【Ⅰ 不吉な小曲】
≪登場人物≫
渡辺昴:日本からの留学生、イギリス文学専攻。大学二年生の21歳。霊感がある。
アーサー・スティリア:イギリス人、吸血鬼と人間のハーフ、法学専攻。大学三年生だが実年齢は不詳。監督生。町外れの大きな洋館に一人で住んでいる。
ルイス・ガルニエ:フランス人留学生(建前)、狼男、法学専攻。大学三年生だが実年齢は不詳。監督生補佐、アーサーの従者。
アイザック・V・ミラー:アメリカ人留学生、昴の幼馴染、経済学部。昴とは同じ学年。幼少期以来久しぶりに会った昴に執拗に絡んでくる。
あの夜、半分人間の吸血鬼と遭遇して三週間の月日が経過した。
昴は相変わらず、平日は学校終わりにルイスの運転するハイパー高級車に乗せられて古びた洋館に連れられ、家の手伝いをしつつ夕食を頂き、食後のココアを飲んで宿舎に帰るという毎日を過ごしていた。
それまでは外に出掛けるなどということはほぼなく、アルバイトもしていなかった昴が、急に平日の夜に姿を消す事に天茉莉を始め周囲の宿舎仲間たちは心配半分好奇心半分で執拗に聞いてきたが、何とかうまい事丸め込んだお陰であまり聞いてこなくなった。
ただ、宿舎の夕食当番に入れられなくなった事に対しては天勇翔が大変ご立腹で、「平日が無理なら土日はお前が作れ」という命令を頂き、土日は高確率で夕食当番を任されるようになった。
勇翔が作る麻婆豆腐も好きなのだが、作ってほしい場合は高額代金を積まなければいけないので、最早幻の一品である。
三週間も経てば、学校の若者たちの話題も一周どころか五周くらいするものであり、学校では一切絡まない昴とアーサーの話題も皆の頭から忘れ去られていった。
時折、あの時の高飛車ブロンド女子生徒が廊下の影から悔しそうにこちらを睨むような気配を感じるが、特段気にも留めていないからあちらからも関わってこなくなった。
アーサーの話題は消えたが、幼馴染のアイザックとの「付き合っている疑惑」は何故か風化されずに生き残っている。それもこれも、アイザックは廊下で会う度に「昴!」と大声を上げ、大型犬の如く駆け寄ってくるからなのだが。
洋館で過ごす夕食の時間も、三週間も経ってしまえばある程度慣れたようなものでもあり、最早習慣化していた。
最初は簡単な仕事しか手伝わせてくれなかったルイスも、最近では窓の吹き掃除やら廊下の掃き掃除などもやらせてくれるようになり、無料で夕食を頂くことへの免罪符はこれで獲得できた筈だ。
昴はたまにアーサーの部屋にミルクティーを運ぶ任を与えられており、初日以降は昴の分のティーカップも律儀に用意してくれるようになったため、アーサーの部屋に行くときは必ず一緒にお茶を飲む流れになっていた。
特にこれといった会話はなく、基本は読書をするアーサーの邪魔をしないように静かにミルクティーを飲むというティータイムだった。当初は居心地がまあまあ悪かったが、慣れてくれば無の感情でいればいいだけなので特に苦ではなかった。ずらりと壁一面に並ぶ本のタイトルを推察するだけで時間は過ぎるので。
しかし、二週間ほどした時だっただろうか、読書をしていたアーサーが本を閉じ、不意にこちらに目を向けた。
「お前、暇じゃないのか?」
向こうから話しかけられることなど最初の時以来無かったので、珍しいと思っていたら、発言意図を疑う様な質問をされた。
暇に決まっているだろう、どう見ても。
「……何ですか、唐突に」
「いつも何もしていないから」
このお坊ちゃまは何を言っているのだろう。
「…勉強道具でも持ってきていいのでしたら持ってきますが」
「わざわざここまで来て勉強すんのか?つまんねぇだろ」
「……。」
最大の皮肉を言ったつもりだったのだが、どうにも伝わっていないようである。
当初から思っていたがこのお坊ちゃま、地頭はいいのだろうが、少しズレている。
「お前、読書が好きなら本でも読めばいいだろ」
まあ確かに、相手も読書をしているのであればこちらも読書をするというのは自然な光景だろう。
「読書、ですか」
宿舎にもそれなりに本は持ってきているので、それを持ってくれば良いだろうか。そんなことを思いながらこの広い部屋の大部分を占めている壁一面の本を見上げた。
