【Ⅷ カイウス・スティリア】
張り詰めた空気が充満する車は、普段ルイスが洋館まで送り届けてくれる時間よりもかなりの時間を要して、雨が降る中町外れの洋館へと辿り着いた。
空は学校を出たときよりも雲が分厚くなっており、もう太陽は完全に姿を消して雨だけが地面に叩きつけている。
黒塗りの高級車を屋敷の前の空き地に適当に停めたアーサーは「着いたぞ」という一言でカイウスと昴を車から出し鍵をかける。
いつもルイスは昴を降ろした後、車庫かどこかに車を持っていくので、こんな屋敷の目の前の適当な場所に停めておいていいのかと思うが、ここら辺は全て彼の私用地であるので問題はないのかもしれない。そもそも、いつもルイスが運転していた車は白い大き目の高級車だったはずだが、今回アーサーが乗ってきたのは黒いセダンの高級車だ。
まさかこんなハイパー高級車を数台も所持しているというのか、笑えない話である。
車から降りたアーサーの後をついて屋敷に入る、その間カイウスは一言も声を発さなかった。
気づけば時刻は19時をとうに回っているようだった。
「はあ、ここまで来れば問題ないんだろ。さっさと説明しろよ」
初日に通されたリビングルームに着いた途端、カイウスは大きく息を吐きどさっと目の前の革張りのカウチにダイブした。
そんな兄を横目に、アーサーが昴にいつも座っている一人掛けのソファに座るよう促す。
「…何か飲むか?」
「え、いや、全然気になさらないでください…」
車に乗る前からどこか後ろめたいような眼をずっとしていたアーサーは、気遣うようにそう声を掛けてきた。ルイスが不在の中で洋館に来たこともないので、普段であればルイスがやるような事をアーサーがしてくれているのだろうが、アーサーの口からそのような言葉が出てくることが滅多にないので昴は少し驚いた眼をしてしまう。
しかし、それよりも驚いているのはカイウスだった。
「……は、お前マジできもいじゃん」
カウチにうつ伏せに寝転がりながらこちらを見ていたカイウスが、アーサーの言葉にがばりと起き上がって、毛虫でも見るような眼をして心の底からそう吐き捨てる。
「…じゃあ、紅茶でいいか」
アーサーはそんなカイウスの言葉には動じることなく、昴の返事を得る前に厨房に消えていった。
そんなアーサーの後姿を唖然とした顔で、文字通り口を開けたまま見送っていたカイウスは、アーサーがいなくなった途端にカウチに仰向けになって倒れた。
「………スバル、だっけ。…あいつキモくない?」
仰向けになったままこちらに目線を向けずにどこを向いているのか分からないカイウスは、急にそんなことを言ってきた。
兄弟とはいえ、随分と歯に衣着せぬ言い方に昴は少し返答に窮する。
「変な人…だとは思いますけど。 …優しいところもあると思います」
カイウスの言葉に昴はそう返した。
もしこれが一か月前にされた質問だったら、迷わず「そうですね」と返していたところだろう。
それほど、昴は彼と同じ時間を過ごすことによって彼に毒されてきていたのかもしれない。
アーサーは確かに変質者だと思う、それは会った当初も今も変わらない。
けれど、今の昴の中で彼への評価はただの「変質者」ではなかった。確かに変なところはある人だとは思うが、意外にも紳士的なところや他人を慮れるところがあると思う。
「ふーん」
カイウスはガーネットの眼を細めてこちらを見ていた。
アーサーのエメラルドの瞳も、見据えられると逃げられないような、魔法に掛けられたような心地になるのだが、カイウスのガーネットの瞳もまた、その場から一歩も動けないような気持になる。
カイウスは昴の言葉にそう返したきり、興味がなくなったのか大きな欠伸を噛み殺す。
なんとも風のようにのらりくらりとしていて、掴めない人だなと思う。そうこうしているうちに、ティーポットとカップを三つ台車に乗せてアーサーが現れた。
昴の前に置かれたのはさくらんぼの絵柄が描かれたロイヤルブルーのティーカップ、三人ともそれぞれ違う柄のティーカップが目の前に置かれており、その中には琥珀色のアッサムティーが注がれていた。実はアーサー本人が茶を作るのは初めてではなく、たまに昴にも振る舞ってくれていた、その度彼が作る紅茶は決まってアッサムティーであったため、もう茶葉の香りでわかるようになってしまった。
昴は未だ紅茶は単体では飲めず、必ず牛乳を入れないと飲めないため、アーサーは昴の為にミルクティーも用意してくれていた。
その様子をカイウスが、まるで新種の生き物でも目にしたような眼で見ていた。
紅茶を飲んで一息ついたところで、アーサーが口を開く。
「ルイスは今日はいない、代わりに何かピザでも頼もうかと思う。兄がいるが気にしないでくれ」
「はあ?お前それだけかよ。何も説明しないわけ?この子に」
アーサーの言葉にカイウスはティーカップをひっくり返しそうになるくらいの大声を上げて赤の目を見開く。
「…何ってなんだよ」
「なんだよはこっちのセリフだ。 …もしかしてお前、この人間に何も説明してねえのかよ」
「説明して何になる」
「マジかよ。何になるとかじゃねーんだよ。ラウルから聞いてた以上だな、これは」
「兄上には関係ないだろ」
急に兄弟喧嘩を始めてしまう。先程の見たこともないくらいの剣幕でカイウスの胸倉を掴んでいたアーサーを見ているから、昴はまた同じことにならないかとハラハラする。ラウルって誰だ。
恐らくは自分に関わる話がされているのだろうとはわかるのだが、それが原因で取っ組み合いの喧嘩を始めるのだけは辞めてほしい、ただでさえ人智を超えた怪物の力を持ち合わせているのだから。
「ま、待ってください、私が何も聞かなかったのも悪いと思いますので…」
全くの蚊帳の外なのだが、取っ組み合いになる前になんとかせねばと思い、小さく声を上げる。
アーサーとカイウスは昴のその言葉に一度ぴたりと口を閉じ、緑の目と赤の目を同時にこちらに向けた。
「お前が気に掛ける話ではない」
「君が気に掛ける話ではないよ」
なんとも、こういう時だけ息がぴったりである。揃いも揃って綺麗な宝石のような瞳がこちらを向き、突き放すようにそう言ってまた目を反らす。
昴はその言葉に唖然としながらも、次の瞬間には小さい怒りの芽がふつりと湧き上がっていた。
そうして気付けば、その怒りのまま言葉が口から出ていた。
「……ここまで散々連れまわしておいて、それですか」
怒りを乗せた声は、小さいながらにリビングルームに凛と響き渡る。
思わずアーサーとカイウスは今度こそぴたりと動きを止め、今度は先程の突き放すような眼ではなく驚いたような眼をして昴を見返した。
「……お、おい」
アーサーが昴を気遣い声を掛けるが、煮えたぎる不満の気持ちを抑えることができずに昴は鋭い漆黒の瞳を二人に向ける。
アーサーはその眼を見て息を止めた。
「…話す話さないはそちらの勝手ですし、私も特に興味はありませんので話したくないのでしたら聞く気もありません。ですが、ガルニエさんのことくらいは教えてくれてもいいのではないですか、私は単純に彼の事が心配です」
じとりとした目で二人を、そして強くアーサーを睨みつければ、アーサーはさっと目を逸らして下を向いた。
「……わかった、話す」
絞りだすように、アーサーはそう言った。




