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【Ⅲ アイザック・V・ミラー】



 宿舎の近くのカフェでアイザックと待ち合わせをした昴は、先にカフェについてアイザックを待っていた。


 手持無沙汰にホットチョコレートを飲んでいると、からんという音と共にカフェの扉が開く。

 青い目に亜麻色のくせ毛をした、人懐こい笑みを浮かべた長身の男性が店に入ってきた。男性はこちらに気付くと、太陽のような笑顔を浮かべて小走りで寄ってくる。


 「ごめん、待ったかな」

 「今来たところだよ」

 「そっか」


 アイザックは隣の席に座り、昴と同じココアを注文する。


 「…で、本は?」

 「ああそう、これこれ」


 ココアが席に運ばれたところでそう尋ねれば、アイザックは肩に掛けていたトートバッグから真新しい文庫本を取り出した。

 文庫本を見た瞬間、昴は飛びつかんばかりに体を乗り出し、ぐいっとアイザックに寄った。


 「うわ、本物だ!すご…」


 それは紛れもなく、昴が想定していた本だった。


 近年世界中で人気を博している小説家の最新作、デジタル化の浸透により紙媒体での読書をするというのが希薄になってきた昨今において、出す本全てがミリオンセラーを叩き出している超売れっ子で、出版した本は大体が映画化や舞台化などもされている。

 ただ、出身国や性別などは一切不明で、ペンネームも「K」だけ、何もかも素性が分からない小説家だった。


 そんな売れっ子小説家の最新作、それこそが今アイザックが手にしているものだった。


 「知り合いが偶然手に入れられたみたいでね、僕も読むんだよねって話をしたら貸してくれたんだ。昴も読んでたよね」

 「勿論!これの前の作品までは全部読んでる!」

 「これも読む?」

 「え?!いいの?!」


 思ってもみない申し出である。

 しかし、アイザックの物ではなく別の人の私物だと聞くと、申し訳なさを感じてしまう。


 「大丈夫、昴は物を丁寧に扱ってくれるし。あ、僕はもう読んだから安心して、一か月くらいは貸してもらってるから」

 「…本当にいいの?ありがとう」


 涙が出そうである。自力で手に入れようとしたらイギリス中の本屋を駆けずり回らないといけないかもしれない。

 それほど今となっては希少価値が高い代物なのである。


 「貰ってばかりじゃ悪いから何かお礼したいんだけど、何がいい?」


 思ってもみない収穫を得られて、ほくほくとした気持ちでそう言えば、一瞬アイザックの青い目がきらりと光った。

 昴はこの時、両手で大事に持っていた本に興味と全感心が注がれ、アイザックがマリンブルーの瞳を薄らと細めていた事に何も気が付かなかった。


 「うーん、そうだね…」


 丁重に本を手持ちの鞄に入れている昴の様子を見ながら、アイザックはどこか思案気に口元に手を置いた。


 「…じゃあ、Autumn Festでも一緒に行かない?」

 「……え」


 昴の動きが止まる。


 何となく、そんな予感はしていたのだ。何も目的がなく、休日にアイザックが自分を呼び出すはずがない、しかし、本を目の前にしてその警戒心が完全に薄れてしまっていた。

 ぽかんとした表情を浮かべる昴に対し、アイザックは頼み込むように眉を寄せ、青い眼をきらきらとこちらに向ける。


 「僕、この街の祭りはまだ行ったことがないんだよね、だから行ってみたいんだけど…」

 「……」


 昴は青い眼の天使に見事に嵌められてしまったのだった。


 

 

*** 

 


 

 策士・アイザックに謀られ、行く予定ではなかった町の中心部方面へと向かう事となった。


 ただでさえ変な噂を流されているというのに。絶対に他の大学生も多く来ているであろう祭りに二人きりで行くなど、もってのほかだったのだが、ここまで来て否と言えるほど昴も心が鬼ではなかった。

 周囲の人間たちが自分たちに興味を持たないくらい、多くの人間が来ていてくれという期待というか願望を持ちつつ、アイザックとは少し距離を空けて歩いた。


 その時。何故かふと、脳裏にアーサーの顔がちらついた。

 彼もこの祭りに来ているのだろうか。


 「……そう言えば、アイクって主席だったよね?」

 「ん?そうだけど?」


 急な昴の問いかけに、上機嫌のアイザックは不思議そうな青い目を向ける。


 「お祭りでやる事とかないの?」


 単純に疑問だったのだが、少し不躾な質問だっただろうか。

 少しだけ青い目を細めたアイザックは、昴の問い掛けの意図を理解したようで「あー」と空を仰ぎ見た。


 「学外で仕事があるのは監督生だけだよ、僕は学部主席だからそういうのは無い」

 「あ、そうなんだ」


 知らない世界の話過ぎて全くといって良いほど無知だったのだが、やはり監督生と学部主席とでは違うらしい。


 「学部の中でのトップが学部主席で、それよりも凄いのが学年の中でのトップである学年主席だ。学年主席になれば監督生になる可能性が高まるからね。監督生になれば学外での活動に呼ばれる機会も多くなるだろうし」

