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【Ⅰ 苦味の輪舞曲】



 季節はまた巡った。


 あのお祭りからさらに一ヶ月が経ち、十二月に差し掛かってきたところ。

 イギリスは雪が降る国なので、十二月ともなるとかなり寒い。厚手のコートを着ないと寒さで凍死してしまいそうになるし、ちらちらと雪が降る日も増えてきた。まだ積もるほどではないが、そのうち路肩に雪が積もるのだろう。


 我が校では、冬になるとクリスマス付近から年末年始にかけて長期の休みに入る。

 日本におけるクリスマスはもはやカップル御用達イベントの様相を呈しているが、クリスマスの本場であるこちらの国々ではクリスマスというのは家族で過ごす日なのだ。むしろ年末年始をカップルで迎える方が多いかも知れない。



 だがその前に、長期休暇の前に忘れてはならない一大イベントがある。



 「ねえー……さすがにこのテスト、範囲広すぎない…?」


 学校内にあるカフェのテーブルで参考書を広げていた茉莉(モーリー)がそう言ってそのまま机に突っ伏す。

 隣に座っている昴はタブレットで授業で配られた文章フォルダを整理中だ。


 「あの教授のテスト、毎年難しいって評判だからね、テストの出題範囲教えてくれただけでも奇跡みたいなものじゃない?」

 「えーー、奇跡の安売りだヨーー」


 よくわからない言葉を残してそのまま机と一体化してしまった。


 そう、年末年始の休暇に入る前に大きな試験があるのだ。


 この大学には大きな試験が時期ごとに三つある。冬休み前にされるのが前期末試験で夏の休み前にされるのが後期末試験、そして進級前にあるのが進級試験。

 最終学年である四年生の場合は卒業試験という名前になる。その中でも進級試験や卒業試験はまた別格の扱いであり、学期末試験で評価が低くても追加講義やレポートを提出すれば何とかなるのだが、進級試験や卒業試験は評価が低かった場合進級や卒業の可否に関わるので、かなりウエイトが重い試験となる。

 とはいえ、学期末試験もお粗末な試験結果を出してしまえば、最悪単位を落とす危険性があるので気を抜いてはいられない。

 昴も茉莉も、所属するのは文学専攻なのだが、一般教養として理数系の授業や経済学系の授業や第二言語などの授業は必修科目なので、苦手であろうと取り組まなければならない。


 「……ちょっと休憩しない?」


 机に突っ伏したままの茉莉がこげ茶色の瞳をこちらに向けてそう言ってきた。

 今日は午後の講義が全て自習になった為、昼過ぎからこのカフェで休憩も取らずにすし詰め状態だった、時刻は昼の三時を回ったところである。

 ちなみに試験は二週間後だ。


 「…まあ確かに、少し喉渇いたかも」

 「だよね!なんか買ってこようよ!」


 昴の言葉に茉莉はテーブルに突っ伏していた顔を上げて体を起こした。

 それまで机と一体化していたというのに、急に元気になるものである。


 昴と茉莉はそれぞれココアとホットチョコレートを買って席に戻ってきた。

 暖房が効いているとはいえ相当寒いこのイギリスの冬においては、温かい飲み物は必需品である。一口飲んだだけで体の芯がぽかぽかと温まる。


 カフェの中にはそれなりに人がいたが、皆一様に勉強に勤しんだり自分の事で精一杯のようだ、この時期は勉強をする学生で学校のどこへ行っても混み合っているが、一番人気なのは図書室だろう。


 「そう言えばさ、昴って将来の夢とかあるの?こういう話したことないよネ」

 「…え?」


 ココアを飲んで一息ついていたところで、茉莉が唐突にそんな質問をしてきた。

 二人は一年生の時に出会ってそのまま意気投合し一番仲のいい友達になったが、そういう話はそういえばしたことが無かったかもしれない。

 昴は持っていたマグカップを少し下げる。


 「将来の夢…かあ」

 「わざわざイギリスまで留学に来たってことは、語学を活かした職に就きたいってことだよネ?」

 

