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準備万端

 ――時間は止まらない。

 どれだけ望まなかろうと、この惑星の重力に身を置く限り、拒むことはできない。


 ニッパーとヨーコの処刑、そして芹沢理事長の更迭処分が執行される日が明日にまで迫っていた。

 そんな現実に直面しながらも、天神ナナは沈痛な表情をして、教室の窓の外から、夕暮れを見ていた。

 夜が迫る。沈む陽が、明日までの時間を刻一刻と刻んでいるようで、それがより彼女の心中をかき乱す。


 ニッパーたちの処刑が決まってから、ナナは何度も処刑の撤回を嘆願した。

 企業連合条約の全ての条項を暗記するほど読み漁り、処刑が撤回された判例を寝る間も惜しんで探し出し、藁にも縋る思いで膨大な関連資料を精査し、何度も何度も嘆願した。


 だが結果は、全て門前払いも同様であった。

 そもそも、どれだけナナの意見が理屈として正しいとしても、関係のないことなのだ。

 企業が、彼らの死を望んでいる。

 そうである以上、ナナの要求が通ることなど、初めからあり得ないことだったのだ。


 今日になってようやくそれを思い知った彼女は、もはやどうしていいのかわからなかった。

 ただ、自身の無力さを呪いながら、明日の到来に怯える。

 今の彼女には、それしかできなかったのだ。


「ナナ、まだ居たんだ」


 すると、そんな声が、教室のドアの方からナナの耳に入った。声の主はミサであった。

 しかし、ナナはそちらに顔を向けない。返事すらしない。

 平時の彼女からは、考えられないことであった。


「ちょっと、無視決めないで欲しいんだけど?」


 しかし、そんなことは想定済みとばかりに、ミサは足早にナナに近づき、肩を掴んだ。

 触った瞬間、ミサは気づいた。

 どこか肩が強張っており、そのくせ体温は低い。


「……なに、ミサ?」


 そこでようやく、ナナはミサに顔を向けた。


「……ナナさ、一体いつから寝てないの?」


 ナナのその顔は、酷く弱っている印象を受けるものだった。

 目には深い隈があり、ただでさえ白かったその肌は、もはや血色というものを感じないほどであった。


「心配しないで、ミサ。ついさっき、ここで十数分は仮眠したわ」

「それは寝たんじゃなくって、気絶したって言うんだよ」


 ナナの弱々しい返答に、ミサは呆れた声でそう返して、続ける。


「もうすぐ、明日のためのミーティングが始まるから呼びに来たの。探したんだよ?」

「……ごめんなさい、もうそんな時間なのね」


 ミサの言葉に、ようやくナナは覚醒したように、慌てて時計を見る。

 すると、聞いていたミーティングの時間から、数分とはいえ過ぎてしまっていることがわかった。


 明日は、来訪予定のマーティネス社幹部職員、ヘレン・メイヤーズ――いわゆるVIPのための特別警備体制が、ウルフ隊とハウンド隊、及び多数のUAVによって敷かれる形となっている。

