11.
暗闇に火薬の匂いが漂っている。
陽が落ちたペンションの軒先に腰を下ろして膝を抱え、僕は見るともなしに目の前の光景をぼんやり眺めていた。
十メートル先のペンションの庭には、花火に興じる千里くんと三人の友達の姿がある。
「ねえ、線香花火やろうよー!」
「じゃあ線香花火対決なー、最後まで残ったやつが勝ち!」
「え~千里ずっる! 三本持ちとかアリ~!?」
火花の音と光が弾けて、笑い声が上がる。
(……楽しそうだな)
四人の姿を見つめながら僕はぼんやりと思った。
さっきから千里くんに「こっち来いよ」と何度か声をかけられたが、立ち上がる気力も、あの中に混じる気力もなかった。
千里くんの友人の涌井くんから、千里くんに好きな女の子がいるらしい、と聞いて数時間。時間がたてばたつほど、ショックは強くなっていくようだった。気力だけでなんとか仕事はこなすことが出来たが、気を抜くとすぐに気分が深く沈んでしまう。
(千里くんの好きな子、か……)
どんな女の子なのだろう。きっと千里くんが惚れるのだから、さぞかし素敵な子に違いない。性格もよくて、優しくて、きっと可愛らしい顔立ちの女の子。
長身の千里くんの側に寄り添って立つ小柄で可愛らしい姿を想像しただけで、胸がきゅうと痛む。
一体いつから僕は千里くんに惹かれていたのだろう。わからないけど、恋を自覚したと同時に失恋するだなんて、なんだか自分らしいなとも思ってしまう。
初恋は実らないと言うがその通りだ。その一方で、いまだに未練がましく可能性が残っているのではないかとも考えてしまう。
千里くんはまだその子とは付き合っていない。だったら、僕が先に気持ちを伝えたら――。
(いや、絶対無理だな)
僕は男で千里くんも男だ。女の子に敵うわけがない。それに、友達だと思っていた男の僕に告白されたら、千里くんはすごく驚くことだろう。もしかしたら引かれてしまうかもしれない。
男の僕に、最初から勝ち目などないのだ。
それに、もともと千里くんは自分とは違う世界を生きている人だ。
この入浜にいるのは夏休みのバイトの間だけだし、夏が終わったら地元に帰っていく。そして高校に戻って、あの三人みたいに素敵な友達と笑い合って、大学に進んでいく。
(遠い人だよな……僕なんかが釣り合うわけがない)
本来だったら、僕たちは交わることがない線だった。出会えただけで感謝しなくちゃいけない。
感謝して、きちんと諦めなくちゃ……。でも僕は――。
「凪くん」
ふいに背後から名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。慌てて振り返ると、後ろに蓮さんが立っていた。
「蓮さん……」
蓮さんはにこりと笑うと、「隣いいよね?」と言って、僕の返事も待たずに隣に腰をおろした。
「どしたのさ、そんなにしょげて」
「いえ、そんなことは」
首を振りながら、それ以上の否定の言葉を紡ぐことは出来ない。そんな僕の様子を見て、蓮さんは小さく笑った。
「千里が女の子と仲良くしてるから、心配?」
「えっ」
僕は目を見開いた。蓮さんがにやりと笑って僕の顔を覗き込んでくる。
「嫉妬してるんでしょ」
「し……しっと、って」
動揺して声が裏がった。そんな僕にも構わず、蓮さんはさらに追い討ちをかけてきた。
「凪くんは、千里のことが好きなんでしょ?」
蓮さんの言葉に、さぁっと背筋が冷えた。冷や汗が背中を伝う。
(嘘、バレた? なんで……? どうして……)
僕は慌てて首を振った。
「……ち、違う……」
「誤魔化さなくたっていいよ。見てたらわかるもん。ずっと千里のこと目で追ってるし、あのキーホルダー眺めてる顔だって。あれ、完全に恋してる顔でしょ」
蓮さんは楽しそうに笑ったけど、僕は笑えるはずもなかった。
自分の気持ちを他人に見透かされたということに恥ずかしさと恐怖がごちゃまぜになって、気が付くと僕の口からは悲鳴のような声が出ていた。
「言わないでください……っ」
「え?」
「千里くんには言わないでください! お願いします。知られたくないんです。軽蔑されたくない!」
知られたらきっと千里くんに嫌われてしまう。男の僕が、男の千里くんを好きだなんておかしなことなのに……!
