準備は粛々と
廃棄処分。
シズクが言ったその言葉の意味を考えながら、俺は改めてその写真に目を落とした。
最初はコスモスの花のように見えたそれは、なるほど言われてみれば確かに、花というには少々無機質なデザインに見えてくる。
どちらかというと歯車とか、*のマークに近い。
そんな素っ気なさとは裏腹に、主翼にでかでかと貼られたそれは、声だかに主張しているようだった。
『もうこれは、我々のものだ』とでも言うように。
「シズク。こういうものが貼られたってことは、ライカが接収される日が決まったのか?」
マークについてどうこう考えたところで仕方ない。
そう思って、俺は一番知りたい情報を、シズクに聞いた。
「……えぇ」
すると彼女は、悔しそうに肯定して、続けた。
「接収は三日後。ヘレンっていうマーティネスの幹部が来て、音頭を取るらしいわ」
「ずいぶん豪勢だな。戦闘機ひとつ持って帰るのに、わざわざ幹部が?」
「それが、そのためだけじゃないみたい」
俺の言葉に、シズクはこめかみを抑えながら、そう答えた。
「どういうことだ?」
「……あくまで私も、職員さんたちの噂話を聞いただけだから、確証はないんだけど――」
「構わない、今はひとつでも外の情報が欲しい」
言いにくいことなのか、どこか勿体付けた言い方をするシズクに、俺はそう言った。
当然ながら、独房というのは全く外の情報が入ってこない。それこそ、今が昼か夜かということすらだ。
そんな中だからこそ、シズクが持ってきてくれた外の情報はひとつでも多く手に入れたかった。
面会時間も残りわずかだ。一文字でも多くの情報が欲しいというのが、本音だった。
すると、数秒ほど言いあぐねた後。
頭の中で言語化の整理が終わったらしく、シズクが口を開いた。
「芹沢理事長が、更迭処分にされるらしいわ。その後釜に、さっきのヘレンって人が就くって話よ」
「……そりゃあ、また」
予想外の話が出てきて、俺はとっさに、そんな言葉しか出てこなかった。
とはいえ、いや、あり得る話だ。
理事長はライカを企業から守るために、かなり政治的な手助けをしてくれたことは、俺も知っている。
なぜライカにそこまでするのかはわからないが、つい先日まで俺がライカに乗れていたのも、理事長が俺たちをラヴェル所属として匿ってくれていたところが大きい。
つまり逆に言えば、ライカを欲しがっている企業にとって、理事長はこれ以上ないくらいに邪魔な存在であることは、間違いない。
排除できるものならば排除したい。そんな存在のはずだ。
となれば、シズクのこの噂話にも、筋が通る。
ライカが起こした惨劇を考えれば、スポンサーであるマーティネスにとっては、理事長を排除する大義としては十分だろう。
大手を振って、ライカを手に入れられるというわけだ。
「ニッパー……」
悲痛な顔で、シズクは俺を呼ぶ。
そんな光景を見て、否応なしに思い知らされた。
ライカを守るものは、もう何もない。
数日後には、俺も銃殺刑でいなくなるだろう。
もはや頼みの綱は、シズクだけだ。
彼女がライカに自動操縦プログラムを組み込んでくれれば――。
いや、いっそのこと、シズク自身が乗って、ライカと一緒に逃げてくれれば、それでライカは生きられるはずだ。
「シズク――」
そんな一縷の望みに懸けて、シズクと話そうとした瞬間。
無機質なブザーの音が、部屋中に響いた。
どうやら、時間切れのようだ。
「時間だ、おら立て!」
その瞬間、看守の星美が俺の髪を引っ張り、早く立つように促してきた。
「ぐッ……!」
「ニッパー!」
髪を引っ張られる痛みに思わず声が出てしまったせいか、シズクが心配そうに俺を呼んだ。
それに応える暇もなく、俺は星美に強制的に立たされ、出口へと連行される。