 それを受け、今日はウルフ、ハウンズ両隊合同で、最後のミーティングを行う予定であった。


 しかしながら、集合場所のミーティング・ルームには、待てど暮らせどナナが来なかった。

 いつも時間厳守を重んじているナナからは考えもつかないことだ。


「……まだ諦めてないの?」


 ミサのその言葉に、ナナは言葉がつまり、何も言えなかった。

 そんなナナを見て、ため息を一つ零してから、ミサは続ける。


「こう言っちゃ悪いけどさ、リーダーがそんな調子だと、私たちも困るよ。今はリリアもレイもかなり参っちゃって、隊としてかなり危ない状況なんだから」


 ミサの言う通り、ウルフ隊で今まともに動けるのは、ミサ一人という状況であった。

 レイはニッパーたちの処刑と、彼らを糾弾するような世論に中てられ、もはや学園に登校できる気力もなく、自室に閉じこもってしまっている。

 リリアも登校自体はしているが、ヨーコの処分決定がかなり効いているらしく、いつ精神が壊れてもおかしくないほどに疲弊している。

 もはや、ウルフ隊の存続自体が危ぶまれる状況であるのは、間違いなかった。


「……じゃあ、どうすればいいのか教えてよ」


 すると静かに、震えた声で、ナナは呟く。


「この数日間で嫌というほど味わわされた。こっちの言い分にどれだけ道理があっても、企業が否定すればそれで終わりだって」


 言っているうちに熱が入ってきたのか、ナナの声が少し大きくなる。


「結局、私たちは大人の道具なんだ。何がフェアリィよ、こんなことなら私、初めからッ……」


 最後の方は、詰まったような涙声になって、ナナは俯く。

 不思議なことではあるが、言っているうちに、自分の感情がぐちゃぐちゃになることを彼女は感じた。


 何が『最強の妖精』だ。

 どれだけランバーを堕とそうと、どれだけ人類を守るために躍起になろうと、結局は全て、企業の言葉一つで、世界は簡単に変わってしまうのだ。


 自分が命を懸けて守ろうとしたものなど、企業がその気になれば、いつでも奪われてしまうのだ。

 この数日間で、ナナはそれを痛感した。してしまった。


 もはや、どうすることもできない。

 こうやってミサに当たり散らして、感情を発露するしかできることはない。

 そんな自身を感じて、ナナは心の中で、よけい惨めな気持ちになった。


 もう自分は、なんの役にも立たない。

 いっそのことこれで、ミサも見限ってくれたら、楽なのに。

 ナナは心のどこかで、そんなことを考えていた。


「……で?」


 ひとしきり言い終わって、数秒の静寂が、教室を支配したとき。

 ミサから出たのは、そんな返事だった。


「え……?」

「ナナの言い分はわかったよ。いろいろ頑張って、それが全部無駄だったってこともわかった」


 困惑するナナをよそに、ミサは淡々と、その言葉を続ける。


「で、だから何? 諦めんのか諦めないのかって、私は聞いてるんだよ」

「……話聞いてなかったの? 散々やったけどダメだったって――」

「じゃ、諦めるってことで良い? 予定通り二人の処刑を指をくわえてみてるってことで」

「ッ……でも、そんな――」


 と、ナナが言いかけたその時。

 彼女の頬に、衝撃が走った。


「……え?」


 何が起きたのか、一瞬わからなくて、ナナは思わずそんな声を出した。

 数秒後に、頬に熱い感覚と、目の前にいるミサの体勢を見て、頬を叩かれたのだと、ようやくわかった。


「しっかりしてよ、ナナ」


 すると、ミサがそう口を開く。

 その表情は酷く悔しそうで、そして苦しそうだった。

 ミサはそのまま、ナナの両肩を掴んで、言った。


「大人がダメだって言ったらそれですごすご引っ込んじゃうの? 私が諦めろって言ったらその通りにしちゃうの? 私が知ってるアンタは、そんな弱い子じゃない」

「……そんなこと言ったって、どうすればいいのよ」

「それは……ねえ、ナナ。私、これだけは言える」


 ナナの言葉に、ミサは少し言い淀んで。

 そして、意を決したように、言った。


「私は、ナナがどんな決断をしても、味方でいる。ナナがどこに行こうと、私はついていって、アンタを守る。それだけは絶対」


 断言するミサの目は、ナナを真っすぐと見据えていた。

 それを見て、ナナは驚いたような――けれど、何か大事なことに気づいたような、そんな表情になった。


 もはや、ラヴェルのフェアリィとしてできることは、全てやった。

 万策尽きたと言ってもいい。

 企業の意思決定を覆すことは、無理だろう。


 けれど、他に手があるとしたら。

 そして、それがどんなことだとしても、それについて来てくれる人がいるとすれば。

 だったら――


「……ごめん、ミサ。ありがとう」

「もう大丈夫?」

「大丈夫じゃないけど、大丈夫」

「そっか」

「行こう。みんなを待たせてる」


 そう言って、ナナは席を立ち、ミサと共に教室を出た。

 ナナの顔は、先ほどと変わらず、弱々しい。

 相違点があるとすれば、それは。


「ミサ」

「なに?」

「覚悟しといてね」

「りょーかい」


 そこに迷いはなく、覚悟したような表情になっていたことだろう。





 *





 ――同時刻、ラヴェルのUAVが格納されているハンガーにて。


「急げよ、明日まで時間が無いぞ!」

「エンジン関連のテスト済ませたか!? 当日動かないんじゃクビが飛ぶ!」

「新しい納品機も飛ばせだと? 試験飛行が済んだばっかだ、冗談だろ。クソ、識別コードの割り当てを急ごう」


 ヘレン・メイヤーズのための特別警戒態勢を整えるために、ハンガーの中はハチの巣をつついたような大騒ぎになっていた。

 そこかしこで整備士たちの怒号が飛び交い、数多のUAVの世話をしていた。


「たく、上も無茶言うぜ。急にUAVの数を五倍にしろなんてよ」

「でも珍しくないか? 理事長から、今までこんな指示、来たことなかったのによ」

企業(おかみ)の命令には逆らえないってこったろ。結局あの人も、きつい中間管理職なのさ」


 そんな中、とあるUAVのモニタリングを行っている二人組の整備士は、そんな雑談を交わしていた。

 基本的にテスト中の雑談など褒められたものではないが、少なくとも(・・・・・)深夜までの残業が確定している彼らにとって、そんなことを気遣える余裕もなかったのだ。


「……あん?」


 すると、そのうちの一人が、モニタリング中の画面に、違和感を感じた。


「どうした?」

「いや……この文字」


 そう言って、整備士は文字を指さす。

 それを見るなり、もう片方の整備士は、呆れたようなため息を吐いた。


「なんだよ……寝ぼけてんのか? UAVが起動するときに、必ずでるやつだろ、それ」

「そうなんだけど、出るのがいつもより一、二秒早かったような……」

「そんなの誤差だろ。細かいことばっか気にしてっから、前の彼女にも振られるんだよ」

「今関係ないだろ、それ! そもそも――」

「何やってるお前ら!」


 整備士が言いかけたとき、後ろから怒号が聞こえた。

 彼らの間では厳しいことで有名な、整備士長の声であった。


「そんなにお喋りがしたいなら、整備士のバッジを今すぐ置いて、お袋のいる故郷に帰ってからやれ!」

「すいませーん! たく、お前のせいだぞ……」

「悪かったよ。さぁ、仕事仕事」


 整備士長に怒鳴られたことを受け、二人はそそくさと作業に戻る。

 結果、先ほど一人の整備士が感じた違和感は、有耶無耶になることとなった。

 文字自体は正常で、他に異常も見受けられない。

 もう片方の言う通り、気にしすぎかと思い、彼はその文字から目を離した。



<I HAVE CONTROL>



 モニタリング用のディスプレイには、その文字が小さく、隠れるように映っていた。

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