プリズンブレイク――ニッパー
シズクとの面会から最後、牢獄のベッドとトイレを行き来して、一体どれだけ経ったのか。
体内時計を当てにするとしたら、おおよそ三日は経過しただろう。
となると――
そんなことを考えていた矢先に、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。
一定のリズムでこれ見よがしに響かせるそれは、段々と大きくなっていって、そして、俺の牢屋の前で止まった。
すると、重苦しい牢屋のドアが開いて、足音の主らしき人間が、部屋に入ってきた。
他に誰かいるわけでもないので当たり前かもしれないが、入ってきたのは星美であった。
ただいつもと違う点があって、機関銃をもって武装した男を三人ほど連れて、物々しい雰囲気を醸していた。
「よう、三日ぶりだな」
以前と変わらない吊り上がった目だ。
星美は俺に言って、続ける。
「用件は、言わなくってもわかるよな?」
「……ああ」
やはり、俺の予想は間違っていなかったらしい。
今日はあの日から三日後。
つまり、俺の銃殺刑が実施される日。
処刑日だ。
彼女が連れ立っている男たちは、執行人も兼ねているのだろうか?
これから銃で撃つ奴を迎えに来なければならないなんて、ご苦労なことだ。
「最後に、何か言いたいことはあるか?」
それは温情か、それともそれを聞けと上に指示されたのか。
どうにしろ、星美はそんなことを聞いてきた。
映画やら何やらであれば、こういうのは処刑の直前に聞くものだと相場が決まっているはずだが、実際は違うのだろうか。
まぁいい。せっかく聞いてくれたのなら、好都合だ。ご厚意に甘えるとしよう。
「娑婆の様子はどうなってる、何か変わったこととかないか?」
「……なんでそんなこと聞きてぇんだ。処刑の時間延ばしってんなら無駄だぞ?」
「生憎、生きるのにそこまで執着していない。最後くらい、外の話を聞いておきたいだけだ」
訝しんでくる星美に対して、当たり障りのないそんなことを言った。
実際、外の話を聞くこと自体に、それほど重要な要素はない。
彼女から手に入る情報だって、たかが知れているだろうし。
ただそれでも、聞いておくに越したことはないと思っただけだ。
特に、こうなってしまったことを考えると。
「……ケッ、わかったよ、じゃあ歩きながら話してやる」
どこか悔しそうな顔で、けれど観念したのか、星美は俺に言ってきた。
「立て」
言われるがまま、俺はベッドから立つ。
立った瞬間、男たちから一斉に銃口を向けられるが、構わずにゆっくりと、星美に近づいた。
「……お、おい、なんだこりゃ?」
すると、星美は俺の身体を見て、面食らったような表情をして言った。
「おまえ、血が……」
そう言って彼女が指をさしたその部分。
つまり、俺の脇腹に当たる部分は、血がにじんで、囚人服をどす黒く濡らしていた。
「シャワーを浴びているときに、コケてしまってな。当たり所が悪くて、ご覧のありさまだ」
「コケただぁ!? どんだけ間抜けなんだよ」
言いながら、星美は俺の脇腹部分を凝視し、怪訝な顔をしてみせる。
何か、違和感を感じているような、疑惑を持っているような、そんな表情だ。
とはいえ、俺も嘘を言っているわけではない。
今朝にシャワーを浴びたとき、老朽化して壊れた床が有ったので、そこで転んで、怪我をした。
少なくとも俺が言った言葉には、一片の嘘もない。
星美の方も、その結論に至ったのだろう。
数秒ほど経つと、彼女は諦めたようなため息を一つして、口を開いた。
「服を捲れ。念のため確認する」
「意外だな、治療してくれるとは」
「ふざけんな、余計なもん隠し持ってないか見るんだよ」
彼女は俺を睨んで、そう返した。
まあ、当然と言えば当然か。
これから頭に穴を開けてやろうというのに、脇腹の穴を治すなんて二度手間をするはずもない。
予想通りの反応だ。
そんなことを考えながら、俺は傷部分が見えるように、服を捲った。