そこで、何故かアーサーが少しうろうろと目を左右に泳がせていることに気付く。
「…どうしたんですか?」
「い、いや…」
綺麗な宝石の瞳が右へ左へと振り子のように揺れているを見て訝し気な目を向ければ、アーサーはうろうろさせていた目をこちらからすいっと本棚へ移し、少し唇を尖らせた。
「………ま、まあ。ここにある本だったら読んでもいい」
「…え、いいんですか?」
なぜかぶっきらぼうな調子で言われたが、それよりも私はここの本を読んでもいいと言われたことに驚きを隠せなかった。
「別に、俺の…だし、構わない」
「ほ、本当ですか!」
それは単純に嬉しかった。
目をきらきらと輝かせた昴は真っ直ぐにアーサーを見つめ、「ありがとうございます!」と感謝を述べた。
「この部屋に来てからずっと気になってたんです!見たところ、まだ読んだことのない本もたくさんあったので…」
「…そうか」
相変わらずぶっきらぼうで仏頂面であったが、声のトーンは満更でもなさそうだった。
珍しく話し掛けられたと思ったら思ってもみない提案をされて、私の心はうきうきであった。こんなにたくさんの本を全て読んでいいというのは御褒美に他ならない、探し出せば歴史的価値の高い本もあるかもしれない、有名作家の初版本とか。
かくして、持ち主から直々のお許しを得た昴は、それ以降ミルクティーを持っていくついでにアーサーの部屋にある本を読む時間となった。
そうして、今日もまたルイスお手製のミルクティーを持っていき、アーサーの部屋で読書をしていた。
今読んでいるのはアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』である。勝手に読んでいいと許可を得たものの、あまりにも蔵書数の多さに何を読もうかと本棚の前で思案していたところに、不愛想な顔に少しだけ得意気な目をしたアーサーに渡された。
私が『アクロイド殺し』を好きだと言っていた事を覚えていたのだろう、案外マメな男である。
「……これ、どういう意味ですか?」
「conceit…自惚れだな」
「成程…」
勿論全編英語なので、流石に留学生でそれなりに流暢に英語を話せるとは言え分からない単語はまだまだ多い昴は、当初辞書を片手に読んでいたのだが、何故かそれを見たアーサーに「……何で俺に聞かないんだ」と言われたため、以降は分からない単語があれば彼に直接聞く形になった。
なぜと言われても、読書をしている相手に「この単語って…」など聞くほど図太く生きてはいなかったのだが、逆に機嫌を損ねられるとは思わなんだ。
アーサーはメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』を読んでいた。ミステリーが好きと言っていたが、怪奇小説物も好きなのだろうか。
――私はこの時間が結構好きだった。
アーサーは最初こそ自分の事を最優先する独善的な人物なのかと思っていたが、意外と相手の事を慮る面を見せており、口調や態度は荒々しいものの聞いたことは素直に答えてくれる。それに、彼も彼で小説が好きなようなので、読書をしている時間は変に干渉してこない。同じ部屋にいるもののまるで図書室の中にいるような感覚になる。良くも悪くも他人に興味を示さない昴と同じで、アーサーも恐らくは他人に興味があまりない性分なのかもしれない。
何より、読みたかった英語の本、しかもどれもこれもハードカバーの質のいい状態のものをこれだけ読めるというのは願っても無い機会だ。
その日の夕食はビーフシチューだった。ビーフシチューと言えば日本でもよく食べた馴染みのある料理であったものの、ルイスの作るビーフシチューは母国で食べていたものとは訳が違い、とても繊細な味のするものだった。
ルイスもまた、知っていくうちにかなり優秀な人物なのだというのをまざまざと感じられる。最初からアーサーよりも話しやすい、常識のある男性のようだとは思っていたものの、彼はそれ以外にも料理がべらぼうに上手で、昴からして非常に関心するのが3週間も経っていながら1日たりともメニューが被ったことがないことだ。正直ここまで来ればメニューが被っても仕方ないし、昴であれば1週間でもメニューが被りそうであるのに、何のポリシーがあるのか彼の作る料理は被ることがまずないのだ。
