駆藤ヨーコ死す
――拘束されていた部屋から出ると、そこは不気味なほど静かだった。
暗く、非常灯のみが煌々と緑色に光っているのみのその廊下は、周囲を見回しても人影ひとつなく、歩いた時の足音ひとつさえ、ハッキリと反響が聞こえるほどだ。
窓がないことを見るに、恐らくアルド教会の地下だろうか。
「……クソ」
ふと立ち止まって、右手に握りしめられた拳銃を見る。
砲身に手を添えると、しっかりと熱が残っていた。
意味もないのに、出てきた部屋の方に振り返る。
当然ながらそこには、地に伏した駆藤がいた。
左目があったはずのその位置には、黒く、灼けた穴ができている。
俺が何をいまさら確認しているんだ。
やった事実は変わらない。
俺はこの拳銃で、駆藤を撃ったのだ。
「急ごう」
言い聞かせるように呟いて、俺は廊下を走った。
これは賭けだ。
上手くいかなかったら、俺もライカも、ここで死ぬことになるだろう。
そんなのは冗談じゃない。
俺は別にいい、どこで野垂れ死んだって知ったことじゃない。
だがライカは、こんなくだらない場所で、あんなくだらない奴らが壊していい存在じゃない。
だから、止めなきゃいけない。
教会の連中がこれから行おうとしていること。
あの『何か』がライカにやろうとしていることを。
俺がやることはひとつ。
急いであのホムンクルスを破壊することだ。
あれにはライカとの接続回路ができてしまっている。
放っておけば、『何か』があれを利用して、ライカのアビオニクスをハックしてくるはずなのだ。
それだけは、させちゃいけない。
一刻も早くホムンクルスを見つけて、ぶっ壊さなくちゃいけないんだ。
階段を見つけ、急いで駆け上がる。
曲がり角や段差などの死角をクリアリングしつつ、上の階へと。
……妙だな
あまりにも静かすぎる。
サイレンサーも付けずに発砲したのだ。
どんな鈍感な奴でも気づかないはずないと思うが。
罠を警戒しつつも、ホムンクルスを探す足は止められない。
リスクは覚悟の上で、建物を捜索するしかないのだ。
どこだ……?
手近な扉を開け、拳銃を構えながらその内部を確認する。
ここじゃない。
同じようなことを数回繰り返すが、ホムンクルスはおろか、人一人もいやしない。
焦りが募ってくる。
自分がいつ目を覚ましたのかもわからない状態で、いつ来るかもわからないタイムリミットが迫ってくる感覚は、言葉にできない恐ろしさがあった。
と、そんなことを考えていた、その矢先。
響くような、轟音が聞こえた。
「ッ! これは!」
この音には聞き覚えがあった。
間違いない。
甲高い、スキールにも似た耳障りなジェットエンジンの音。
白いランバー。
『何か』だ。
音の方向は……例の大ホールがあったところだ。
あのお父様だとか呼ばれてた老人が、最初にふんぞり返っていた場所。
俺は大急ぎでその場所へと向かった。
大ホールに到着し、銃を構えながら扉を開ける。
すると、先ほどから聞こえる轟音が、より鮮明に耳へと入ってきた。
見上げてみると、そこは天井が開いていて、まるでその代わりに蓋をするように、白いランバーがホバリングして居座っていた。
「驚いたぞ、客人」
そんな声が目の前から聞こえ、反射的にそこに銃を向ける。
するとそこには、あの老人がいた。
それだけではない。
老人の周りには、まるで彼を守るように、武装した教徒たちが囲っている。
その中には、水先案内人である、二人組の男達もいた。
そして、その老人のすぐそばに、探していたものはあった。
ホムンクルス。
それが手術台のようなものに乗せられ、真上にいる白いランバーのライトによって照らされている。
まさに、儀式と呼ぶにふさわしい様相だった。
「あの子を……4号を殺したのか?」
老人は俺を見ながら、嘆くようにそう言った。
俺は構わず、ホムンクルスに狙いを定める。
老人は続ける。
「見ろ、兄弟たちよ! あれが、あれが真の人間の姿だ! 自らの益のために、戦いを共にした同胞をすら平然と手をかける、醜い出来損ないの成れ果てだ!」
扇動するように、わざとらしく、大仰に俺を指さして、老人は言った。
狙いを、ホムンクルスの頭につける。
躊躇ったら終わる。
一瞬で完遂しなければ。
引き金を――
「残念ですよ、お客人」
発砲音。
そして直後に、そんな言葉と同時に、身体に衝撃と、鋭い痛みが走る。
「ガッ……!?」
気づくと、目の前には水先案内人の男がいた。
手には剣のようなものを持っていて、それは、俺の身体を貫いていた。
貫かれた。
速い、見えなかったほどに。
腹部が熱い。
血が出ているのがわかる。
クソ、狙いがずれた……!