 確かに茉莉の言う通りだ。

 文学が好きで、イギリスが好きで、英語が好きだからこの国に来た。


 「私はネ、実家が玩具屋なんだけどさ」


 自分の話をする前に茉莉が話を始めてしまった。

 

 「それのヨーロッパ支部で働きたいんだよネ」

 「…勇翔(ヨンシャン)のお父さんの会社?」

 「そう」


 茉莉と勇翔はいとこ同士だ。勇翔の方が宗家で、茉莉が分家だというのは聞いたことがあり、勇翔の実家は玩具メーカーだというのも耳にしたことがあった。


 「…だったら経営学部とかの方が良いんじゃないの?」

 「ま、まあそれはそうかもしれないんだけど……他のアプローチの仕方も多分あるじゃない?」


 茉莉は数学系に弱い。

 少し言葉を濁らせつつも、茉莉は昴へと目を向けた。


 「で、昴は?」

 「……私は」


 茉莉のように実家が有名な起業家などでもないし、昴の両親は極々平凡な一般家庭だ。

 特にこれと言って、明確に何がしたいと頭の中で思い描いているビジョンは、まだはっきりとは見えていないが、昴は幼少期から好きなものに関係する仕事がしたいと思っていた。


 「…私は、面白い英文学を日本に翻訳して紹介する仕事がしたいな」


 小さい頃に初めて読んだのは『ピーター・パン』だった。

 自分が住んでいる国ではない見たこともない国のお話で、妖精やら海賊やら、インディアンやら、今までの世界では見たことが無い色んな登場人物がいて、とてもわくわくしたのを覚えている。

 この世の中にはたくさんの面白い物語がある。今では外国作家の作った作品も、すぐに翻訳されて自分の言語で読める時代になったけれども、それは翻訳家の手腕によって様々な受け取りがなされたうえで私たちの手に渡っている。それらを読むのも勿論楽しいのだが、まだ誰も読んだことのない物語を、自分の感情と言葉で訳して、色んな人に読んでほしいのだ。

 だから、英語の本場であるこの国にやってきた。


 「翻訳家ってこと?」

 「…まあ、まだそんなに明確な目標とは言えないけどね」


 なりたいと言ってなれる仕事でもない。

 その為には、勉強を頑張らなくてはいけないのだ。


 「そっかあ、いいね!私昴が翻訳した本、読んでみたい!」

 「…日本語だよ」

 「…私も日本語勉強する!」


 茉莉は優しい。この子と出会えて良かったと思う。


 

 ココアもマグカップの半分ほどに差し掛かってきた頃。

 他愛もない話をしながら窓の外を眺めていれば、唐突に茉莉がまた話題を変えた。


 「そういえばさ、大分前だけど。昴、吸血鬼に興味あるって言ってたじゃん」


 まさかの話題にそのままココアを吹き出しそうになってしまった。

 二か月ほど前の事、あの例の夜のあと茉莉に「吸血鬼を見たことがあるか」と聞いたことを思い出す。それまで昴はそんなことを聞いたことすら忘れていたというのに、茉莉はしっかり覚えていたようだ。

 

 「……よく覚えてたね」

 「いや、だって嬉しくて!」


 そう言えば茉莉は世にも珍しい吸血鬼オタクだったのだ。

 あの時、茉莉に話しかけて倍以上の熱量を返された記憶が鮮明に思い出された。


 「別に、興味があるってわけじゃないけど…」


 身近にいるってだけで。


 「そう?」

 「…で、それがどうかした?」

 「そうそう。あの後、吸血鬼について調べてたんだけどネ」


 茉莉はホットチョコレートを口にしてからそう話を始めた。

 