必死で声を絞り出す僕を、蓮さんは驚いたような目で見ている。
「……え? 凪くんと千里、いい感じに見えたんだけど……違うの?」
「え?」
なんのことだかわからない。今度は僕が驚きに目を瞬く番だった。
「凪くんは千里のこと好きなんでしょ? 千里も凪くんのことが好きだと思ってたんだけど」
「そっ……そんなわけない! 違います! って僕はそうだけど、千里くんには好きな女の子がいるみたいだし」
「え、そうなの?」
「そうですよ。それに僕たちは男同士です。千里くんが僕を好きだなんて、そんなこと天地がひっくり返ってもあるわけない……」
自分の言葉が自分の言葉に傷つき、僕は唇を噛んだ。そんな僕を蓮さんは茫然と見つめていたが、やがて小さな声で「そっか……」とポツリと言った。
「あのね、安心していいよ。俺、誰にも言わない」
顔を上げると、蓮さんは見たことのないほどに真剣な顔をしていた。
「だって、俺も同じだから」
「同じ?」
「俺、蒼佑のことが好きなんだ」
思いもよらない言葉だった。
「え……?」
目を見開いて驚愕する僕を見て、蓮さんが静かに微笑む。
「蒼佑とは小学生の頃に初めて会って、ずっと一緒に居たらいつのまにか好きになってた。でも蒼佑には普通に彼女がいてさ。それでも一緒に居たいから、勉強がんばって一緒の大学入って……でも、全然振り向いてくれないんだよね」
そう言って笑う蓮さんの口調は、いつもの明るい彼を思い出すことが出来ないくらいに静かで落ち着いたものだった。
「蒼佑って優しいけど生真面目だし鈍いとこあるから、俺の気持ち自体に全然気づいてないのか、それとも気づいてて気づかないふりしてるのか……どっちかわかんないけどね」
「え、それじゃ蓮さんが、色んな人に声かけたりナンパみたいなことするのって……」
「蒼佑の気を引きたくてやってるだけ。バカでしょ」
蓮さんの笑いは寂しげだった。言葉が出ない。初めて知る蓮さんの心の内側の寂しさが伝わってきて、息が詰まる。
「好きだけど……好きだからこそつらいよね」
「……はい」
頷くと同時に、ぶわっと涙があふれてきた。
僕の悲しさとやりきれなさと、蓮さんの寂しさと切なさが共鳴して、何倍にも膨れ上がってしまったかのようだった。
嗚咽をこらえきれず、僕は両手で顔を覆った。
どうして僕たちは同性を好きになってしまったのだろう。
どうして好きな相手の性を選ぶことが出来なかったのだろう。
僕も蓮さんも、女の子を好きになったのなら楽だったのに。
「……凪!」
ふいに千里くんの声が響いた。
顔を上げると、花火の煙の向こうから千里くんがこちらへ走ってくるところだった。
「凪、どうした!? え、泣いてる……?」
千里くんは慌てた様子で僕の顔をのぞき込もうとしたが、その前に蓮さんがすっと立ち上がり、千里くんに立ち塞がった。
突然の蓮さんの行動に僕も驚いたけど、千里くんも驚いたようだった。
「蓮?」
と、千里くんが怪訝な顔をする。
蓮さんはじっと千里くんの顔を眺めていたが、急に破顔した。
「お前に心配する資格はありませーん!」
「え?」
「っていうか大丈夫! 凪ちゃんには俺がついてるから! 千里は友達のとこ戻ったらぁ?」
おどけた口調だったけど、その声音には棘があった。千里くんの目も険しくなっていく。
「蓮、何言ってんだ?」
千里くんの問いには答えず、蓮さんは僕の手を握った。
「行こう、凪くん」
こちらに向かって優しく微笑む蓮さんの顔を見て、僕は気が付いた。
(蓮さん……庇ってくれてるんだ……)
僕はありがたく蓮さんの好意に甘えることにした。
このままここにいるのは辛かった。楽しそうな千里くんを見るのも、千里くんにこんな情けない顔を見られるのも。
僕は「はい」と頷き、蓮さんの手をぎゅっと握りかえした。
「千里くん、ごめん……僕、先に部屋に戻ってるね」
「凪――」
千里くんが何かを言いかけたが、もう千里くんの顔を見る勇気が僕にはなかった。
僕はもう一度小さな声で「ごめん」と謝ると、蓮さんに手を引かれるままペンションの中へと入った。