アスタ・ラ・ビスタ ベイビー
――時刻は少し進み、アジア圏第三ラヴェル学生寮内。午前二時。
皆が寝静まったであろう時間に、天神ナナは焦燥に駆られたように、寮の出口へと走っていた。
つい数分前に起きたばかりの顔は、しかし眠気など微塵も感じさせず、しっかりと制服と各種装備を身に着けている。
戦闘用の出で立ちだ。
だが、それはスクランブルのためのものではない。
ある情報を知ったナナが、独断で出撃するためのものだ。
「ナナさん!」
「リーダー!」
寮の出口付近で、ナナは自分を呼ぶ声に気づく。
速度は変えず目だけでその方向を見ると、そこには桂木レイと落花ミサがいた。
誰に言われるでもなく、彼女ら二人はナナに追いつくなり追従し始める。
二人ともナナ同様の戦闘用装備を身に着けていた。
彼女らもナナも、同じくウルフ隊。
自分と同じく『知らせ』が届いたのだと、ナナは当然に察した。
「状況は把握してるわね?」
と、ナナ。
それにミサは、即座に口を開く。
「現時刻からおよそ五分前、第四難民区域アルド教会日本支部付近にてランバーの観測を確認。攻撃はまだされてないらしいよ。ただそいつが妙なことに……」
「白いカラーリングのやつ」
ミサの言いたいことを察したように、ナナは答えた。
彼女の脳内に、以前ニッパーから聞いた話を思い出した。
マーティネス支社の強襲ミッションのデブリーフィング時に、ニッパーは白いランバーについての話を、ナナたちに共有していた。
急に現れ、そしてニッパー以外には接触することもなく姿を消した。
ただ各観測ログのみがその存在を証明する、謎の存在。
そんなランバーが、再びニッパーの近くに現れたという。
偶然だと、ナナは思えなかった。
だが、ナナがこうやって出撃のために歩を進めているのは、そのためだけではない。
ランバー一機だけならば、ニッパーと駆藤ヨーコだけでも、十分に戦力になる。
問題はそれに付随して、桂木シズクから受けた情報だった。
「な、ナナさん! その、ニッパーさんが……!」
「ッ……わかってる。急がないと」
レイが慌てた様子で発した言葉に、ナナは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
そう、シズクから受けた情報。
ニッパーのバイタルサインが著しく乱れ、そして弱まっているというのだ。
「気絶してるだけで死んではいないらしいけど、まだ教会の中に居るらしいわ」
「それって……」
「攻撃予想地点のど真ん中よ!」
攻撃予想地点――すなわち、当該地域にいる白いランバーが攻撃を始めた場合、どの場所のどの範囲に被害が生じるかを簡易的に示したマップデータである。
アルド教会支部は、当然の如く建物全体が最高警戒範囲。
つまりこれは、ランバーが攻撃すればほぼ100%の確率で、建物は木っ端みじんに吹き飛ばされるということだ。
無論粉々になるのは、中に居る人間も含まれる。
ナナは、更に走る速度をさらに強めた。
「んもー厄介だな! 一体ヨーコは何してんのさ!?」
走りながらも怒ったように、ミサはこの場に居ないヨーコに愚痴を言った。
正直、ミサの言い分に関しては、ナナも同意していた。
だが、ミサのような憤りはなく、代わりのように違和感を感じていた。
「レイ、ヨーコと連絡は?」
「何回か試したんですが、一向に出ません。何かあったんじゃ……」
レイのその予想に、しかしナナは是と言えなかった。
普通であれば賛同するところだ。
何者かに攻撃されたであろうニッパーの近くにいるのだから、ヨーコも同様に襲撃されたと考えるのが自然だろう。
だが、ナナはそれと断定することが出来なかった。
ある違和感を、彼女は感じていたからだ。
ニッパーがいくらエースパイロットと言っても、それは戦闘機ありきのこと。
不意打ちの奇襲に対処できなかったのは、まだ理解できる。
しかしあのヨーコが、そのような失態を犯すだろうか?
彼女だって百戦錬磨のフェアリィ、ウルフ隊のメンバー。その切り込み筆頭だ。
最強であるナナですら、彼女の間合いの中では、一瞬の油断が命取りになる。
そんなヨーコが、むざむざ不意打ちを喰らう?
あり得るのだろうか、そんなことが?