 「どうやらこの街にも吸血鬼伝説ってのがあったみたいでさ、それもあのAutumn Festに関わりが深そうなんだよネ」


 吸血鬼伝説があるもなにも、この街には吸血鬼そのものが現在進行形で住んでいるのでなんともいえないのだが、その話にはかなり興味を引かれた。

 アーサー本人から吸血鬼に関わる話は最初の自己紹介以降耳にしていないので、昴が知っている吸血鬼についての知識は正直一般人と同じレベルだった。身近に吸血鬼がいるというのに、おそらくは茉莉の方が詳しいかもしれない。


 「…そうなの?」

 「うん。まあ案外ヨーロッパってどこでも吸血鬼やら狼男やらフランケンシュタインやらとかの怪物の話は昔の文献を読めば出てくるんだけどさ、この街に吸血鬼に関する話が出てきたのは丁度Autumn Festの始まりとされてるあのローザって町娘の話があった時と同じ、千年前のことなんだよネ」


 随分と昔の資料から引っ張り出してきたようだ。久しぶりにそんな話を振ってきて何かと思っていたが、もしや茉莉はこれをずっと調べていたのだろうか。


 「随分前なんだね…」

 「うん、それ以降はどの文献にも吸血鬼に関する記述は無し、だけどそれ以前の文献には結構出てきてたみたい。まあ流石にそれより前の文献なんてほぼ残ってないし、残ってても古典英語だから私には解読は無理」


 千年前の資料を解読しただけでもすごいと思うが。

 四百年ほど前のシェイクスピアの劇作ですら古典英語なので今は使わない言い回しなどがあって、現代の人が読み取るのは難しい。日本人が『源氏物語』を原文で読もうとしても辞書が必要になるのと同じような感じである。


 「で、それに書かれていた事によると、千年前に吸血鬼による誘拐事件が起こったんだって」

 「誘拐事件?」

 「そう、吸血鬼って言えば…『トワイライト』でもそうだったけど、人の生き血を吸う化け物じゃん。若い娘の怪死事件とかはその前も結構あって、吸血鬼の仕業だとか言われてる首に穴のある死体とかもあったみたいなんだけど、さすがに人が誘拐されるってのはそれが初めてだったみたい」

 「なんでそれが吸血鬼の仕業だってわかったの?」

 「それが、誘拐された子がそう証言したって書いてあったんだよネ」

 「…証言した?」


 吸血鬼の誘拐事件なんて今まで聞いたことがない。

 女子供を連れ去ってしまうとかはあるかもしれないが、それでも誘拐事件といわれているということは攫われた人間が無事に戻ってきているからそう言われているのだろう。もしそこで殺されていたのなら、殺害事件などと言われているはずだ。


 「あー…えっと、これなんだけど」


 茉莉は説明するのが面倒になってきたのか、カバンの中に手を突っ込みごそごそと本を取り出す。

 それはかなり古めかしい、表紙もぼろぼろで紙も日光で黄色く変色している分厚めの本だった。


 美術館に飾られていてもおかしくないような代物だと思うのだが、どうやらレプリカらしく、千年前のものにしては状態が良い。とはいえ、虫食いだらけでぼろぼろだが。


 「ノッティンガムの怪事件…」


 本の表紙には古めかしい金文字で『The Nottingham Incident』と彫り込まれていた。

 ぺらぺらとページをめくると、めくるたびに埃がふわりと舞い、思わず昴は顔を顰め自分のココアと茉莉のホットチョコレートを端によけた。

 古めかしい文字といくつかの挿絵があるこの本は、挿絵を見る感じではオカルトチックな出来事をまとめた内容のようだ。しばらくページを進めたあたりで、「あった」という声を上げながら茉莉は一つのページを開く。見開きでテーブルの上に置かれたそのページには『Case 178 : Abduction by Vampire』と書かれていた。どれだけ未解決事件があるんだよ。


 「大昔に町娘が夕刻に急に失踪した事件があるらしく、町の人々総出で探し回ったんだけど見つからなかったんだって。夜も更けるから捜索はまた明日の朝方に再開するってことになったみたいなんだけど、娘さんのお父さんが心配で心配で居ても経ってもいられなくなったみたいで、夜の間もずっと家の窓から外を見て娘の身を案じてたみたい。そしたら、朝日が昇ってくるくらいの時間帯に、家の隣の雑木林からひょっこりと娘さんが現れたんだって」


