【Ⅱ 青天の霹靂】
2日後の日曜日。
世間はAutumn Fest一色のようだが、残念ながら昴はその類のことにとんと興味がなかったので、2日も経てば世間がAutmun Festで騒いでいることもすっかり頭から抜け落ちていた。
本日は日本にいる両親から仕送りが来る予定だった。
最近はありがたいことにルイスの作るレストランレベルの料理を口にしていた為、食事に関してはほぼ毎日のように美味しい物を食べられてはいたのだが、それでも時折母国の薄味が恋しくなるし、醬油をじゃぶじゃぶに使った料理が食べたくなるし、ネバネバにかき混ぜた納豆を炊き立てのご飯の上に乗せてこれでもかというくらいかき込みたくもなる。
こちらのアジアンスーパーでも買えないこともないが、如何せん自国で買うものより規格外の値段で販売されている為、とてもじゃないがそんなにちょくちょく買えたものでもない。
その為、親が送ってくれる仕送りは大変助かっていた。流石に生物はないが、調味料があるだけでも全然違う。
「昴ー荷物置いとくねー」
隣室のシンガポール人留学生の呼び声に「ありがとー」と返事をして、昴は部屋から出る。
部屋の前に置かれていた段ボールを持ち上げ、鼻歌を歌い出しそうな上機嫌で封を開けていく。
前回スナック菓子をいくつか送ってほしいとお願いしていたから、もしかしたら入れてくれているかもしれない。塩味のシンプルなスナック菓子が食べたくなっていた頃だった。
段ボールを開けながら鼻歌を歌っていたら、屈んだタイミングでポケットからスマホが滑り落ちる。
よっこいしょ、と誰も理解できない掛け声をあげながらスマホを取ろうと手を伸ばすと、その瞬間にスマホがけたたましく鳴り響く。
「うるさっ」
急に鳴り響いたスマホに思わず悪態をつく。
イギリスにいる間は特別誰かと連絡を取り合うこともなかったし、同じ宿舎の留学生とは面と向かって話すことが多いので、電話などかかってくるのは稀も稀であった。
液晶に表示されているのは幼馴染のアイザックの名前だった。
「アイク?」
アイクはアイザックの愛称である、昴はアイザックの事をあだ名で呼んでいた。
それにしても何の用だろう。
アイザックは昴の住む宿舎とは少し離れたところにある親戚の家に居候していると聞いていた。学校ですれ違うたびに人懐こい笑顔を浮かべて快活に話しかけてくるアイザックだったが、電話までしてくるのは珍しい。たまにチャットは来るのだが、彼は会話するなら面と向かって話したいタイプのようだったので。
昴は五月蠅く鳴り響くスマホを手に取り、少々訝しがりながらも通話の表示をタップした。
「どうしたの?」
『よかった!出ないかと思った』
電話口から聞こえてくるのは相変わらず元気100倍といった調子の好青年の声。
学校では付き合っているだのという根も葉もない噂を立てられているとはいえ、今のところ学校でしか会うことはなかったのでそれ以外で彼から連絡が来るのは相当レアなケースだ。
「珍しいね、アイクが休みの日に連絡してくるなんて」
『この前知り合いから良いものを貰ってさ、昴にも見せてあげようと思ってたんだよね』
「良いもの?」
随分と抽象的な表現だ。
アイザックは人に嘘がつけないような好青年で、目の前にあることは素直に全て口にするタイプの人間だった。そんな彼が、このように濁した表現をするのを初めて聞いたので昴は思わず怪訝な声を出す。
『うん、だから今から会えないかな?』
「…え、今から…?」
まさかの展開である。
今日は丸1日宿舎から出るつもりは無かったのだが、ここで予定が崩れる音が聴こえ始める。
「……今、は、ちょっと…」
単純に面倒臭いだけなのだが、出不精な私からすれば今から出掛けるために支度をするのが一番頭が痛くなる事だった。
単純に面倒臭いだけなのだが。
『ダメ…かな?』
実は、アイザックは昴のことを熟知していた。
昴はアイザックに執拗に構われているお陰で、周囲から「彼女」のような目で見られているのだが、これは全てアイザックが悪いのではなく、昴側の責任もあった。
何かというと、昴は基本的にアイザックに弱いのだ。
アイザックは昴が自分に弱いこと、どのように話しかければ折れてくれるかを分かった上で、学校でも見かける度に満面の笑顔を浮かべて駆け寄っているのだ。ただ考えなしに絡んでいるわけではなかった。
もし本当に嫌なのであれば昴はちゃんと断る。周りからは「付き合ってるんじゃないの?」と疑われる距離感で、けれど昴本人がこれ以上あまり嫌がらないように、絶妙な線引きをしていたのだ。それに、昴は根が優しいのであまり嫌と言えない事も知っていたし。
