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幕間



 洋館に戻ると、森の洋館の主は紅茶を飲みながら静かに読書をしていた。


 こう見ると、本当にどこにでもいる大学生の青年にしか見えないかもしれない。

 しかし、こんなに大きな屋敷に一人で暮らしていることから分かるように、明らかにどこにでもいる大学生ではないのだ。

 

 「好きだね、それ」


 ルイスの言葉にアーサーは少し目線を上げる。


 宝石のようなエメラルドの瞳がじっとこちらを見据えた。ルイスが言ったのは彼が読んでいる本、『ジキル博士とハイド氏』のことだった。


  「……」


 アーサーは肯定とも否定とも取れない無言の返事を返す。

 ルイスは別段返事を求めている訳でもなかったし、この坊ちゃんのことはわざわざ本人に聞かなくても大体把握しているので、その本が彼のお気に入りであることも勿論聞かずともわかる事だった。


 ルイスはストールを首から外し、ダイニングテーブルの上にあるピッチャーからグラスに水を注いだ。右手にグラスを持ちながら、アーサーの定位置であるロッキングチェアからは少し離れた場所にある、暖炉の近くのスツールに腰を掛ける。


 「そういえば、ラウルから連絡来たんだけどさ」


 グラスを傾けながら、ルイスは誰に話すでもなく口を開いた。


 「そのうちこっち来るらしいよ、御主人様の御容態を見に来るのかもね」


 アーサーはルイスの言葉には何も反応を示さなかった。特段反応を示さないだろうことも分かっていた事なので、ルイスも気にする様子も見せず水を喉に流しいれる。


 「何も言ってないんでしょ」


 そこで漸く、アーサーが本から顔を上げてこちらに目線を移した。


 「お前があいつに何も言ってないならな」

 「まあ、そうだよね」


 そうして、再び何事も無かったかのように本へと目線を戻した。


 難儀なものだな。


 ルイスは他人事のようにそう感じ、鼈甲色(べっこういろ)の眼を細めた。

 ルイスにとってアーサーは仕える主人でもあり、友達でもあり、理解者でもあり、弟のようでもあり、息子のような存在でもあった。

 ガルニエ家は代々スティリア家に与する狼男の血族、通常怪物、モンスターという存在は群れで動くことを嫌い、動くとするならば同族同士で徒党を組むことが多い。しかし、吸血鬼というのはモンスターの中でも最も人間に近い頭脳を持ち合わせ、狡猾で意地汚く、自己の利益を求める性質を持つ。それ故、利害の一致から別の血族を仲間にし、共闘或いは付き従える事で陣地を拡大する方法を取る怪物だった。

 吸血鬼としては、今や誰もが名を知るほど高名であるところのスティリア家も例に漏れず、ルイスがこの世に生を受けるずっと前から、狼男の血族であるガルニエ家を配下へと置いていた。


 生まれたその時からその立場が決まっていたとはいえ、正直スティリア家の強大さについては文句のつけようがなく、狼男としてそれなりの強さを有していると自負はしているが、彼らに勝てるとは毛頭思わないし勝とうとも思わない。彼らの強さはモンスターとしての自力の強さだけではなく、やはり人間的な叡智の強さがあるのだ。

 そうして、モンスターのみならず別の吸血鬼も数多くいるこの世の中においても、別格の強さを誇るのが、イギリスはノッティンガムを根城とするスティリア家なのだった。それは、千年も前から変わらぬ立ち位置だった。



 ――その絶対的な立ち位置に、今現在綻びが生まれている。

 それは、この世界においては看過の出来ない、由々しき問題なのだ。



 読書に集中する金糸の美青年は何も気に留めていない様子だった。

 まさか、小さい頃からずっと世話を見ているこの若主人が、その問題の中心人物になるとは思ってもみなかった。


 いや、彼の能力を見た時に、その胸騒ぎが一切しなかったと言えば嘘になるかもしれないが。


 「…それにしても、昴はいい子だね」


 主人が会話に一切興味を示さないので、話のネタを変えてみた。

 その名を口にした途端、それまで興味を一切示していなかったアーサーがふと顔を上げる。


 (分かりやすいな)


 思わず笑ってしまいそうになった。


 「まだ三日しか経っていないだろう」


 本は閉じなかったが、会話には参加してきた。その態度から彼の中で彼女の存在がどの程度の位置を占め始めているのかは推して図る事が出来る。


 …その三日しか経ってない相手に、珍しく随分と心を開いているものだけれど。


 「珍しいじゃん、自分の部屋に入れるなんて。しかも一緒にミルクティー飲んじゃってさ」

 「…お前が言えた口か?」


 エメラルドの瞳がじとりとこちらを睨む。

 確かに、昴にアーサーの部屋までミルクティーを持っていくように指示したのは間違いなく自分だし、あのティーポットには普段飲む量よりも多めに入れて、バタークッキーも多めに持たせた。

 しかし、本当に目録通りに事が進むとは、正直思っていなかった。


 「だとしてもでしょ、お前他の女の子部屋に入れたことないでしょ」

 「そんな奴今までいなかった」

 「そう言う事だよねー」

 「……何が言いたいんだ」


 不愛想にそう言って、アーサーはまた本へ目を戻した。


 「いい傾向じゃないの。このまま行けば安泰そうで」

 「……」


 正直、これは願望も込みの想いだが。


 まあ、そうは上手くも進まないだろうけどね。


 「ま、都合よく使いなよ。悪い子じゃないだろうし」


 何も気にする風でもなく、ルイスはさらりとした調子でそう言い切った。

 グラスの中の水を飲み切ったルイスはその言葉とともにスツールから腰を浮かした。


 「…わかっているだろうけど、隙は作るなよ」


 立ち上がりながら、ルイスはそう言う。その言葉で、アーサーは漸く本を閉じた。

 肯定も否定もしなかったが、その無言が彼の答えだと、ルイスは知っていた。











 あの日の夜、毎晩行っていた夜の偵察に出掛けたはずの我が主は、その陶器のように真っ白な白磁の肌を病的なまでに真っ青に染めて、帰ってくるなりこう言った。


 ――力が、使えねえ………。


 何かの嫌な予感が、大きな氷山が崩れ落ちる様な音が、静かに、けれど確かにルイスの耳に届いた。








 ――隙は作るなよ。

 それは、あの人間に対しても、そしてこの世のすべてに対しても。

 お前はそれだけの立場に立っているのだから。



此処までお読みくださり有難うございます。


第1章出逢い、ようやく完です。

次回、これまでのまとめを挟み、話が進んで行きます。

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