星美は俺の傷口を見ながら「うげッ」と声を漏らすも、後ろの男からなにやらカメラのような器具――恐らく、センサーの類だろう――を取り出し、それ越しに俺を見つめる。
「……ふん、特に何か仕込んでるってわけじゃねえみたいだな。いいだろう」
そう言って、星美は器具を男に返した。
どうやら、疑いは晴れたようだ。
「ついてこい。あぁ、失血で歩けないなら言え。その場で撃ち殺してやるよ」
「問題ない、処刑場までは持つ」
「ハッ、今際の際でも殊勝か。気に入らねえ、クソ」
吐き捨てるようにそう言って、彼女は部屋から出る。
指示に従って、俺も星美に追従して廊下に出た。
男たちは俺を囲むように、左右と後ろに一人ずつ居座って、俺を見張っていた。
「……さっき言った外の様子だけどな、はっきし言って、てんやわんやの一言だ」
俺が着いてきているのを確認した星美は、歩きながら話し出した。
「どっかの誰かさんたちのせいで、理事長が左遷されるって話は聞いただろ? んで、後釜のお偉いさんが今日来るってんで、狼共と猟犬共に加えて、UAVもバッタの群れみてえにわらわら飛んでいやがる。朝っぱらからエンジン音の嵐で、うるせえったらねえ」
星美が話してきた内容は、大まかには三日前シズクから聞いた話の、続きのようなものだった。
つまり、星美の言うことを信じるならば、ウルフ隊とハウンド隊はUAVと共に航空警備に回され、今日のラヴェルは特別に厳重な警備を敷いているということだろう。
ラヴェル内のナンバー1と2の部隊が二つとも引っ張り出されるほどの、これ以上にない厳戒態勢。
こうなると、アサインされていない他のフェアリィ達も、通常通りとはいかないはずだ。
今回の厳戒態勢に則した措置がなされるか、よしんばそうでなくても、いつもと違う空気に、浮足立つものは少なくないだろう。
外は堅牢に固められ、されど内部は混乱に陥って、余裕もない。
今はそんな状況ということだ。
「警備にしては余りに大げさだな。お偉いさんてのはそこまでの立場なのか?」
「おい――」
言うと、横にいた男が、銃を突き付けて俺に何か言いかけた。
が、寸でのところで、星美が手を上げ、『待て』のジェスチャーをした。
俺の発言は許された、ということだろう。
その証拠に、男は納得いかない雰囲気を出しつつも、出かかった言葉を止めたのだ。
「さぁな。ま、狼共の戦力がクソみてえに減ったってのはあるだろうな。新人のレイとかってやつも、リリアのバカもいじけちまって使い物にならねえ。それに切り込み隊長のヨーコも――」
「やらかしちまって檻の中」
すると、不意にそんな声が聞こえた。
真横。ちょうど、独房のドアがある場所からだ。
聞きなじんだ声だった。
それが聞こえた瞬間、星美は歩みを止め、つっかえるように全員がその場に止まった。
ふと星美を見ると、今にも噛みつきそうな不機嫌極まりない顔で、独房のドア睨みつけていた。
「――話の続きはこんなところか? レナ」
この声は、間違いない。駆藤だ。
俺と同じく牢獄にいたとは聞いていたが、こんなところに居たのか。
「ッ……ハッ、ずいぶんと余裕そうじゃねえかよ! 状況わかってんのか、ロボット女!?」
「ずいぶんと苛立ってるな。そんなに私が恋しかったか?」
「こんのッ……!」
星美がドアを思いきり蹴りつけ、歯をギリギリと食いしばる。
なんだかわからないが、天神のことを話しているときより、よほどムキになっている。
因縁でもあるのだろうか。
「チッ……本当に気に入らねえな、そのすかした態度。この男が終わったら、お前もすぐ『処分』だってのによぉ」
「なるほどな、やっぱりそこにいるのはニッパーか」
星美の憎まれ口など歯牙にもかけないように、駆藤は呟いて、続ける。
「……残念だよニッパー、お前とはもう少し、ラヴェルで色々話してみたかった。けどそれも、もう叶わなそうだ」
あくまで淡々と、事実確認でもするかのように、駆藤は俺に話しかけてくる。
俺はそれに返事をしない。
状況のせいもあるが、なんというか、彼女に返答すべき言葉が、俺には見つけられなかった。