「お父様、巫女様が……!」
他の教徒がそんな声を出した。
見ると、ホムンクルスの耳の辺りに、弾痕が確認できる。
当たってはいる、人間ならば、あれで致命傷だろう。
人間ならば。
「案ずるな」
まるでどうということはないというように、老人は言い放ち、続ける。
「脳部分さえ無傷であれば、巫女の役割は果たせる。大事ではない」
忌々しいが、老人の言う通りであった。
ホムンクルスは、基本的にはメインOSである脳部分を破壊さえしなければ、その機能自体を停止させることが出来ない。
脳に近い部分を撃っても、人格データや命令プロトコルの破壊はできる可能性はあるが、そもそもデータがないあの真っ新なホムンクルスには、それも意味がない。
加えて、あのホムンクルスを動かすのは『何か』なのは間違いない。
あんな中途半端な傷では、妨害にすらならないだろう。
周りには、武装した敵の集団。
唯一の攻撃も、決定打にはならなかった。
そして、敵の攻撃で負傷し、これ以上は武器も握れない。
増援……天神達が異変を察して来てくれる可能性はあるが、間に合いはしないだろう。
つまり、結論を言うと。
俺がこれ以上できることは、もう何もない、ということだ。
「……始めてくれ」
老人のそんな言葉と共に、ライトで照らされたホールが、暗転する。
しかし、すぐに大きな駆動音と共に、ライトが再び点灯しだす。
「巫女のシステムを再起動。天使様を巫女へとインストールせよ」
老人の言葉で、何が起こっているかをようやく察せた。
ライカがホムンクルスを乗っ取ったときにやった、再起動だ。
この教会の支配下にあるホムンクルスを機能停止させ、もう一度起こすことで、データの再インストールを行っているのだ。
つまり言うと、だ。
ホムンクルスへの、『何か』の侵入が、始まってしまったのだ。
「……無様だな」
勝ちを確信したような声色で、老人は言った。
「まるで理解ができん。なぜ貴様のような俗物に、ライカは執着するのか」
それは路傍のゴミでも見るような呆れた果てた目だった。
「言い残すことはあるか?」
その言葉と同時に、俺を剣で突き刺した男は離れた。
その代わりというように、何十という数の教徒が、俺に向かって銃を向けた。
いよいよ、終わりが近づいているのだ。
「……冥途の土産にひとつ聞かせてくれ。お前ら、ランバーを……ライカを使って、何をするつもりだ?」
「ふん……いいだろう。心して聞くが良い」
老人はパフォーマンスのように腕を広げ、続ける。
「この世は、根本から狂っているのだ。企業共は自らの益のみのために資源を食い尽くし、無意味な争いを繰り返す。たとえ企業が滅んだとしても、別のものが台頭し、同じことを繰り返すのは必然だろう……なぜこんなことが起こるか、わかるかね」
「……知らねえよ、世の中そんなもんだろ」
「人というのは、差別をする生き物だからだ。ではなぜ、その差別が生まれるのか――」
少し間を開けて、老人は続ける。
「『個』という概念が、人をそのように狂わすのだ!」
老人は、今まで聞いた中で最も大きな声で、そう高らかに叫んだ。
彼はさらに捲し立てる。
「人に『個』がある限り、そこから差別が消えることは決してない! 我々は『個』を消し攫い、生物としての自我から抜け出し、ひとつになるべきなのだ!」
……そうだ、思い出した。
確か中東で、『何か』が全く同じようなことを俺に言ってきたっけか。