 茉莉の解説とともに文字を追っていると、確かにそれらしいことが書いてある、どうにも難しい単語や今では使わない言い回しがあって一発では翻訳できないのだが。これを読み込んだ茉莉は相当すごいと思う。


 「そして、娘さんを見つけたお父さんが泣いて娘さんを抱きしめながら『何をしていたんだ、心配したんだぞ』と聞いたら、娘さんはさらりとした調子で『吸血鬼と遊んでいたの』って言ったみたい」


 見開きのページの左下に描かれた挿絵には、少女を抱きしめる男の姿と、その後ろの雑木林から様子を伺う耳の尖ったマント姿の吸血鬼の絵があった。


 「……なんか、聞いたことある話…」


 それは一か月ほど前に茉莉から聞いたAutumn Festの始まりの話にそっくりだった。そっくりも何も、少し内容は違うがほぼ一緒のように感じる。


 「でしょ。それで、ここからがあの話と違うんだけど、次の日から少女が毎晩姿をくらますようになったみたいで、理由を聞いても『吸血鬼と遊んでる』の一点張り、それ以上は何も教えてくれない少女に、お父さんは吸血鬼に娘が唆されていると思い、娘には内緒である日夜に出掛ける娘の後を付けることにしたの」

 「…出かける前に止められなかったのかな」

 「…まあ、こういうのってある程度脚色はされてるだろうけどね。止めようとしてものらりくらりと躱されるばかり、と書かれていたヨ」

 「なるほど」

 「…それで、後をつけていくと娘は雑木林の奥深くに進んでいき、この町に古くから住んでいた父親もそれまで見たことのなかった大きな洋館が急に出てきたみたい」

 

 次のページは、右側一面が大きな洋館の絵であった。

 鬱蒼とした木々に囲まれ、蔦が絡み合う煉瓦造りの洋館。

 どこか、あの森の洋館にも雰囲気が似ていた。


 しかし、あの洋館はチョコレート色の外装をしているが、この本の挿絵に描かれている煉瓦造りの洋館は、赤い煉瓦が使われているようだ。


 「こんな屋敷があることすら知らなかった父親はびっくりして思わず声を出してしまう。すると、そこまで自分が付けられているとは気づいていなかった少女が慌てて後ろを振り返り、洋館近くの木に隠れて父親がこちらを見ているのに気付いた。少女が慌てて洋館の中に入っていくと、我に返った父親がそのあとを追おうとする。『待って』と声を出し手を伸ばしたが、掴もうとしたドアノブは掴んだ瞬間霧になって消えてしまい、気付けば雑木林の外にいて家の前に戻ってきていた」

 「……」

 「それ以降、少女は家に帰ってくることはなかった。娘を無くした悲しみと怪奇現象に遭遇したパニックで半狂乱になってしまった父親は、その半月後に家で首を吊っているところが発見された」

 「………何とも、言えないお話だね」


 どうやらこれで話は終わりらしく、吸血鬼が趣味悪く笑む挿絵が最後に描かれているだけだった。

 話自体はAutumn Festの始まりでありLeaf Showerの起源とされているローザの話に似ているが、ハッピーエンドとして語られていたあの話と違い、この吸血鬼による誘拐事件はかなり後味の悪い締めくくりだ。


 「まあ、どっちが事実かはわからないけど、互いに元ネタになってるのはあるかもネ」


 茉莉はそう言いながら本を閉じる。


 しかしまさか、千年も前にこの街に吸血鬼の伝説があったなんて。

 この話がアーサーに繋がるのかはわからなかったが、何かしらの関係はあるかも知れない。そもそもがAutumn Festの始まりも吸血鬼が関わっている可能性も出てきたわけだ。


 「成程ね。うん、いい箸休めになった。勉強開始しよっか」

 「うわー!やだぁーー!!!」


 カフェに茉莉の叫び声がこだました。



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