「う……」
昴がアイザックと出会ったのは小学生に上がったばかりの頃。
アメリカという異国の地で、その当時は英語もうまく喋れず周りにも溶け込めていなかった昴に、優しく一緒に遊んでくれたのがアイザックだった。自分と同い年くらいだったはずなのだが、その当時は自分よりも背が低く可愛らしい天使のような見目をしていたアイザックの事を、当時は弟のようにも思っており、今でもそのフィルターが抜けていない。当然、今の彼は当時のような天使の見目ではなく、成長した青年の姿になっているのだが。
続けてアイザックが口を開く。
『ちなみに、貰ったものって本なんだよね』
「本?」
『うん、多分昴はまだ読んでないんじゃないかな。この前発売して直ぐに品薄になっちゃった人気作家の新作だから…』
「……」
成程。
昴は思わず舌を巻いた。
アイザックは勿論昴が本を好きであることも知っている。昴を外に誘う口実としてはこれ以上ない文句だった。
アイザック自身も読書はよくするようだったし、昴はアイザックがどの作家の事を言っているのか大体の見当がついた。
(あの人の新作か……)
外に出るのは面倒だけれど、それと引き替えてでも手に入れたい何かが、今天秤の上に載せられた。
ぐるぐると頭の中で思考を巡らせ、葛藤している間に、電話先から『まあ…』と少し落ち込んだ声が聞こえる。
『…無理に、とは言わないよ。これもいつまでも手元にあるものじゃないんだけどさ』
「行く…よ」
『本当に!?』
絞りだしたような昴の声に対して、電話の相手は花が咲いたように今日一番の元気な声を上げていた。本当にゴールデンレトリバーのような男である。
『じゃあ、今から迎えに行くから!1時間後に待ち合わせね!』
「あ、ちょっと…」
静止の声も空しく、ぷつんという音とともに電話が切れた。
これにて、今日一日は家から出ないという目論見が外れ、昴は外に出るために支度をしないといけなくなったのである。
外に出かけるつもりなど毛頭なかったのに、こういう時は変な予感が当たるというものだ。
ため息を付きつつも先程まで着ていた上下U〇IQLOのスウェットを脱ぎ、赤いプリーツスカートを履いて上には白い薄手のニットを着る。メイクをしようと鏡台に移動したあたりで、部屋の扉がノックされた。どうぞと声をかければ、5つ隣の部屋に住む茉莉が扉を開けて顔を出した。
「あれ、出掛けるの?」
「うん、呼び出されちゃった」
茉莉は実家から送られてきたパイナップルケーキを分け与えてくれた。
「あー、アイザック?」
ケーキを箱から出しながら、少し意地悪な笑みを浮かべる。
茉莉は、昴がアイザックと付き合っている噂など全くの嘘だと認識してくれてはいるが、それでも恐らくアイザックが昴へ向ける好意については年頃の女の子として興味があるようで、偶にこのように弄ってくる。
「新作の小説を手に入れたみたいでさ、中々手に入らないものだから私もまだ持ってないんだけど。それに釣られちゃった」
「まあ、なんやかんや昴はアイザックに甘いもんネ」
「…そういうつもりはないけど」
しかし否定は出来ない。
「丁度Autumn Festもやってるし、出店とか行ってくれば?」
「ああ、そう言えば今日だっけ…」
すっかり抜け落ちていたが、そんな話をした記憶がある。
どうでも良すぎて忘れていたなあと、ファンデーションを付けながら2日前の会話をぼうっと思い出していると、茉莉が周囲を見渡して少し声を落とした。
「でも、気を付けてネ」
妙に声のトーンを落として、茉莉が耳打ちをする。
ここは宿舎の自室で密室なので、そんなに小声で話さなくても扉が閉められているから外に会話は漏れないと思うのだが。
「え?」
「勇翔が『Autumn Festは危ないから行かないほうがいい』って言ってたから、もしかしたら何かあるのかも」
それは初耳だった。
勇翔は皆の兄貴的な存在で、1つ学年が上なのもありここに住んでいる期間も長いため、昴や茉莉よりもこの町の事については詳しい。そんな彼が『危ないから行かないほうがいい』というのであれば、相当なことなのかもしれない。
とは言え、今日はアイザックに会うだけでAutumn Festに行く予定はないのだが。
「…まあ、アイクに会うだけだから」
「だといいけどねえ」
得てして、そういう時の予感は当たってしまうものなのだった。




