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【Ⅸ 満月の夜に】



 三十分後、いつも食事をしているダイニングルームに移動した三人の前にはたくさんのピザが並べられていた。

 先程洋館に届けに来た宅配のお兄さんが、玄関の広さに驚愕しつつも「こんなにたくさん食べるのかな」という不思議そうな顔をして届けてくれた。これらの半分はカイウスが注文したものであり、どうやら彼はかなりお腹がすいていたようである。


 出来立てのマルゲリータを前に昴は「おいしそう…」と思わず呟く。

 ここ一か月は毎日豪華な料理を口にしていたのだが、そもそも昴はこのようなジャンクフードで育った一般家庭の出であり、こういうような味の方が慣れている。勿論ルイスの作る料理は全ておいしいのだが、たまにはこういう脂っこくて体に悪そうなものが食べたくなる。

 正直アーサーが宅配ピザを選択肢に出してきたこと自体、少し驚くところではあったのだが、彼は彼で何度か食べたことはあるようであった。


 「…スティリアさんのお兄さん、それって…」


 ふと顔を上げた時にカイウスが手に持っていたワイングラスの中身が気になって思わず声を掛けてしまう。

 赤ワインにしては鮮明すぎる、絵の具のような綺麗なその色は、どう見ても。


 「……あ、そうだった。 …えっと…これ寄付用だから気にしないで」

 「……」


 人間の血である。

 気にしないでというのもよくわからないし、寄付用とはなんだという話なのだが。まあ、吸血鬼なのだから血は必需品なのだろう。とはいえ、いつもの暖炉の前に座ってすました顔をしているアーサーは水を飲んでいるようだが。


 「てか、カイウスでいいよ、ややこしいし」

 「…はあ」


 アーサーでさえ苗字呼びなのに、今日が初対面のカイウスを名前で呼ぶのは抵抗感があるのだが、彼の陽気さ具合なら気にしないのかもしれない。まあ、今後会う機会があるかどうかもわからないけれど。


 顔のサイズよりも大きなペパロニピザの一切れを満足げに口に運んでから、今度はカイウスが話し出す。


 「で、時間も時間だし。話すれば」

 

 アーサーはその言葉にちらりとカイウスを見てから、ジェノベーゼピザを食べる手を止め、昴を見て徐に口を開く。


 「…ルイスがルー=ガルーなのは言ったな」

 「…はい」


 危ない、忘れそうになっていた。


 アーサーに比べてもルイスは取っつき易く話しやすいお兄さんであったので、たまに彼も怪物であることを忘れそうになる。


 「…お前が狼男について知っていることとはなんだ」

 「知っていること、ですか」


 急に問題を出された。答えを教えてくれるのではなかったのか。


 「…満月の日に狼に変身する、とかですか」


 昴はお行儀よく手を膝の上に乗せて、思い出すように黒い目を天井の方へと向けた。


 狼男、ウェアウルフまたは人狼ともルー=ガルーとも呼ばれる。

 昼間は普通の男だが、夜になると狼に変身し家畜や人間を襲うと言われる怪物、吸血鬼と並んで西洋の怪物として名を馳せている。狼男は日本で分かりやすく言うならば昔の妖怪と似たようなものであり、灯りのなく医療が現代ほど発達していなかった時代において、理解しがたい現象や精神疾患を患ってしまった人間などに対して「狼に憑かれた」として解釈され、狼男となっていったとも言われる。

 狼男には先天的に狼に変身する能力を持っていた場合と、後天的に狼に変身する能力を得てしまった場合があり、古代にさかのぼるとギリシャ神話に登場するリュカオーン王なる人がゼウスを陥れようとした罪で狼の姿にされてしまうなどの例がある。


 「…まあ、そうだな」


 そこでふとアーサーは立ち上がり、窓際まで近付く。


 「今日の月は見たか?」

 「……あ」


 カーテンの隙間から見えるのは、欠けている所が一つもない見事な満月だった。


 「…………そういうこと、ですか」


 満月を見て全てを察した昴は、気が抜けたように椅子に深く座り込んだ。


 なんというか、あまりにも実感がない。こんなことを言っては彼らに失礼なのだろうが、彼らと接する間に彼らの本当の姿を忘れてしまう時があった。アーサーは初日に吸血鬼の姿を見ていたので、なんとか納得はできるのだが、ルイスはその姿を直接見たわけではない。