「ちょっと! 看守なのに囚人の扱い方もロクにできないの!?」
「ロクな囚人じゃなきゃロクな扱いはされないのさ、覚えときなねーちゃん」
シズクの言葉に、買い言葉で星美は返す。
そのせいか、彼女の出口に向かう足が、ほんの少し立ち止まった。
好機だと思って、俺はシズクの方に顔を向ける。
「シズク」
もはや今しかない、これで伝わるかはわからない。
直接的に伝えるのでは、星美がこの場にいる以上、リスクが高すぎる。
これは賭けだ。
どうか、これで伝わってくれ。
「ライカを頼む」
ライカを連れて、逃げてくれ。
どこか遠くへ。誰もいない遠くへ。
身勝手な願いなのはわかってる。でももう、彼女が生き残るためには、これしかない。
どうか彼女を、空へ。
「ッ……ニッパー」
シズクと目が合う。彼女が静かに俺の名を呼ぶ。
そのまま、彼女は何かを探るように、俺と視線を交わし続ける。
時間にしてほんの数秒、静寂があった。
「あん……? 何してんだコラ、行くぞ!」
すると、星美が俺の背中を殴って、再び足を出口へと進める。
これ以上立ち止まっても、折檻を受けるだけで意味がないだろう。
そう判断して、俺は星美と共に出口へと歩いた。
「……ニッパー、私も諦めないから。だからアナタも――」
面会室の扉が閉まるその直前、シズクは俺にそんな言葉をかけてきた。
扉が途中で閉まって、最後まで聞き取ることはできなかった。
シズクに、俺の意図は伝わっただろうか。
わからない。もはや賭けるしかないだろう。
「……あぁ、そうだ。あのねーちゃんの手前言わなかったけどな――」
そんなことを考えていると、前を歩いている星美が、ぶっきらぼうに話しかけてきて、続ける。
「お前の死刑執行も、ちょうど三日後らしいぜ。ま、今のうちに現世を楽しんどけ」
そう言って、星美は再び歩き始める。
彼女はそれ以降、口を開けることはなかった。
……三日後。銃殺刑の日。
俺がアクションを起こせるとしたら、その日以外にないだろう。
望みは限りなく薄いが、それでもシズクが失敗した時に備えて、俺も動かなければいけないだろう。
シズク、多分『アナタも諦めないで』って言おうとしたんだろう。
わかってる、諦めるつもりは毛頭ない。
ライカを逃がすんだ。
何としてでも、この場所から。
*
――同時刻、理事長室にて。
芹沢は秘書の峰園と共に、とある人物からの通信を受けていた。
「こんにちは、ミスター芹沢。少しやつれましたか?」
平淡なトーンの、しかしどこか嫌味と、優越感を含んだような女性の声。
その声を芹沢は表情を変えず、峰園は忌々しそうに聞いていた。
「今回お電話させていただいた理由は、お分かりですね?」
その声の主、マーティネス幹部役員であるヘレン・メイヤーズは、勝ち誇ったようにそう聞いた。
「三日後の私の更迭処分についてだろう? メイヤーズ殿」
「件の戦闘機の引き渡しも、ですよ? 御歳のせいで覚えることはできませんか?」
芹沢の答えに対し、ヘレンは嫌味っぽくそう返し、続ける。
「それと、その尊大な態度も直していただいたほうがよろしいかと……今回我々は、アナタの失態を尻拭いをするのだということを、どうか忘れないでくださいね?」
「……失礼した、善処しよう」
慇懃無礼な口調で宣うヘレンに対し、芹沢はそれだけ言った。
ただ粛々と、ヘレンの言葉に対処しているようであった。
「どの口がッ……! アナタ方企業が仕組んだことでしょうが!」
しかし、峰園は我慢できなかったのだろう。
ヘレンの言葉に対し、耐えきれないとばかりにかみついた。
「憶測でそのような物言いは感心しませんね、ミス峰園」
「何が憶測ですか、ここまで手際よく進めといて、白々しいことを……! 企業というのがこれほど腐ってるとは思わなかったわ、まさか自分たちの利益のために、ここまで――」