ライカが『個』という概念を得たとか、そんな感じのことを。
「ランバーと呼ばれる天使たちが現れたとき、我が教会は天啓を得た! 今までやってきた行いはその準備に過ぎず、しかしようやく報われる! この巫女は始まりだ! ここから彼らの意思を我々に伝番させることが出来れば、我々はひとつになれるのだ!」
老人が高らかにそう宣言すると、他の教徒たちから、割れるような歓声が上がった。
平和な世界に、心を一つに。
大声でそんなうわ言を、全員が壊れたラジオのように繰り返していた。
つまり、なるほど。
彼らの目的は、ホムンクルスを起点として、ランバーに自分たちを乗っ取らせることが目的だったということだ。
それがどう言う結果になるかは、想像に難くない。
人の形をした、ランバーが日常的に潜む世になる、ということだ。
隣人が、友人が、家族が。人間なのかランバーなのか、誰にも判別がつかない。
そしてそれは感染し、人間だった隣人をランバーにする。
そうして、一見何も変わらないまま、人間が絶滅し、ランバーが新しい支配者になる。
という流れだろう。
何のことはない。
散々きれいごとで取繕ってるが、結局アイツらのやってることは、ランバーの侵略の手助けということだ。
「……さて、話は終わりだ。満足したかね?」
先ほどの熱狂は嘘のように、老人は冷めきった目で俺を見た。
それに対して、俺は答えない。
いや、答えられない。
気づけば足元には血だまりができていて、意識がもうろうとしていた。
「……もはや答えることもできんか。つまらんな」
そう言って、老人は、手をあげる。
それはまるで、銃殺刑の合図をする、処刑人のようだった。
死を意識した。
もう、ダメか。
クソ、ライカ。
結局、間に合わなか――。
「撃て」
そんな言葉と共に、けたたましい銃声が響いた。
「らしくないな、ニッパー」
そんな声が、どこからか聞こえた。
瞬間、銃声とは違う音。
巨大な剣か何かをぶん回したような、そんな――
「……バカな、なぜ」
すると、次に聞こえたのは、先ほどまで勝ち誇っていた老人の、そんな狼狽した声だった。
ふと気づけば、あれだけの銃声があったのに、俺はまだ生きていた。
それどころか、さっきの裂傷以外、傷はない。
顔を上げると、俺を庇うように立っている、一人の影。
SUを装備したその少女は、他とは違う、特徴的な武器を、ひとつ持っていた。
光輝く高出力のエネルギーを一定部分に宿し続ける、斬撃兵器。
レーザーブレード。
「……上手く、行ったみたいだな」
そう言うと、目の前にいる彼女は俺に振り向いた。
その貌の左目には、俺が点けた弾痕が、はっきりと残っている。
大羽から、聞かされた通りであった。
ホムンクルスは、脳さえ無傷であれば、死ぬこと自体はない。
ただ、近いところを攻撃すると、人格データや命令プロトコル部分が破壊され、正常に動かなくなってしまう。
俺はそれに賭けたのだ。
もし、『彼女』というバグが人格データではなく、ホムンクルスという脳そのものに生じるものであったならば。
人格データという上書き要素を壊したうえで、なお『彼女』が生きれるのならば。
それは、この状況を打破する唯一の手段となる。
「……お前はやっぱりイイ男だよ、ニッパー」
俺を見て、駆藤はそんな風に笑ってみせた。
大羽、お前から任された仕事はやり遂げたぞ。
俺は、『駆藤ヨーコ』を殺した。