そんなことを考えていると、いつの間にか寮の外に出ていたことにナナは気づく。
向かう先はSUが収納されている格納庫だ。
ナナ達は一切の淀みもない、身体に染み込ませた動作で、格納庫へと向かう。
「みんな」
すると、不意にそんな声が聞こえた。
よく聞いた、ウルフ隊のAWACSである彼女の声。
その声の主が、ナナ達の前に立っていた。
「リリア?」
リリアに立ちふさがれたことにより、三人は足を止める。
合流したのかと思ったが、であればこのように立ち止まらせるのは理屈に合わない。
何やら様子がおかしいことにナナは気づき、呼びかけてみる。
それに呼応するように、リリアはひっ迫した顔で口を開いた。
「……出撃申請が、却下された」
「な……!?」
「はぁ!?」
予想外の言葉に、ナナとミサは思わずそんな声を出す。
「ど、どうしてですか!? 有人エリアにランバーが来てるのに!」
レイも同様に、驚いた声でそうリリアに聞いた。
それに対してリリアは、苦い顔で答える。
「上層部の意向みたい……まだ被害は出ていないし、宗教関係のエリアだから、下手に出撃させられないって」
「上層部っていうのは?」
「わかるでしょ? ここのスポンサー様」
「マーティネス社か……ッ!」
思いがけない妨害に、ナナは思わず歯ぎしりをした。
マーティネス社のことだから、またぞろ何か企んでいるのだろうことは、ナナも容易に想像できた。
「企業の連中は、本当に……」
しかし、ナナは呪詛を吐く寸前だった口を閉じ、呼吸を整える。
ボヤいても仕方ない。そう考え、改めてリリアに向き直った。
「この件に芹沢理事長は?」
「もちろん尽力してくれてる、ただ交渉はしてるけど、こっちにも死人が出てるわけじゃないから、時間が――」
「10分よ。向こうがそれよりごねるようなら、私一人ででも勝手に出させてもらう」
「な……!? 無断出撃するつもり? どんなペナルティがあるか――」
「出来ることを、やるだけよ」
そう言って、ナナは格納庫へと再び足を動かす。
「ちょっとリーダー、まさか私を置いてくなんて言わないよね?」
「わ、私も行きますからね、ナナさん!」
と、先ほどまで静観していたミサとレイが、そう言ってナナに駆け寄った。
「……勝手にして」
ナナのそんな呟きを最後に、三人は格納庫へと走っていった。
少しの間。
「……ああ、もう!」
すると一人残ったリリアはそんな声を出して、三人と同じ方向へ走っていった。
「このままだとヨーコが……それなら――」
リリアは小さく、誰にも聞こえない声量でそんなことを呟いて、それを最後に口を閉じた。
そして、夜が明けたら受けるであろう無断出撃のペナルティを考え、ため息を一つこぼしたのだった。
*
……頭が痛い。
なんだ、何がどうなった?
確か、ライカの下へ行こうとしたら、駆藤にいきなり――
「――起きろ」
そんな声と共に、頬に引っ張られたような痛みを感じた。
「うッ……!?」
飛び起きるように目を開ける。
すると目の前には、頬を引っ張った張本人がいることに気づいた。
……ついでに、俺の頭をぶん殴ったやつでもある。
「よう」
駆藤がいた。
平時と変わらぬローテンションに、仏頂面。
さっき怯えた顔をしながら頭をぶん殴ってきた奴とは、とても同一人物とは思えなかった。
「……俺を殴ってきたアイツが『駆藤ヨーコ』の本来の人格か?」
「そうだ。『ぶっ壊れた』っていう枕詞が付くがな。もはや人格なんて呼べる代物じゃない。『お父様』の言葉に無条件に怯えて従うプログラムさ」
そんな風に言いながら、駆藤はその辺にあるパイプ椅子を持ってきて、俺と対面するように座った。
もっとも、俺の方は座ってるだけではなく、鎖で入念に縛りあげられてはいるが。
我ながら、今更気づくというのもずいぶん間抜けな話だ。
しかしまあ、こいつがここにいるのは都合が良い。
理由はわからんが、とりあえず聞きたいことがる。
「教会の連中はどうなった? あの白いランバーは?」
「白いやつは未だに悠然と空を飛んでるよ。教会の連中はそうだな、私たちが連れてきたホムンクルスを使って『儀式』を始めようとしてるみたいだ」
「クソ……!」
やはり遅かった。
これは、非常にのっぴきならない状態だ。
このままだと、ライカが……。
「その様子だと、教会の狙いに気づいてるみたいだな?」
少し首を傾げて、駆藤が聞いてきた。