これだけのレパートリーがあるのはもはや料理人と呼んでも差し支えないんじゃないかと思う。
「今日も美味しかったです、ご馳走様でした」
「喜んでもらえてよかったよ、また作るね」
常に仏頂面を浮かべているアーサーとは対照的に、表情の起伏が分かりやすいルイスは傍から見てもかなり取っつき易い人物だと思う。2人とも顔面が非常に整っておいでなので、平等に人気があるようだが顔面だけの人気だけだと恐らくはアーサーに軍配が上がっているのかもしれない、けれどルイスの人となりを見て彼にもそれなりのファンがいるのも納得のいくところである。
しかし、そう考えると改めてこんな異国の美人2人に囲まれて毎度夕食を食べているというのは何かの間違いではないかと思われる、それか質の悪い夢か何かだろうか、夢と言えど悪夢の方の夢だが。
「そういえば、今週末はAutumn Festだね」
ココアの入ったマグカップを両手で包んで物思いに耽っていたところへ、ルイスの言葉が耳に突き刺さる。
「…何ですか、それ」
「え、知らないの?」
「え……はい」
想像以上に驚かれてしまった。そんなに有名な何かなのだろうか、名前から察するに秋の祭りてきな何かなのだろうけれど、学校の行事でそんなのあっただろうか。いや、無かった気がするのだが。
一生懸命脳内のデータを総動員させている昴に、ルイスは優しく教えてくれた。
「Autumn Festは別名収穫祭、この街で秋口に開かれる大きな祭りだよ。街の大通りに色んな出店が出て食べ歩きとかできるんだけど、うちの大学も毎年出店で参加したり催し物の参加したりしてるんだよ」
「…そ、そうなんですね」
初耳である。
去年の秋口もあったということなのだろうが、如何せん記憶がない。去年の今頃は何をしていたのだろうか、基本的にイギリスの大学は秋にスタートするため、去年は新入生ということもありそれどころではなかったのかもしれない。
まあ、そもそもそういう催しにもあまり興味を示さないので、知らなくても不思議ではないのだが。
「まあ、だからうちの大学の監督生をしているところの坊ちゃんも例年通り顔を出さないといけないわけなんだけどね~」
「ああ、そういうことなんですね」
なぜいきなりこの話が振られたのかと思えば、アーサーが出る必要のあるものだということか。監督生というのも大変である。
「今週末って……え、もう2日後の話ですよ?」
もう本日も終わるところなので、明日を終えれば次の日がお祭り当日ということになる。あまり気に留めていなかったが、大学周りや街の大通りが随分と綺麗に装飾されたり変なカボチャがたくさん並べられていると思えば、そういうことだったのか。
「そうなんだよ。坊ちゃんはやることが多くて楽しむ時間なんて無さそうだけど、一般に参加する分には出店もたくさんあるし楽しいと思うな」
「へえ…」
残念ながら全く興味がわかない。そもそも人混みは嫌いだ。
「昴は参加しないの?」
「…私は、あまりそういうのは…」
申し訳ないけれど、その日は宿舎で本を読んで過ごそうと思う。今更だが、昴がこの屋敷に呼ばれるのは決まって平日であり、土日は呼ばれない。今週末ということはそのオータムフェストとやらも土日のどちらかであるということだろうし、丸一日宿舎にいても問題はないだろう。というか居させてくれ。
そんな昴の反応を見て、ルイスはうーんと唸りながら意味深長な笑みを見せる。
「でも、来る事になるんじゃないかな」
「…?」
何を言っているのか全く分からない。
ココアを飲みながら言葉の真意が掴めず怪訝な顔を向けると、ルイスがやけに頬を緩めながらこう言ってきた。
「Autumn Festには面白い言い伝えがあるからね」
「言い伝え……?」
意味が分からないと首を傾げる昴に対し、ルイスはにやにやと笑みを浮かべるのみだった。
何の事やらさっぱりわからない昴の疑問が解けるのは、2日後の事になる。
第2章、スタートです。




