ダイヴ・フォア・ユー
突然のことだった。
処刑台に立たされる寸前。近くにいた星美レナを拘束し、脱走を試みた直後。
急に、建物全体が激しく揺れ、轟音が響いた。
天井が瓦礫となって降り注ぎ、その衝撃と砂埃に襲われた瞬間、視界がブラックアウトした。
「クソ……なんだ?」
遠くから怒号と悲鳴が聞こえる。
それと共に、段々と視界が明るくなって、意識が明確になってきた。
一体何が起きた?
身体は……よし、動く。
とりあえず状況を把握するために、起き上がった。
「なんだ!? 何がどうなった!」
「じ、事故です! 空中警備に当たっていたUAVが数機、こちらに墜落しました!」
「くそったれのパイロットどもめ、杜撰な操作しやがって……被害状況は?」
「奇跡的に死者はいませんが、負傷者多数です! 救護班の要請を――」
こちらから少し距離の離れた場所で、複数の兵士たちが騒いでいた。
ついさっきまで、俺を撃ち殺すはずだった男たちだ。
かなり混乱しているようで、誰も俺に意識は向いていない。
唯一の出入り口は、建物が半壊したせいで、ドアが吹き飛んでいる。
「うッ……!」
ふと、近くでそんな声が聞こえた。
声の方向に顔を向けると、そこには星美が倒れていた。
たいした怪我はないが、下半身が瓦礫に挟まって、動けないようだった。
そしてその傍らには、彼女が持っていたハンドガンが落ちている。
酷くラッキーな状況だった。
まるで、ここから逃げろと言われているような。あまりにも好都合すぎる。
一体……。
「……考えてる場合じゃないか」
どういう背景でこうなったのかはわからないが、事実は変わらない。
俺が今やるべきことは、この状況を利用して、ここから脱出することだ。
となれば話は早い。俺は落ちているハンドガンを拾って、出口に向かう。
「ま、待て、テメェッ……! 何やってるバカ共! 追え!」
星美の怒号をしり目に、出口へと走り出す。
彼女の叫びで兵士たちもこちらに気づいたらしい。「待て!」という声と共に、こちらに向けて発砲してきた。
こちらもハンドガンを撃って牽制しつつ、出口へと走り出す。
床に弾が跳弾したりもしたが、なんとか自分には当たらず、なんとか出口に到達できた。
その瞬間だった。
通った直後、瓦礫の崩れる音が聞こえた。
「なッ……!?」
とっさに身構えて、その振動と砂煙を受け止めた。
「クソ、出入り口が……!」
すると、兵士のそんな声が聞こえた。
砂煙が収まると、先ほど透った出入口が瓦礫に埋もれ、通れなくなっていたのだ。
「……運がいいな、本当に」
思わずそんなことを嘯いて、けれどあまり深くは考えず、廊下を走った。
兎にも角にも、今はライカの下へ急がなければ。
走りながら周囲の音を聞くと、それはもはや混沌と言っていい有様だった。
銃声、ジェット音、爆発音、そして悲鳴。
まるで戦場のような音と地響きが、こんな建物の中越しにでも、うるさいほどに伝わってくる。
一体外で何があったんだ。
ライカは無事なのか?
「いたぞ、コンタクト!」
「こちらノマド2-3、タンゴ発見、エンゲージ」
と、その時、廊下の奥の方から、数人の兵士がこちらに銃を撃ってきた。
とっさに隅の柱の陰に隠れ、難を逃れる。
どうやら、星美あたりが要請した増援のようだ。
「殺害許可は出ている。油断するな」
「了解、クソ、クズ野郎め」
まずい、このままじゃ身動きが取れない。
道はここを通る以外にないし、ハンドガン一つじゃ突破は願うべくもない。
どうにかして、方法を――
「グレネード!」
すると、そんな声が聞こえてきた。
その直後、床に硬い何かがぶつかった音が、耳を障る。
見ると、自分のすぐ傍に手りゅう弾があった。
「しま――」
とっさに身をかがませ、衝撃に備える。
瞬間、けたたましい爆発音が、鼓膜を襲った。
「うッ……?」
……なんだ、何か変だ。
近距離でグレネードが爆発したはずなのに、いつまでも衝撃が襲ってこない。
どういうことだ、一体……。
「ニッパー」
ふと、そんな声が聞こえた。
酷く聞き慣れた声。
けれど、久しく聞いていなかったような、そんな感覚のする声だった。
思わず、俺は呼ばれる声に従って、顔を上げた。
「……天神?」
そこには、天神がいた。
屋根を突き破ってきたのだろうか。真上の天井に穴が開いて、そこから光が漏れて、彼女を照らしていた。
SUの翼で俺を囲んで、守るように、覆いかぶさるようにして、どこかホッとしたように微笑んでいた。