「口を慎みなさい、と言ってるんです。アナタ程度、私の声ひとつでどうにでもできるんですよ?」
「ッ……!」
ヘレンの圧を込めた言葉に、峰園は思わず口を噤んだ。
しかし、それが歯がゆかったのか、その視線は変わらず、ヘレンを睨みつけたままだ。
「やめろ、峰園」
と、芹沢は静かに峰園に言った。
「理事長、しかし――」
「お前が何か言ったところで、状況は変わらない。わかるな?」
「……すみません」
芹沢に言われ、峰園は目を伏せ、それ以降口を噤んだ。
「身内が無礼を働いた、代わりに謝罪しよう」
「いえいえ、構いませんよ。それに、もうすぐ私の部下にもなるお方ですもの」
芹沢の謝罪を聞いたヘレンは、上機嫌そうにそう答えた。
この問答で、彼女は実感したのだ。
ようやく、あの忌々しい芹沢を屈服させることができた、と。
「では、本題に入らせて欲しい。先の件もあって、三日後にはメイヤーズ殿がこちらに来訪されるということで、間違いはないか?」
そんなヘレンの心情に構うこともなく、芹沢は淡々と議題を進めようとした。
ヘレンはそれに咳ばらいを一つして、答える。
「ゴホン……えぇ、それでお間違いはありません。周辺の状況は問題ありませんか?」
「あぁ、貴殿が来訪する日に備えて、うちのウルフ隊とハウンド隊に加え、通常の五倍の数のUAVを航空警備に配置させる予定だ。万に一つのことも無いよう、勤め上げよう」
「素晴らしい心がけです、ミスター芹沢。企業を守るため懸命なその姿勢は、評価に値しますよ」
ヘレンはそんなことを言いながらも、その口をにやけさせることを止められなかった。
恐らく通信に画面がついていたなら、芹沢にばれていたことだろう。
今まで何度ものらりくらりとこちらの意向を無視し、散々煮え湯を飲ませてきた、憎たらしい老人。
ヘレンにとってそんな存在だった彼が、今はヘレンの機嫌を伺い、頭を下げざるを得ない。
そんな状況は、ヘレンに多大な優越感を与えるには十分であった。
「気に入っていただけて何よりだ。では、早速そのように手配しよう」
「期待していますよ、ミスター芹沢。せいぜい頑張ってください、新しい環境で身をたてるために」
「善処しよう」
「フフン……さて、用件は済みましたので、私はこれで。ごきげんよう」
ヘレンのそんな言葉を最後に、通信は切られた。
「……理事長、本当にあんな小娘の言いなりになるつもりですか?」
通信が切れたことを確認して、峰園は芹沢にそう聞いた。
それに対し、芹沢は静かに、ゆっくりと口を開いた。
「あれは彼女自身の意向ではない。マーティネス社そのものの意向だ。先の失態の件もある、無下にはできんさ」
「しかし、あれは理事長のせいでは――」
「原因のある者を処罰するだけでいいのなら、理事長など要らんさ」
その言葉を聞いて、峰園は口を噤んだ。
理事長室の中に、静寂が数秒留まる。
「……それにな、峰園」
そんな中で、芹沢はどこか優しい口調で続けた。
「自身の快不快で物事を判断すると、ろくなことにならん。誰であろうとな」
「はい……」
その言葉を聞いて、峰園は俯き、自身の先ほどの態度を反省した。
「……さて、俺にできるのはここまでだ」
すると不意に、芹沢は窓に映る景色を見ながら、誰にも聞こえないくらいの声量で呟く。
「舞台は整えた。後は、どうなるか次第だ。ただの厄災か、それとも天使を殺すものか」
「……理事長?」
峰園は聞こえていないものの、芹沢の様子に違和感を感じ、思わず彼を呼ぶ。
しかし、彼は峰園に振り返ることもなく、言葉を続けた。
「大事なものを守りたいのなら、証明してみせろ」
呟く芹沢のその視線は、ライカが格納されているハンガーに向けられていた。