 「…へえ」

 

 もうよく分からない。

 聞いた癖に興味を無くした昴が気の抜けた返事をしたところで、青い目を細めていたアイザックの表情がいつもの人懐こい笑みに変わった。


 「珍しいね、昴が他人に興味を持つの」

 「…え、どういう意味?」

 「ううん、何でもないよ」


 しかしその笑みは普段の笑みに比べ、少しだけ色の違う物だったように感じた。



 

 カフェから街の大通りまでは歩いて二十分ほどの距離だ、宿舎は学校から歩いて十五分程のところにあるのだが、学校自体がこの町のメイン通りに近いところに設立されているため、メインストリートも学校からほど近いところにある。

 徐々に街並みが華やかになり、カボチャの置物やカエデの葉でできた装飾が窓際を彩る家々を眺めながら、昴は隣に歩く青年を見上げる。


 アイザック・V・ミラー、幼少期に親の仕事の関係で数か月だけ滞在したアメリカで出会った不思議な青年。

 数か月という短い期間ではあったけれど、英語がままならない状態なのに問答無用で地元の学校に通わされていた昴は、それはもう一生懸命に周囲とコミュニケーションを取る術を身に着けた。幼少期のバイタリティと呑み込み、成長速度とは恐ろしいもので、確実に今あの状態に置かれたとしてもそこまで身に付くことはなかったと思うのだが、当時の昴は物凄い速さで英語力を開花させていった。

 とはいえ、異国から自己紹介も十分にすることのできない少女が現れれば、どこの国だって除け者にあうのは自明の理。昴はクラスで、いや学校中で浮いた存在になっていた。


 そんな時に、昴の少し後に転校してきたのが、彼だった。


 『今日から皆のクラスメートになる、アイザック君よ。仲良くしてね』


 先生に連れられて教室に現れた、亜麻色の癖毛に青空のように澄んだマリンブルーの瞳を持った天使のような見た目の少年。その当時からあの人懐こさは持っていて、見た目も然ることながらあの人付き合いの良さで直ぐにクラスの人気者になった。

 そんな彼と、日陰者でクラスのあぶれ者になっていた昴は関わり合うことのない存在だと、思っていたのだが。誰にでも分け隔てなく優しく接するアイザックは、太陽のような笑顔を浮かべて片手を差し出してきた。


 『初めまして、僕はアイザック。アイクって呼んで。君は?』


 それはまるで、当時の私からすれば天使の囁きのようだった。

 

 それ以降、アイザックとはよく遊ぶようになり、最初は警戒心をむき出しにしていたクラスメートも、アイザックが接してくれるようになったおかげで昴にも普通に話しかけてくれるようになった。一緒に遊んでいくうちに、弟気質で大型犬気質のアイザックは昴の後ろを付いて回り、まるで本当の姉弟のように仲良くなった。

 しかし、気付けば帰国の時になり、あれだけ仲良くしていた彼と離れる時が来てしまったのだ。正直、幼少期の話過ぎて学校でどのような遊びをしたのか、どういう別れの挨拶をしたのかまではあまり覚えていない。

 

 そうして、その後二度と会うことはないだろうと思っていたあの時の天使のような少年は、見た目をそのまま縦にぐいっと伸ばした姿をしてまた違う国で再会を果たすこととなった。何故か、自分への強い執着心を持った状態で。

 昴はアイザックと再会が出来て素直に嬉しかったし、彼に対しては「弟のように」感じているあまり、弱い部分がある。それに加え、彼は幼少期の昴を救い出してくれた、当時の昴からすれば天使のような存在であったので、彼には当時の事も加えとても感謝をしていた。


 しかし、それでも分からないのだ。

 かつての記憶では感じなかった筈の、彼が私へと向ける感情が、ここまでエスカレートしてしまった理由が。




 そうこうしているうちに、街のメインストリート、Autumn Festの本会場へと到着した。思った以上に会場は賑わっており、この街では見たことのないくらいの人の数がひしめいていた。

 皆一様にこの空間を楽しんでいるようで、会場に入ってきたアイザックと昴には目もくれなかった。


 メインストリートとはその名の通りこの街で一番大きな道路であり、道路の幅もかなり広い。どうやら祭りの期間中はここ一帯の交通を封鎖しているようで、歩行者天国のように道路上を人々が自由に行き来している。通行止めされた道路上には、両端にずらりとキッチンカーが並び、多くの人間がそこで飲み物や食べ物を買って食べ歩いていた。

 同じ学校の学生と思しき人間から、近くのパブリックスクールの生徒、子連れの一般人から老若男女人種問わず多くの人間がそこにはいた。どこかから流れる軽快な音楽と、あまりの人の多さに圧倒されて口が開けないでいると、アイザックが優しく声をかけてくれる。


 「とりあえず、何か食べ物でも買おうか」

 「そうだね…」


 茫然と立ち尽くす昴に、アイザックは青い目を細めてにこりと優しく微笑みかける。


 想像以上の盛況具合に驚愕して動けないでいた私の手を取って、アイザックは祭りの中に入っていった。

 


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