「無事だったのね、よかった……」
「あ、あぁ。アンタ今、俺を庇って――」
「心配しないで。SUがあれば、ある程度は大丈夫」
天神はそう言うと、立ち上がって、兵士たちのほうを見た。
「こちらはウルフ隊一番、天神ナナよ。ノマド隊ね。タンゴの対応はこちらでするから、アナタたちは引きなさい」
天神がはっきりとそう言うと、兵士たちは困惑しているようだった。
恐らく、彼ら自身も面食らっているのだろう。
急にウルフ隊の一番が、殺害命令の出ている人間を庇ったのだ。
命令の齟齬に、対応しあぐねているのだろう。
「彼女に耳を貸さないで!」
すると、上からそんな声が聞こえた。
何かと思って見上げると、誰かが天神の開けた穴から落っこちてきた。
見ると、ハウンド隊の隊長である、来栖エリサだった。
「エリサ……」
天神は彼女を見ると、どこか悲しそうに、その名前を呼んだ。
「自分のやっていることがわかっているの、ナナ? アナタが今していることは――」
「ラヴェルへの重大な背信行為。明確な裏切りだ……そう言いたいんでしょ?」
「ッ……だったら! その男を守ることが何を意味するか、わかっているでしょう!? 彼がしたことも!」
来栖はそう言いながら、俺に銃口を向ける。
それを見て、天神は俺を庇うように立ちはだかった。
位置的に顔が見えないのに、来栖を睨んでいるのだろう、という気が、なぜかした。
「アナタが今やっていることは、人類の敵を助けていることに他ならないわ。よく考えて!」
「……うるさい」
「アナタだけの問題じゃない! こんな前例をセラフ章を取ったアナタが作ったら、フェアリィの信頼が無くなって、もう誰も安心してラヴェルに住めなくなる! 下手するとアナタの行為が、人類の平和そのものを――」
「うるさいッ!」
そんな、建物中に響き渡る怒号が、天神から発せられた。
今まで聞いたことがないような、そんな叫び声だった。
恐らく、来栖も驚いたのだろう。
あんなに捲し立てていたのに、今は気圧されたような、けれどどこか悲しそうな表情をしていた。
「ナナ……」
「あんな奴らの言いなりになって、都合の悪いものからは目を背けて、そんなの私が成りたかったものじゃない!」
「ナナ……お願い、アナタの気持ちはわかるけれど、フェアリィとしてちゃんと――」
「ふざけないで!」
「好きな男の子ひとり守れないで、何がフェアリィよ!」
来栖はそれを聞いて、今度こそ口を噤んでしまった。
少しの静寂が、場を支配する。
天神の息を切らした音だけが聞こえる、外の状況とは打って変わった静寂。
それが、数秒経ったとき。
「ほい、盛り上がってるところ失礼しま~す」
またしても上から、そんな声が聞こえた。
直後、何かが上から、二つ落ちてきた。
それは床に硬い音を響かせながら、転がる。
これは……発煙グレネード?
「なッ――」
来栖のそんな声がした瞬間、もうもうと煙幕が立ち上り、あっという間に視界は煙に覆われた。
「なん、クソ!」
「う、撃ちますか?」
「バカよせ! フェアリィに当たる!」
兵士たちの声を聞いていると、誰かが俺の肩を掴んだ。
「おまたせ、ニッパーくん」
「落花か?」
煙であまり見えないが、その声は確かに落花だった。
彼女といい天神といい、どうしてここに……。
「ま、いろいろ聞きたいことはあるだろうけど、今はとりあえず逃げよっか」
まるで見透かしたように、彼女は言ってきた。
とはいえ、全くもってその通りだ。
今はこの場を切り抜けることが最優先事項だ。
「ほらリーダーも、早く」
「……えぇ、行きましょう。ニッパー、私の手を掴んで。煙をあまり吸わないでね」
そう言われ、俺は口を手で覆いながら、はぐれないようにもう片方で天神の手を掴んだ。
「ま、待ちなさい!」
来栖の声をしり目に、俺たちは足早にその場を去った。
「よっしゃ、じゃあとりあえずこのまま、もうひとつの用事も済ませちゃおっか」
ある程度来栖たちから離れたのを見計らって、落花がそんなことを言ってきた。
「用事?」
「そうそう、囚われのお姫様も助けなきゃね」
囚われのお姫様? 一体誰のこと……。
……いや、そうか、そういえば、彼女がいたな。
「次はヨーコを解放する。ニッパー、あの子が今どこなのか、教えて」
「わかった」
こんな状況だ、戦力は多いに越したことはないだろう。
そう思いながら、俺は天神の言葉に、そう答えた。




