外での行事の取り纏めを完成させ学長に提出をし日が暮れてきた中、帰路へ着こうとしたところで、校舎から少し離れた所に停めてある車に誰かがいるのが見えた。
訝しげに緑の眼を細めた後、その陰の人物が誰かを認識したアーサーは軽くため息をついてずかずかと車の方へと向かう。
黒塗りの高級車の鍵を遠隔で開けた音で、近くにいたその人影がこちらを向く。
「あら、遅かったわね」
裾がフリルになっている小綺麗なコートを着たその人物は、人がよさそうな笑みを浮かべて鼈甲色の瞳を細めた。
その姿を見てアーサーはため息をつく。
「…何の用だ」
「あらあ、随分じゃない。丁度寄ったついでに挨拶しようと思ったのに」
そう言いながらも、当たり前のように助手席のドアを開き、当たり前のように座席に座った。
もはやため息をつくのも面倒だとばかりに、アーサーは緑の眼をぐるんと回して運転席に乗った。
ラウル・ガルニエ。
生物学上的には男性であるがとても見目麗しい女性の恰好をした、ルイスの双子の狼人間だ。
「…頼んでない」
「相変わらずつれないわね~、そんなんだからモテないのよ。あんた顔だけはいいのに」
減らず口の多いやつである。この辺りがルイスとの血の繋がりを感じるところだ。
「…今日はルイスに会いに来たのか?」
アーサーはラウルの減らず口に応対することはせずに、会話を変えた。ラウルはルイスに輪をかけて適当なところがあるので、一々反応していたら日が暮れてしまう。
「まあ、それもあるけどね~。ひと先ずはお腹空いたなって思って! たまにはあいつの料理食べないと、腕落ちてるかもしれないでしょ?」
「……」
濁したな。
瞬時にそう理解したアーサーは、それ以上は何も言わずにアクセルペダルを踏み込んだ。
今日は帰るのが遅くなっていたので、洋館に付くと既にルイスが夕食の準備をしており、玄関から美味しそうな匂いが漂っていた。「あー、今日はキッシュかしら」と言いながら、ラウルはそそくさとダイニングへ向かっていく。相も変わらずの自由奔放さに呆れかえりながらもその後に続いていった。
「お帰り。あれ、ラウル、来てたんだ」
「Bonsoir. 相変わらず美味しそうな料理作るわね~」
ダイニングのテーブルに出来立てのバゲットを置きに来ていたルイスが鼈甲色の眼を見開いてラウルを見る。ラウルは何食わぬ顔でそのまま厨房に入って行った。
「ちょっと、入るんなら手伝ってよ」
「え~ん、あたし料理は上手くないわよ~」
「知ってるよそんなの…カトラリー出すとか、出来るでしょ」
「う~ん。まあ、いいけどぉ」
双子漫才を始めてしまった二人を横目に、やっとラウルの適当マシンガントークから解放されたアーサーはいつもの通り暖炉前の固定席について懐からタブレットと勉強道具一式を取り出す。
普段、勉強をする時は全てタブレットにメモとして残している勉強法だったのだが、それを見た昴に「自分で書いたほうが覚えますよ」と言われ、日本語の勉強の時だけは紙のノートと筆記用具を使うようにしていた。
『源氏物語』を見つけた時は物珍しさで読んでみようと思ったのだが、案外そうも上手くいかないものである。アーサーはフランス語やドイツ語はある程度分かるのだが、どうにも日本語というのはそれらの言語とは全く違うようで、そもそも文法が全く違う。勉学類はある程度並み以上は出来ると自負していたのだが、どうにも日本語に関しては今までの中で一番といって良いほど苦戦している。
それに、よくは分からないが、昴に「その本は古典なので、古語で書かれているんですよ。シェイクスピアの英語読むより難しいですよ」と言われたので、つまりは自分の語学レベルでは到底、読むには難しいということだろう。
タブレットに表示されたテキストを睨めっこしながらノートに単語を書き込んでいると、厨房から二人がやってくる気配がした。特段疚しいものは持っていないのだが、何故かラウルに見つけられると散々弄繰り回される予感がして、咄嗟に勉強道具を仕舞う。
「お待たせ~今日はキッシュよ~」
ラウルは運んでいるだけなのだが、まるで自分が作ったかのような元気さである。
テーブルの上に美味しそうなキッシュとスープが並べられる。今日は平日ではないので昴はいないのだが、三人分の料理がテーブルの上に並んでいた。
というか、今日が休日でよかった。
ラウルと昴は会わせたくない、なんとなくだけど。
まあ、こいつがここに来る時は休日以外あり得ないのだけど。
「良かった、今日多めに作っておいて…」
「ん?何か言った?」
「あー、いや、なんでもないよ」
食事が終わり、食後のティーブレイクに入る。
いつものようにアーサーは紅茶、ルイスはコーヒー、そしてラウルは優雅に赤ワインを嗜んでいる。あれはルイスが貯蔵していたやつな気がするが、あいつにとってはルイスの物はあたしのもの理論なのでそういうものなのだろう。
赤ワインを呑み、どこから持ち出してきたのかブルーチーズを食べているラウルを、同じ鼈甲色の眼で見据えたルイスが、コーヒーを飲んでから小さく息を吐く。
「で、お前は何で急に来た訳。それも一人でさ」
「なあにぃ?まるで一人で来ちゃおかしいみたいな言い分じゃなぁい?」
「…その言葉の通りだよ」
ルイスの言葉にラウルはふんと小さく鼻を鳴らしてからワイングラスを置いた。
「わざわざ聞かなくったってわかってんじゃないの、そろそろXデーでしょ?」
「……」
「……お前ね、言い方選べよ」
緑の眼を細めてラウルを見据えたアーサーに続いて、ルイスの少し怒った声色が続く。
しかし、ラウルは特段気にする風でもなく右手をパタパタとさせた。
「言葉の綾よ。だから、そろそろ来たってわけ」
呆れた様子で息を吐いたルイスに対し、ラウルは何食わぬ顔である。
この二人は双子なのだが、ラウルはルイスよりも少々厄介な性格をしている。ルイスよりも面白い物が好きで、自由奔放なのである。
目線を下ろし、飲み切ったティーカップの底を見つめていたアーサーが小さく呟く。
「………兄上も来ているのか」
その言葉に、ラウルもルイスも動きを止めた。そうして、同時に顔を見合わせる。
「ま、あたしがいるってことはそういう事よね」
「まさかお前が選ばれるなんてね。しかも名指しで」
「あたし優秀だからぁ~。ほんと、困っちゃう」
ラウルは軽い調子でそう言い、赤ワインを豪快に呑む。
徹頭徹尾赤ワインを呑んだまま軽い調子で喋っていたラウルだったが、「兄上」という単語を出したまま固まってしまったアーサーを見て、少しだけ赤ワインを呑む手を止めた。
アーサーには兄が二人いる、しかしそれぞれの兄との仲は良くはない。
カイウスとアーサーで少し喋る方なので、もう一人の兄とは然もありなんだ。胸倉を掴んで互いを罵倒し合う間柄ではあるが、カイウスの方がまだ心を許している。それに対し、もう一人の兄との兄弟仲というのは、ここ数十年はまともな会話をしていないレベルだ。
この場合、アーサーの言う「兄上」が一体どの兄なのかなど、ラウルはよく知っていた。何分、つい先日、その「兄上」とやらの従者に命じられたからだ。
そうして、ラウルの言うXデーというのは。
アーサーの実の母の命日だった。