「……すっとぼけた言い方するなよ。ホントはアンタも知ってんだろ?」
俺は焦燥からか、普段よりも当たりの強い言葉で聞き返す。
「まあな」
すると、駆藤はあっさりとそう言って、続けた。
「連中、どうやらランバーから『交信』だか何だかがあったらしくてな」
「交信?」
「ランバーが連中にお願いをしたんだと。滑稽だろ?」
「……どうだろうな、全くないとも言い切れない」
「そういえば、お前も似たようなのに絡まれたんだったか」
「まあな」
絡まれた。というのは実に良い表現だ。あのランバーと、俺との関係を実に的確に表している。
恐らくだが――いや十中八九、教会にコンタクトを取ったランバーとは、あの『何か』だろう。
確証はないが、確信はあった。
「ライカへの接続、その足掛かりに、教会とホムンクルスを利用しようって話らしい」
まるで他人事のように、駆藤はそう言った。
やはり、俺の予想は的中してしまっていたらしい。
どうやってかは知らないが、ライカはあの少女型のホムンクルスに接続することが出来た。
癪な話だが、ライカにできたことが、あの『何か』にできないとは考えにくい。
曲がりなりにも奴はランバーだ。電子戦でできないことはないと考えるくらいがいいだろう。
奴はライカに対しては異常な執着を見せている。
ライカが接続したホムンクルスに自分も接続し、その通信ログからライカへの経路を探るつもりなのだ。
そうなったら、ライカは最悪、やつの手中に納まってしまう。
OSであるコア・コンピュータまでは汚染されないにしても、その他の付随機器やアビオニクスが乗っ取られてしまう可能性が有る。
それは脳だけが正常で、身体は別の誰かに乗っ取られているようなものだ。
文字通り、手も足も出ないだろう。
「……逃がしてやろうか、ニッパー?」
そんなことを考えていると、不意に駆藤が聞いてきた。
思わず俺は、彼女を見る。
いつもと変わらない、仏頂面だ。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。……少し待て」
言って、駆藤は席を立ち、俺に近づく。
すると何を思ったのか、拘束用の鎖を解き、俺の手足を自由にした。
「いいかニッパー、私が助けられるのはここまでだ」
駆藤は表情を崩さないまま、続ける。
「お前がそこから立ち上がって一歩でも動いたら、私は『駆藤ヨーコ』の人格に支配されて、今度こそお前を殺すかもしれない」
「教会のプログラムか、便利なもんだな」
「全くもって、な」
「しかし、ならどうするんだ? このまま動けないんじゃ、縛られてるのと変わらない――」
「だから、お前にひとつ、やって欲しいことがある」
被せるように駆藤は言って、おもむろに腰のホルスターに手をかける。
ハンドガンに手をかけたのを見て一瞬身構えたが、その後彼女は、俺にグリップを向ける形で、銃を持ち直す。
「ん」
そう言って、彼女は俺に銃を差し出した。
俺がすぐに、その意図するところを理解した。
俺が少しでも動くと、その意志とは関係なく、駆藤は俺に襲い掛かってくる。
……であれば、解決方法はある。
誰でも思いつくような、明快で、確実な方法が。
「私を撃ち殺せ、ニッパー」
いつもの淡々とした口調で。
いつもの仏頂面のまま、彼女はそう言ってのけた。
彼女は続ける。
「お前ならできるさ。お前はイイ男だ。至上目的に忠実で、真摯で……そして、それを守るためならどんな犠牲も平気で出す。純粋な殺意を持てる、イイ男」
そう言って駆藤は、銃のグリップを俺の手に添える。
「……こういうことが出来るやつを、ずっと探してたんだ。お前は理想的だったよ」
彼女の言葉を聞きながら、俺は彼女の銃を手に取った。
このままでは、ライカが危ない。
ライカを助けるためには、駆藤を撃たなければいけない。
それはもはや、天秤にかけるまでもないことだった。
スライドして弾を込め、照準を駆藤の眉間に合わせる。
「……何か最後に、言っておきたいことはあるか?」
「なんだ、お前もそう言うことが言えるんだな」
「どうだ?」
「そうだな……リリアに伝えといてくれ」
駆藤はどこか諦観したような口ぶりで、続けた。
それは心なしか、涙を流さず、泣いているようにも見えた。
「駆藤ヨーコは、誰かもわからない、生まれた意味も分からない不気味なバグに乗っ取られて死んだってな」
それを聞き届け、頷いて。
そして、引き金を引いた。