「だが、そうだな、もし叶うのなら、ニッパー」
ただ、返事など最初から求めていなかったのだろう。
抑揚なく、駆藤は続けた。
「――地獄でまたな」
まるで、遊びの約束でもするようなトーンで、そう言った。
「おいコラ、これから死ぬやつにごちゃごちゃ話してんじゃねえ! このロボット女!」
「レナは元気があっていいよな」
「お喋りすんなっつの! あぁもう行くぞ、クソ……!」
駆藤との会話を切り上げると、星美は憤慨極まりないと言った感じに再び歩き始める。
それに続いて、俺たちも彼女についていく。
独房は遠ざかり、けれど、それ以降駆藤の声が聞こえることはなかった。
……地獄でまた、か。
確信でも持ってるみたいな言い方だった。
まあ、それも無理のないことだろう。
これからどうなろうと、俺たちが向かう場所は、きっと地獄で間違いないだろうから。
そんなことを思いながら、俺は歩を進めた。
それからものの数分歩いたところで、処刑場にたどり着いた。
重苦しい防音ドアから入ったその場所は、酷く無味乾燥で、無音の場所だった。
屋内で銃を討つことを考慮してか、壁には前面に防音処理が施されている。
そして思ったよりも広く、けれど出口は、今しがた通ったドアしかない。
それ以外は、囚人を拘束して、的にするための柱があるだけだった。
「配置につけ」
星美がそう言うと、男たちは足早に移動し、銃殺刑をするための定位置であろう場所についた。
それを確認すると、次に星美は俺を引っ張り、柱の前へと連行する。
横で、銃に弾倉を入れる音が聞こえる。
全員がレバーを引いて、装填した。
俺を殺す準備は万端、というわけだ。
そんなことを考えているうちに、柱の前にたどり着いた。
「……最後に、ひとつだけ聞いていいか?」
すると、星美がそんなことを聞いてきた。
「なんだ?」
特に断る理由も無いので、俺はそう返事をした。
「聞いた話じゃ、お前が飼ってるAIが人間を殺したって話じゃねえか、本当か?」
「まあ、大体そんなところだ」
「そのAIのせいで、こんなことになってる。なんでそんな平然とできる? AIが憎くないのか?」
「憎む理由がない」
俺はそう即答して、続けた。
「彼女は、彼女の障害を排除するようプログラムされている。俺は部品だ。そのプログラムに、俺も準ずるだけだ」
「……聞いた私がバカだったよ。少しは人の心があると思ったけど」
そう言いながら、星美は柱に括り付けるために、俺の手錠の拘束を、少し緩めた。
「テメェみたいなやつは生きてちゃいけねえ。存在するだけで屍の山が出来る。ランバーだけじゃねえ、お前みたいな人でなしを消すためにフェアリィはいるんだ」
どこか思うところがあったのだろう。
彼女は神妙な顔で、俺にそう言い放った。
……まぁ、彼女の言う通りだろう。
俺みたいな人間は、この世界にはいないほうがいいのだろう。
人に望まれることなどなかった経験上、それは恐らく正しい。
「そうだな」
俺はそれだけ言って、下を向く。
それを見た星美は、何か言いたげな顔をして、しかし口を噤んで、手足に拘束具をかけようとした。
そのために、彼女は俺から、一瞬、ほんの一瞬。
目を、離した。
「――で、聞きたいことは終わりか?」
素早く、可能な限り素早く。
俺は脇腹の傷口に手を突っ込んで、強化骨格のアバラを折って、取り出した。
「……は?」
一瞬、ほんの一瞬、星美も、目の前にいる男たちも、あっけにとられていた。
その隙をついて、星美の髪をわしづかみ、無理矢理引き上げるように持った。
「なんッ……!?」
あとは、簡単だ。よくある構図。
星美の喉元に、折った肋骨の鋭利な部分を突き付け、目の前にいる男たちに見せつけるように、一言いうだけ。
「動くな。動くと殺す」
俺みたいなやつは生きてちゃいけない。それはそうだろう。
だが、それは今死んでいい理由にはならない。
ライカを飛ばすまで、俺は死ぬわけにはいかないんだ。
例え、ここを地獄にしようとも。