 理解しなければいけないと思うと同時に、理解したくないという思いも湧いてくる。とても矛盾した、エゴイズムだ。


 押し黙ってしまった昴を見て、シーフードピザから付け合わせのチリポテトを食べていたカイウスはアーサーを見る。


 「……それで、いいのかよ」

 「何が」

 「はあ、めんどくせーやつ」


 そう言って面倒くさげに頭を振り、チリポテトを多めに頬張る。




 まだまだ分からない点は数多くあったが、アーサーは宣言通りルイスのこと以外は特に話そうとしなかった。

 そうしてそのままピザを食べ終えた頃に時刻は21時を回っていた。いつも帰るのはこれくらいの時間になってからだったのだが、今日はルイスがいないのでアーサーが送ってくれることになった。


 「じゃあまたね、スバル」

 「…最初は単語を教えてくれてありがとうございます、失礼します」


 陽気に手を振るカイウスに一つ礼をしてから、アーサーに続いて扉を出て黒い高級車に乗り込む。

 宿舎までの道のりを教える以外、運転中にアーサーは口を開くことはなかった。


 程なくして宿舎近くの、いつもルイスが降ろしてくれている場所に着き、車が停まる。後部座席のドアを開けようとドアノブを掴んだ昴に、アーサーがここで初めて口を開いた。


 「…ちゃんと言えなくて、ごめん」


 小さい声での謝罪だった。

 それは、自分自身に言っているようにも昴に対して言っているようにも取れる謝罪、何に対してなのか、詳しく説明はされなかったがその謝罪が何を指示しているのか昴には何となく解った。


 アーサーは、まだ多くの事を昴に隠しているのだろう。


 「…話したくなった時に、話してください」


 そうとだけ言って、相手の返事は待たずにドアノブを開け一つ礼をして夜の闇に消えていった。


 昴もまた、アーサーが隠したいであろうことを全て聞きたいと思う程、まだ心の整理がついていなかった。




***




 屋敷に戻ってきたアーサーは紅茶を飲もうと厨房の扉を開く。そこには既に先客がいた。


 「飲むか?」


 そう言ってウイスキーの瓶を見せてきたカイウスを見て、アーサーは静かにため息をつく。

 どこから見つけてきたのか、酒蔵で眠っていたマッカランの18年物だ。紅茶を飲むつもりだったのが、その瓶を見た瞬間に口が酒の口になってしまった。


 「…飲む」


 そうとだけ言ってリビングルームに移動した。

 アーサーが晩酌をする時は決まってリビングルームのロッキングチェアでだった。間もなくして、二つのロックグラスとアイスボックス、マッカランの酒瓶とナッツを皿に入れた台を押してカイウスが部屋に入ってきた。


 「今日来たのが俺でよかったな、兄貴が来てたら大変だったぞ」


 綺麗な円状にカットされた氷をロックグラスに入れ、そこにマッカランを注ぎながらカイウスがそう言ってくる。

 アーサーにはあと一人、兄と呼べる人がいた。


 「なんでお前あの人間に全部言ってないの」


 カイウスは自分のロックグラスにもマッカランを注ぎ、手近にあったソファに腰を掛ける。この質問は本日二度目であったが、あの時は答えられない質問でも今であれば答えられるだろうと言う事だろう。


 「…………言うタイミングを見失った」

 「はあ?ガキかよ、きっしょ」


 カイウスは心の底からそう吐き捨てる。


 「人間巻き込むならちゃんと落としどころはつけろよ。こんなの、バレたら破門どころじゃねーからな」


 カイウスのルビーの瞳が突き刺すようにこちらを睨む。


 「……わかってるよ」


 アーサーはぶっきらぼうにそう言い放ってウイスキーを飲み干す。


 「面倒くさい感情は持つなよ」


 そんなアーサーを真っ直ぐに見ながら言ったその言葉が、重く圧し掛かり、アーサーはため息とともにナッツを口に入れた。



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